尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2018年02月


名古屋駅、相変らず人波の凄さたるや

その雑踏から遠ざかる様に名駅南2丁目の新洲崎橋方向の堀川沿いへ

この時期の堀川、水も澄んでいて歩道を歩いても気持ちがいい
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 人通りの少ない堀川沿いを新洲崎橋方向に(行き交う人も少なく歩きやすくていい)

やがて左側に神社が視界に入ってきます 
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表通りの人や車の賑わいとかけ離れた別世界の様に静かな堀川沿い

 ポツンと鎮座するのが津島社です

有刺鉄線で囲まれ、扉は固く閉ざされ廃社なのか?と感じさせる
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 境内は荒れ果ていますが廃社ではないようです

こちらの神社は洲崎神社の管轄らしく、現在も年二回(正月、天王祭)祭礼が行われているようです

堀川沿いに固く閉ざされ佇む神社『津島社』

御祭神 / 牛頭天王、須佐之男命

創建 / 不明

少し下って新洲崎橋の袂から対岸の洲崎神社方向を眺めます
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 対岸の木々の生い茂る一角は「御船手役所跡」
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この場所は尾張藩の尾張・伊勢・志摩・三河の防衛拠点となった場所と云われています

さて、再び雑踏の中に戻り、久し振りに再会する友人と今夜は飲明かす事にします

2018/02/24



基幹バス汁谷で降車して出来町通りを東へ

緩やかな上りの頂きを左に折れ、整備された歩道を歩く

​「横堤​」と呼ばれ、この歩道の下には猫が洞池の水位調整用の暗渠になっています

その水はこの先の矢田川へ導かれます

桜の時期にはピンクのトンネルとなるこの歩道、桜はまだまだです

今日の散歩の目的地は渡しの名残りを見に行く事にします
渡し1
 夏場には歩道沿いに水が流れ、夕散歩には涼やかな場所です渡し2

 矢田川堤を超え、以前は無かった千代田橋の橋脚下から河原に出ます

気の早いつくしは出ていないかな?

護岸整備される以前は容易に目にする事が出来たつくし

まだ早いのか、見えていないのか?

写真に収める事が出来なくて残念

矢田川は毛鉤を振りに良く訪れる川

今年は水温も低く未だ訪れてはいないけれど

子供の頃の白い川を思うと水質は良くなり多くの生物を育む川になってきました

河原を下流へ
渡し3

 矢田川に架かる名鉄瀬戸線の橋脚

これも随分と年月を重ね、相変らず踏切も残っています
渡し4

 この風景に矢田川を渡る赤い電車は欠かせない存在だと思うのだが

シルバーの車両が目につくこの頃です
渡し5

対岸の矢田川河川敷

​『宝勝寺』​付近から対岸の木ヶ崎公園方向を望みます

渇水期の広い河川敷、歩いて渡れるような川幅も

豪雨の時などは河川敷一杯に水が上がります

この周辺の寺社の由緒には、必ずと言っていいほど矢田川氾濫の記述が出てきます

矢田川は洪水の度に流れを変えています、木ヶ崎公園の西に「長母寺」がありますが

昔は「長母寺」の南を流れていたと云われ、洪水で流れを変え

長母寺の北を流れる現在の姿になったと云われます

昔はこの広い川を行き来するための渡しがあったそうです

対岸に戻り、堤防道路沿いを木ヶ崎公園に向かいます
渡し6
堤防道路から左に入ると公園の入口、右側に二つの石標が見えます
渡し7

 「やだのわたし」と彫られた石標

石標の先が現在の矢田川(宝勝寺方向)
渡し8

左の石標には1884年6月(明治17)と彫られ、今も昔を語っています

アクセス / 市営地下鉄名城線 砂田橋下車 20分程

2018/2/23



瑞穂区村上町二丁目に鎮座する『村上神社』

 村上町の町名は1666年(江戸時代前中期)の尾張藩士の村上治兵衛が開墾、村上新田と呼ばれたことが由来と云われています
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現在は都市化により静かな街並みが続く住宅地となり山崎川の桜でも知られます 

 当時の面影は微塵も残っていません

住宅街の玉垣に囲まれた一画、村上神社です
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村上神社社号標には昭和35年と刻まれている

 元々1830 ~ 44年(天保年間) には、真好真如天満自在天神が祀られていました
1869年(明治2)に瑞穂通4 丁目に遷座、その跡地に現在の村上神社が祀られています
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 村上神社全景

境内は社の3段に盛られています、盛られる??、そうです、古墳です

 ここから道路2本程北に大殿町がありますが

町名の由来は「おどり山」から来ていると云われます
 村上神社周辺が由来となった「おどり山」になります
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名古屋中央部は名古屋台地・熱田台地・瑞穂台地・笠寺台地等が南北に伸びています

 (上の赤い線から左は海岸線)

弥生時代には、瑞穂台地の瑞穂区一帯等にも集落を作り生活を営んでいました、
 近隣には古墳群として今も保存されています

この神社は、5世紀頃に作られた直径40mの円墳、「おどり山古墳」の頂きにあります

宅地化により大きく削られ残った高台が現在の姿です 
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石段を登っていきます
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一段目を登った左側に手水鉢はあります
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鳥居を潜った境内が二段目、正面に社と右に社務所兼集会所の並びです
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白く綺麗な狛犬です
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村上神社

御祭神 /  熱田大神 

境内社 / 津島社、秋葉社

創建 / 1869年(明治2)
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最上段から境内全景

 狛犬の見つめる先には村上町の街並みが広がります


住所 / 名古屋市瑞穂区村上町二丁目一番地


千種公園から東区へ歩いてきました

毎年は5月末から6月中旬にかけて色とりどりのユリの花が咲き誇り

 この時期には決まって訪れる場所です
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 この時期はそれほど訪れる方もなく閑散としています
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 この公園にこじゃれた施設案内板があったなんて、知らなかったなァ 
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今日は千種公園の北側の歩道を西に歩くことにします

 この辺りは表通りの趣とは裏腹に

一本入ると昭和の雰囲気漂う街並みや銭湯も残っています
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都通1を越え、車では通る事のない、裏道を歩いて大和公園方向へ

 公園脇に藪天王龍神の白い幟が立ち並んでいます
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『素盞男神社』 鳥居からの境内全景
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 大正時代に奉納された手水鉢
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 鳥居から境内、正面の拝殿とその右が龍神社
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拝殿前の狛犬
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白い鳥居の先が藪天王龍神社
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あるべき位置に扁額ではなく、龍の様なものが見えるがなんだろうね、

400年以上の歴史がある松軒町の氏神だそうです


『素盞男神社』

住所 / 名古屋市千種区松軒1丁目4-41

御祭神 / 須佐之男命


更に西へ

 JR中央本線の堀割の先に赤い鳥居を見つけ寄ってみる事にした
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ここは既に東区、少し西に行くと昔の賑わいは失せてしまいましたが大松商店街もすぐ近く

中央本線を越えた右側に、遠目には公園?と見紛うような小さな神社
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 線路沿いに南を向いて鎮座する稲荷神社
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拝殿左に御堂、右に赤い鳥居の稲荷社が並んでいます
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堂内祠と玉廣神社

玉垣には明治30年に建之とある大松町の氏神様、稲荷神社

御祭神 / 宇迦之御魂神

住所 / 名古屋市東区大松町2-12


もう少し西に行きたいところですが陽も随分傾いてきました

ここで折り返し古出来町方向に向かいます
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出来町通りから南へ一本入り一路東へ向かう

途中で出逢った須佐之男神社

 6月だったか定かではないけれど、出来町通りで
山車が曳かれているのを見かけた事があり

気になって調べたことがありました

出来町天王祭​と呼ばれ200年以上続く歴史のある祭

 この辺りの出来町(東之切)・新出来町(西之切)・古出来町(中之切)
には各々須佐之男社が鎮座します

其々の山車が一挙に曳かれるそうです

 ここ中之切の須佐之男社は「河水車」と呼ばれ
山車は社号標左の倉庫に保管されています
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大正4年建之と彫られた社号標
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 境内祠の左には赤い鳥居と赤い祠
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 須佐之男神社(中之切)

御祭神 / 須佐之男命

住所 / 名古屋市東区出来町3-19-21
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 2、3分歩くと直ぐに神社に出逢う

振り返ると中之切の須佐之男神社は見えています 
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須佐之男神社(東之切)

こちらも小さな神社です
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 奉納燈籠に1882年?(文政5?)と彫られているように見えます

 200年以上続く天王祭り・・・・・は元号と符号してきます

こちらの山車は王羲之車と呼ばれ神社の右にある倉庫で保管されます
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手水鉢も古そうです
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須佐之男神社(東之切)

御祭神 / 須佐之男命

住所 / 名古屋市東区古出来1-2-18


東之切・西之切・中之切のそれぞれの山車を曳き競わせ

山車祭として地域の結び付きを強める

須佐之男神社はその役割を持っているようです

そうした環境が残り、引き継がれている事は羨ましい限りです


日陰に入ると随分冷えてきました

西之切は次回にして後に更新します

今日はこのままバスに乗って帰ろう

この日のルート



201/02/24

須佐之男社(西之切)

前回見送った須佐之男社(西之切)を訪ね基幹バス「徳川園新出来」で降車
一路出来町通りを山口町方向を目指す
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西之切須佐之男社はバス停から西へ歩いて5分程
歩道脇の石鳥居が目印
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西乃切「須佐之男社」
小さいながら立派な石鳥居の先に社が見えています
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鳥居脇右には西と書かれた大きな建物
こちらが西之切山車「鹿子神車」の格納庫
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鳥居から境内に入った左側に手水鉢と須佐之男由緒書き
それによれば、元は現在の新出来町2丁目に鎮座、江戸時代より続くが1984年区画整理により当地に編宮
1985年神殿移築、社務所、拝殿、格納庫が完成、現在に至っているようです
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須佐之男社(西之切)
御祭神 / 須佐之男命
住所 / 名古屋市東区東区新出来1丁目9-27

​200年以上続く​「出来町天王祭」今年は見たいものです

次は一路山口町のバス停を目指します
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須佐之男社(西之切)から西へ5分程
バスの車窓から、いつも見かける小さな神社があります
こちらにも出向いて見ます
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建物に挟まれた僅かな空間の奥まった所にひっそりと鎮座する小さな社
石標には「須佐之男命」と刻まれている
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須佐之男命
御祭神 / 須佐之男命
住所 / 名古屋市東区徳川町112

鳥居や拝殿も手水鉢もない小さな社ですが
こうした小さな社こそ氏神様なのかも知れません

アクセス / 市バス(基幹2)栄ー引山
 利用バス停 /  山口町、徳川園新出来、古出来町




春日井市中町、木曽街道沿いの正念寺を訪れてきました
 名鉄小牧線上飯田から電車に揺られ春日井駅に到着
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春日井駅から西へ
県道102号を左折し木曽街道(上街道)へ向かいます
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右折して直ぐ
今上天皇が立ち寄られた「御駐輦碑」があります
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県道102号線の木曾街道(上街道)を小牧方向に眺める
 上街道は江戸時代の尾張藩が名古屋城下東片端から
中山道伏見宿を結ぶ目的で作った街道
写真では水平に見えますが緩やかな上り坂です
穂麦坂と呼ばれるそうです
左側に燈籠が見えています
 どうやらあそこが『正念寺』のようです
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右の燈籠(昭和29奉納)の奥にしめ縄で囲われた一画があります
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しめ縄の先には南を向いて祀られる社が一つ
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歩道沿いに石標が一つ「芭蕉句碑」と彫られています
 その右に句碑があります
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この句碑は1685年(貞亨2)当地を訪れた芭蕉は
正念寺に近い農家に泊めてもらったそうです
端境期でなにもない時期
空腹の芭蕉に農家の老婆が大麦を青刈りし、餅のようにした
 「青ざし」を精一杯の志として振舞ったそうです
芭蕉はそれに喜び、詠んだ句が刻まれています
「いざともに 穂麦喰わん 草枕 芭蕉翁」
写真だと読み取れませんね
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境内に戻りましょう、右側に簡素な御堂があります
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中には地蔵が二体祀られています
 手前の地蔵はおだやかに微笑んだ表情に見えます
この表情、常に心掛けたいものです
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地蔵からさらに奥の右側に本堂
 扁額も寺号標も見当たらない
ぐるっと周辺を一回りしました
グーグル先生の導きは間違いないようです
 とはいっても、これ以上立ち入るのはやめておきます

老婆のおもてなしと木洩れ陽にぬくもりを感じた正念寺です

正念寺
創建 / 不明
宗派 / 浄土宗
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 愛知県春日井市中町57

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