名古屋市熱田区神宮1丁目

目の前は熱田神宮、熱田さんとして親しまれています
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熱田さんの西に市内を南北に貫く国道19号線が伸び、伏見通りと呼ばれます
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伏見通りに面して熱田さんの西門がありますが、平日ですが訪れる参拝客は後を絶たない
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西門から国道を挟んで西側
歩道に面し葵の紋が入った山門と門の左に「右大臣源頼朝公誕生旧地」と記された石標がひっそりと佇んでいます
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門の左脇に名古屋市教育委員会の解説板が掲げられている
それがなければ足を止める事もないのかもしれない
頼朝の出生地(諸説あるようですが)とされる妙光山「誓願寺」です
古代より熱田神宮を管理する大宮司は尾張氏が世襲してきました
平安時代末期の大宮司尾張員職の娘が尾張国司として着任してきた藤原季兼の正室となり、その子である藤原季範が大宮司職を継ぐ事となり、以後その子孫が大宮司を世襲することになり、尾張氏から藤原氏に大宮司職の座が渡る事になった
以下は解説板から
「平安時代末期の熱田大宮司の別邸があったところ、藤原季範の娘由良御前は源義朝の正室となり、身ごもって1147年(久安3)熱田の実家に帰り、この別邸で頼朝を生んだといわれる、1529年(享禄2)別邸跡に妙光日秀、世に言う善光上人により誓願寺が建てられた、妙光山と号し、西山浄土宗の寺で、本尊は木造阿弥陀如来坐像である」
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往時は広い伽藍を持ち、尾張名所絵図にもその姿が記されています
1600年(慶長5)の火災で伽藍を焼失しますが、後に豊臣秀頼により再建されます
その後に尾張藩が山門などを修理、代々の尾張藩により擁護される事となります
葵の家紋がこの寺の歴史を語っています
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現在の誓願寺はこの門だけがポツンと取り残されているように見えます
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門の先は駐車場やビルに変貌し往事の面影はありません
現在はこの案内板の右手の歩道から境内につながっているようです
案内板には以下の様に書かれています
「誓願寺は源頼朝公の生誕の地と言われ、かつては境内に頼朝公の霊社があり、寺の鎮守としていました
側の小池は頼朝公の産湯の池と呼ばれていたそうです」
ここは素直に腑に落しておくべきでしょう
なぜなら頼朝生誕の地や産湯の場所は誓願寺以外に、瑞穂区にある龍泉寺​の「亀井水」や津賀田神社​などでも同様の事が語り継がれています
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誓願寺は1945年(昭和20)の空襲で炎上し本堂などを焼失します
戦災復興事業の区画整理などにより、境内の規模は縮小されます
門の先にあった本堂は駐車場に変わり、その右手に黄金色の葵の紋を付けた誓願寺本堂が鎮座しています
菖蒲池と呼ばれた小池も現在は存在していません
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尾張名所図会に残る往時の誓願寺伽藍、門の前の現在の伏見通り多くの参拝客が見られます
武家政権の始まり、鎌倉幕府を創建した頼朝の生誕の地とされる誓願寺
現在は葵の紋が飾られた門が面影を留めるのみです
誓願寺
創建 / 1529年(享禄2)
山号 / 妙光山
宗派 / 浄土宗西山派
本尊 / 木造阿弥陀如来座像
住所 / 名古屋市熱田区白鳥二丁目10-12