尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2017年12月

名古屋市名東区


 当時小さな子供がひとりで冒険出来たのは平和公園が東端

 

この辺りは未知の世界だった


昔は我が家の田んぼがあり、家族総出で連れ出され稲刈りをした


 戦力外の幼い私は畦道に放り出され、母親に蛇を投げられ恐怖に脅えた記憶が残っています

 (私の蛇嫌いはそこから始まったかも)


旧猪小石村、この周辺は田畑が広がり、蝮だろうが猪だろうが狸や狐なんでもありのまさしく田舎


 明治生まれの祖祖母はこの辺りで生を受け、実家を「藤森の・・・」と言っていたことを思い出す


合併を繰り返し、現在は名東区山の手、住宅が広がる地域に変貌した
無題
今回は猪子石の町名の由来を訪れる事にしました
大石神社1

猪子石西原交差点を南へ、香流川を渡り下坪を経て京命交差点の二股を左に曲がった東側

 猪子石公園の西側に小高く盛られた一画に『大石神社』はあります


鎮守の杜や鳥居がある訳でもないので石垣と教育委員会の案内板が目印

 石垣の階段を登り始めようやく社号標が見えてきます
大石神社2
左は境内から大石神社正面
 右は大石神社から東を見て猪子石公園を背景に一枚
大石神社3

玉垣の中にしめ縄で囲まれた赤茶けた石

 堆積した砂や小石が固まって出来た礫岩


この辺りは亜炭(石炭のなりそこない)は身近にあったが礫岩(堆積物が固くなった石)の印象はあまりない

 ここまで香流川の影響または活発な地質の活動があったとは思えないが?


 ​長福寺​の祟り石が旧猪小石村から移されて祀られたように、近くから移され祀られたものではなかろうか?

 ここから近い神明社資料館に行くと何かヒントがあるのかも知れないが・・・・・考えるのはやめよう


猪に似た石から、いのこいし(いのこし)の地名となった由来のひとつです

 猪に似た?この石は表面の小石を子供と見立て「子持石」と呼ばれる

石を撫でる事で安産に御利益があると云われます


 猪は古来から神と同一視され、神の化身とされる神聖な動物とされて

この石を猪と見立て崇拝したのも頷けるか

 こちらの子持石は猪の「牝石」


「牝」がいるという事は「牡石」も当然います

 「牡石」は「触れると祟る」怖い石とされます

こちらは別途挙げましょう
大石神社4

境内の西側には御嶽神社と彫られた碑がある

 周辺に祀られていたものをここに纏めたのではないかと思われます

現在この地に講(同じものを崇拝し、聖地巡礼するサークル的な)が残っているのかは不明ですが

1925年(大正14)講中と記されている
大石神社5

境内には教育委員会の解説板が設けられています

 新年を前に境内の南天の赤が彩を添えています


2017/12/29


大石神社

祭神 / 天宇受売命

創建 / 不明

住所 / 名古屋市名東区山の手1-707

アクセス / ​基幹バス2 (栄⇒四軒家) 猪子石西原下車、南へ徒歩15分程


 名古屋市千種区千代が丘

子供の頃のこの辺りは山ばかり

 東は宅地造成が急ピッチに行われ荒れた土地が続く

南側の道路を隔てた向かいは以前は谷

 その下には水蓮が咲く澄んだ池があった

池は道路と同じ高さまで造成され当時の面影は微塵もない

 山から東を眺めれば小島のように住宅が点在し、そこへ繋がる道があるくらい

名古屋東端、そんな印象が強かった

 今や見渡す限り住宅が林立し、多くの店舗が立ち並ぶ

山を造成し建てられたショッピングセンター屋上に『千代ヶ丘椿神社』は鎮座します

  この辺りに社はなかった記憶がある、所謂企業内神社なのかと思っていました
1
ショッピングセンターの屋上テラスの片隅
 
 朝から雪が舞いそれはやがて冷たい雨に変わる

人気のない屋上広場の片隅にひっそりと佇んでいました
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社号標と立派な鳥居を構え、神明造の社があります

 鳥居右には手水鉢も設けられ、コンパクトに纏められ綺麗に維持されています
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伊勢一宮椿大神社 千代ヶ丘椿神社と記された社号表
 
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良く読み取れない由緒だが
 
 三重県鈴鹿市に鎮座する伊勢国一宮椿大神社の分社と記されている

主祭神 / 猿田彦大神(みちびき祖神)、天之細女命(芸能祖神)
       御夫婦で祀られているようです

創建 / 由緒では昭和55年鎮守とあるが詳細不明
  
撮影2017/12/27

住所 / 愛知県名古屋市千種区千代が丘5
アクセス / ​​市営地下鉄名城線 自由ヶ丘から徒歩30分​

こちらの神社と関係があったのか定かではないが
 過去に何度か子供(親の宴会)の関係でこの広場で行われた祭りに招待された事があった
親は酒盛りで盛り上がり午前様、そんな酒宴の場に神社があったとは今日まで気付かなかった
 かみさんに教えれば「私知ってたヨ~、嘘っソ~!信じられん・・・・・」
・・・・・黙っていれば良かった

子供の頃の記憶と息子達の年齢からすれば由緒書きの昭和55年は正しい情報なのかも知れません
 
酔っ払いの私以外には結構知られた『千代ヶ丘椿神社』
 買い物帰りに屋上にお立ち寄りになるのは如何でしょうか

・・・・・恐るべき主婦の行動範囲、ここまで来るか


名古屋市千種区清明山

名古屋ドームの南、団地脇の高台に建つ小さな神社です
平安時代の陰陽師、安倍晴明を祀神とします1清明
清明山第二公園から神社を覗う(写真上)
清明山公園(写真下)から見ると小高い擁壁の上に鎮座している事が分かります

2清明
神社入口の階段の先には百度石と赤い五芒星
祠の両脇の提灯にも五芒星
3清明
万物の除災清浄を表す祈祷呪符、悪病難病を治すという霊水「清明水」
現在も魔除け厄除けの神社として信仰を集めている。
4清明
いたるところ五芒星で溢れている、まずは災いがない事を清明公に祈願する
5清明
祠の左手には清明公の像と五芒星の紋が入る瓦の一部が祀られています。

創建 / 不明・・・・・子供の頃には既にあった事を記憶しています。
由緒によると
その昔、当地の湿地に多かったまむしの退治に安倍晴明が訪れ、居住していた屋敷跡に建てられたものと云われるが定かではない。

厄除けの御利益、名古屋の恋の三社(城山八幡宮の道理木、高牟神社の恋の水)の一つに数えられます。
清明神社(清明占い)は神主は常駐していない事から、現在は山田神社(よりそい石)を指すようです。

御朱印にも当然
7清明
撮影2017/7/17

住所 / 名古屋市千種区清明山1-6
アクセス / 地下鉄名城線「砂田橋駅」より徒歩15分   
 

名古屋市千種区池下町

 地下鉄池下駅前から周囲を見渡す
南に丸山町、桐林町、東に山門町、向陽町等の丘陵地が迫り
 池下はその谷にあたります、水の集まりやすい地形

地名が示すように大正時代はこの辺りに蝮ヶ池があり
 蝮ヶ池は大正に入り宅地化のため埋め立てられ現在の姿に変貌します
この辺りは池の底だったという事です

地下鉄池下を出て池下北の交差点を東へ
 覚王山方向に少し歩きます
その道に接する3本目の細い脇道を左に入る
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視界の先には狭い交差点
 角地に赤い幟がたなびく『蝮ヶ池龍神社・辨天社』が見えてきます
木に隠れていますが社号標の先に鳥居もあります34
鳥居の先には小さな辨天池
 その先には蝮ヶ池大神碑、辨天社と龍神社が並びます

蝮ヶ池の埋め立て工事は災難が多かったと云われ、それを治めるため、水にまつわる龍神様と辨天様を当地に祀ったものと云われます
この近隣にはこのような場所が幾つかあります
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鳥居からは辨天池があり直接境内には入れません
 鳥居右側の玉垣に入口があります、境内へはそちらからになります
階段左手には小さな手水鉢もあります
 
周辺は住宅街
 雪の舞う早朝、人通りは多いが皆さん足早に池下駅に向かわれます
ポツンと佇んでいる印象でしょうか
2017/12/27

蝮ヶ池龍神社・辨天社から北に数分坂を登れば​蝮ヶ池八幡宮​もあり、その先は日泰寺へと繋がります
 池下から日泰寺まで歩くルートも楽しい道かもしれません
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昔のこの辺りは蝮が広く生息する地域だったようです
 ここから北に行くと安倍晴明が周辺の湿地に潜む蝮の退治を行った言い伝えが残る清明神社もあります

『蝮ヶ池龍神社・辨天社』 
アクセス / 市営地下鉄東山線「池下」徒歩5分


『間黒神社』


国道19号を春日井方向へ北進、『瀬古口』交差点右折

1本目を左折、直進すぐに鎮守の森が目に入ってくるので分かりやすい


 この辺り、昔は田んぼが多かったが今ではその面影は微塵もない

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 間黒神社鳥居から境内を望む

 

周囲は住宅地

境内は氏子の方により綺麗に手入れされ

大切に守られている事が良くわかる
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間黒神社の鳥居と並ぶように境内合祀の神明社の鳥居が立ち並ぶ

祭神 / 天照大御神

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この地は北の庄内川、南に矢田川に挟まれ

古くから水害に見舞われ氾濫後の排水のため

写真の様に用水が設けられている。(神明橋と古川)

この様な地形故、水害の被害を避ける目的から、土台を高く盛り

その上に構造物を作る『水屋造り』が生まれたのも容易に頷ける

幸心では東春酒造付近、大永寺では大永寺付近にも残存している

間黒神社社殿もこの技法が取り入れられている。
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 境内を少し入ると石橋の神明橋が目に入る、新明橋からは拝殿、社殿を見る
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手水舎は伊勢湾台風で被災、後に再建されたもの

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拝殿の鬼瓦と各所に施された彫の数々
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社を挟み白山社、秋葉社、津島社、金毘羅社、御嶽社がある

 

間黒神社

祭神 / 須佐之男命

創建 / 1636年社殿建立されるも1963年の伊勢湾台風で被災再建された
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間黒神社由緒

photo2017/5/12

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1945年4月7日、時は第二次世界大戦

この地からほど近い東区大幸町にあった三菱発動機第四工場を標的とした

大規模空襲に見舞われた

 

襲来した米軍 B-29は160機と云われる

この空襲による被害は千種区、東区、北区、中川区、猪高村にまたがる

5191世帯と多くの犠牲者を出した

 

その際に撃墜されたB-29の尾部が間黒神社に落下

それにより神明橋は被災、現在は新しく架け替えられています 
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photo2017/12/24

 

墜落時の傷跡の残る旧神明橋の欄干部分は神明橋改修時に

社殿の裏手(水屋造りの構造が良くわかる)に戦争遺構として現在も残されています

残された欄干の一部から緩やかな曲線の橋であったと思われます

 


戦争により多くの人命、歴史遺産が失われています

意識から風化させないためにもこの場所で語り継いで頂きたいものです

 

住所 名古屋市守山区幸心1-901

 アクセス JR中央本線『新守山』駅下車、西へ徒歩10分程



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