尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2018年03月

「下津尾の渡し跡」からほど近い場所に小さな杜を見つけました

 

 堤防を下り杜を目指して向かって見ます
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堤防道路から下る道は結構狭く、車だとすれ違いは大変そうな所です
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坂を下った田んぼ脇の道、その先が堤防から見えていた杜です

 社号標と拝殿らしき建物が見えます

田んぼかァ、カエルの鳴き声なんか今でも聞けるのかナ
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堤防から歩く事数分

 二つの社号標のある神社が現れました、幟を掲げるポールも社号標も新し目です

左の建物は下津町公会堂
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右は熱田社、左が諏訪神社

 式外村社の熱田神社と無格社の諏訪神社を合祀した神社の様です

自宅に戻り地図で調べたところ、地図では「諏訪社」と表記されていましたので

 この場では諏訪社とさせて頂きます
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境内に入り正面からの諏訪社全景、子供達の遊ぶ声が聞こえてきます
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拝殿から先には社が三つ見えます
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 社の前の狛犬

上に枝があるかないかの違いでしょうか、左の狛犬だけが苔むしています
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本殿(写真上)

津島神社と社宮祠(写真下)礫岩らしきものが祀られています
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斜め前からの諏訪社全景
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後方から見た諏訪社の全景

手前は公園になっていて、遊具も置かれ子供達の絶好の遊び場となっています


諏訪社の由緒書き等もなく詳細は不明です

祭神は天照大神、建御名方神、素戔男尊が祀られていると思われます

創建は熱田社社号が1900年(明治33)に再建と記されていました

小さな神社ですが、どこまで遡れるか

住所 / ​春日井市下津町137

アクセス / 地下鉄名城線大曽根⇒ゆとりーとライン川村駅下車徒歩35分程


庄内川の堤の近くに鎮座する「諏訪社」

氏神様に見守られ今日も子供達は遊んでいるのかナ


地下鉄大須観音駅で下車
 若者の街と化した大須を過ぎて若宮大通に出る
そこから西に向かって堀川方向に歩いていきます
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人通りは少なくなり、やがて堀川手前の「新洲崎橋東」交差点が遠目に見えてきます
 洲崎神社は交差点の北側に鎮座します
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西隣はビル、後方はマンション
 現在はさほど広いとは言えない境内
名古屋城築城以前は現在の栄1丁目全域を社地とし、落葉樹の生い茂る広大な境内だったようです
 しかし名古屋城築城と堀川掘削を期に縮小の一途を辿ったのでしょう
往時の名残を残す樹齢を重ねた大きな木の先には鳥居と拝殿が見えています
 洲崎神社の西隣に隣接する赤い鳥居は石神神社
栄とは思えない静かな境内は、都会のオアシスとも思えるような空間を提供しています
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境内入口の社号標、奥に手水舎が写り込んでいます
 さほど大きくない境内ですが、見所が詰め込まれています
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洲崎神社の西に隣接する石神神社、赤い鳥居に道祖神の扁額が掲げられています
1912年(明治45)に洲崎神社に合併、石神神社の社号標は境内に建てられています

 入口付近の史跡案内板
今では想像できないかもしれませんが、昔は神社の前に天王崎港があり船着き場でした
 江戸時代、7代尾張藩主の德川宗春の意により領地の繁栄を願い行われた船祭(洲崎天王祭)は、当時の東照宮時代祭と並ぶ二大祭の一つに数えられたと云われましたが、宗春の隠居とともに船行列は廃止
 1888年(明治21)頃には船祭も行なわれなくななりました
この地は城址でもあり、神社の遺跡、屋敷の跡地でもある歴史のある場所の様です
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この地を語る古文書、慶長から現在まで多くの古文書が洲崎文庫と呼ばれ残されていると云われ、その一部が
 ここに掲示されています
石上神社鳥居付近の石標、七福七貧・・・・・そだね
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洲崎神社鳥居前に掲げられた案内板と由緒書き
 洲崎神社の社名は、その昔は広井天王、牛頭天王社と呼ばれ、その昔この地が入り江で洲崎になっていた事から由来すると云われています
この近くの堀川には​御船手役所跡​の史跡も残ります
 埋め立てで海岸線も後退、今では高速が目の前を通りイメージ出来ませんね
犬
鳥居手前で高速を見上げる様に佇む狛犬
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境内右の手水舎、絶える事無く注がれる静水は苔生した手水鉢へ注がれる
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手水舎の奥、左が稲荷社、右が秋葉社燈籠
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手水舎の向かいに石神社の社号標と伊勢神宮遥拝所石標
道祖神
石神神社境内で見かけた道祖神、永年の風化によって丸みを帯び表情は分かりません
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石標の先には三霊神社遺跡の碑(上段左)と住吉社・船玉社(上段右)
 秋葉社・稲荷社、泰産社・弥五郎社、俤(おもかげ)社・大物主大神 (下段)
干支の置物が祀られていますが、洲崎神社では全ての干支にお目に架かれます
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二の鳥居前から拝殿へ
 鳥居右に縁結びの神「絆」と書かれ眼をひきます
猿田彦大神と天鈿女命を祭神とし、縁結びに御利益があるパワースポット
 良きパートナーを求める方、願をかけてみては如何でしょうか
願い事を書いた輪を道祖串に通し、短い縄で結ぶもの、沢山あるが願いは叶ったかな
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境内右にある社務所と拝殿右の白龍龍寿大神へ続く参道
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参道脇の干支の置物
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参道脇の干支・・・・・・干支
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拝殿の両脇にも干支、干支
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拝殿右にある石神様
 手前の小さな鳥居、その下にある神橋?を潜って洲崎道祖神参拝するそうな
交通安全に御利益があるそうですが、腹這いになっても無理!
 鳥居には道祖神の小さな扁額も付いています
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拝殿左の英霊社と・・・・・干支
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干支に見守られ参拝を済ませ内部を一枚、鏡が見えます
 こちらの平安末期、鎌倉末期に作られた和鏡は名古屋市指定文化財に指定されていますが
その他に古鏡40面、絵画、工芸、武器、武具、洲崎文庫含めた古書等多くの文化財を保存されるそうです
 宝物殿がある訳でもなく、どこかで公開していると嬉しいのだが
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拝殿右に続く参道から白龍龍寿神社へ、鳥居の先は薄暗い事になってる
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白龍龍寿神社は商売繁昌、家内隆昌に御利益があるそうです
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内部は龍ではなく至る所、蛇、蛇だらけ、苦手な奴が一杯
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薄暗い拝殿、とぐろを巻いてこちらを見ている 

御朱印
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洲崎神社
創建 / 859-877年(貞観年間)
主祭神 / 素戔嗚尊、石神
境内 / 末社
     白龍社、英霊社、泰産社・弥五郎社相殿、泰産社・弥五郎社相殿、
     秋葉社・稲荷社相殿、住吉社・船玉社相殿
住所 / 名古屋市中区栄一丁目31番25番地
アクセス / ​地下鉄鶴舞線「大須観音駅」下車。徒歩約10分

東区矢田3丁目木ヶ崎公園


もう少し待てば桜の見応えがある場所です
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公園横を北に向かって矢田川方向へ
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正面の小高い丘に石段と寺号標が現れます 
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 山門へ続く石段の左は「無住国師入定地」の石標と寺号標

 どちらも長い年月で角が取れています

石段の先には鳥居が見えます

 山門へと続く石段を登っていきます
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石段の先は熱田社が祀られています
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星崎城(現在の笠寺小学校)を築城した山田重忠が創建したと伝えられています

長母寺は1179年(治承3)山田重忠が母の菩提を弔うため

観勝法師を迎え天台宗桃尾寺と して創建

重忠は父・母・兄を長父寺(​大永寺​諸説あり)・長母寺・長慶寺(守山区小幡中2)

を建立したとも云われています

その後焼失するも、1262年(弘長2)長母寺と改め、鎌倉末期に無住国師(1226~1312)を迎え臨済宗へ改宗、無住国師(1226~1312)は50年間長母寺の住職を務め

この間「沙石集」をはじめ多くの著述をし尾張萬歳を始めたと言われる
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熱田社から右に趣のある長母寺山門 が目の前に見えます

 こちらは1701年から1800年の江戸時代に建てられたもので

1999年に国登録有形文化財に指定されています
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重厚な瓦葺で間口4.8m、奥行き1.7mの山門

 重厚感のある瓦葺はやはりいいものです
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 山門前の結界石には「不許酒肉五辛入門内」と彫られています

「酒や臭の強い物を持ち込んでは修行にならぬ」という内容でしょうか

……耳が痛い
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 山門から境内は真っ直ぐ伸びたに参道の正面に本堂、右に庫裡 が顔を見せています

 境内の空間と建物のバランスがとてもいい
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 長母寺本堂

 1894年(明治27)に再建されたもので、こちらも1999年に国登録有形文化財に指定されています
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写真上長母寺開山堂

無住国師の等身大の木像無住国師墨跡は重要文化財に指定されています

堂前に君が代で歌われる「さざれ石」が置かれています

写真下長母寺狐狸堂

1828年(文政11)に建てられたもの

本堂の東側に建ち、廊下で客間と接続しています

こちらは1999年に国登録有形文化財に指定されています
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上写真左は本堂破風飾り

下写真左は開山堂西側より東の屋根瓦を望む、右は庫裡前にある古井戸
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山門から境内に入ると左に弘法大師蔵が纏められている

 それ以外にも境内には多数祀られていて飽きる事はない 
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 開山堂前の「さざれ石」は岐阜県揖斐川町から、北区の料亭「十洲楼」から寄贈されたものらしい

 君が代で歌われる「さざれ石」は各地にありますが、こうした石を指すようです
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開山堂前にも多数の石像が祀られている

 写真下の左

明治中頃から昭和の始めの実業家で名古屋塩町の伊藤萬蔵氏寄贈の物

 境内至る所に名が刻まれ、全国に多くの石像物を寄進した

文化財もあり、境内と建築物のバランスの良さ、充分に満足できるお寺ではないかと思います

 今は長母寺の北を流れる矢田川

近隣には​矢田の渡し、

その対岸には宝勝寺等見所の多いところです​

長母寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 阿弥陀如来
創建 / 1179年(治承3)
住所 / 名古屋市東区矢田3-13-71


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昔は華やかだったイメージのある柴田駅周辺

 繁華街も少なくなり当時のイメージから随分変貌し、落ち着いた街になったものです


高架になった常滑線の下を潜り県道36号線を20分ほど西へと歩く
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やがて船見町交差点と名古屋高速4号東海線の高架が見えてきます

 この先は潮見町へと続き、風向きによっては潮の香りが漂ってきます
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周囲に民家はなく工業地帯の様相です、交差点を越えると左側に側道と小さな杜が見えてきます

 緑のフェンスに沿って歩いて行きます
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側道のフェンスが途切れた左側に木造の鳥居と社号標が現れます
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 『新徳神社』

 私には馴染みのない社号です

左奥には野ざらしの手水鉢が、静水は止められています、短い参道の先はモータープールで行き止まりになっています
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 境内から鳥居方向を見渡す

 側道からは木々に覆われ見通せませんでしたが社は境内に入った右奥にありました
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小さな杜に包まれて小さな社が鎮座しています

 どなたか定期的に榊を替えられているようです、生花が飾られています
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 由緒も祭神も分からない、来る者拒まずのこの神社、ここは良くある企業内神社なのか?

 境内石標には企業名が書かれているだけ・・・・・見落としているのか?

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分からない事だらけの新徳神社です
 腑に落ちないないまま、境内を後にして柴田方向へ帰途に付く


新徳神社

住所 / 名古屋市港区船見町

アクセス / ​名鉄常滑線「柴田」下車西へ徒歩20分程


源兵衛町源兵衛公園、何やらすごいネーミング
 それにつられて名古屋市南区を訪れました

目的地は須佐之男社
 名鉄常滑線「柴田」で下車、20分程歩いただろうか
源兵衛公園に到着、公園の南側に隣接する様に玉垣で囲われた杜が現れます
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神社の西側には紅白の梅の花が咲き誇り彩を与えていました
 写真奥が源兵衛公園ですが、公園内、神社内は子供達の遊び場になっています
自分も子供の頃に身近に神社があり、陽が傾くまで遊んだなァ
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西側にある鳥居、二の鳥居まで見えます
 早速境内へ
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一の鳥居を過ぎた右に手水舎と手水鉢、水は僅かに注がれていました
 左には社務所兼集会所?でしょうか
本殿の側面も正面に見えています、拝殿はこの先の左に回されるのかナ?
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二の鳥居から一の鳥居を眺める力石と石標が祀られている
 境内が広がると共に南側に・・・あれ?別の鳥居が見えてくる
南側に回り込み仕切り直し
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南側からの眺め、鳥居とその先に拝殿、やっと見慣れた風景になりました
 背後には天白川の堤防が迫っています、海抜はゼロ
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鳥居左の石標には由緒が刻まれています 
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右の社号標は村社「須佐之男社」とありますが、古い社号標には「村社式外須佐之男神社」と彫られ残っています
 社号標の右奥が手水舎になります 
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色白のかえるくんがお出迎えです
 水は絶え間なく注がれ、澄んでいて気持ちがいいよね
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境内左の銀杏の古木
 社創建の際の記念樹として植樹され、現在もその姿を留めています
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鳥居から拝殿を臨む
 拝殿前で優しい表情で見守る狛犬です
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参拝前に拝殿右から鳥居方向を眺めてみました
 どっしりとした鬼瓦と破風飾りも誂われた拝殿の先には堤防が見えています
外見に対し拝殿内は飾りっ気のない質素な印象を与えます

須佐之男社
由緒
九州大友家の家来で知多郡大高町の山口源兵衛は1706年(宝永3)、堀川の材木庄大山屋二代目の神戸文左衛門より資金融資を受け干潟に築堤、新田を作りそこに天王社を祀ったのが始まりとされます
約300年の歴史を綴ります

源兵衛町の由来はここから来ていると思われます
源兵衛の新田は今では住宅地に変貌しコンクリート堤防で守られ面影は感じられません 
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幣殿と本殿、夕陽を浴び、装飾飾りが黄金色に輝いています
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拝殿左には二つに分かれる参道
 左は西側の鳥居へ、右参道は境内末社へとつながります
末社は左が伊勢皇大神宮、右は秋葉神社
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拝殿右側参道先の境内末社「水天宮」
 
 小さいながら神社伽藍も形になっています
源兵衛が作った新田、その氏神に見守られ、源兵衛公園では子供達の戯れる声が聞こえてきます
 いい情景だと思います
 

須佐之男社
 
御祭神 / 須佐之男命
創建 / 1706年
境内末社
 伊勢皇大神宮・御祭神・天照大神 / 秋葉神社・御祭神・迦具土の神
 水天宮・御祭神・天御中主之神
住所 / 名古屋市南区源兵衛町5丁目-1385
アクセス / 名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約20分

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