瑞穂区井戸田町『龍泉寺』

地下鉄妙音通駅から北に歩いて5分ほど
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緩やかな坂の続く傾斜地に曹洞宗龍泉寺(りょうせんじ)の寺号標と教えの書かれた掲示板が見えて来ます
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「人は死ぬことによって
 生命が無くなるものではな
天地一杯の生命が
 私という思い固めの中から
天地一杯の中に
 ばら撒かれたのだ」
輪廻転生の教えを説いているのか?
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掲示板の右に黒いフェンスに囲われた一画、その前に白い石碑が建っています
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「亀井水」
「府城の南一里三十町(約7km余)本井戸田なる村あり、井水すべて清らかなり
 名ある清水七ヶ所ばかりあれど、亀井という清水こそ、名高くうるはし」(尾張志)
龍泉寺山門の脇にある亀井水はまた、源頼朝の産湯の水を汲んだ井戸とも伝えられている
 第二次大戦後しばらくの同名の通り、「亀」が水面をおおうほどに無数に生息していたものである」
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碑には源頼朝産湯の井「亀井水」と刻まれています

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フェンスの中、今は亀の子一匹見られませんが今も水を湛えています
かみさん「なんでここで頼朝なの?」
ここから近い津賀田神社​の祠官「亀井六郎重清の母親が頼朝の乳母を務めた」という言い伝えもあり
産湯の井があっても不自然ではないんじゃないの?
こうしたものは素直に受け入れるもので、諸説ありなんです

因みに頼朝の生誕地として、熱田神宮の西側に鎮座する​誓願寺​が知られ、山門前には「頼朝生誕地」の碑も建てられています
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山門へ向かう途中の左側、本堂を背景に赤い前掛けを付けた石地蔵が祀られています
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参道正面に赤い前掛けの付けられた地蔵「歯痛地蔵尊」
全身に亀裂が入り、顔は半分欠けてしまい痛々しい姿、何事?
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傍らの随分朽ちた案内板
「太平洋戦争中の昭和20年5月17日、B29の爆撃により旧本堂と共に被爆、お顔の半分を失い、お体もまっ二つに割れた」と記されています
空襲で被災し本堂は焼け落ちても、地蔵は破片を集め復元されたんですね
歯は痛くないが、歯痛地蔵さんにお参りしておこう
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歯痛地蔵尊の左に境内入口
空襲で焼失し再建された本堂と山門も恐らく再建されたものでしょう
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歯痛地蔵尊の左に境内入口
空襲で焼失し再建された本堂と山門も恐らく再建されたものでしょう
山門扁額
「亀井山」の山号は先ほどの亀井水から付けられた様です
山門脇の掲示板
「この試練を乗り越えよう・・・・・」よっし!気持ちを切り替え頑張ろう!
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山門から境内、正面の看板の言葉もいいよね
お参りさせて頂きます
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境内に入った左の手水鉢
井水を汲み上げているのでしょうか? 鉢は鉄分で赤く染まります
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それ程広くはないけれど緑豊かな境内、奥に本堂
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本堂正面
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本堂扁額
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本堂から右手の寺務所、庫裡を眺める
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本堂の大棟には「亀井山」の山号瓦が入ります
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本堂左の笹の先に石が二つ
右の石は平安末期の原始五輪塔と言われている
昭和58年まで残っていたと言われる、大黒塚の塚上にあったもので大黒石と呼ばれる古石
左が鎌倉時代の薬師寺開山覚一塔

龍泉寺はかつて行基が開山した真言宗薬師寺を始まりとし
五つ(龍泉庵、龍雲庵、福伝庵、妙喜庵、蔵伝庵)と言われる塔頭(たっちゅう)の一つ
時の流れと共に本寺や龍泉寺以外の塔頭は消滅し、龍泉寺は曹洞宗へ改宗、1519年(永禄2)に熱田にある秋葉山円通寺の末寺となった
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ここから南には藤原師長の謫居跡(​嶋川稲荷​)があり、配流された藤原師長は好んで「龍泉寺」を訪れたともいわれ、寺には師長公画像・師長公記(二巻)も所蔵されていると言われています
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『龍泉寺』頼朝が産湯を浴び、配流の身の師長が好んで訪れたという歴史を持つ

宗派 / 曹洞宗
創建 / 不明
本尊 / 薬師如来(聖徳太子作と言われている)
脇仏 / 不動明王(弘法大師作と言われる)、地蔵菩薩(聖徳太子作と言われる)
住所 / ​名古屋市瑞穂区 井戸田町4丁目90
アクセス / 市営地下鉄名城線妙音通駅下車 北に5分