尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2018年10月

以前から計画の一つだった下道走って長浜黒壁スクエアコースを実行してみた
名古屋発7:30国道302号線、県道128号線経由県道23号線⇒県道30号線⇒県道215号線⇒国道21号線で養老山系を越える
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県道23号線の長良川に架かる南濃大橋を渡り堤を北上し道の駅サンクレール平田へは9時頃到着
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それ程特徴がある道の駅でもないのだけれど朝だというのに意外に車が多い
御千代保稲荷に行く人で賑わっているのか?
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それ程特徴がある道の駅でもないのだけれど朝だというのに意外に車が多い
御千代保稲荷に行く人で賑わっているのか?
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個性のない道の駅に入り驚いた
地物野菜がずらりと並び、購入の為に訪れた?と言ってもおかしくない
皆さん野菜やら果物やら大量に買って行く、主婦の感想ではメッチャ安いらしい
ホウレンソウ、水菜、サトイモ・・・・・半額くらいとか、我家も野菜、根菜類を買い求める
仕入の旅か?
買い出しを終え北上し県道30号線を目指す
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道の駅から、県道30号線と県道215号線乗り継ぎ小一時間ほど走行
ここまでは法定速度+10km/hで後続車もなく定速走行でストレスのないドライブです
我家の第一チェックポイントの南宮大社へは10時13分到着

この日はJRの爽やかウオーキング開催日だったようで
垂井駅に電車が到着する度に秋の散策を楽しみに多くの参加者が鳥居をくぐり、経由地の南宮大社を目指して行きます
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南宮大社楼門全景、七五三詣り、ウォーキング客で賑わう境内
人波が途絶えるのを待って一枚
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朱の鮮やかな拝殿全景、かみさんは御朱印を頂きに社務所、自分は境内を一回り
今年11月3・4日と式年遷宮が行われる南宮大社
金山彦命を主祭神とし、旧国幣大社で美濃国一の宮として、全国の鉱山、金属業の総本宮として崇敬を集める
現在の建物は、1600年(慶長5)の関ヶ原合戦で焼失、1642年(寛永19)軍徳川家光により再建されたもの
本殿、拝殿、高舞殿など重要文化財に指定される歴史のある神社です
創建 / 崇神天皇の時代と云われる
祭神 / 金山彦命
住所 / 岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
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南宮大社御朱印

11時10分南宮大社から次の目的地醒ヶ井までは国道21号線を西へ走ります
それにしても軽の燃費の良さには感心する、燃料計の目盛りが減らない
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11時45分JR醒ヶ井駅前に到着、車を停めて中山道醒ヶ井宿へ
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清流地蔵川にたなびく水草「バイカモ」と「ハリヨ」の生息地で知られる
水源を訪ね地蔵川を遡ります
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この時期なのでバイカモの花は期待していなかったけれど、透明の流れの中でたなびくバイカモの鮮やかな緑と落葉のコントラストが美しい、白い可憐な花も見る事が出来ました
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地蔵川水源の居醒の清水
その傍らにある賀茂神社の鳥居が見えます
地蔵川に架かる石橋を渡り、階段を上った左側に本殿あります
創建は不明ですが、地蔵川の水源と醒ヶ井に住む氏子を見守る氏神です
時間は12:30醒ヶ井を後に、国道21号を西に長浜の街並みと寺社を訪ねる事にします
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昼食をとって長浜市豊公園(ほうこうえん)駐車場へは14時到着
始めての長浜市街散策です
上段は豊公園から見た長浜城、1983年復元された城です
下段は旧長浜駅、北陸線の始発駅として1882年(明治15)に建設されたもので
現存する駅舎では日本最古のもの、文明開化の趣が漂っています
北陸本線の踏切を越え元浜町方向へ
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古い町並みが残る風情のある街並みを見ながら北国街道を北に
下段中央は黒壁スクエアに向かう途中に破風の屋根の望楼が特徴的な浄琳寺です
元は湖北町の伊部にあった1789年(寛政元年)創建の真宗大谷派のお寺ですが、小谷城落城後に尊勝寺から1798年(寛政10)現在地に移転したものだとか
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黒壁オルゴール館と周辺の街並み
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黒壁スクエアから東にある長浜別院大通寺
上段
二層の大きな山門を持つ真宗大谷派の寺院で創建は1607年(慶長7)
下段
本堂全景、京都の東本願寺の御影堂として用いていたものを、1652年〜1654年(承応年間)に現在地に移築したものとされます
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元浜町から東の宮前町に鎮座する長濱八幡宮
後三条天皇の勅願を受けた源義家が、京都の石清水八幡宮より分霊し鎮座した神社とされます
健康長寿、ぼけ封じの御宮さんとして知られ、ぼけを封じ込める成す(茄子)守と呼ばれる有難いお守りがあります、これを頂く目的で訪れながら参拝したものの買い忘れる・・・・・始まっているか
創建 / 1069年(延久元年)
祭神 / 誉田別命・足仲彦尊・息長足姫命
住所 / 滋賀県長浜市宮前町13-55
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長濱八幡宮御朱印
この辺りで時間は15:50分
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長浜名物の鯖そうめんは次回のお楽しみとして、夕食までに自宅に帰るにはそろそろ帰らねば
郊外のホームセンターとスーパーや酒屋に寄り道して名古屋着19:20分
走行距離は195km、消費燃料二目盛り(10liter程か?)、歩数計は18,000歩
これから山々の紅葉が深まり絶好の季節を迎えます
下道もなかなか楽しめるものです
2018/10/20

春日井市勝川町
名古屋市から春日井市に繋がる下街道、南に庄内川と北の地蔵川に挟まれたこの場所は、河川の氾濫により幾度となく被害を受ける立地にあります、勝川天神社はその一画に鎮座します
宅地が広がる現在の姿からは当時をイメージする事など出来ない程に変貌しています

ここ勝川の由来は勝川と名の付く川がある訳ではなく
その昔、この辺りは庄内川を歩いて渡れるところであったことから徒歩川(かちがわ)と云われたそうです
徳川家康が小牧長久手の合戦出陣の折、「徒歩川」の地名を聞いて幸先が良いと喜び、合戦で勝利するとこの地を勝川と書く様になったと云われます
北を流れる地蔵川の由来は1265~1275年の文永年間に川の中から地蔵尊が見つかり、近隣にこれを祀る地蔵寺を建てた以降、地蔵川と呼ぶようになったとか

神社南側の地蔵ケ池公園からの眺め、参拝時は公園整備工事に伴い立ち入れない状況
公園入口の道路際に勝川天神社の常夜灯だけが孤立して佇んでいました

工事区域の西側から鳥居に続く歩道が確保されており、梅の紋が入った白い幟の建つ玉垣沿いに先に進む
ほどなくすると左に石鳥居と参道が広がります

参道脇の石灯籠、その先に入母屋造りの唐破風を施された拝殿が見えます
修復から間もないのか、ガラスを多用した明るい拝殿の様です
なかなかスタイルがいい

拝殿右の手水舎、龍はしっかり仕事をしています
清らかな静水は手を清めるのに躊躇する事はありません

杜に包まれビルを背景に建つ拝殿、国道19号線が東を走るにも関わらず境内は静寂な空間が広がります

拝殿前の狛犬
奉納年月日は見ていませんがいかにも新しそうです、これから風格が付いて行く事でしょう

拝殿右の撫で牛と拝殿全景
千鳥破風と唐破風が施された拝殿、小さいながら威風堂々とした立派なもので、ガラス張りの明るい雰囲気です

梅の紋が輝く唐破風は綺麗な曲線を描いています
破風飾や懸魚等は虚飾がなくシンプルなものです

幣殿、本殿の全景

右の拝殿から透塀で囲まれた本殿までの全景(2枚つなぎ)
勝川天神社は山田明長の高弟、無盡禅師が1313年(正和2)に創建したと云われ、もとは近隣の高山と呼ばれた地から現在地に移転され現在に至ります

天神社の始まりは905年(延喜5)九州大宰府にて祭神の菅原道真が歿し、大宰府の安楽寺廟所に神殿を建て菅原道真を祀った事から始まると云われ、天神社と名の付く神社は全国に一万を超えるとも言われています
ここ勝川天神社もその中の一つ、700年以上前からこの地の氏神として参拝されています
現在の社殿は平成に入り改修された様です
祭神は菅原道真、天照皇大御神、菊理姫命、大山須美命、豊受大御神

拝殿左の境内末社
沿革によると八幡社、春日社、厳島神社、津島社、護国社の他、近隣の神明社、山神社、洲原神社等を合祀とあり、こちらで参拝すればほぼなんでもOK、何とも有難い神社

末社のガードはこちらの面々が担当、拝殿担当に比較するとキャリアは上の様です

境内西側の玉垣の間にある鳥居、西の鳥居担当はこの方々
こうして狛犬を見るとキャリアは拝殿前担当が一番浅いような

境内東側にも鳥居と村社天神社の社号標があります、白い幟がずっと先まで連なります

東鳥居の入口左に木々に囲まれこんもり盛られた一画が、山丸三の紋が入った御嶽信仰の霊神碑が立ち並んでいます

霊神碑の南側は広々とした公園になっていて、飛び立ったばかりの飛行機が上空を飛び去っていきます
今回初めて訪れましたが工事が終わった後に改めて訪ねたいと思わせてくれる神社でした

勝川天神社
創建 /  1313年(正和2)
祭神 /  菅原道真、天照皇大御神、菊理姫命、大山須美命、豊受大御神
末社 /  八幡社、春日社、厳島神社、津島社、護国社、神明社、山神社、洲原神社等
住所 / 春日井市勝川町1丁目3-2
アクセス / ​名鉄小牧線  味鋺駅から東へ徒歩15分程​    


名古屋市中区
大須通りから南に入り門前町通りを歩きます
この通り沿いに「西別院」の看板に導かれ西へ折れます
視界の先に西別院「本願寺名古屋別院」が見えています
外観がインド様式の特徴ある寺院です
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本願寺名古屋別院東門
右に寺号標と左の掲示板
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伏見通り側からも境内へ入る事もできますが、特徴のある堂全景が良く見えるのでこちらからがお勧めです
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インド様式の流れを感じる丸屋根を持つ堂全景
境内に幼稚園が併設されるほど広大な敷地を持っています
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特徴的な丸屋根を斜めから眺めます
この寺の創立は蓮如上人の子、蓮淳師が伊勢の国桑名郡長島杉江に建立した「願証寺」が起源とされます
石山合戦(1570-1580)で信長の攻撃を受けこの地から桑名へ
秀吉の時代に現在の清洲に願証寺を再興、桑名の願証寺は「桑名願証寺」と改め、清洲の願証寺は通所、分院となります
清洲の願証寺は德川の清州越しに伴いこの地に移転「名古屋願証寺」に改称
桑名願証寺は後に宗派替えを行った事から、名古屋願証寺を本山の坊舎と定め名古屋御坊と称するようになりました
1876年(明治9)に名古屋御坊を「本願寺名古屋別院」と改称、全国でも有数の別院として発展していきます
本堂、庫裡、書院、中門、御殿からなる伽藍の様子は尾張名所絵図に描かれています
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そして第二次世界大戦末期、1945年(昭和20)に空襲で鐘楼・南門を残し全ての建物を焼失します
現在のこの特徴のある本堂は1972年(昭和47)に再建されたもの
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本堂の左の駐車場、そこに入母屋、瓦葺の色褪せた鐘楼がポツンと建っています
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外観は見慣れた鐘楼、良く見ると梵鐘は上層ではなく下層に吊られた珍しい物です
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遍照閣と書かれた扁額が掲げられた鐘楼正面全景
扁額は1753年(宝暦3)、本願寺第17代法如上人によるもの

間近で見ると木組みや蟇股、虹梁に彫られた彫刻も素晴らしいものがあります
色褪せた姿は味があっていいものですが、幸運にも焼け残ったものです
化粧をしてあげてもいい頃では
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特徴のある下層に吊られた梵鐘
この珍しい造りと各所に施された彫刻が評価され、2017年名古屋市の有形文化財に指定されました
この鐘楼は1729年(享保14)、当時の三河国から移築されたものと云われます
梵鐘は1959年(昭和34)に再鋳されたもの
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本堂の左側に鐘楼と共に戦火を免れた南門
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11.5
本願寺名古屋別院の南側道路のビルと民家立ち並ぶ僅かな一画、南門から境内へ繋がる参道が残ります
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境内で見かけた解説板
北斎大達磨
名古屋を訪れた還暦間際の画狂人北斎は、こちらの境内で120畳ともいわれる大達磨を僅か半日で書き上げたと云われます
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長年受け継がれてきましたが、戦火で焼失してしまいます
戦争は全てのものを消し去ります、繰り返したくはないものです

本願寺名古屋別院
宗派 / 浄土真宗本願寺派
創建 / 1492~1500年(明応年間)
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 名古屋市中区門前町1-23
アクセス / ​市営地下鉄名城線 上前津下車、徒歩で西に10分程​    

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