尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2018年08月

中区橘、日置神社の西隣で伏見通に接する形で正法山高顕寺は建っています
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伏見通側から見た高顕寺、夏空を背景に白い本堂が聳えている
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南側の道路に回り込むと山門の正面に三重の石塔と境内が広がります
右は日置神社の鳥居、隣り合わせです
山門右には「光明山御分身 摩利支真天」の大きな石標が建っています
光明山は静岡県天竜にあり秋葉山と並ぶ山岳霊場の一つ
火の神の秋葉に対し、水の神の光明山として信仰されるようです
その分霊がここ高顕寺に祀られている様です
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山門左に「不許葷酒入山門」の文字が刻まれた石標
……飲んでないし
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正法山高顕寺、山門や表札には派手な飾りが少ない端正な佇まい
見栄えがしないと取られるかも知れませんね
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山門から境内の眺め、庭石を配し、そこかしこに植えられた苔が印象的です
降雨のない真夏のこの時期、苔に勢いはありませんが、この庭で水を得た苔が輝く様を見たいものです
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綺麗に敷かれた石畳、夏空の下に右が本堂、左に堂が建っています
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銅葺屋根の唐破風を持つお堂、両端の反りは鳥の羽ばたく様にも見て取れます
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堂内部
右に不動明王、左に大黒天らしき姿が見て取れますが…ブレブレでしたね(……飲んでないし)
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昔は木造、葦葺の本堂、幾度かの補修・建て替えを経る
現在は屋根は瓦葺、白いコンクリート造りの本殿に変貌しています
左が本堂、右側が庫裏、寺務所の伽藍、更に右は白い塀を境に日置神社と接しています
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正法山高顕寺
もとは清州の護国山東輪寺として永安寺の末寺であった、開基は孝國順天
慶長遷府の際に現在地に移転、一時は大破するも1681年(天和3)に本堂を再建
1689年(元禄2)、尾張藩主光友の命により万松寺の末寺へ、1693年(元禄6)現在の寺号に改め開山
本尊は木造聖観世音菩薩坐像で他に木造千手観音菩薩坐像、開山卍室木像、十六羅漢木像等
本堂両脇の柱には、さりげなく三つ葉葵の寺紋も入ります
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生憎本堂内で拝むことは出来ませんでした、ガラス越しに堂内の眺め
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本堂から眺める境内全景
コンパクトな庭園です、苔の勢いがいい時期に訪れると新たな発見があるかも?
また、境内は複数の手水鉢や石仏もあり、これを見ていくだけでも面白いと思います

大正の頃に記された「名古屋市史」の中に「堂宇は本堂、秋葉堂、庫裏、門」と記されています
先ほどの堂は秋葉堂ということでしょうか?
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真夏の真昼間、境内は陽当たりが良く遮るものは少ないです
水蓮鉢の水草と朝顔がひと時の涼しさを与えてくれます

などと書いては見たものの、暑い! 日置神社の杜で涼む事にします
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日置神社拝殿横から神楽殿と壁を隔てた高顕寺の眺め
さながらベルリンの壁の様相
神楽殿を正面から見れば違和感を感じ得ません
しかしこの位置から見るこのフォルムに違和感を覚えます、何があったのか気になるところです

それにしても暑いゎ 大須で一杯ひっかけよう
……結局飲むし

正法山高顕寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1693年(元禄6)
本尊 / 聖観世音菩薩坐像
住所 / 名古屋市中区橘1-3-23
アクセス / ​市営地下鉄名城線 上前津 下車徒歩15分程

名古屋市中区橘一丁目
国道19号線の東に接し「日置神社」が鎮座する
織田信長と所縁の深い神社である
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南側の日置神社鳥居前から境内の眺め
街中にありながら緑豊かな杜を持つ、境内へは、この他に西側と北側に参道入口があります
真夏の強烈な日差しを遮り、日陰を提供してくれる都会のオアシス
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南側の日置神社鳥居前から境内の眺め
街中にありながら緑豊かな杜を持つ、境内へは、この他に西側と北側に参道入口があります
真夏の強烈な日差しを遮り、日陰を提供してくれる都会のオアシス
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社号標と由緒書き、教育委員会の解説板
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上段 境内に入った左の一画、東向きに社が纏められています
下段 解説板を見落としたようです、分かりません
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玉垣で囲われた一画に葵の紋の飾られた橘社
尾張徳川家二代藩主瑞龍院殿光友公を祀り、津島社、熱田社、秋葉社が合祀されています
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参道の右の手水舎と手水鉢
静水は澄み、絶え間なく注がれています
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手水舎の左の古木は椨(タブ)の木
数百年の樹齢を刻み、以前は市の保存樹として指定を受けていたそうです
1999年(平成11)の台風で被害を受け現在の姿となってしまいました
しかし脇枝は今もしっかりと成長しています
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境内左脇にある日置神社碑
1560年(永禄3)5月、桶狭間の役に関する言い伝えでは、1560年(永禄3)信長は早朝に清州城を出て、日置神社に到り戦勝祈願を行った
軍勢の終結を待ち熱田神宮に向かい、その後桶狭間に向かったそうです
桶狭間で勝利した信長は、当地の神域に松千本を植えた事から、「千本松日置八幡宮」と崇められた
明治維新の際、社合を「日置神社」に改め、1871年(明治4)郷社に列格、同40年神犠幣帛料供進神社に指定され、同42年隣接の村社「新明社」を合併し相殿に配祀

現在、信長所縁の松は存在せず、1896年(明治29)に最後の松の根を漆で塗り固め保存、その一本からは香合が作られ、現在も保存されているそうです
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神楽殿南側に繭のような二個の力石が並ぶ
左は「はちまん」と右は「いなり」と呼ばれ、この地で保存される同種の石では最大のものと云われます
古くは石占いから始まり、後に村の若者の試力の技具となり伝承されていった
江戸後期の文化・文政の頃が最盛期と言われています
因みに少し触れてみたがこれを抱え挙げる猛者がいた事に驚く・・・・・腰が幾つあっても足りない
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上段
拝殿方向の眺め、左が神楽殿、正面が拝殿の配置
日置神社は1945年(昭和20)に戦災を受け、1958年(昭和33)に社殿が再建、その後平成に入り拝殿の屋根が葺き替えられ現在の姿となったそうです
下段
拝殿右は日置龍神社
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神楽殿正面
当日は扉が閉ざされていましたので、以前撮った内部の写真を掲載します
内部は下段の様に見事な襖絵が描かれています、描かれた歴史は不明なれど、個人的にお気に入りの絵
今回訪れたのも改めて撮り直す事が目的でもありましたが、こればかりは
また参拝する機会を与えて頂いたと思う他ない

神楽殿後方の建物は高顕寺
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上段 杜に包まれた拝殿全景
下段 拝殿前の狛犬は突っ込む余地なし、凛とした姿です
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日置神社の創建は定かではない
平安時代醍醐天皇の927年(延長5)に編算された「延喜式神名帳」に「尾張国愛知郡日置神社」と記される式内社として知られる
室町時代の1364年(貞治3)に成立した「尾張国内神名帳」にも「従三位日置神社」と残る
中世に山城国石清水八幡宮男山から八幡大神を勧請して合祀した

御祭神 /  天太玉命 ・脇 応神天皇、天照大御神 
境内社/ 日置龍神社、廣冨稲荷社・大黒恵比寿社
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拝殿の鈴と拝殿内から本殿方向の眺め、そこかしこに橘と麻の神紋
日置は、古代「日置部」の置かれたところが地名、社名となって残った、日置部とは暦(日暦)を司る役所、暦は農をはじめ、生産の全ての指針であった
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日置龍神社
境内の椋(むく)に住む日置龍神を祀ったもの、蛇は、、、いない
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解説板を見落としたか?、廣冨稲荷社奥の院か?
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拝殿左の廣冨稲荷社
御祭神は宇迦之御魂神
1918年(大正7)京都伏見稲荷大社より勧請、創建された様です
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大黒恵比寿社
1961年(昭和36)出雲大社、三保神社から勧請、ここに創建された
祭神 / 大国主命、事代主命
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拝殿の一番西側に芳勲塔
この地から戦場に散った軍人を祀るものか
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拝殿の一番西側に芳勲塔
この地から戦場に散った軍人を祀るものか
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二の鳥居前の狛犬、奥には三の鳥居が見えています
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二の鳥居前の狛犬、奥には三の鳥居が見えています
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北側境内入口、芳勲塔横につながり、境内は左方向となります
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御朱印(かみさん提供)
今回この御朱印が日置神社再訪のきっかけでしたが、また来なくてはいけないようですね

日置神社
住所 / 名古屋市中区橘一丁目3番21号
℡ / (052)321-5241
アクセス / ​市営地下鉄名城線 上前津下車 西に15分程​    

瑞穂区井戸田町『龍泉寺』

地下鉄妙音通駅から北に歩いて5分ほど
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緩やかな坂の続く傾斜地に曹洞宗龍泉寺(りょうせんじ)の寺号標と教えの書かれた掲示板が見えて来ます
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「人は死ぬことによって
 生命が無くなるものではな
天地一杯の生命が
 私という思い固めの中から
天地一杯の中に
 ばら撒かれたのだ」
輪廻転生の教えを説いているのか?
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掲示板の右に黒いフェンスに囲われた一画、その前に白い石碑が建っています
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「亀井水」
「府城の南一里三十町(約7km余)本井戸田なる村あり、井水すべて清らかなり
 名ある清水七ヶ所ばかりあれど、亀井という清水こそ、名高くうるはし」(尾張志)
龍泉寺山門の脇にある亀井水はまた、源頼朝の産湯の水を汲んだ井戸とも伝えられている
 第二次大戦後しばらくの同名の通り、「亀」が水面をおおうほどに無数に生息していたものである」
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碑には源頼朝産湯の井「亀井水」と刻まれています

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フェンスの中、今は亀の子一匹見られませんが今も水を湛えています
かみさん「なんでここで頼朝なの?」
ここから近い津賀田神社​の祠官「亀井六郎重清の母親が頼朝の乳母を務めた」という言い伝えもあり
産湯の井があっても不自然ではないんじゃないの?
こうしたものは素直に受け入れるもので、諸説ありなんです

因みに頼朝の生誕地として、熱田神宮の西側に鎮座する​誓願寺​が知られ、山門前には「頼朝生誕地」の碑も建てられています
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山門へ向かう途中の左側、本堂を背景に赤い前掛けを付けた石地蔵が祀られています
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参道正面に赤い前掛けの付けられた地蔵「歯痛地蔵尊」
全身に亀裂が入り、顔は半分欠けてしまい痛々しい姿、何事?
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傍らの随分朽ちた案内板
「太平洋戦争中の昭和20年5月17日、B29の爆撃により旧本堂と共に被爆、お顔の半分を失い、お体もまっ二つに割れた」と記されています
空襲で被災し本堂は焼け落ちても、地蔵は破片を集め復元されたんですね
歯は痛くないが、歯痛地蔵さんにお参りしておこう
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歯痛地蔵尊の左に境内入口
空襲で焼失し再建された本堂と山門も恐らく再建されたものでしょう
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歯痛地蔵尊の左に境内入口
空襲で焼失し再建された本堂と山門も恐らく再建されたものでしょう
山門扁額
「亀井山」の山号は先ほどの亀井水から付けられた様です
山門脇の掲示板
「この試練を乗り越えよう・・・・・」よっし!気持ちを切り替え頑張ろう!
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山門から境内、正面の看板の言葉もいいよね
お参りさせて頂きます
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境内に入った左の手水鉢
井水を汲み上げているのでしょうか? 鉢は鉄分で赤く染まります
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それ程広くはないけれど緑豊かな境内、奥に本堂
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本堂正面
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本堂扁額
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本堂から右手の寺務所、庫裡を眺める
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本堂の大棟には「亀井山」の山号瓦が入ります
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本堂左の笹の先に石が二つ
右の石は平安末期の原始五輪塔と言われている
昭和58年まで残っていたと言われる、大黒塚の塚上にあったもので大黒石と呼ばれる古石
左が鎌倉時代の薬師寺開山覚一塔

龍泉寺はかつて行基が開山した真言宗薬師寺を始まりとし
五つ(龍泉庵、龍雲庵、福伝庵、妙喜庵、蔵伝庵)と言われる塔頭(たっちゅう)の一つ
時の流れと共に本寺や龍泉寺以外の塔頭は消滅し、龍泉寺は曹洞宗へ改宗、1519年(永禄2)に熱田にある秋葉山円通寺の末寺となった
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ここから南には藤原師長の謫居跡(​嶋川稲荷​)があり、配流された藤原師長は好んで「龍泉寺」を訪れたともいわれ、寺には師長公画像・師長公記(二巻)も所蔵されていると言われています
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『龍泉寺』頼朝が産湯を浴び、配流の身の師長が好んで訪れたという歴史を持つ

宗派 / 曹洞宗
創建 / 不明
本尊 / 薬師如来(聖徳太子作と言われている)
脇仏 / 不動明王(弘法大師作と言われる)、地蔵菩薩(聖徳太子作と言われる)
住所 / ​名古屋市瑞穂区 井戸田町4丁目90
アクセス / 市営地下鉄名城線妙音通駅下車 北に5分    





毎日〃ア○イ!!
35℃くらいだと涼しくさえ感じる今日この頃
温暖化と共に人も進化の過程なのか?

ピンクハート「富部神社」行ったことある?
  青ハートあるよ、車で直ぐだけど、今から行く?
ピンクハート行こっか!
  青ハートなぜ冨部神社? 御朱印ですか?
ピンクハートスタンプなんだけど、季節によって変わるらしく、今はアサガオとカエル
 あってもいいのかなナンテ

環状線をひとっ走り、陽の傾く冨部神社へ参拝してきました
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かみさんは既に参拝を済ませ、社務所へ向かったようです
夕陽に照らされた境内、参拝に向かう老人
少し強調しましたが、とても印象的なシーンを見る事ができました
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いつ来ても参拝に訪れる方は途切れない『富部神社』、すきな神社です
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冨部神社御朱印


住所 / 名古屋市南区呼続4-13-38
TEL  / 052(821)2909

若宮八幡社から若宮通りを南に渡り徒歩5分程の中区大須3
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大須の入り組んだ古い町並みとビルの間に塀の向こうに杜と本殿の屋根が見えてきます
三輪神社です
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南に向いて建てられた石鳥居正面からは拝殿が一望できます
こちらの鳥居、明神鳥居の柱の両脇に小さな鳥居を持つ見慣れない形のものです
三輪鳥居または三つ鳥居と呼ばれます
両脇の小さな鳥居を含め八の字を描き、全ての鳥居をくぐるのが正式な参拝作法だそうです
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鳥居の右の瓦葺の建屋が手水舎、その奥の建物は神楽殿になります
毎月8日は大黒天を信じる講員の安泰を祈念する「大黒祭」が行われます
訪れたのは8の日、多くの方が集い、祭り準備に余念がありません
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三輪鳥居の前の立派な台座の上で見守る狛犬
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鳥居をくぐり境内右が神楽殿
今まさに大黒祭りの準備で皆さん大忙し
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ビルを背景に建つ拝殿、街中の神社を象徴する光景です
祭りに来られた参拝客、拝殿内で準備される方、今日は賑やかな境内です
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カラフルな拝殿に掲げられた扁額
人の往来が途切れたところで拝殿内部を窺う
右手前のボードにはこちらの神社のマスコット「うさぎ」が描かれています
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拝殿左の社務所から拝殿と本殿の全景
街中にあって、小さな杜と樹齢450年とも云われるクスノキの御神木は目立つ存在です
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拝殿左の社務所から拝殿と本殿の全景
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本殿の右は幸宮社
右から秋葉社・天王社・猿田彦社を合祀
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幸宮社の右に
上段 左「白龍社」と矢と的のモニュメントは「矢場跡」と呼ばれているようです
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この界隈の矢場町の由来は、昔ここに矢場があった事から由来するものです
1668年(寛文8)、京都の蓮華王院(三十三間堂)の長廊を模し、三輪神社境域に矢場を創建したと云われます
三輪神社の長廊で通し矢の腕を磨いた修練場でしたが、1807年(文化4)御払いとなり、星野勘左衛門(江戸時代の弓道家)預となったそうです
現在、その長廊はなく地名に名残りを残すのみです
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福光稲荷社
矢場跡の右に赤い鳥居が連なります
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上段
赤い鳥居が連なる参道出口のお狐様、つり眼で睨む視線はやや怖い
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縁結びの木
樹齢450年を超えるクスノキの巨木
幹に赤い紐を結ぶ事で男女の良縁、仕事、家族等の縁に恵まれるそうです
無数の紐が結ばれています
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三輪神社のマスコット「幸せの撫でウサギ」
台座の新しさから、近年建てられた様なのですが
御利益がある様で、撫でウサギの表面はツルツル
大物主神と所縁のある「因幡の白兎」も神の使いとして、撫でられた部分の傷みを取り払ってくれるようです
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境内に置かれている大黒様の像
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上段 境内入口に掲げられていた由緒書き
下段 大黒祭は毎月8日の11:30から
   luckyと思いきや、時間が…少し、いや相当早い、今回は諦めるとしよう
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教育委員会解説と神社由緒書き
創建 / 不明、信長家臣で小林城主の牧長清(1548年~1570年)により創建
(​石神社八幡社​がそうであったように、長清の名はこの界隈を巡ると良く出てきます)

三輪神社
三輪鳥居が印象的な神社です
住所 / 名古屋市中区大須3-9-32
アクセス / ​地下鉄名城線「上前津」下車北へ徒歩10分程
三輪神社URL  / http://miwajinnjya.com/
2018/8/8参拝
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かみさんが6月に参拝した際に頂いた御朱印
紫陽花、うさぎ、カタツムリ、見開き一枚に描かれたこのデザイン
よほど欲しかった様で「見てェ、見てェスマイル
・・・・・確かに


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