尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2019年07月

名鉄「小幡」駅から県道15号線(名古屋多治見線)を北に歩いて見ようと出かけて見ました
エアコンが効いた電車を降り、炎天下の歩道を歩き始める、進行方向には真っ黒な雲が垂れ込めています
長慶寺辺りから大粒の雨がポツリ〃・・・・・傘はない、歩きを早める
目的地の一つ、小幡緑地西園付近の「白龍社」に辿り着いた頃にはバケッをひっくり返したような豪雨
1
 取り敢えず「白龍社」の全景を収め、隣接するスーパーの立体駐車場で雨宿り
スーパーの駐車場は瞬く間に池の様に、体は既に全身ずぶ濡れ
西は陽もさし直ぐに止む事を願い雲が過ぎるのを待つ
2
・・・・・なかなか止まない、というのか雲が動かない
傘買うか?しかし濡れ鼠で店内に入るのもなんだかな
ザックの中を探すと存在すら忘れていたよれよれのパーカーが出てきた
それを着て雨の中「白龍社」に戻る

写真は歩道沿いから見た白龍社、奥が雨宿りさせてもらったスーパーの駐車場
神社はスーパー駐車場の一画を割いて祀られています
7
上の左は大正頃のこの辺りの地形、右が現在、赤丸が白龍社
ここから東は明治から小幡射撃場として使われ、当時は周辺は水田と集落が点在し、古墳が点在する一帯
現在も住宅街の中に墳丘が残り「​小幡長塚古墳​」や「​瓢箪山古墳​」など保存されています
社のある一帯も田畑から大きく変貌していくのですが、白龍社の創建がいつなのか、当時からこの位置だったのか良くわからない
3
当時、田畑が多かったので、雨を司る龍神が祀られる事になったのかナ
4
歩道沿いに南を向いて祀られる社、南北に細長い狭小の境内で木造の鳥居の直ぐ先が社
5
 祭神が樹木主之金光白龍大神、昇天家守之大白龍王、金工光白龍大神とあるけれど
馴染みがない
由緒書きがあるといいのですが、由緒を知る術がないのが残念
ここから推測になりますが、創建は戦後に射撃場から一帯の開発が急速に始まった頃ではないでしょうか
何れも白龍と付く事から、五行説の西を守護する龍神で、東の小幡を守護するものでしょうか?
金工とはなんだろう、ここから西に「金屋」という地名があり、ここなら金工は分かるけれど・・・・・
これ以上考えるのはやめよう
6
 それにしても雷は鳴るは、叩きつけるような大粒の雨
ゴールのスーパー銭湯は諦めるとしても、もう一つ行きたいが・・・・・ズボンはベタベタ
「今日はこれ以上北上するな」龍神が言っているようにも思えてくる
2019/07/30

白龍社
創建 / 不明
祭神 / 樹木主之金光白龍大神、昇天家守之大白龍王、金工光白龍大神
住所 / 名古屋市守山区小幡3丁目7
アクセス / ​名鉄瀬戸線「小幡」下車、県道15号線を北へ徒歩約20分


台風も去り、照りつけるような真夏の日差しが戻ってきました
0000

空には夏雲が沸き立ち、この地方にも梅雨明けが宣言されたようです
セミの鳴き声に活気が出てきたように思えます
00
おやじが昨年外で食べていたスイカ
その種がいつしか発芽し、花を咲かせてついには実を付けました
これまでその成長を楽しませてくれた​「ひとり生えスイカ」
何か特別に手を掛けた訳でもないけれど、カラスやダンゴムシにも負けず良くここまで成長したものです
ある意味自然のパワーみたいなものを感じさせてくれました

朝晩で成長の度合いを感じていたスイカも大きさに変化が無くなって随分経過しました
指で叩くとあのスイカの熟れた音が帰ってきます

となれば、自然の恵みに感謝し美味しく頂くしかありません、収穫の時です
片手でスイカを持って見れば、ずっしりとした重量感
勝手に生え、ここまで成長した事に驚きです、その直径は20㎝程
000
期待をせず割ってみたところ、ご覧の様に見事に赤く熟していました
ちゃんと次の世代まで準備が出来ています

早速かみさんと自然の恵みを頂いてみました
充分な糖度もあり、流通しているものと遜色のないもの
これには二人共驚きです、買った物でさえ外れもある中で
一人生えはそれを超えるものがあります、おいしく頂く事ができました

次の世代はおやじが再び土に戻します
上手くすれば来年も、循環型の家庭菜園か?

かぼちゃも同様に埋めていたところ、それも花を付け期待を抱かせました
残念ながらダンゴムシの餌になってしまいました

種を撒いて一人生えの成長を眺める、自然のパワーを感じる面白いものです
今日は散歩で見つけたムカゴを数粒持ち帰り発芽するか試す事にしました

調理で出た種は土に戻して見よう

東海道笠寺一里塚
2

名鉄名古屋本線本笠寺駅から​笠寺観音​の山門を左に見ながら、旧東海道を東へ15分程歩いて行きます
道は緩やかに下りとなります 
2
 街道の面影が残る道の先に、見事な枝振りの1本の大木が見えて来ます

左が今歩いて来た笠寺観音方向、右手は笠寺公園方向へ続く交差点の角に先ほどの大木が聳えています
街並みの中に聳える1本の大木はとても存在感があります
4
旧東海道の目印となっていた笠寺一里塚です
小高く盛られた塚の上を覆う様に根が張っています
この大木の正体はエノキ、随分遠くからでも見えるはずです
5
一里塚の前の解説板、このエノキの役割が記されています
江戸日本橋を起点に京まで続く東海道の約4㌔(1里)毎にこうした塚が作られ、旅人の目印となる木が植えられたそうです、その数124、ここは88里の一里塚になります
当初は路を隔てた南側にも塚があり、そこにはムクの木が植えられ、その二つの塚が一つの一里塚として対をなし、大正の頃までは残っていたようです
南側が無くなったきっかけは分かりませんが、市内に残るものとして笠寺一里塚だけの様です

県内では残存する一里塚は、愛知県豊橋市東細谷(71里)、愛知県岡崎市大平町大平(80里)、愛知県知立市来迎寺町(84里)、愛知県豊明市阿野町(86里)と笠寺一里塚の5ヶ所
6
 空を覆い尽くす様に伸びる枝は、支柱で支えなければ樹形を保てない程の枝振りです
7
 この榎は都市景観保存樹に指定され、根は塚を鷲摑みするかの如く大きく張っています
自然の力強さが伝わってきます
1
一里塚から笠寺観音のある西側の眺め
多宝塔の屋根と宝珠が辛うじて確認できます、一里塚の榎や特徴のある建物は、旅人の重要な道標
マンションや住宅が建ち、景観は変わっていきますが、今でもこの一里塚は目立つ存在です
8
一里塚から北の見晴台考古資料館のある笠寺公園方向の眺め、この高低差が笠寺の台地を示しています

ここまで下って来たので帰り路は登らずに・・・・・携帯に聞いてみよう
便利になったものです
2019/07/25

旧東海道笠寺一里塚
住所 / 名古屋市南区白雲町
アクセス / ​名鉄名古屋本線「本笠寺」駅から東へ徒歩15分

長久手市神門前『神明社』
江戸時代は長久手村、岩作村、前熊村、北熊村、八草村があったけれど合併を繰り返し
現在は長久手市となり、自然豊かな住みやすい街として活気のある地域です
1
愛・地球博記念公園の観覧車を背景に手前の高架をリニモが音もなく走り
その下を県道521号線が猿投クリーンロードへと続きます、この手前はIKEAになります
2
グリーロード、愛・地球博に伴う造成等でこの地は大きく様変わりしたものです
以前はこうした田園やこんもりとした里山が広がっていましたが、随分と少なくなったような気がします
写真はIKEA北側から神明社の杜の眺めです
観覧車が無ければ緑豊かな昔の原風景そのものです
3
この辺りは古くから人が住み、古墳群が点在する地域で、現在のグリーンロードの工事の際は一部の古墳が工事範囲となり、調査、保存される程の歴史的遺産が残ります
そうした古墳群の中に神明社と付く古墳も存在します、長久手市神門前の「神明社」が正にそれです
広大な境内には4つの古墳が点在するそうです

鮮やかな稲の緑が美しい田んぼの前に由緒を記した石碑、左に社号標と古びた石鳥居があります
参道はうっそうとした杉の杜の中に消えていきます
4
全体に風化し、笠木等は黒ずんだ石造りの八幡鳥居は、江戸時代初期の1662年(寛文二年)のもので、長久手町指定文化財(平成9年)に指定されているもので県下でも古い部類に入るものらしい
(長久手町は2012年(平成24)長久手市となる)
5
鳥居左の解説板
神明社は神明鳥居が建てられるのが一般的と云われる中、八幡鳥居が建てられたことは特異な例と紹介されています
6
その左にも苔生した解説板らしきものがありますが、内容は読む事が出来ない状態
7
鳥居から杉に包まれた参道の眺め、街中ではお目にかかれない長い参道です
遥か先に二ノ鳥居その先に石段が見てとれます
8
神路橋を渡ると二ノ鳥居の先の石段の先に拝殿が姿を現します
左に手水舎、手水鉢があり、脇参道が続きます
9
二ノ鳥居は苔生した神明鳥居
針葉樹が多いためでしょうか、風はあまり抜けて来ません
10
石段を上がれば境内です
11
杜の中にぽっかりと大きな空間が広がります
入母屋瓦葺の吹き抜け拝殿と狛犬、その先は異様に高く積まれた石垣の上に透塀が本殿を囲んでいます
落ち着いて趣のある神社だと思います
12
本殿前に狛犬が一対
13
外観は緑色に苔生し、石本来の地色は失せています
良く見かける色白の可愛い表情とは一味違う凛々しい姿です
奉納年を見たかったけれど、狛犬達の周辺に護衛の蜂が多数飛び交い、これ以上近寄る事を許してくれませんでした
本殿の石段の隙間に巣がある様なので要注意です
14
本殿外周を一周する路があり一周してみます
北側からは流造の本殿と幣殿、複数の末社を望む事が出来ます
15
東側から眺め
ここから見ると本殿以外に右に三社、左に二社の社が見えます
神明社が創建された時代は定かではないようです

この本殿は境内にある4つの古墳のうちの一つの上に鎮座しています
古墳の石室で使用されていた石が神社の基礎部分に流用されている?とも言われています
記録を遡ると江戸時代の1670年頃まで辿る事が出来る様です

当初の末社は児神、八王子、八幡、白山、三狐神の五社を祀り、三狐神は後に境外に移され一時期は四社となった様です
明治に入り山神、斎宮司、御鍬神社、秋葉社、天王社を合祀、後に津島社が合祀され、五つの社に九社が
祀られているそうですが、ここからではどれがどれなのか・・・・・
16
拝殿に戻ってきました
こうして本殿域を見ると、古墳の上にあると云われると頷ける
17
周囲は緑の田んぼが広がり、その外れにこんもりとした里山がある
北熊村の氏神様が神明社です
ここを訪れると少し前の日本の原風景を感じる事ができます

かみさんの買い物も終わった様です、長い参道を戻りお迎えに行きますか
2019/07/04

神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
住所 / 愛知県長久手市神門前13
アクセス / ​地下鉄東山線「藤が丘」⇒リニモ「公園西」駅下車、徒歩5分程

名古屋市瑞穂区瑞穂通1丁目『秋葉神社』
1
瑞穂区を南北に縦断する環状線
片側3車線の道路は交通量は多く、車で走ると制限速度は何キロなのよ?と感じる程の早い流れと
路上駐車も多く「落ち着いて走れない」道路の印象が強い
そんな環状線も早朝は行き交う車は少なく、静かで落ち着いた表情となります
(写真は環状線博物館前交差点から『秋葉神社』のある桜山交差点方向の眺め)2
市営地下鉄桜通線「桜山」駅4番出口から地上に出ると目の前が秋葉神社
とても便利なところですが、車で訪れると不便な場所です
歩道沿いに狛犬がいて玉垣かある、とても身近にある神社
3
神社全景
硬質な印象の街中にあって、木造の神明鳥居のナチュラルな色合いは存在感があります
歩道沿いの提灯掛、まもなく天王祭が近い事を道行く人々に告げています
祭となれば屋台、子供の頃はこれが結構待ち遠しかったものです
4
歩道際から神社を守護する狛犬の面々
郊外の神社とは違い、ここは人通りも多くさぞかし忙しいだろう・・・・・表情には現れていないが
5
常夜灯の奉納年は1808年(文化5)と彫られています
随分と古くからここに鎮座しているようです
無題
少し前のこの辺りの移り変わり
左上が明治、右が大正、左下が昭和中頃、右が現在
赤い丸が秋葉社の位置で、緑の線は塩付街道です(信州に塩を運搬した江戸時代の街道です)
明治、大正時代は田園と東部の丘陵地帯の雑木林と畑が点在する長閑な地域、そこを真っ直ぐに続く塩付街道が見てとれます、当然環状線などありません
新田開発のため街道の西に十五軒の集落が出来ます、そこから十五軒屋と呼ばれますが、秋葉神社は集落の北外れに位置しています
地図上で神社を示すものは見えませんが、常夜灯の奉納年が1808年なので既に当時から鎮座していたものでしょう
都市開発で大きく変貌しているので、それに伴いここに遷座された可能性もあるかもしれませんね
6
境内は東西に短く、南北に長い敷地で鳥居をくぐるとすぐ右に手水鉢があり、正面は社務所兼集会所の様です
7
南を向いて四方が吹き抜けの瓦葺拝殿と本殿が並ぶ
それにしても境内に対しこの位置関係、周辺から遷座したのでは?と感じてしまう要因でもあります
8
拝殿から渡廊の先の本殿を眺める
9
渡廊の先に、6本の鰹木と内削ぎの千木が施された本殿・・・・・女神を祀っているの?
俗説ですね
祭神 / 火之迦具土神
10
本殿右に津島社
11
軒下の吊り灯籠
陽が落ちてから前を通りがかると、街灯りの中でぽっかりと神社のある一画だけは別世界
この吊り灯籠の明かりが拝殿を照らし出しています
12
この地の氏神として今日までの移り変わりを見続けてきた秋葉神社
見上げる様なビルに囲まれてこれからも受け継がれていってほしいものです
こちらを訪れた際には、塩付街道に佇む「​みやみち地蔵​」や「​川澄地蔵​」等のお地蔵さんもすぐ近くです
歩いて訪れれればとても身近、車で訪れるにはとても遠い存在です
2019/07/13
『秋葉神社』
創建 / 不明
祭神 / 火之迦具土神 
住所 / 名古屋市瑞穂区瑞穂通1丁目35
アクセス / 市営地下鉄桜通線「桜山」4番出口

↑このページのトップヘ