名古屋市緑区大高町字城山
大高と云えば​

「辻の秋葉社」

​の鎮座する三差路を中心として栄えたところ
現在は細く入り組んだ小路と酒蔵や歴史を感じる趣きのある建物が残る静かな街並み
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今の静かな街並みからは想像もできないが、このあたりに江明市場が立ち、馬市や諸商いが春秋に2回30日間ずつ行われた時代もあった
1732年(享保17)頃には、月に6回の日を定め市を開く六斎市が許された
人が集まれば火事も多くなる、村の中心で最も賑わうこの辻に秋葉社を祀ったのも頷ける
大高の祭事の際はここに集合して出発、ここで解散する起点でもあったようです
今回の目的地、城山八幡社は「辻の秋葉社」から南に数分歩いた大高城址に鎮座しています
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秋葉社から南に歩いた左手に小高い丘へ続く小路が続きます
道は直ぐ先から登りとなり大高城址登城口です
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城山八幡社の鎮座する大高城跡は、標高20m、東西に106m、南北32mの台形の丘
四方に二重の濠を備えていたそうだが、今は外土居や内濠も当時を残す遺構は残っておらず、本丸に向けて歩いて行く途中の地形に名残りを留める程度
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中ほどに「史跡大高城址」の石標と解説板
左手方向には信長が築いた鷲津砦のあった小高い丘も見る事も出来る
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解説板から道は右に曲がっていき、そこから本丸は目と鼻の先
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大高城本丸跡
現在は何も残ってはいないけれど、ここからは​丸根砦​は目と鼻の先、相手の動きは手に取るように分ったはず、お互いが睨み合っていたのでしょう
この距離感の近さに時代を感じる
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本丸は南方向に広がりをみせ、右側に一段高くなった一画に城山八幡社は鎮座します
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本丸右側の祠
扉が閉ざされて中を見る事は出来ませんでした
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本丸の右に先程の小高い場所へ続く石段が付けられ、その先に古びた木製鳥居が見えます
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城山八幡社境内全景
正面に社、右手に手水鉢、更に右に大高城址碑
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境内右の手水鉢は1837年(天保8)に大高村の有力者山口源兵衛が寄進されたもの
今は蓋がされ使われていないようです
大高城主の花井備中守により、ここ城山と町屋川の二箇所に祀られたのが1500年頃と言われ
(町屋川の八幡社由緒と年号が食い違っている)
ここ城山の​八幡社は武士の社として村人の参拝は許される事はなく、村人は町屋川の八幡社に参拝する位置付けでした
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正面は石塀が積まれ、右方向の石組は崩れているが周囲を囲っていた様子
社は東方向きに鎮座し、右側には由緒書きが建てられています
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当時今川方の松平元康(家康)は、信長が築いた砦に阻まれた大高城に兵糧入れした事で知られます
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桶狭間の合戦で今川義元が信長に討たれるや、家康は守備していた大高城を去り岡崎に戻ることとなる
信長の手に落ちた大高城はやがて廃城の道を辿り、1616年(元和2)尾張藩家老の志水家がここに館を構え移り住んでいたが、それも明治に入り売却されると城山の八幡社は荒廃していきました
かつては武士が詣でた社に武士はなく、町屋川の八幡社は今も氏子により守られ立派な伽藍を持つ
対照的な道筋を歩むことになります
現在の城山八幡社は本町地区町内会により維持管理され、毎年9月と年越しには住民の幸福を願い祭事が執り行われるそうです
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社前の一対の朽ちた石灯籠、ここに屋敷を構えていた志水忠時が1670年(寛文10)に寄進したもの
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社の右にある大高城址碑
大高城
築城年代は不明、土岐頼康が尾張守であった南北朝期には池田頼忠が、1504年~1520年(永正年間)頃には花井備中守が、1532年~1558年(天文~弘治)の頃には水野忠氏とその息子が居城し、織田信秀の支配下にあった
信秀の死後、息子の信長から離反した鳴海城主山口教継の調略で、大高城は今川の手に渡る事となった
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社から鳥居の先には大高城址公園として整備された緑溢れる本丸跡が広がります
参拝した3/18には終わりを迎えた椿の赤が彩を添えていました
4月も目前の今頃は桜が彩を添え、静かな本丸にも人が集まっている事でしょう

城山八幡社
創建 / 不明 鎌倉時代初期と思われる
祭神 / 応神天皇、神功皇后、玉依姫
住所 / 名古屋市緑区大高町字城山23
アクセス / JR東海道本線「大高」下車西に徒歩15分前後​