尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2019年06月

名古屋市南区呼続2
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 ​地蔵院​から、東海道の名残が残る道筋を北に進み​熊野三社​から更に北へ
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道は緩やかに山崎川に向かって緩やかに下る「山崎の坂」です

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山崎の坂の途中の右側に「曹洞宗 竜雲山 法泉寺」の白い立て看板と、宿駅制定400周年記念で建てられた東海道の道標があります
その先は車一台がやっと通れるくらいの細い道が伸び、先で直角に右に曲がっているようです
ここが「法泉寺」への入口
正面左に秋葉社の玉垣が見えますが、今回は法泉寺の仏像拝観が目的なのでこちらは次回記載とします
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入口から法泉寺に向かうと正面に句碑が建てられています
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 この句碑が法泉寺と所縁があるのかは分かりませんが、碑の左側に刻まれた元号は寛政五(1793)と見えます、随分と古い元号ですが白泉?・・・・・良くわからない
奥に見えているのが先程の秋葉社です
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道はそこから直角に右へ曲がり法泉寺境内に向かう上り坂となります
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傾斜地に石垣を積み、その上に境内が作られているようです
坂の途中に南を向いて山門が立ち、正面に本堂、その右が庫裏の伽藍
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 瓦葺きの山門の左には地蔵堂
土壁の白や真新しい瓦を見る限り近年に建替えられた様です
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地蔵堂には二体のお地蔵様が祀られています
赤い前掛けを付けてもらい、山門から訪れる人々を見守っているようです
正面から地蔵が彫られた年代を知る事は出来ませんでした
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山門扁額「龍雲山」
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 東海四十九薬師霊場第三十一番札所の表札が右手に掲げられている
三重、愛知、岐阜、静岡に跨る薬師如来を巡礼するものですが、満願にはとても程遠い
いつか纏めたいものです
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瓦葺き寄棟の法泉寺本堂全景、正面には見事な枝振りの楠が聳えています
境内から西を眺めると、街並みは眼下に広がり、ここが如何に高台であるか分かると思います

今ではとても海を望めませんが、海岸線が近かった頃には熱田から東を眺めた時、この地域の高台がまるで海に浮かぶ巨大な松の島に見えたことから松巨嶋と呼ばれたそうです
13.5
本堂扁額
本堂を拝まさせて頂こうと向かう、留守?
引き戸が開くものか確認してはいないけれど、これ以上は控えました
こちらの本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩は弘法大師作と言われ、是非ともお目に掛りたかった
楽しみに訪れたものの、時には諦めも必要、またの機会とします

法泉寺はその昔、尾張国愛知郡井戸田に薬師寺という寺があった、 弘法大師の巡錫を期に真言道場として栄えたと云われます
 一時は荒廃するものの、1642年(寛永19)二代壽公和尚が当地に再興、後の寛政年間に曹洞宗へ改宗、龍雲山法泉寺と改められたと云われます
ここから南の薬師通りの名の由来は、法泉寺の薬師詣りの名残りとも言われるようです
こうして訪れると、外観から受ける印象とはかけ離れた古刹である事が分かります
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本堂右に以前の鬼瓦が飾られていました、手水鉢の前には愚痴聞き地蔵でしょうか?
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小さな像ですが細めた眼で聞き耳を立て、なんとも穏やかなその表情は妙に癒される
ついつい目が三角になりがち、こうありたいものです
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東海道を下に見る高台に佇み、豊かな緑に包まれた境内
小さな石仏の表情が心を癒してくれる法泉寺です

建立 / 1642年(寛永19)
宗派 / 曹洞宗
山号 / 龍雲山
寺号 / 法泉寺
本尊 / 薬師如来
住所 / 名古屋市南区呼続2-1-21
アクセス / ​名鉄名古屋本線「呼続」下車 南へ徒歩5分程

昨年植えたコキア
3月頃に​大量発芽​、間引きを繰り返しコキア畑は回避できた
コキアの居座る場所に見慣れぬ植物が発芽してから数か月

ひとり生えの植物の正体がスイカと分かり、花をつけ、受粉し、小さな実を付けた
その身の膨らみ方たるや、朝、晩で成長の度合いが目に見て分かるようになってきた
近頃はその成長を見守るのが楽しみになってきました無題
熱帯低気圧から「令和初」の台風に成長し、東海沖をやってくるとの事で
縞もはっきりし、重みを感じる程成長した実
さぞかし重いだろうとベットをプレゼントしてみた

台風の風はそれ程でもなく、現在は房総半島に向け進行しています
ベットの上で一晩落ち着いていたようです
蔓を良く見ると、他にも実を付けています

ダンゴ虫や蟻、そして最強のヒヨドリ夫婦とカラス軍団、彼らに啄まれるのは目に見えている
ブルーベリーも今年はついに実らなかった、実るべき花が全て彼らの胃袋を満たした様です
胃袋を満たすのも必死、成長を見続けたい側も何か考えないと
最近はかみさんも成長に驚き、見守り隊に参加するようになった

そもそも、ひとり生えに心当たりは
・・・・・ある、それはおやじ

頑張れひとり生えスイカ

豊川市上長山町本宮下
三河國一之宮「​砥鹿神社里宮​」から車で40分程北へ、本宮山スカイライン(無料)を経由し本宮山へ
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頂は巨大なアンテナが立ち並ぶ
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 その南側に広がる三河國一之宮『砥鹿神社奥宮』駐車場(無料)
駐車場には芝生広場が広がり、そこには赤い鳥居があります
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鳥居の左の岩戸神社、国見岩を経て奥の院に続く入口ですが、あまりお勧めはません
乳岩渓谷を徘徊し夫婦共に多少足に来ています
・・・・・本来は下の一丁から歩くものでしょうが
今回は山頂からお手軽に一の鳥居を経て奥宮を参拝します
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駐車場の東外れに奥宮に導く看板が掲げられています、この案内に従って歩いて行きます
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5分程東に歩けば木陰の下を歩く参道に至ります
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駐車場から徘徊しながら10分程、やがて正面に巨大な一の鳥居が正面に見えて来ます
実はここまで車で入る事が出来ます
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古びた石灯籠と奥宮社号標、その先に二ノ鳥居
年輪を重ねた木々が囲み、真夏のような陽射しを遮り、参道は涼しい木陰の中を伸びていきます
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二ノ鳥居扁額
6.5
 参道右の赤い鳥居、この先は男道と女道に分かれ岩戸神社奥ノ院へ続く参道口
疲れた足で男道へ安易に進まないのが賢明かも
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杉の幹の袂に小さな石の社と四十九と記された丁石標
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 参道は開け御神木とその前の参籠所へ、「大福釜」と呼ばれる大きな釡が置かれています
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参籠所から先は石段に変わり奥宮拝殿に続き、右上に奥宮本殿も見えています
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石段の登り口の右側に「守見殿神社」
祭神 / 大己貴命の和魂
毎年1月6日に行われる宝印祭では、無病息災を叶える秘伝の宝印が授けられるそうです
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 ここまでの道中で砥鹿神社の豊な杜が印象に残ったけれど、それが県指定天然記念物とは知らなかった
この自然はいつまでも守り継いでいきたいものです
11.5
上段
山中に鎮座する小さな社、乙女前神社の遥拝所
大山祇命、天鈿女命、少名彦名命の三神を祀ります、今回は遥拝所から参拝
下段
富士遥拝所付近から東の眺め、季節と条件が合えば綺麗な富士を拝めるようです
登山では見かける富士ですが、夫婦ともども下界からそれ程お目にかかった事がない
そんな夫婦が富士の出現率が一番低いこの時期に拝もうなんて
・・・・・当然無理な事です
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砥鹿神社奥宮拝殿と社務所
入母屋造りの檜皮葺の拝殿は軒から先端にかけての反りの曲線が美しいと思います

社務所を含めて一枚に納めるには厳しく境内は意外に狭い
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参拝道の石段途中から拝殿正面の全景
軒反りが綺麗なんだけど、これ以上は下がれません
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奥宮拝殿前の狛犬、にたっと笑っている様にも見れる
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拝殿扁額と拝殿内の眺め
神紋の亀甲に亀卜(キボク)のついては​砥鹿神社里宮​の所でも書いたように、鹿の角ではないようです
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参拝道の最後の石段から見た神域
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その傍らの丁石標は五十丁、少し下ってみる事に
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四十九丁付近の『荒羽々気神社(あらはばき)』
あまり聞き慣れない社名です
祭神は大己貴命の荒魂を祀り、健歩健脚の守護神
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そこから下を眺めると『八柱神社』が見える、もう少し下ってみよう
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『八柱神社』全景
田心姫命、湍津姫命、杵島姫命、天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命の八柱が小さな社に祀られる
家庭の和楽、朋友の親愛の道を守護し善導される神徳があるとされます
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上、めいめい岩、手を使わずにこの岩をひと廻りできると願いが叶うそうな
下、心霊懲りしろ、周辺には天の磐座が点在します
もう少し下って見ます
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第一神域入口の鳥居まで下りて見ました
キスマーク「下まで降りる気ですか?」
鳥居から下を一応確認、間近に社やスポットも見えないので漸く、ここで戻る事にします
登りかぁ・・・・・
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参道で見かけた近隣観光マップと本宮山の自然を学ぶ掲示板
「ふるさと自然の道」と称する様です

今年はカワセミも見ていない、ウグイスの声を聞くこともなかった
我家の周辺でふるさとを語るものとは何だろうか?
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奥宮御朱印

三河國一之宮 砥鹿神社 奥宮
創建 / 701~704年(大宝年間)
祭神 / 大己貴命
住所 / 愛知県豊川市上長山町本宮下4
アクセス / ​砥鹿神社里宮から本宮山スカイライン経由、車で40分程

名古屋市南区呼続3丁目、秋葉神社
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 東海通の「呼続小学校前」交差点、この交差点を左右に伸びるのが東海道
左に行くと​清水稲荷​、右に行くと​地蔵院​も近い、この交差点を東に向かい歩いて行きます
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道の先は名鉄名古屋本線の踏切、目と鼻の先に「桜本町1」交差点
せっかく信号が変わっても電車が通るとさっぱり進めない残念な場所です
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「呼続小学校前」方面から残念なタイミングで遮断機が降りてしまったら、是非とも北側方向を眺めて下さい
その場所は市バス呼続バス停の東、2本の街路樹が目印になります
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南側の車線から見た秋葉神社全景、シャッターが降りた玉垣のある建物の二階ベランダにご注目下さい
そこには南を向いて祀られた秋葉神社が鎮座しています
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 とても見晴の良い場所から見下ろしています
電車が通過するまでの時間、この光景は退屈しないと思います
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屋根神は随分と消えてしまっていますが、ベランダに祀られた神社の光景を見るのは初めて
これは屋根神の進化系なのだろうか
夕陽に浮かぶ社のシルエットは印象的
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 秋葉神社が祀られる建物、「呼続町5丁目公民館」と表札が出ています
その右には「呼続三丁目14」の住所表示があり、どういう区割りなのか?と考えさせられる

現在の呼続町5丁目は富部神社から南東の本笠寺辺りになります
呼続町は1897年(明治30) 町制施行により呼続村から呼続町に改められているようなので
当時の名残りを留めたものかも知れません
左の玉垣の表札に「秋葉神社」と記されている事から、それだけは間違いない様です

左右に幟立てもあり、祭礼の際には神社幟も立てられるようです
右に平成4年(1992)改修とあります、改修以前からここに鎮座したのか、どこからか遷座したものなのか詳細は分かりません

公民館と神社が同居する事は珍しい事ではありませんが、住民が集う場所に祀られている限り
荒廃して行く事はないのかも知れません
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歩道から見上げたベランダに建つ秋葉神社
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 見落としたかも知れませんが、賽銭箱は見当たりませんでした
歩道から見上げる社は目の前にあるけれど、近くて遠い社です
通りすがりに足を止め、上を見上げて手を合わせる
それで充分なのかもしれませんね
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バス停から東方向の秋葉神社の眺め、呼続の街を高みから見守る、そんな佇まいを感じます
遮断機が上がるまで、変った神社もあるものだと眺めて見るとイライラも少しは解消されるのでは
2019/06/25

「秋葉神社」
創建 / 不明
祭神 / 迦具土神
住所 / 名古屋市南区呼続3丁目14
アクセス / ​地下鉄桜通線「桜本町」駅下車、南へ徒歩5分程​    

知多郡武豊町東大高池田「知里付(チリュウ)神社」
普段は訪れる参拝客も少ない、静かでほっこりする様な神社なのではないかナ
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訪れた当日は名鉄電車の「歩いてめぐる知多四国霊場」のイベントに重なっていた事もあり
参道やら脇道から参拝客が途切れる事なく訪れ、人が写り込まない一枚を撮るのに随分と待つ事に
(かみさんもこのイベントに参加、今頃ガンガン歩いているはず・・・・・)
話を戻し
こちらの神社参道は参道口の社号標や常夜灯から、鳥居まで真っ直ぐに続きしかも長い
いかにも郊外の神社らしい伸び伸びとした印象を受けます、今は桜や梅の葉の緑が両脇を彩りますが
花が咲く時期には参道の光景も一変し、華やかな表情を見せてくれるのではないでしょうか
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鳥居から拝殿の眺め
一面玉砂利が敷き詰められた境内は、開放感のある印象を受けます
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境内左に撫で牛
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撫で牛の後方が手水舎、右に見える鳥居は後ほど紹介しますが「浦島神社」です
まずは拝殿に向かいます
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切妻瓦葺の平入拝殿は木の温もりを感じるもので、派手な飾りのない落ち着いた外観です
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そんな拝殿の前を守護する狛犬、随分とフレッシュマンの趣が漂っています
風格が備わるまで「しばしお時間を下さい」的な佇まい
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拝殿右から眺めた知里付神社本殿
流造の本殿は人目を引く派手な飾りのない一見シンプルな造りです
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イロハモミジの彩と本殿細部に彫が施され、シックで美しい佇まい
由緒書きには以下の様に記されています
「この社は、垂仁天皇26年菊月(紀元前4年)、少彦名命を祀って創建され、天暦9年(955)に北野天満天神を相殿として合祀されたと伝えられている。
社宝の「あけずの箱」は浦島太郎が竜宮から帰郷するとき乙姫から贈られたもので、滅多な事では開けられず中身は不明という。
古老によると、明治時代干ばつの年、宮司がこの箱を浦之島の沖に船で運び出し、祈祷を捧げ箱のふたを払うと、遥か彼方に雨雲が浮かび大雨が降ったという。」
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本殿左の樹齢100年を超えるイロハモミジの大樹
その両脇に横一列に6社が祀られています
左から順に山神社、稲荷社、春日社、津島社,神明社、八幡社と並び、その右に本殿が綺麗に並びます
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山神社の左に狛犬と小振りな石鳥居を持つ熊野神社が鎮座します
玉垣等の奉納年月日は平成に入ってから奉納されたもの
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熊野神社の参道を守護する新入り達です
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熊野神社の左が秋葉神社
様式は熊野神社と瓜二つ
玉垣なども熊野神社の奉納年度に近く、氏子の方々の力強い支援を感じます
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秋葉神社の参道を守護する狛犬達です
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手前から秋葉神社と熊野神社の全景
千木、鰹木が施された熊野神社の社は引き立って見えます
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鳥居の左に石鳥居と小振りな狛犬を持つ「浦島神社」
玉手箱については由緒書きに記されていますが、神社の由緒は「武豊の伝説」に「村人により浦島太郎を敬い知里付神社境内に建立した」とまでは出てくるが、創建、祭神等の情報には辿り着けなかった
これを書く時点では祭神は浦嶋子と思われます
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境内の社は全て南を向き鎮座する中、二段に積まれた石垣の上に祀られる社は唯一東を向いて鎮座します
社号標に始まり鳥居や狛犬に至るまで、全てが近年奉納された様です
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全ての参拝を終え振り返る
到着した電車の時間に合わせ、参拝客の集団が訪れては途切れまた増える、まるで波の様に
浦島伝説に魅かれ訪れる方は多い様です
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境内右に建てられた由緒書き
この地には乙姫橋(竜宮を訪れた太郎を乙姫が迎えた場所)、負亀の松(太郎が助けた亀が住んでいた場所)、浦島橋(浦島川に架かる橋で亀に乗り竜宮に向かった場所)、竜宮神社​(竜宮を偲び太郎が建立した神社)、特別開帳はされないけれど社宝の玉手箱等、この地がその舞台であった所縁のあるスポットは揃っているようです
2019/05/18
知里付(チリュウ)神社
創建 / 紀元前4年(垂仁天皇26年)
祭神 / 少彦名命 相殿 北野天満宮
浦島神社
創建 / 不明
祭神 / 浦島太郎(浦嶋子)
住所 / 知多郡武豊町東大高池田34

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