尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

散歩で城山八幡宮の前を通りかかった。

夏の風物詩ともいえる茅輪くぐりの神事ですが、今の状況でどうかなと思っていた。
社頭の前を敢えて通ったのもそんなこともあってかもしれません。
001
社頭や石段には奉納された幟や提灯が並んでいました。
かやなどで作られた大きな輪、そこをくぐり右にひと回り、次は左をひと回り、最後に真ん中を通り抜ける、無病息災、諸難消除、疫病退散、健康長寿を願う夏の神事。
夏が来たんだねと感じさせてくれる。
003
禍に負ける事無く開催されているようですが、調べて見ると今年は例年とは多少違うようです。
輪くぐり作法も今年は真っすぐにくぐり抜けるだけだったり、神事に合わせ行われる踊りも中止。
なにより露店が出ない。

子供の頃はお祭と聞くと小銭を握りしめ露店目当てに出かけたもので、夏休みで帰省した悪友にも偶然再開できたりとお祭はそうした繋がりの場でもある。

祭りには少し寂しい気がしないでもないけれど、この禍の最中ではそれも当然の流れだ。
今年は悉く行事の自粛や中止が相次いできた、それを生業とする事業者にとって影響は計り知れない。
イカ焼きのおいしさや生き物を飼うきっかけを作ってくれた露店が消えない世の中であってほしい。
002
社頭の城山城址解説、麒麟が来るの舞台の一つでもあります。
城山八幡宮の茅輪神事は7月15日(水)~8月16日(日)まで催されているようです。
かみさん誘ってくぐりにこようかな。

関連記事 / ​


和歌山県和歌山市伊太祈曽
『伊太祈曽神社』の社頭を目の前にしてローカル線の遮断機が下りるとはなんて不幸な、運転主は内心そう思っていた。
1
踏切の左に「わかやま電鉄貴志川線」の「伊太祈曽」駅があり神社の社名がそのまま駅名になっている。
姿を現したのは電車を擬人化したキャラクターが描かれたラビング車両。
このキャラクター「チャギントン」と云うらしい、トーマスくらいはついていけるが、チャギントンは全くついていけない・・・・。

白い車両に赤いキャラが描かれなかなかかわいい、停車中に思わず一枚。
なんでも、わかやま電鉄の親会社が岡山電気軌道で、親会社がチャギントンのラビング車両を展開し、そのPRのため、子会社のわかやま電鉄でもこの貴志川線にラッピング車両を走らせているとか。
以外とラッキーな出逢いだったのかもしれない。
2
踏切を超え、県道9号線を南進する、和田川に架かる赤い常盤橋を越えると紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」の一ノ鳥居、右に社号標。
駐車場は参道を進んだ右に広大な駐車場あります。
なので社頭辺りはスルーすることになります。 
3
駐車場に車を停め、一ノ鳥居まで戻ってきました。
鳥居前の常夜灯は安永時代(1772~1781)の物。
左に紀伊國一之宮伊太祈曽神社の由緒書き。
祭神は木の神、五十猛命(いたけるのみこと)で、国土緑化の神ともされる。
妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと) 、都麻津比賣命(つまつひめのみこと)と共に全国の山々に木を植えて緑豊かな国土を造られた神。
脇殿にはその妹神が祀られています。
また、浮船を造り漁の技術を教えた事から漁業関係者の崇敬も篤いそうだ。
ここは五十猛命を祀る全国の神社の総社・一宮で林業・漁業のみならず厄除け祈願に訪れる方も多いようです。
4
社頭から一ノ鳥居の眺め。
訪れたのが2020年6月末だった事から天気は期待していなかったが、雲は多いものの汗ばむ陽気。
5
鳥居をくぐったすぐ左に櫛磐間戸神社 。
櫛磐間戸命、豊磐間戸命を祀り、神社の入口の守護神で、親しみを込め「門神さん」として崇敬されているそうです。
6
一ノ鳥居から緩やかに上る参道を進む。
左手の小高い森は「伊太祁曾古墳」で丘の頂に続く道の入口に「ときわ山古墳」の看板。
古墳を分断するように切通があらわれます。
古墳まで20㍍とある。寄り道したいが、ここは神社に参拝し帰りに寄ろう。
ニノ鳥居はその右に建つ。
7
ニノ鳥居から拝殿の眺め。
ここで狛犬に出逢う。
8
ニノ鳥居で守護する柔らかい質感のある石で彫られた狛犬。
9
赤い橋の先に境内が広がり、城壁の様に積まれた石垣の上に拝殿が建っている。
10
橋を渡った左に手水舎。
訪れた当時はまだ手水は開かれていました。
11
大きな杉や檜を背にして建つ割拝殿。
外観はまるで城のイメージ。
12
平らな石を多用し乱積みされていながら、長短交互に積まれた石段脇の角石など遠目から見ても綺麗な石垣で、石材も花崗岩に比べると少し青味のあるものが使われ温かみを感じる。
13
割拝殿の石段を上ると正面に本殿。
本殿域は檜皮葺の透塀に囲まれ、本殿と脇殿に其々に拝所がある。
14
拝所から本殿域を眺める。
右脇殿と本殿共に檜皮葺の流造のようで3本の鰹木と外削ぎの千木が見える。
15
拝殿全景、内部にはチェーンソーで削り出された干支の置物や、「木俣くぐり」と呼ばれる大きな切株があり、その下をくぐる事で厄払いができると云う。
16
本殿右の寄棟の建物。
すぐ脇に本殿域に繋がる門がある神饌所か?額もなく用途は不明。
17
一番右の建物、なんとなくお寺の宿坊のような佇まい、有功殿と額はあるがこちらも用途は不明。
神宮遥拝所、冠木鳥居の先にはお伊勢さんという事です。
18
さて右脇殿から参拝していきます。
都麻津比賣命(つまつひめのみこと)を祀る社。
19
本殿。
五十猛命(いたけるのみこと)を祀り、平成に入り手が掛けらています。
手前の小さな狛犬はその時に奉納されたものなのか新しいものに見えます。
20
左脇殿は屋都比賣命(おおやつひめのみこと)が祀られる。
21
蛭子神社。
境内左にある切妻平入の社、社の左に「おさる石」と呼ばれる霊石が安置されています。
この石を撫でれば首から上の病に霊験あらたかとされるそうです。
右には木彫りの龍が安置されている。

蛭子神社は明治の合祀令により、伊太祁曾神社の氏子区域内で祀られていた産土神をここに合祀したもの。二十二の神社がそれぞれの社名で祀られている。
22
左脇拝殿の左に気生神社。
伊太祁曾神社の祭神である五十猛命の荒魂を祀った摂社がある。

荒魂は神の荒々しい側面の荒ぶる魂である。
昔の映画「大魔神」優しい姿から鬼の様な形相になり悪を懲らしめたあの状態。
和魂はその逆で優しく平和的な側面の魂で本殿にはこの和魂が祀られている。

こうした側面は誰しも持っていますよね。
我が家のかみさんの荒魂が現れると近付き難く、和魂に戻るには頭を垂れ、ひたすら拝むしかない。
当然禍の元は自分にある。
23
このあたりは和歌山県の南東にあたり、周囲を山で囲まれた所謂盆地で山東盆地と呼ばれる緑が残る田園地帯で伊太祁曾神社はその西の丘陵地に鎮座します。
旧称は山東宮と呼ばれた紀伊國一之宮で社伝によれば古くは「日前宮」鎮座地に祀られていたとされる。

垂仁天皇16年に日前神・国懸神を同所で祀ることになり、その地を明け渡したとされ、その際、現在の鎮座地近くの「亥の杜」に遷座、和銅6年(713年)に現在地に遷座したとされる。

杉や檜が取り囲む静かなこの空間、雑念まみれの自分の気持ちが妙に浄化されていくような気が。
24
割拝殿から渡廊で続く常盤殿左の石垣脇に神明鳥居が建っています。
切通の先は水の神さまと井戸の神さまをお祀りする御井社に続く。
鳥居からは50㍍程下った左に鎮座しています。
25
本殿の建つ頂の裏斜面を下り切ったあたり、ここから本殿は見上げる程の高低差があります。
御井社の前の井戸は「いのちの水」と呼ばれ、今も枯れる事無く水が湧いています。
26
「いのちの水」
飲むと活力を得ると伝えられ、飲料水や料理に使うため、汲みに来られるそうだ。
また、病にかかった人は元気が蘇る霊力を持つと信じられているそうです。
社に向かい手を合わせた後に「いのちの水」を頂く作法です。
御井社
祭神は彌都波能売神(みずはのめのか)、御井神(みいのかみ)を祀ります。
27
祇園神社
御井社を後に鳥居まで戻り更に左に向かうと石段の先に祇園神社の明神鳥居があります。
ここは石段を登ります。
28
石段途中の左に注連縄が張られた磐座がある。
解説によれば「須佐之男神と五十猛神は高天原から天降る時、新羅(韓国)の曾尸茂梨(そしもり)に降り立ちますが「この国には居たくない」として船を造り東に渡り出雲の簸川上の鳥上峯に至ります。

後に須佐之男神は大蛇を退治、五十猛神は妹神と共に日本全国に木を植えて廻り全て青山となした。
日本書紀には五十猛神はその功績から有功之神と称えられ紀伊國にお鎮りになった。
この岩は奥出雲の鳥上峯(船通山)の磐座で、彼の地を拝む縁とするため祇園神社の社前に祀られたもの」

当初降り立った曾尸茂梨は今も定かではないようです。
その右の石段の先が祇園神社。
29
樹々に囲まれた小高い丘の頂に鎮座する祇園神社。
ここも何か特別な空気が漂う空間です。
30
祭神は五十猛命の父神である須佐之男命、天照大神、埴安姫神(はにやすひめのかみ)が祀られ、
神社合祀令により氏子区域内に祀られていた祇園社四社(塩ノ谷、明王子、山東中、奥須佐)も1902年に合祀されている。
流造の社殿は傷みもない、平成に入り手が掛けられたようです。
大きめの社とはいえ、多くの神が収まるには多少三密気味か?賑やかで逆にいいか?
31
常盤殿
参拝者駐車場から割拝殿方向に進むと最初に目につく建物。
和歌山県では結婚式に餅撒きを行うものらしく、ここの二階から訪れた参列に幸せのお裾分けを行うようです。

緑豊かな水田地帯、小高い山に鎮座する紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」、日常の雑念から解き放ってくれる、静かで落ち着いた佇まいの神社。
32
紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」
祭神 / 五十猛命(いたけるのみこと)
左脇殿 / 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)
右脇殿 /  都麻津比賣命(つまつひめのみこと)
創建 / 和銅6年(713年)
境内社 / 櫛磐間戸神社 (櫛磐間戸命、豊磐間戸命)、蛭子神社、気生神社(五十猛命荒魂)、御井社
(都波能売神、御井神)、祇園神社(須佐之男命、天照大神、埴安姫神、祇園社四社)
住所 / 和歌山県和歌山市伊太祈曽

関連記事 / ​『紀伊國一之宮 日前神宮・國懸神宮』 ​ / ​車中泊で紀伊國・大和國一之宮巡りと紀三井寺特別御開帳へ

公共交通機関アクセス / JR大阪駅から紀州路快速「和歌山」駅下車→和歌山電鐵貴志川線「伊太祈曽」駅で下車


東区白壁2  
1
東にマンション、西に高校、周囲は閑静な住宅街の続く白壁の街に鎮座する 七尾神社。
2
社頭入口の神社解説板、ここは東区の史跡散策路の一つになつているようです。

「亀尾天満宮、七尾天満、七尾天神とも呼ばれ、菅原道真を祭神とする。
1501~04年(文亀年中)、七尾の亀が道真の木像をここに運んだという伝説があり、社名の由来となっている。
1504~21年(永生年中)社殿が造営された。
桜天神と共に学問の神さまとして崇敬が厚い。
1909年(明治42)7月の火災で木像、その他宝物を焼失した。 名古屋市教育委員会」

・・・・・とあります、創建は那古野城築城以前ということだ。
3
尾張名所図解を開いてみる、七尾天神として当時の様子が描かれていた。
周囲は木々が生い茂るだけの寂しい環境の中に妻入り拝殿と本殿があり、右には稲荷、もう一つ社が描かれている。
4
七尾神社社頭全景。
尾張名所図解で描かれた当時と比べ伽藍は随分とこぢんまりとしている。
1872年(明治5)に七尾天神から現在の七尾神社に名を改め、第二次世界大戦では名古屋城の近くでもあり、空襲により伽藍も宝物も焼かれてしまい、その後に入って再建されたものが現在の姿。
5
境内左に手水舎、参道石畳の先に神明鳥居と狛犬、臥せ牛があり、その先が拝殿となっています。
6
手水舎全景。
7
自然石の手水鉢に龍がいます。
その後方には瓢箪型の小さな池があります。
弁天様でも祀られているのかと思いきや、どうやら違うようです。
8
七尾の亀
小池の中央に亀の象、その尻尾は七つに割れています。
この亀の甲羅に七度水を掛けて願を掛けると願いは叶うとされ、合格祈願、厄除け、生育祈願にご利益があるとされる。
9
この七尾の亀については『尾張名所図会』にも描かれていました。
そこには「七尾天神出現の図」として七尾の亀が背中に道真像を乗せ、修行僧と出逢うシーンが描かれています。 
七尾天満宮亀尾山永正寺として以下の様に記されている。
「志水の西、成瀬家の中屋敷の内にあり。
真言宗長久寺、永正年中の建立にして天満宮社僧なり、菅神の霊像は文亀年中七尾ある亀に乗り給ひて、此側なる山林の石上に出現ありしかば、永正改元の頃社を建て安置せしよし。
当寺縁起に見えたり、本地十一面観音は行基の作・・・・・」とある。

創建時は真言宗の寺で亀尾山永正寺と称し、江戸前期は成瀬家の祈願所であったようです。
では永正寺はどうしたというと、現在周辺に寺はなく神仏分離により廃寺となり七尾天神社のみが残ったのかもしれない。
10
鳥居から先の境内。
街中にあって短いけれど真っすぐに続く石畳は気持ちいい。
周囲のマンションに囲まれ、樹々が少ない境内に切妻のシャープな拝殿が佇む姿に違和感はない。
右手に絵馬掛けと小さな鳥居が見えます。
11
参道の狛犬。
白御影石で立耳の見慣れた姿ではなく、砂岩から彫られた垂れ耳で日焼けしたねりで、質感が温かくフォルムが滑らかで好みの姿です。
12
次は伏せ牛(奉納大正14年)。
道真と云えば彼らはつきものです。
体調がすぐれなければその部分を撫でる、しっかり撫でてお参りすれば願いは叶う。
もちろん努力も求められる・・・・・賽銭の金額で彼らは忖度されない、頑張る姿を彼らは見ている。
13
軒下に飾られた奉納絵馬と木うそ。
道真と鷽(うそ)はつきもので、諸説あるけれど「菅原道真が蜂の大群に襲われた時、鷽の群れが蜂を食べ尽くして道真を救った」とか言われ、天神社や天満社では嘘が真になるという嘘変え神事が行われるようになったと云われます。また、狛鷽もあるようで、この禍が落ち着いた暁には尋ねて見たいものです。
14
拝殿内の眺め。
梅の紋が咲き誇っています。
15
拝殿右に梅紋の入った賽銭箱。
16
提灯には筆塚社とあり、その先に筆の形の石柱が建っている。
右には皇居遥拝所の石標。
なのでこちらが東になる、まさか西という事はないだろう。
最近地下鉄から地上に出たり、細く入り組んだ道を歩いていると方向感覚が狂う時がある。
まともに太陽を拝んでいない事もあるのだろう、梅雨の間はコンパスが離せなくなってきました。

筆塚の奥から本殿は見られますが、本殿裏手の北側の小道に回り込むと内削ぎの千木と鰹木が飾られた神明造の本殿を見ることができます。
17
境内右手の紫陽花の陰に古い手水鉢が残されていた、年代は見ていないけれど「七尾天・・神?」と推測できます、天神社になる以前に使われていたものだろう。
18
拝殿から社頭の眺め。
七尾神社
創建 / 1504~21年(永生年中)
祭神 / 菅原道真 
住所 / ​名古屋市東区白壁2-28-19
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線​「市役所」駅から北方向へ徒歩約15分程

↑このページのトップヘ