知多郡武豊町東大高池田「知里付(チリュウ)神社」
普段は訪れる参拝客も少ない、静かでほっこりする様な神社なのではないかナ
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訪れた当日は名鉄電車の「歩いてめぐる知多四国霊場」のイベントに重なっていた事もあり
参道やら脇道から参拝客が途切れる事なく訪れ、人が写り込まない一枚を撮るのに随分と待つ事に
(かみさんもこのイベントに参加、今頃ガンガン歩いているはず・・・・・)
話を戻し
こちらの神社参道は参道口の社号標や常夜灯から、鳥居まで真っ直ぐに続きしかも長い
いかにも郊外の神社らしい伸び伸びとした印象を受けます、今は桜や梅の葉の緑が両脇を彩りますが
花が咲く時期には参道の光景も一変し、華やかな表情を見せてくれるのではないでしょうか
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鳥居から拝殿の眺め
一面玉砂利が敷き詰められた境内は、開放感のある印象を受けます
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境内左に撫で牛
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撫で牛の後方が手水舎、右に見える鳥居は後ほど紹介しますが「浦島神社」です
まずは拝殿に向かいます
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切妻瓦葺の平入拝殿は木の温もりを感じるもので、派手な飾りのない落ち着いた外観です
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そんな拝殿の前を守護する狛犬、随分とフレッシュマンの趣が漂っています
風格が備わるまで「しばしお時間を下さい」的な佇まい
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拝殿右から眺めた知里付神社本殿
流造の本殿は人目を引く派手な飾りのない一見シンプルな造りです
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イロハモミジの彩と本殿細部に彫が施され、シックで美しい佇まい
由緒書きには以下の様に記されています
「この社は、垂仁天皇26年菊月(紀元前4年)、少彦名命を祀って創建され、天暦9年(955)に北野天満天神を相殿として合祀されたと伝えられている。
社宝の「あけずの箱」は浦島太郎が竜宮から帰郷するとき乙姫から贈られたもので、滅多な事では開けられず中身は不明という。
古老によると、明治時代干ばつの年、宮司がこの箱を浦之島の沖に船で運び出し、祈祷を捧げ箱のふたを払うと、遥か彼方に雨雲が浮かび大雨が降ったという。」
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本殿左の樹齢100年を超えるイロハモミジの大樹
その両脇に横一列に6社が祀られています
左から順に山神社、稲荷社、春日社、津島社,神明社、八幡社と並び、その右に本殿が綺麗に並びます
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山神社の左に狛犬と小振りな石鳥居を持つ熊野神社が鎮座します
玉垣等の奉納年月日は平成に入ってから奉納されたもの
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熊野神社の参道を守護する新入り達です
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熊野神社の左が秋葉神社
様式は熊野神社と瓜二つ
玉垣なども熊野神社の奉納年度に近く、氏子の方々の力強い支援を感じます
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秋葉神社の参道を守護する狛犬達です
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手前から秋葉神社と熊野神社の全景
千木、鰹木が施された熊野神社の社は引き立って見えます
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鳥居の左に石鳥居と小振りな狛犬を持つ「浦島神社」
玉手箱については由緒書きに記されていますが、神社の由緒は「武豊の伝説」に「村人により浦島太郎を敬い知里付神社境内に建立した」とまでは出てくるが、創建、祭神等の情報には辿り着けなかった
これを書く時点では祭神は浦嶋子と思われます
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境内の社は全て南を向き鎮座する中、二段に積まれた石垣の上に祀られる社は唯一東を向いて鎮座します
社号標に始まり鳥居や狛犬に至るまで、全てが近年奉納された様です
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全ての参拝を終え振り返る
到着した電車の時間に合わせ、参拝客の集団が訪れては途切れまた増える、まるで波の様に
浦島伝説に魅かれ訪れる方は多い様です
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境内右に建てられた由緒書き
この地には乙姫橋(竜宮を訪れた太郎を乙姫が迎えた場所)、負亀の松(太郎が助けた亀が住んでいた場所)、浦島橋(浦島川に架かる橋で亀に乗り竜宮に向かった場所)、竜宮神社​(竜宮を偲び太郎が建立した神社)、特別開帳はされないけれど社宝の玉手箱等、この地がその舞台であった所縁のあるスポットは揃っているようです
2019/05/18
知里付(チリュウ)神社
創建 / 紀元前4年(垂仁天皇26年)
祭神 / 少彦名命 相殿 北野天満宮
浦島神社
創建 / 不明
祭神 / 浦島太郎(浦嶋子)
住所 / 知多郡武豊町東大高池田34