尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2018年09月

中区門前町

買い物客で賑わう門前町と裏門前町の間に建つお寺、天寧寺を訪れました1

街中の住宅やビルが立ち並ぶ一画に赤と白の幟だけが視界に入ってきます
遠目にそこがお寺だとは気が付きません
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周囲はご覧のようにビルで囲まれ、南を向いて鎮座する「三宝大荒神」
両側には「三宝大荒神」と書かれた二本の白い幟が建っています
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境内右の寺号標と通りに掲げられた案内板
三宝大荒神は信長の守り本尊の様です
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境内左手に手水舎、その右に建つ絵馬堂
手水鉢は左に五七の桐と右に輪宝紋?が彫られています
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大きなビルを背景に建つ三宝殿、瓦葺で金の飾り金具で飾られています
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三宝殿前の狛犬
絵馬堂は「守鶏絵馬」の奉納で知られ、雄雌二つの絵馬を購入して願い事を書いてこちらに奉納、その際に雌の絵馬は持ち帰り、願いが叶った時に雌をお供えするというもの
昔は粘土で作った素焼きの素焼きの鶏だったそうですが、いつしか絵馬に変わったようです
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上段 三宝殿に掲げられた扁額
下段 信長の守本尊と云われる三宝荒神が本尊、左右には凛々しい黒い狛犬がこちらを睨んでいます
三宝大荒神とは仏・法・僧を守護するという荒神で、不浄を許さない厳しさを持つ事から、火で清浄が保たれる竈に祀られるかまどの神、火の神として祀られます
三宝荒神は災いから守り金銭を融通してくれる守護神とされ、信者を脅かす者には厳しい制裁を下す、何とも頼もしい神様です
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三宝殿の右に隣接する天寧寺
入母屋瓦葺の本堂、白い壁に木の茶色が落ち着いた印象を与えています
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曹洞宗の寺で山号は玉琳山
室町時代後期に蒼空隆公によって清洲城下に「円徳院」として開創される、1611年(慶長16)の清洲越しに伴い、現在地に移転したと云われています
1737年(元文2)に徳川宗春の子・竜千代は若くして亡くなり円徳院の法号がつけられた事から、寺号は現在の「天寧寺」に改名されたと云われます

天寧寺
宗派  /  曹洞宗
創建 /   不明
本尊 / 釈迦牟尼仏
住所 / 名古屋市中区門前町3-21
アクセス /  市営地下鉄名城線 上前津下車 西へ約10分程

長野県上高井郡小布施町
20年振りに訪れた小布施の街、当時見かけなかったこ洒落た店も目につきます1
秋の観光客で賑わう小布施中心から徒歩で30分程東へ外れると、周辺はのどかな果樹園が一面に広がり、
この時期はリンゴ、栗、柿、葡萄が実りの時期を迎えています
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特に今は小布施名物の栗が収穫の時期を迎えています
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果樹園の東外れ、雁田山の麓に仁王門と赤い屋根の伽藍が見えてきます
悲運の名称福島正則の菩提寺でもある岩松院です
昔訪れた当時、右手の白い建物はなかったように思います
周辺もきれいに手入れされた公園に様変わり、田舎の古いお寺の印象から少し変わったような
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果樹園の中を古い燈籠と三界萬霊碑を横目に仁王門に続く参道を歩きます
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参道左側の六地蔵のお堂、以前(20年程前)はなかったような気がします
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大師堂と堂内
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ここ仁王門から望む石段の先には昔のままの赤い屋根の本堂が見えてきます
永年再訪する機会がなく、ようやく訪れる事が出来ました
北斎の天井画と久しぶりの再会です
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仁王門前の石標、左の供養塔?には大日如来が刻まれています
右のものは蛙の姿に見えませんか、岩松院の中庭には「蛙合戦の池」と呼ばれる小さな池があります
小林一茶の「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」という句が詠まれた場所
蛙を意識していてもおかしくないか
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入母屋、総檜作りの仁王門
この山門、いつ頃造られたものなのか調べて見ましたが定かではありません
手前に果樹園が広がり、雁田山を背景にして建つこの仁王門の姿
小布施の文化財にも加わっていませんが、個人的に好きな門です
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仁王門扁額
派手な所はないのですが、シックな茶色が周囲の緑に溶け込み、風情のある情景を醸し出しています
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シックな仁王門に対し、朱で塗られた優しい顔つきの仁王像
どこかでお目にかかっているような気もするが
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仁王門を過ぎ、右手に蛙合戦の池から流れ出た水が流れ落ちます
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石段の先に寄棟造りの本堂と左に観音像が間近に迫ってきます
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本堂正面の香炉と掲示板「・・・・・精を出せ!」
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岩松院本堂全景
岩松院は1472年(文明4)に開山された曹洞宗のお寺、戦国武将福島正則や葛飾北斎、小林一茶とゆかりのある古寺
訪れた当日は平日にもかかわらず参拝客が途絶えない
以前は本堂の畳の上で大の字になり、北斎の天井画に見入る事が出来、それを勧めた頃もありました
当時の印象のまま訪れましたが、昔の様に振舞えない様です
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境内全景、左の観音様は小布施観音と呼ばれるようです
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岩松院では一番古いとも云われている鐘楼
本堂に入った後から鐘の音が聞こえてきました、静かな小布施の街にその音は余韻を残し響き渡ります
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庫裏全景
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軒下の蛙達が売り子の無人販売所、今も昔も変わらないようです
シャインマスカットは「スーパーの半値位い」らしく、かみさんが買い求めていました
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本堂に掲げられる山号扁額と堂内に掲げられている寺号扁額
本尊は釈迦牟尼仏(江戸時代初期の作)
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券売機で拝観券を買い求め堂内へ
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本堂中央の大間天井に描かれている鳳凰図、八方睨み鳳凰図とも呼ばれます
間口6.5m奥行5.5mの大画面を12分割して描かれています、葛飾北斎(1760年~1849年)晩年の88歳から89歳にかけて描かれた作品といわれています
北斎が初めて小布施に訪れたのは83歳の時、延べ4回訪れ、4回目の滞在で約1年をかけ大間天井に描いたものです
製作は床に並べ、彩色し天井に取り付けた、鳳凰図は朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍など顔料を膠水で溶いた絵具で彩色され、周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています
画面には製作時の絵皿の痕跡や隠し富士が描かれています
一度も修復する事無く、昔のままの鮮やかな色彩を今も留め、鳳凰が睨み続けます

北斎は自らの最期を察したかのように、翌年小布施から江戸に戻り90歳で亡くなります
西洋絵画にも影響を与えた画狂人、この歳でこれを描けた事に驚き以外の言葉はない
小布施の街中にある北斎館を訪れると一層強く感じます

昔は畳の上で仰向けになってのんびり鑑賞できたものです、今は長椅子が置かれ仰ぎ見る鑑賞方法に変わっていました
本堂も撮影機材持ち込み、撮影禁止、本堂から眺める蛙合戦の池も今は撮影が出来なくなっていました
フラッシュや人の動きによる振動が絵に与える影響を抑える目的から現在の鑑賞方法になったそうです
掲載画像は昔訪れた際に撮影、唯一残る一枚でPCの背景にしていたもの
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本堂左、福島正則霊廟へ続く石段、本堂沿いに右に回り込むと蛙合戦の池につづきます
中庭からの写真撮影は可となっています
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福島正則霊廟
石段を上り詰めた先の寄棟の建屋が廟になります
福島正則(1561年~1624年)
元亀天正年間の戦国武将、秀吉の家臣で賤ヶ岳の戦いで七本槍の第一と称され、関ヶ原の合戦でも勇名をはせた、広島城の大大名になるも、1619年(元和5)信越地方へ国替えされ在籍5年、1624年(寛永元)没
廟の内部に建てられた五輪塔から岩松院を見下ろし、その先の小布施の街並みを見つめ静かに眠っています
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緑の雁田山を背に建つ石地蔵、彼岸花の赤が映えていました
間もなく雁田山の木々も紅葉に染まっていきます
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霧雨の降る雁田山を背に佇む岩松院、こうして眺める光景は昔のままです
次回は桜の花の時期に訪れる事にしよう、それまでは「今の仕事に精をだす」か

岩松院
住所 / ​長野県上高井郡小布施町雁田615
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御朱印
右上の蛙は受付のお姉さま方の手作りの付箋
こうした事もやっているのね
2018/9/21


名古屋市中区
大須を南北に伸びる新天地通り
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以前は電子パーツやオーディオ等のマニアックな店が多い印象でしたが
時代に応じ様変わりする新天地通りは若者や観光客で賑わっています
何かに出逢えるスポットなのは今も昔も変わらない様です
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通りから一筋外れれば、人通りの少ない静かな街並みも残ります3
上は尾張名所図会に描かれる万松寺

昔は鎌倉街道沿いの小さな集落や神社仏閣が点在する松波が続く原野
名古屋城築城に伴う清州超し(1610年)から始まり、近隣に大須観音、​若宮八幡社​、万松寺が遷座され、
それらを中心に人が集まり、繁華街が出来ていきます
名古屋繁華街の原点と言っても過言ではないのかも
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人通りの少ない新天地通り西側、ビルの裏側に「織田信秀廟所」の石柱と祠が視界に入る
(織田信秀は信長のおやじさんですね)
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祠正面に回り込む
重軽地蔵と言われる二体の地蔵が祀られています
お参り前にこの地蔵様を持ちその重さを感じとります
願いを込めお参りした後にもう一度お地蔵様を持ち上げ、軽く感じれば願いは叶うとされます
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御深井観音
重軽地蔵の後方にあり、徳川春姫の守護仏とされます
名古屋城の北御深井の里で祀られてていましたが、後に春姫様の菩提所である萬松寺に移されます
以前は木造でしたが、戦争で焼失し大正に入り現在の石像に姿を変えたようです
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仏足石
御深井観音後方の覆い屋根の下にあり、遠目にはただの四角い白い石
良く見れば天面に足跡が刻まれています
名古屋城築城で集められた石材の中から、加藤清正が見つけ礼拝したと云われています
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重軽地蔵から北に少し歩く、大きな5階建てのビルが万松寺
時代に応じ様変わりする大須
万松寺も時代の先端を行くようです、仰ぎ見る本堂は立派そのもの
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本堂扁額と堂内
黒に三つ葉葵の紋が入る賽銭箱
建て替えも終わり、近代的な寺に生まれ変わった様です
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本堂左の立派な案内板
案内に導かれ進んでいきます
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信秀公墓碑
案内板の左脇にあり、建て替えとともに再建されたもの
万松寺を開基した織田信秀の墓碑、見下ろすような高い場所にあります
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墓碑からさらに進むと新天地通りの喧噪が伝わってきます
通りから見た万松寺
カラフルなLEDディスプレーに映し出される目まぐるしく変わる表示
・・・・・先端を歩んでいる
山号扁額も真新しいものです
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身代不動明王
黄金色に輝く扁額、随分と綺麗になりました
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左の白雪咤枳尼真天
こちらも朱も鮮やかな鳥居が建てられ以前の面影は皆無、確か狛犬がいたと思うが、今は見当たらない
どこかにいるのか?
手水鉢もリニューアル、象さんも変わったみたいですね
奉納提灯が壁の様に連なっていた頃から見ると綺麗に整理されたものです
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本堂右の白龍
二階の屋根を貫き建てられた高さ8mと言われるモニュメント
嘗ての守護神も建て替えに伴いバージョンアップされました
11:00から2時間毎に自動で「再生」をテーマとしたアトラクションが行われます
水煙を履き、LED照明で照らされた白龍は通りを訪れる者の足を止めます

時代の先端を行くチャレンジングな寺ですね
以前の写真が無いだけに、もっと早く訪れておくべきだったようです

万松寺
宗派 / 曹洞宗
開基 / 1540年(天文9)、古渡城主、織田信秀が織田家の菩提寺として開基
本尊 / 十一面観世音菩薩

もとは、中区錦と丸の内二、三丁目辺りにあった、大殿と七堂伽藍を備えた一大寺院
1610年(慶長15)名古屋城築城に伴い、家康の命によりこの地に移転
戦災により焼失、後に稲荷堂、不動堂、1994年現本堂を再建
住所 / 名古屋市中区大須3-29-12
アクセス / ​市営地下鉄鶴舞線・名城線「上前津駅」から徒歩約5分
2018/8/8撮影
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6月24日にかみさんが頂いて来た御朱印
この日の御朱印待ちは4時間だったそうです
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地蔵さんの笑顔が可愛い



名古屋市中区栄の若宮八幡社
名古屋の中心地を東西に伸びる若宮大通り、その名はこの若宮八幡社が由来となっています
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通称100m道路とも呼ばれ交通量の多いこの道路、道路中央には広大な緑地帯があり
そこから若宮八幡社全景が良く見渡せます
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若宮通に面して東と中央、西の三つの鳥居を構えています、写真は東側の鳥居
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中央鳥居の歩道脇に社号標と若宮龍神社の覆い屋根、紅白の幟が連なる光景は街中で目立つ存在です
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中央鳥居から境内の眺め、正面に手水舎、左が社務所になります
広い境内、街中にありながら豊な杜が残り、交通量の多い通りに面していながら境内は静寂そのもの
杜の力は驚くばかり
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中央鳥居前の警護担当、視線はやや上にやり、凛々しい姿の面々です
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中央鳥居をくぐり正面の手水舎で清めます、手水鉢には静水がこんこんと供給されています
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拝殿の両脇に並ぶ町名の刻まれた石柱
若宮まつりの例大祭の時にはここに神社幟が建てられます
「若宮祭」
江戸時代から続く山車祭、東照宮祭、天王祭(那古野神社祭礼)と並ぶ名古屋三大祭の一つ
昔は若宮祭と天王祭は同じ日に行われ、総称して祇園祭とも云われた時代もあった様です
その様子は尾張名所図会にも描かれます
最盛期には本町通りを7台の山車が曳かれましたが、空襲により山車は焼失、現在この地で曳かれる山車は福禄寿車(1676年製作)一台が残るのみ
毎年5月16日の例大祭でその姿を見られます、若宮祭、福禄寿車ともに市の文化財に指定されるものです
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拝殿前担当、なかなかスタイリッシュ
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拝殿正面全景
杜に包まれ、流麗で落ち着いた雰囲気が漂うものです

創建は701年~704年の文武天皇大宝年間、現在の名古屋城付近に創建
1532年(天文元年)那古野城攻めで焼失、1539年(天文8)に再建されます
家康による名古屋城築城の1610年(慶長15)この地に遷座、名古屋の総鎮守と定められます

以降武将から厚い信仰を受けるも、先の戦争による空襲で焼失、現在の社殿は1955年(昭和32)に再建されたもの
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拝殿内全景
祭神 / 仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命
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社務所側から拝殿の全景
落ち着いた外観でありながら、黄金色の飾り金具が嫌みのない華やかな印象を演出しています
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本殿は流造
拝殿同様に金色の飾り金具が適度に設えてあり、上品な華やかさと落ち着いた印象を受けます
周囲は木製の透かし塀で囲われており、拝殿から外周をぐるっと見て廻る事ができます
やはり木はいいものです
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拝殿から本殿の全景

若宮八幡社の境内社を見ていきます
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若宮恵美須神社
拝殿右に南向きに鎮座
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連理稲荷大明神
若宮恵美須神社と北参道を挟んだ東側に鎮座
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熊野社、日吉社、香良洲社、天神社、秋葉社
北参道の沿いの拝殿右横に鳥居を構えて東向きに鎮座、左から秋葉社、天神社、熊野社、日吉社、香良洲社の順に祀られています
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連理稲荷奥の院 (上段写真の右に見える赤い社は連理稲荷大明神のもの)
連理稲荷大明神の奥に西向きに鎮座
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本殿の東側に神御衣神社
小振りの狛犬が睨みをきかせています
鳥居の左、なにやらピンクやブルーの布が縄に結び付けられています
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「神結び願いの緒」と言われ、布に願いを書いてここに結ぶと願いが叶う、パワースポットの様ですね
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神御衣神社の向いに針塚
毎年2月8日には針供養が行われます
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宮産住吉神社
北側の鳥居から境内に入ると本殿横の赤と白の社は目立つ存在です
小振りですが色黒で表情の険しい狛犬がこちらの担当
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若宮龍神社
東鳥居と中鳥居の間に東向きに鎮座
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福禄寿車収蔵庫
東鳥居から境内に入った右側に福禄寿車の収蔵庫があります

若宮八幡社
名古屋の総鎮守の風格と歴史を併せ持つ神社です

住所 /  ​名古屋市中区栄3-35-30
アクセス /  市営地下鉄名城線「矢場町」駅下車、西へ徒歩10分程

2018/8/8参拝
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かみさん提供の御朱印
毎月1日、月替わりの御朱印(スタンプ)が頂けるようです

地下鉄の程よい環境から、地下鉄神前津から地上に上がる
一気に強烈な日差しと暑さが襲い掛かる
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案内板を見ないせいもあるのですが、地下を歩くと相変らず方向感覚がなくなる
真夏の真昼間、ビル陰を選びつつ、北の中区大須4丁目方向に歩いて行きます2
10分程歩いた左側、ビルと駐車場の僅かな一画に社号標と石鳥居を構える「石神社・八幡社合殿」が現れます
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東を向いて左に八幡社、右に石神社の社号標
鳥居のコンクリートの笠木は角がなくなり随分劣化が進んでいます

鳥居を中心に社号標を見ると、石神社社号標の建っている位置が何気に気になります
動かせるものなら動かしたくなる
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鳥居の右柱の陰には小さな手水鉢があります、残念ながらハンドルが外され水は出ません
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鳥居をくぐり、目の前の石段の先に小さな社
覆い屋根の下で参拝です、???
賽銭箱が見当たらないぞ、玉垣の上に賽銭を置かせてもらい参拝完了

訪れる方は少ない様です、供えられた榊は瑞々しく
当番?の方々で維持されているようです

由緒書きは見当たりません、色々探してみた結果、名古屋市史に記述がありました
石神社八幡社合殿
ここから少し北に行った、清浄寺一帯は以前は小林城(1570年廃城)があり、信長家臣で城主の牧長清(1548年~1570年)により創建された様です
1870年(明治3)改造遷宮の後、現在は無各社で祀神は応神天皇・布都御魂神の記述が残ります

清浄寺、訪れる必要がありそうです

石神社八幡社
住所 / 名古屋市中区大須4丁目2-19
アクセス / ​市営地下鉄名城線「上前津」下車、北へ10分程

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