引き続き大瀬子町の秋原神社を巡ります
a
熱田魚市場のモニュメントから少し北側から軻具突智社方向の南の眺め
既に記載した​軻具突智社​が左端、高く積まれた石垣の​秋葉神社​、庇が特徴的な熱田魚市場のモニュメントと一望できます
更に、一番右に玉垣と石鳥居が見えていますが、今回はこの大瀬子町102の秋葉神社です
この一枚に3社が収まってしまう、そんな位置関係です
これ程短い距離に秋葉神社が集中する場所は見た事がありません
b

民家と隣接する様に鳥居(大正15年)が建ち、玉垣で囲われた神域入口には扉が付けられています
c
社号標脇の「熱田魚市場跡」の解説板、それによると
「東海道宮の宿に栄えた魚市場。天正年間(1573~)には既に魚問屋があり、織田信長の居城清州に日々魚介類を運んだといわれる。寛永年間ん(1624~)尾張藩政のもとに、木之免、大瀬子に四戸ずつ問屋が出来、市場が開設された。以来藩の保護により、近海はもとより遠国からも魚介が運び込まれ、毎日取引が行われた。」とある

その様子は尾張名所図会にも「熱田の湊 夕上り魚市」として描かれています
00000
夕陽の差し込む湊に水揚げされた大きな魚、なんだろうね
それらを扱う問屋が軒を連ね、通りは人で溢れかえり、沖には荷降ろしを待つ船が描かれています
かつてのこの地は、今は想像もできない程の賑わいがあった事を描いています
この地に沢山ある秋葉神社の一つでも描かれているといいのですが、それはないようです
d
大瀬子町102の秋葉神社は伽藍が一通り整っています
境内左手には舟形の手水鉢が置かれています、あたかも砂浜に陸揚げした舟の様にも見えてきます
e
境内全景
燈籠と狛犬が一対あり、その奥の石垣の上に扉付の玉垣が社を囲んでいます
この界隈ではお馴染みの羽団扇の紋も飾られています
神域の右と後方は民家と隣り合わせ、あたかも敷地の一部を神域とした様な佇まいです
f
石段前で社を守護する狛犬、年号は不明
g
 神域には社が三つ祀られています
中央が秋葉社としても、左右の二社は分かりません
何の確証もないのですが、恐らくは天王社と熱田社ではないかと想像します
h
公園内から神社側面の眺め、随分と高く積まれた神域から、東を向いて大瀬子の街を見通しています
i
明治以降のこの辺りを見ていたところ、面白い事に気が付きました
左は明治のこの辺りで鳥居は一つ、昭和46年発行の地図(右)だけに鳥居が三つ記されていました
それ以外の年代を見て行っても現在に至るまで鳥居の印しは一つのみ
位置的には下が大瀬子町203の秋葉神社、中央は木之免町の秋葉神社、上の印は田中町の秋葉社
魔訶不思議なことです
熱田魚市場跡も円の範囲にあたりますが、この辺り神社の起源がそこまで遡るものなのか?
分からないままです

『秋葉神社』大瀬子町102
創建 / 不明
祭神 / 迦具土神
住所 / 名古屋市熱田区大瀬子町102
アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」下車徒歩で西へ
      ​​軻具突智社⇒大瀬古町203秋葉神社⇒経由16分程