尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2019年04月


名古屋市熱田区
国道22号線、通称伏見通りの東側に広がる広大な杜が熱田神宮
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熱田神宮南交差点角に岐阜、長野に続く国道の起点となる起点標識が建つ
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熱田台地の先端にあたる熱田神宮、古代は間近に海岸線が広がっていたが、新田開発等で海岸線は後退し
今では片側5車線の国道が走り面影を感じさせない
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熱田神宮正門、今日も参拝客が途切れる事はありません4
熱田神宮一の鳥居
創建は113年(景行天皇43)と伝わり、三種の神器の草薙神剣と言われる剣を御神体とする神社です
三種の神器とは、伊勢神宮の八咫鏡、 皇居の賢所の八尺瓊勾玉、熱田神宮の草薙神剣で
皇位継承の印で平成天皇退位の儀式で最近良く耳にしました
天皇ですら実見された事のない謎多き剣です

熱田の杜に包まれた境内には本宮をはじめ別宮一社、摂社八社、末社十九社が祀られ、境外に摂社四社、末社十二社の四十五の社を祀る神々しい空間が広がります5
今回訪れたのは境内摂社の一つ「上知我麻神社」
正門の一の鳥居の手前を左に続く参道と鳥居があります、その先に「上知我麻神社」の社殿が窺えます6
手水舎で清めを済まし、「上知我麻神社」と境内を共有する熱田神宮別宮の「八剣宮」を参拝します7
境内の左に鎮座する八剣宮
始まりは708年(和銅元年)と云われ、建築様式や祭典・神事も全て本宮に準じていると云われます
主祭神は熱田大神、相殿が天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祀ります
1575年(天正3)、信長は長篠へ出兵の際社殿の修造、1599年(慶長4)家康は拝殿・回廊・築地の修造を、1668年(貞享3)には德川綱吉が本殿の建替え行うなど武将に信仰されていたようです
八剣というと刀を想像しますが八剣宮の八は弥栄の「弥」から来ていると云われ
弥栄は国がますます栄える事を表しているそうです

熱田神宮は1893年の遷宮でそれまでの尾張造りから伊勢神宮同様の神明造りに様式が変更されています
残念ながら1945年の大戦で被災し再建されています8
幾度かの再建を経た八剣宮、拝所前景9
八剣宮全景
本宮の参拝客に比べ、こちらを訪れる参拝客は少ない様です

上知我麻神社(カミチカマ)
神明造りの建物の中で唐破風を持つ社殿は尾張造りをイメージする異質な存在10
拝殿の左の社は、事代主社「えびす様」、右が大国主社「大黒様」を祀る
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右の大国主社前景
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左の事代主社
毎年1月5日の初えびすで商売繁盛・家内安全を祈願する参拝客で賑わいます
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拝殿から本殿の全景
祭神は乎止與命
知恵授け・商売繁盛に御利益があり、知恵の文殊様として合格祈願の絵馬奉納などで知られています
上知我麻神社があれば下もあります、下知我麻神社は境内の北西にあり
乎止與命の嫁さんである真敷刀俾命を祀る、この距離感の意味するものは・・・・・
古くはここから少し南の東海道と美濃路が分岐(冒頭の起点標識付近)する追分付近に鎮座していたと云われます
昭和24年に戦後の都市計画に伴い現在地に遷座された様です
元は南区の​星の宮​にある上下知我麻神社ではないかとも云われるけれど、創建年同様はっきりしません
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上知我麻神社由緒書き
拝殿脇には知恵の文殊様に肖ろうと多くの絵馬が掛けられています15
八剣宮  
創建 / 708年(和銅元年)
祭神 / 熱田大神、天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命

上知我麻神社
創建 / 不明
祭神 / 乎止與命

住所 / 名古屋市熱田区神宮1丁目1-1
アクセス / ​市営地下鉄「伝馬町」下車、徒歩で北に10分程​    



名古屋市南区笠寺町
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笠覆寺(笠寺観音)西門から見た早朝の門前町、まだ車の往来もなく静寂そのものです
この先は名鉄本線「本笠寺」に続く旧東海道です
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笠覆寺の西門前は緩やかな下り坂、そこに紅白の幟が立つ場所が今回の目的地『西方院』です
往時の笠覆寺塔頭は12坊あったとされ、尾張名所図会にも「塔頭12院ありしが廃して今、東光院、泉増院、西福院、慈雲院、宝寿院、西方院の6坊・・・・・」と記されています
現在の地図上で見つけられるのは東光院、泉増院、西福院と今回訪れる西方院だけの様です
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上は笠覆寺の西門付近、左下に西方院が描かれています
まだ烏瑟沙摩明王は記されていないようです、お堂はそれ以降に建てられたものなのでしょう
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旧東海道沿いに石垣が高く積まれた一画が境内となります
通りからは烏瑟沙摩明王(ウスサマミョウオウ)と記された奉納幟が並びます
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烏瑟沙摩明王のお堂の左が西方院山門
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門前の松の下をくぐり、烏瑟沙摩明王から参拝していきます
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右に烏瑟沙摩明王の石標と2体の石仏祀られています
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右は弘法大師、左は観世音菩薩、その前にはお砂ふみ
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左に可愛いおもちゃが供えられた水子地蔵の小さな堂
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烏瑟沙摩明王、聞き慣れないですね
良く聞く不動明王や愛染明王と同じ明王で、この明王は母親が身ごもった女子の胎児を男子に変える力を持っていると伝わり、男子を求めた戦国時代の武将達に厚く信仰されてきたと言われます
木曽義仲の母が守護仏として信仰し、出産の際にも安産だった事から安産にご利益があるとされます
また不浄を浄化するとして、密教や禅宗等の寺院ではトイレの守護仏とされ、下の病に霊験あらたかだそうです
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堂内の正面に小さな厨子と左に弘法様、右が烏瑟沙摩明王
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この明王堂の建立は西方院18世政渝和尚により建てられたとありますが具体的な年代は良くわかりません
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境内の東に縁起と烏瑟沙摩明王の功徳が記された解説板

西方院へ向かいます、このまま参道に出る事が出来ますが正面から向かいます
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参道右に寺号標、天林山西方院、真言宗智山派の寺院
桜も終わり、参道の青もみじが綺麗な時期を迎えていました
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落花盛んな桜の下には歌碑が建てられていますが下の歌碑が目に止まる
「吐く息を己が吸ひて海鼡実」と彫られているように見えますが・・・・・ナマコと読むのか?
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山門前から旧東海道の眺め、青もみじの先に笠覆寺の散りゆく桜が良く見えます
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山門から境内の眺め
境内右が庫裡でその奥が本堂
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左の手水鉢は天保2年(1831)に奉納されたもの
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本堂は南を向いて鎮座します
近年建て替えられた様で、新しくとても綺麗な外観です
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扁額も新しい様に思えます
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僅かに開けられた扉、その先に光背の赤い炎も鮮やかな不動明王
じっくりと拝ませて頂きました
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境内には見事な楠木の巨木が聳え立ち、その下には小僧が庭の掃除をしています
庭の手入れが行き届いてとても綺麗、頑張っている君にお駄賃をあげよう
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本堂から今来た山門方向の眺め、左手が庫裡
境内はとても綺麗に手入れされています

西方院
創建 / 不明
宗派 / 真言宗智山派
本尊 / 不動明王
住所 / ​
名古屋市南区笠寺町上新町81
アクセス / 名鉄名古屋本線「本笠寺」下車、東に徒歩5分程




2019/04/25
GWの移動を避けて関市方面の神社仏閣を巡ってきました
名古屋発8:10下道走って関を目指しました
第一の訪問地「日龍峯寺」駐車場へ10:30到着
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駐車場から本堂へショートカットできますが、一旦下り趣のある仁王門から石段を登り本堂へ向かいました
山々の木々は鮮やかな新緑が芽生え一番鮮やかな時期を迎えています
雨も上がりしっとりとした新緑が眼にしみる
仁王門の仁王像、天井絵もすばらしいものがあります
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仁王門からゆっくり登って15分程
海抜283mの高沢山山頂の急斜面に新緑に包まれて建つ本堂が見えて来ます
岐阜県では最古の寺として以前から知られています
ここは以前TVで紹介されてから特に認知度が上がった寺です
本堂のこの作りは清水の舞台同様の舞台造り、清水寺に似ていることから「美濃清水」とも呼ばれています
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本堂右の「籠堂」傾斜地の岩上に浮いています
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本堂からの眺め
雨後の霞がかかった山々、新緑が見頃を迎えています
この寺の創建は古く、仁徳天皇(313~399)に遡ります
当時美濃国で日本書紀に記された両面宿儺という豪族がいた、彼はこの地で住民を苦しめていた龍神を退治し、龍神の住んでいた高沢山に祠を建てたのが始まりとされる
後の鎌倉時代に北条政子がこの寺で雨乞いの祈願を行ったことから再興されたと伝えられています
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本堂の境内から右に続く石畳を登ると左側に多宝塔が見えて来ます
応仁・文明の乱(1467~1487年)で多宝塔以外の伽藍を焼失し、後に随時再建されていきますが
この多宝塔は北条政子が再興した当時のものです
塔の屋根からは水蒸気が立ち上り神々しさが漂います
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大日山日龍峯寺
創建 / 五世紀前半と伝わる
宗派 / 高野山真言宗
本尊 / 千手千眼観世音菩薩
住所 / 岐阜県関市下之保4585
日龍峯寺HP

第二の訪問地の関善光寺へ向かいます
駐車場へは12蒔を少し過ぎたくらいに到着
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関善光寺は正式には「妙祐山宗休寺」、天台宗の寺院で安桜山の麓に鎮座します
駐車場から脇に積まれた石垣、その上に聳える本堂は城の様でもあります
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本堂に向かう石段の両脇では美しい青もみじが迎えてくれました
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1798年(寛政10年)、宗休寺で信州善光寺の諸国巡行開帳が行なわれ、これが縁となり、善光寺如来を安置、善光寺を模した本堂や戒壇が建てられ、1818年(文政元年)建立されたものと伝わる
境内の眺め、左が本堂で卍戒壇は日本でただ一つと云われます、右は大仏殿(旧本殿)
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境内の入口にある「大日堂」内部には宝冠大日如来が安置されています
500年程前に鋳造された仏像でそのポーズが一時有名になりました
以降訪れる参拝客が増えたと云われます
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本堂の卍戒壇
戒壇巡り(胎内巡り)は全国54寺あると言われていますが、卍字型の戒壇巡りは宗休寺だけのもの
暗闇の長さは人が亡くなってから成仏するまでの49日になぞられ49mあるとも云われます
僧侶の修行の場として作られたと云われます
外光の閉ざされた戒壇から外の明かりが見えた時は、当たり前の様に見える事の有難さを感じます
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境内の上には鐘楼があり更に上に参道が伸び、行きつく先は安桜山山頂
更に尾根沿いにトレッキングコースも整備されいます
山頂からは関の街並みが眼下に広がりなかなか眺めはいい
かみさんに鐘楼見てくるから待っててと言い残しここまで来てしまった・・・・・当然携帯が鳴る
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関善光寺
山号・寺号 妙祐山宗休寺
創建 / 1753年(宝暦3)
宗派 / 天台宗安楽律法流の寺院
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 岐阜県関市西日吉町35
妙祐山宗休寺HP


下山?したのが13:00、次は昼ごはん
無題
このあたりでは人気店との事でかみさんがコースに入れ込んでくれた「麺屋白神」
おやじは写真の大盛り海老そば、かみさんは軟骨玉子えびそばを注文
秋田産魚醤や富山県産白海老を使ったとろみのあるコッテリ系スープでほんのりエビの香りが漂う
麺はもっちりした中太麺で麺大盛り無料、一口雑炊も無料(昼間のみ)
おいしいですね
個人的な感想は海老は海老だけの方がいいのかなぁ
かみさんは肉で、おっさんは麺でお腹いっぱい
エビを使用しているので甲殻類アレルギーの方は避けるべき
麺屋 白神
住所 / 岐阜県関市巾2-144-6
定休日 / 月曜、第三火曜

本日最後の訪問地は春日神社
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関と言えば刃物の町
関川の傍らに建つ関鍛冶伝承館
春日神社に隣接するので参拝前に訪れようかと思ったが、火曜定休のはずだが駐車場は閉鎖され休み?
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春日神社に参拝です
二ノ鳥居の先に能殿が見えます
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能殿と脇参道方向の眺め
例祭には、古典芸能「童子夜行」がここで奉納されます
この例祭に使用される能装束類は重要文化財に指定されており、普段は神宝殿で保管されていますが
毎年10月第2日曜日の刃物まつりなどで特別公開されている様です
現在の能殿は伊勢湾台風で被災後再建されたもののようです
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社殿全景
拝殿奥に見える本殿の屋根はシートで覆われ修復作業中です
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拝殿全景
鎌倉時代に大和の国から鍛冶刀工が関に移り住んだ
1288年(正応元年)大和鍛冶の出身者により奈良の春日大明神を勧請し、関鍛冶の守護神とし創建したのが始まりと云われています
後に刀工孫六兼元(関の孫六)等により関の刀鍛冶が日本全国に知られることとなった
以降例祭が盛んになり、1433年(永享5)初代孫六兼幸が願主となって同地に再建されたようです
左右に境内社が祀られています、境内には他に関稲荷大明神が鎮座します

春日神社
創建 / 1288年(正応元年))
祭神 / 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
住所 / 岐阜県関市南春日町1

今回車で訪れた​ルート​です、のんびり廻って名古屋到着は16:30でした
連休を避け訪れた関、山々の新緑や山藤がとても綺麗な時期を迎えています    


名鉄常滑線柴田から東へ15分程歩く
ここは名古屋市南区鳴浜町
 千鳥小学校の北側の道路沿いに南を向いて小さな鎮座するのが千鳥神社
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千鳥と聞くと千鳥橋が頭に浮かぶ、鳴浜町とは言うけれど
これは古い記録を見て行こう、いつもお世話になる今昔マップon the webで遡って見た
このあたりは源兵衛新田の東にあたるけれど、新田の開発が1706年(宝永3)と言われるけれど
下は1891年(明治24)当時に千鳥神社の記録は見つかりません
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ここに鳥居のマークが出てきたのが昭和に入ってからでした
名古屋市になってから創建された神社なのかも知れませんね
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小さい神社でありながら、木製の鳥居が建ち、手水舎もあります
警護担当が不在なくらいです
訪れたのは2019/4/23、小さな境内にサツキが咲き、彩を与えていました
左の建物が社務所、今日は何か打ち合わせでもあるのか、社務所からは賑やかな声が聞こえてきます
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鳥居右、自然石に千鳥神社と彫り込まれた社号標
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裏側に回り込んで見ると1958年(昭和33)建之とある
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手水舎です
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龍はいないけれど、立派な自然石を彫り込んで作られた手水鉢
造花ですが鉢の傍らに花が飾られ、何かしらこの神社と氏子の方々のいい関係が伝わってきます
今から盛期を迎えるサツキが小さな境内に華やかさを与えています
杜や桜がある訳ではないので、この時期が一番華やかな頃かもしれません
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周囲は住宅地、南に小学校があり、そうした環境の僅かな敷地を得て神社は鎮座しています
境内奥に一段高く盛られた上、玉垣で囲われた本殿域には笹を背にして三社が並んでいます
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中央の大きな社は熱田社
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右の社は不明
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左も不明
由緒書きがあると助かるけれど

新田開発から発展して来たこの地、やがて住宅が立ち並び人が住む
街の氏神さまとして昭和に入って創建された新しい神社であるけれど
鎮座してから年数を経過していないだけ、氏子達から大切にされているのが感じられます

千鳥神社
創建 /    1958年(昭和33)
祭神 /    熱田大神
住所 /    名古屋市南区鳴浜町6丁目1-164
アクセス /   ​名鉄常滑線「柴田」駅下車東へ徒歩15分​  


番外
千鳥神社から西に少し離れたところで見かけた金色に輝く観音様
  
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福聚観音と幟がある、民家の駐車場の一角に祀られていました

名古屋市東区筒井、通称出来町通りと呼ばれる県道215号線の山口町交差点から南へ
東区役所南交差点を左に向かうと左側に見事な山門が見えてくる、徳興山建中寺です
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道路の右側の建中寺公園も建中寺の境内で公園の南には瓦葺の重厚な山門が建っています
右側には小さな鳥居と社、左に寺号標、門の先から見える公園の先に三門が見えます
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尾張名所図会を目を通すとこのあたりの絵が出てきた
右山門が上の写真にあたり門をくぐると境内の左右には複数の堂宇が描かれています
1651年尾張徳川家第二代藩主徳川光友の父である徳川義直の菩提を弔うため建立された

この門の前で馬を降り参拝した様ですが、今はその先の本堂前の境内に若干の駐車場があり手軽に参拝する事が出来ます
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山門右の社
中のお札から津島社の様です
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山門から見た建中寺公園と参道の先に三門
訪れたのが4月1日、折しも公園の桜も咲き始め彩りを与えてくれる時期でした
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公園の桜は参道両脇に植えられ見頃までにはあと僅か
待ちきれず桜を見に訪れる親子連れも多い
公園北側の道路の先が三門、二層の造りのどっしりとした門です
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方火門
三門の右にあり、現在はこの門の先は建中寺幼稚園の園庭となっています
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扉に施された金の葵紋に威厳を感じます
門の左に尾張德川文化を巡る案内板が掲げられています
(地元でありながらコンプリートには程遠い)
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上段三門左に名古屋市教育委員会の解説板から一部抜粋
「徳興山と号し、浄土宗。慶安4年(1651)尾張二代藩主光友が、藩祖義直の菩提のため創建。
成誉廓呑上人を開基とし、以後尾張德川家歴代の廟所なった。」
下段 陳元贇墓所の石標 
 明の帰化人で詩書をはじめ製陶や拳法など多芸多才の持ち主、晩年は徳川義直に招かれて詩書を講ずるかたわら、瀬戸産の土を用いて陶作に妙技をふるった
陳元贇はこの地で没した、その墓所が建中寺にある
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尾張名所図会の三門から本堂にかけての記録
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三門(名古屋市指定文化財)
二階部分は釈迦牟尼仏を中心に十六羅漢像が祀られるが一般公開はしていない
1651年(慶安4)の創建当時の建築物で、総檜造りで三間重層門と呼ばれる建築様式
幸運にも戦災に遭う事もなく今も当時の姿を留めます
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三門の先に漸く本堂が見えて来ました
門の扉にも葵の紋が輝く
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三門から境内へ
左に手水舎、お地蔵様が見守る手水鉢
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本堂
1785年(天明5)の大曽根の大火で延焼し門を除き焼失してしまう
現在の建物は1787年(天明7)に再建されたもの(名古屋市指定文化財)
入母屋造りの瓦葺きの建物は市内の木造建築物としては最大と言われています
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本尊阿弥陀如来
開山廓呑上人が結城弘経寺から招来したとされ、止利仏師作と言われる
大火の時は持ち出して無事であった
見事な彫が施され煌びやかな堂内です15
本堂から三門を振り返る
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鐘楼
三門東側の幼稚園敷地の一画に建つ​、​1787年(天明7)に再建されたもので
瓦葺きの入母屋造りで袴腰つきの鐘楼です
袴腰付鐘楼の様式は鎌倉時代に流行ったもので、他にも相応寺や大龍寺などで見かける事が出来ます
四方が吹き抜けの鐘楼に比べると存在感があります
内部に吊るされた梵鐘は戦時中の供出を免れ現在も残っています(名古屋市指定文化財)
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本堂右の経堂
漆喰で塗られた二層の堂は棟札によると1828年(文政11)まで遡る
内部の八画輪藏内には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経五千八百巻が納められ、実際に輪藏を回転させることができる(要入館料)
現在の堂は2004年(平成14)に修理を受け、境内で白く輝いています
八画輪藏は善光寺や高野山に参拝に行かれた方は見覚えがあるかと思います
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書院
本堂の右側に建ち、唐破風が印象的
1964年(昭和39)に再建されたもの
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不動堂(明王堂)
手水舎の左に建つ堂で「東海三十六不動尊霊場 南無大聖不動明王」と書かれた赤い幟が並んでいます
現在の建物は1969年(昭和44)に再建された様です、佇まいはなかなかのものです
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本尊は不動明王
江戸時代から尾張徳川家の戦勝を祈願する秘仏として受け継がれている
堂内正面に前立て本尊の不動明王が祀られています
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地蔵堂
不動堂(明王堂)の左に建つ小さなお堂で、内部には2体の地蔵様が祀られています
尾張名所図会が描かれた当時、既に建立されていて右隅に小さく描かれていました22
開基堂
不動堂(明王堂)の左に建つ寄棟瓦葺のお堂
棟札によると、火災消失以降の1786年(天明6)に再建されたもので
内部には歴代住職の位牌と開山上人中興上人の木像が安置されているという

開基堂から左へ、本堂脇の参道に向かいます
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開基堂から左に進む
桜の美しさも見事ですが、後方に祀られた巨大な馬頭観音に足が止まる
ここから先は桜並木と複数の碑が並びます
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参道の突き当りを左へ
石畳の先に木陰の下に佇む小さな山門
陰影の中で葵の紋だけが浮かび上がっている25
至る所に葵の紋が施され、尾張德川家菩提寺の風格を感じます
当時の伽藍もそれに見合う大きな規模のもの
現在は境内を車道が横切り、公園や幼稚園も併設され随分と様変わりしました

徳興山建中寺
建立 / 1651年(慶安4)
宗派 / 浄土宗
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 名古屋市東区筒井1丁目1番57号
アクセス / ​基幹バス2「山口町」下車南へ徒歩10分程

2019/04/01撮影

下は2017年の御朱印
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