尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

強烈な気圧を誇って上陸した台風14号。
 被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

幸いにもこの辺りでは大きな被害をもたらすことなく通り過ぎて行った。 
 今日一日無駄とも思えた台風対策のリセットに追われる一日だったが、有難い取り越し苦労だった。
単に幸運に恵まれただけの事、次はこの地・・・いつもそう思っている。
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台風一過の夕方、近くを散歩して回って見た。

 里山の樹々が折れ散乱するのが常だが意外なほど平穏だった。
その道すがら彼岸花を見かけた、台風の余波は残るものの、風に揺られ咲き始めた彼岸花、平穏だったが故の気付きであり美しさだろう。
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取り越し苦労で済んでいる内はまだ〃平穏なほうだ。

 気候は明らかにこれまでとは違ってきている。
想定外は想定に入れておくべき心構えが必要な時を迎えている

名古屋市中村区日比津町2「秋葉社」
 上は水神社で使用した地図に今回の目的地秋葉社の位置を落として見ました。
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 所在地は中村区日比津町2-9、水神社からだと東に10分もかからない距離にあります。
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旧街道や古い街並み歩いていると「南無妙法蓮華経」と刻まれた石標を見かけることがある。
 日蓮宗の題目を石標や自然石に刻んだもので、その文字は「法」の字以外の筆端が延びる独特の文字で、その形態から髭題目とも呼ばれるそうだ。
光明点書法と呼ばれるこの書法、仏の慈悲の光が四方八方に広がる様子を表したものと云われます。
 日蓮宗では法華経に帰依する意味で「南無妙法蓮華経」の題目を唱えると、その功徳により成仏するとされ、この題目を紙に書き留め本尊としたり、石塔に刻み寺や村々の辻などに立てられたものがこの石標。
写真の髭題目は1847年(弘化4)のもの。
 今回、日比津町を歩いて見てこうした髭題目を幾つか見ることが出来た、全部で何基あるのか分からないが、この町の路を全て踏破すれば全体数が見えてくるだろう。

 因みにこの場所から東に進むと別の髭題目が立てられています。
今回はこの南側に隣接する「秋葉社」を掲載します。
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日比津町 秋葉社全景。
 日比津二区集会所も兼ねているようですが、集会所前の常夜灯の竿には秋葉神社と彫られている。
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切妻瓦葺で妻入りの集会所の向拝軒下には秋葉社の額が掛けられているのでそれと分かる。
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集会所のガラス越しに内部を覗かせてもらった。
 内部は対面する出口扉の先に祀られた社の姿と常夜灯が確認できた。
扉の上には二頭の龍が飾られていた、龍神を祀るのか定かではないが、火伏の神と水を司る龍、この一画を禍から守護するには最強かもしれない。
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集会所右から後方にある神域の全景。
 本殿域は石垣で一段高く積まれ、周囲は玉垣で囲み板宮造りの赤い社が祀られている。
手前の常夜灯は入口のものに比べ、年季が入っている様に見え、竿に文字が刻まれているように見えるが写真では分からなかった。
 この秋葉社、冒頭の地図にも印はなく、由緒等の情報は分からない。
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秋葉社と後方の髭題目の全景。
 何もわからず、自分の中では空模様同様のモヤモヤが残るけれど、地図に載っていない秋葉社と出会ったことだけでも雲間から陽光が差し込んだような気分だ。

秋葉社(日比津2)
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市中村区日比津町2
参拝日 / 2022/09/02
関連記事 / ​中村区日比津町3 『水神社』
水神社から徒歩ルート / ​​​​​東へ徒歩約10分程度

名古屋市西区上名古屋2「和徳稲荷社」
 東隣に宗像神社と社地を共にし、この辺りでは桜の名所として知られる稲荷社。
地下鉄鶴舞線の浄心から東に位置しアクセスは容易な場所。
 桜の時期に訪れた経験はないけれど、ライトアップされた桜と朱の稲荷鳥居の味のある写真が撮れるスポットのようだ。
 覚えておきたいと思うがカメラマンが一杯いると思うと引いてしまう。
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上は弁天通りの浄心東から北に一本入った先の宗像神社社頭全景。
 和徳稲荷社は赤い幟が立ち並ぶ社地西側に鎮座します。
宗像神社で纏めれば良かったが写真も増えてしまい二回に分け掲載する事にします。
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和徳稲荷社社頭。
 桜の神社と云うだけあって境内の杜は桜が目に付く。
右に和徳稲荷社の社標が立ち、朱の鳥居の前に稲荷の代名詞狛狐が守護する。
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境内は実に多くの奉納幟と鳥居が立ち並び相当なご利益がありそうだ。
 鳥居をくぐると参道は一旦二手に別れ、奥にあるニノ鳥居で再び合流する。
出入口を分けたとは思えないが、参道中央に聳える桜の古木がこうさせたのかもしれない。
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一ノ鳥居の額。
 桜が満開ともなれば華やかな光景が広がるのだろう。
来年の桜の時期に訪れて見たいところ。
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鳥居右側の社標。
 寄進年は昭和14年3月とあった。
後方の宗像神社の常夜灯など安政7年(1860)の元号が見られたが、和徳稲荷社ではそこまで古い元号は見られなかった。
 宗像神社は初代尾張藩主徳川義直(1601年~1650年)により名古屋城内に勧請した三社のひとつ、御深井弁天とも呼ばれ後にこの地に遷座した。

ここ和徳稲荷社が宗像神社と共に時を刻んできたものか、創建等の詳細とは出会えなかった。
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一ノ鳥居前の狛狐(寄進年未確認) 
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参道を二手に分ける奉納鳥居。
 どごぞの稲荷を思い浮かべる趣がある。
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一ノ鳥居のシックな額に対し、こちらは朱一色。
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拝所手前の手水鉢。
 境内ではこの鉢が一番年季を感じさせるものかもしれない。
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ニノ鳥居から拝所、本殿方向の眺め。
 拝所中央に大きな提灯が吊られている。
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朱と白で塗り分けられた拝所から本殿方向の眺め。
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拝所に置かれている重軽石、宝珠を模ったものか?
 この種の形状なら持つことに躊躇いはない、作法は御存知の通り。
願いは「家族全員が健やかに暮らせ、この国が平穏であるように」……?
 若干軽く感じたが、それは重さに慣れというのかナ。

僅かな賽銭ながら、どこぞの利権にまみれた輩と違い、かみさまは金額で忖度はしない。
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拝所に掲げられていた社殿改築の履歴。
 昭和60年(1985)、改築。
平成6年(1994)、大改修。
 平成16年(2004)、稲荷鳥居改修。

多くの寄進者に支えられ和徳稲荷は成り立っている。
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本殿域全景。
 ここにも狛狐。
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社頭のものと比べ黒ずんだ風貌は年季を感じさせる。(年代未確認)
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本殿は銅板葺の流造、棟には外削ぎの乗せ千木と二本の鰹木が施されている。
 由緒は不明ですが、訪れた者へ公平に御利益を与えてくれる和徳稲荷。

和徳稲荷社
創建 / 不明
祭神 / 倉稲魂命(名古屋市史より)
所在地 / 名古屋市西区上名古屋2-7
関連記事 / 興西寺 名古屋市西区城西
興西寺から徒歩アクセス / 北西に​徒歩5分前後
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線「浄心」駅降車、北東に​徒歩5分程
参拝日 / 2022/08/26

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