尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

久し振りに見る虹の姿
 これは幸運の印と捉えよう
迫りくる台風、大きな被害に繋がらなければいいが 
タイトルなし
2022/9/1 17:54

柯柄(えがら)八幡神社の参拝を終え、高山線で下呂までやってきた。
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写真上段は下呂駅前に掲げられている観光マップ。
 下段は下呂大橋から飛騨川上流の眺め、河原に見える噴泉地。
以前は全裸で入浴が出来、山からの帰りはここで汗を流すのが楽しみだった。
 それも世の流れと共に水着着用になり、マナーの悪さから今では足湯に変ってしまったようだ。

下呂温泉の歴史は古い。
 1728年(享保13)、幕府直轄領である飛騨国代官となった長谷川忠崇が編纂した地誌飛州志に「天暦年中(947~957年)この地の山中に、温泉湧出せり、地名を湯ガ峰という」という記載がある。
古くは室町時代の僧・万里集九の『梅花無尽蔵』に優れた温泉地として「湯島(下呂)、草津、有馬」で既に書き残されていた。
 また、江戸時代の儒学者・林羅山が「我が国には多くの温泉がある、最も著名なのが、有馬、草津、湯島(下呂)である、有馬、草津は広く世の知るところ、湯島は古来の霊湯なことを知る者は少ない。
 だが入湯者はその験を得ざることなし」と書き残したという。
それにより下呂温泉が草津、有馬と並び「日本三大名湯」として、1000年の歴史を誇る名湯として広く知られるようになったようだ。
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 街中で見かけるマンホールには白鷺がデザインされています。
下呂の温泉街から少し登ると温泉寺が鎮座します。
 そこには「白鷺伝説」が伝わり、「薬師如来が傷ついた一羽の白鷺に姿を変え、飛騨川でその傷を癒し、源泉のありかを村人に知らせた」と温泉発見にまつわる話が今も残る。
白鷺はこの地のシンボルだ。
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下呂大橋を渡り左に進みます。
 下呂温泉街の北の入り口で、その道路脇に大きな樹の姿が見えてきます。
あの杜が今回の目的地「若宮八幡神社」、中根山(下呂富士)の麓にある湯之島の氏神様です。
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社頭は通り沿いにあり、この大きな杉並木と玉垣が目印。
 何度も通っている道筋で神社の存在も知ってはいたが、駐車場もなく訪れるのは今回初めて。
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社頭から境内の眺め。
 鳥居と右に「若宮八幡神社」の社標、その先に一対の狛犬が守護する。
手水舎は左側にある、後方には中根山(下呂富士)が迫っている。
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石の明神鳥居の扁額も若宮八幡神社と彫られている。
 参道中央に♡型の赤い茅の輪があり、その先に入母屋造の拝殿が見える。
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境内から社頭の眺め。
 温泉街の北外れに鎮座する事もあり訪れる参拝者は少ないようだ。
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清水が絶え間なく注がれる手水鉢。
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拝殿全景、左には社務所。神輿の保管庫がある。
 赤い♡の茅の輪、若い観光客をターゲットにしたスポットやグルメが増えてきたが、この茅の輪もその一環だろうか。

当神社の鳥居始め常夜灯、狛犬等の寄進物は昭和に寄進されたものが多い。
 岐阜神社庁を調べて見たが掲載されておらず、若宮八幡神社の由緒については定かにはならなかった。
ただ、「飛州志」の中でこの地域に鎮座する若宮宮の一社として「益田郡湯島村若宮宮」として記述があったが、祭神の記述にとどまり創建時期は記されていなかった。
 それによれば祭神は「應神帝仁徳帝」とあり、仁徳天皇とその父応神天皇が祭神のようだ。
1728年(享保13)に編纂された「飛州志」に記述が残る事から享保以前に創建されているようだ。
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拝殿前の子持ち、毬持ちの狛犬。
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社殿全景。
 入母屋銅板葺の拝殿は幣殿と繋がりその先に鞘殿に続くようだ。
左側が社務所で境内の左に若宮稲荷が祀られています。
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「湯之島五ヵ所まいり」
 「輪をくぐって祓い清め良縁安産健康を授かりましょう」とある、お求めの方は是非一度。
帰りにはおがわや酒店に寄ってみよう、更にご利益アップのアイテムが手に入る。
 お酒大好き派は有料で利き酒や角打ちも出来る。
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拝殿額は「若宮神社」
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拝殿右からの眺め。
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鞘殿?だろうか、樹々に包まれ良く見えなかった。
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社務所。
 若宮八幡神社は夏に行われる下呂温泉龍神火祭りの道行の出発地点とか、今は閑散とした境内ですが祭りのときは多くの人で賑わうという。
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若宮稲荷。
 参道は石の明神鳥居の先にある覆屋に続く。
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鳥居扁額。
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渡廊の先に赤い玉垣に囲われた覆屋が見える。
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覆屋全景。
 内部に祀られる本殿は檜皮葺の流造のようだ。
使いの狛狐の姿は見られない。
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覆屋の額、・・・・若宮稲荷と書いてあるの?
 いやいや「福〇神社」或いは「稲荷神社」・・・・
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覆屋内、目立たなかったが本殿の左右と前にちゃんと狐が守護している。
 若宮稲荷も詳細は分からなかった。
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彼女と下呂温泉に訪れ、この赤い茅の輪を「くぐろう」なんて云われた時は潔く腹を括ろう。
 さて本日はここまで、ウエルカムビール飲み放題のホテルに向かうか。

若宮八幡神社
創建 / 不明
祭神 / 仁徳天皇、応神天皇

若宮稲荷
創建 / 不明
祭神 / 不明

所在地 / 岐阜県下呂市湯之島309
参拝日/ 2022/06/28
高山本線下呂駅から徒歩ルート / ​下呂大橋を経由15分前後
関連記事 / 柯柄(えがら)八幡神社 ​岐阜県下呂市 温泉寺​ ​岐阜県下呂市 下呂温泉神社 / 加恵瑠神社

6/3枇杷島4の「神明社」周辺を徘徊しましたが、日を改めて7/27再度枇杷島を訪れた。
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 名古屋市西区枇杷島「男女守稲荷神社、白要・白王両龍王」
枇杷島4の「神明社」から徒歩で10分もあれば辿り着ける距離に鎮座します。
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当神社の駐車場は左右に空き地はあるものの、参拝者駐車場として利用していいものか定かではなかった。
 住宅街の道路北側に鳥居を構え、南向きにた社頭がある。
南北に長い社地で間口は広くはないが奥には住宅街にあって貴重な緑の杜を持つ。
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男女守稲荷神社社頭から境内全景。
 石の明神鳥居と右側に「男女(なんにょ)守稲荷神社」の社標(1935年健之)が立ち、右側の駐車場側にも白い明神鳥居が建てられている。
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まずは「男女守稲荷神社」へ。
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鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水鉢、赤い鳥居の先には狛狐、正面の拝所から本殿の姿が見える。
 右の献灯台の寄進は1932年(昭和7)に寄進されたものだった?ように思う。
境内で見られる寄進物の多くは昭和に入って寄進されたものが多かった。
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手水鉢。
 寄進年度は不明。
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朱も鮮やかな鳥居の扁額は「男女守稲荷神社」
 この神社の創建時期や社名の由来については定かではない。
男女の縁を守る稲荷さん? そんな安直な由来から来ているとは思えない。
 なぜそう感じるかと云うと、境内に縁結び的な雰囲気はあまりない。
男女守稲荷神社の右後方に同神社の奥宮とされる白要・白王両龍王が祀られている。
 農耕神の稲荷神と奥宮に祀られる雨を掌る龍神様、二神でひとつと捉えると男女の関係とも似ている、それにあやかって付いた社名か? 
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拝所前に稲荷神の使い狛狐。
 肉付きの良い姿は狐と云うより犬に近いフォルムかもしれない。
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拝所から神明造の本殿方向の眺め。
 本殿前にも一対の狛狐が守護している。
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本殿域は朱に塗られた玉垣で囲われ、白要・白王両龍王の鳥居から白の玉垣に変る。
 本殿域には大きな榎が聳え立っている。
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本殿域の榎の巨木は大きく枝を張り、男女守稲荷神社の本殿域全体を濃い緑で包んでいる。
 住宅街のシンボルツリーとも云える立派な榎は保存樹に指定されている。

こうした巨木には昔から何かが宿ると云われる、それが後方の龍神なのか?
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本殿域の狛狐。
 拝所前の狛狐に比べると尾は長くややスリムで狐らしいフォルムのもの。
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本殿。
 6本の鰹木と内削ぎの千木、セオリーから見れば女神が祀られている事になる。
後方に見えているのが奥宮とされる白要・白王両龍王の本殿。
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赤い「男女守稲荷神社」と奥宮の白い「白要・白王両龍王」全景。

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白要・白王両龍王の鳥居扁額。
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拝所から本殿域全景。
 白要・白王両龍王。
白要・白王の二柱の龍王は後奈良天皇の天文年間(1532~1555年)に琵琶里の守護神として八幡社の跡地に鎮座されたと伝わる。

 祭神は頭が二つある二頭龍王が鎮まっていたとされ、明治13.14年それを知らずにこの地の開墾をした人々が大変な神罰を受けたとされる。

 それは子供達が竹や木の枝など折っても同様に神罰が下され、人々から恐れられ立ち入る者もなく荒れ果てて行ったと云う。

そんな状態でも「御神酒」を供え、病気の平癒やその他の願をかけると不思議に願いを叶えてくれると云う。
 そんな霊験あらたかな二頭龍王が鎮まるこの地、男女守稲荷神社の奥宮として祀られたのが現在の白要・白王両龍王だとされます。
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そもそも男女守稲荷神社の社地は現在枇杷島3に鎮座する八幡社が鎮座していた場所と云う。
 八幡社の創建は1529年とされ、現在の枇杷島3に遷座したのが1612年(慶長17年)とされます。

白要・白王両龍王が天文年間(1532~1555年)に琵琶里の守護神としてが祀られたとされる事から、八幡社にもともと祀られていた事になります。
 八幡社遷座時、そこに鎮まっていた二頭龍王だけは神罰を恐れ動かせなかったのかもしれない。
やがて時と共に人々の記憶から存在が忘れ去られ、再び目覚めたのが明治の開墾という事なんだろう。

男女守稲荷神社の創建時期は不明、ひょっとすると八幡社に祀られていたものか、1612年(慶長17年)以降新たに祀られたものか確かな記述は見当たらなかった。
 白要・白王両龍王を奥宮とする事から見て、男女守稲荷神社がその後に創建と云うのもしっくりこない。
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白要・白王両龍王の右に昭和13年に建てられた成耕記念碑がある。
 今は二頭龍王も鎮まり、「御神酒」を供えてくれる参拝者の願いを叶えてくれているのだろう。
ここは賽銭よりもなによりお酒が一番のようだ。

男女守稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
白要・白王両龍王
創建 / 天文年間(1532~1555年)
祭神 / 二頭龍王
所在地 / 名古屋市西区枇杷島5-8-3
参拝日 / 2022/07/27
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線​「浄心」駅下車、徒歩で西へ25分程
関連記事 / ​神明社 名古屋市西区枇杷島​​
神明社からアクセス / ​南西に徒歩10分程

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