尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2019年09月

名古屋市北区楠味鋺
東龍神社から西に5分も歩くと「味鋺神社」に至ります
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神社正面全景
鳥居の先の番塀が目に留まります
左の山門は僧行基が建立し、自ら刻んだ薬師如来座像を本尊とする真言宗智山派の護国院が隣接しています(護国院は別の機会に記載します)
正面の眺めは神仏習合の名残が漂います、味鋺神社は護国院の鎮守だったらしい
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以前掲載した東龍神社は味鋺神社の境外末社
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参道の左右に略記と名古屋市教育委員会の解説が掲げられています
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創建年代は不明、延期式神名帳(901~930年)に「尾張国春日部群、味鋺神社」の記載が残り、祭神の宇麻志麻治命は物部氏の祖神とされます
古くは味鋺の原で、多くの古墳が点在した事から百塚と呼ばれ、その多くは当時勢力を誇った物部氏の遺跡ではないかと言われています
お隣の護国院を訪れると小さな堂があり、そこには石棺(岩屋堂古墳から出土)が収められています
江戸時代には六所明神とも呼ばれた時期もあったようです
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こちらでは古来流鏑馬が行われていたようで、始まりは1093年(寛治7)と古く
南に間近に迫る庄内川の堤に矢を放ち、ご利益を求め見物客が競って矢を拾う神事
第二次世界大戦の開戦にともない、それも途絶えてしまったようです
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参道右に百度石
境内は右に手水舎、社務所、中央に番塀、その先に神楽殿と拝殿の伽藍で
左側に複数の境内社が並んでいます
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境内右の石橋
名古屋城と犬山城を結んだ稲置(犬山)街道の石橋(清正橋)がここに保存されている
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境内右の竣工碑、戦没者慰霊碑
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手水舎(右)と社務所、常に人がいる感じではなさそうです
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重厚な石造りの番塀前からの眺め
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切妻、瓦葺で四方が吹き抜けの神楽殿
左に境内社が本殿方向に一列に祀られています
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手前から
赤い社の津島社、洲原社、秋葉社、稲荷社・斎宮社、山神社、天神社、金刀比羅社、日神社・神明社、熱田社と並びます
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すべての社は表札が掲げられていて、このように解説も整備されています
とても有難いものです
「農村味鋺」、その風景も随分少なくなってきました
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拝殿右の遠目に神馬?と思っていたけれど
この像は流鏑馬の記念像、空に向け矢を放つ躍動感のある像です
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透塀の先の狛犬
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扁額
現在の社殿は1992年に改築されたようです
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拝殿から本殿の眺め、神紋は橘
神 /  宇麻志麻治命、味饒田命
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本殿、幣殿、拝殿の眺め
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鳥居から庄内川堤を望みます
嘗ての流鏑馬をここで再現するにはもはや難しい環境になりました

「味鋺神社」
創建 / 不明
祭神 / 宇麻志麻治命、味饒田命
境内社 / 津島社、洲原社、秋葉社、稲荷社・斎宮社、山神社、天神社、金刀比羅社、日神社・神明社、熱田社

住所 / 名古屋市北区楠味鋺2丁目736

長野県安曇野市の有明山神社を訪れました
安曇野ICを下り、安曇野わさび街道を経て県道306号線、県道327号線と25分程走ると有明山登山者専用駐車場に到着です
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標高2,228㍍の有明山は1721年(享保6年)に宥快が開山し、古くから信濃富士として親しまれています
有明山の麓に鎮座する有明山神社はその有明山を御神体とし、「天の岩戸」伝説も伝わる山岳信仰の神社です
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有明山神社の参道は二つあります
上は登山者専用駐車場と繋がる脇参道の鳥居から見た境内の眺め
参道はこの先で表参道と交わり、左に進み社殿に続きます
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脇参道鳥居と扁額
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鳥居をくぐり、しばらくすると表参道脇の蕎麦屋が見えてきます
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表参道鳥居方向の眺め、ここから一旦表参道に戻る事にします
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鳥居前から境内の眺め、長く真っ直ぐ伸びる参道が続きます
右手の準備中の看板は蕎麦屋さんのもの、人気がある様で随分と順番待ちの客が見えます
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鳥居前の由緒書き
「有明山を神体山とし、全国的に崇敬されている。祭神は「手力雄命」「八意思兼命」「大日貴命」他数柱が祀られている。境内の神楽殿には、橋本雅邦の筆になる花鳥風月の絵があり、また日光陽明門を模した裕明門には眼猫12支24孝の彫刻がある」

参拝目的はこの裕明門を見るために訪れたようなものです
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表参道鳥居の扁額
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参道の先に裕明門と右手に手水舎が見えてきました
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参道脇の狛犬は明治時代に戦捷記念で建立されたもの、そのせいでしょうか精悍な顔つきです
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手水舎
切妻瓦葺の手水舎は市有形文化財で、飛騨の匠、山口権之正によるもの
近代に作られたものとはいえ、虹梁や四隅に描かれた浦島太郎一代記など、繊細な彫は見ごたえがあります
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祐明門
1901年(明治34)に日光東照宮の陽明門を模して建てられ、切妻瓦葺の破風が付けられた八脚門
彩色や派手な飾り金具を使っていないので一見地味な印象を受けるけれど、 内外部に施されている12支・24孝の彫刻は訪れた者の視線を釘付けにするはずです
これらは彫刻師兼棟梁の清水虎吉によるもので、格天井絵は村田香谷により描かれています
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正面左右の随神は浜猪久磨・鑛一の作
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祐明門正面
彩色をしない素木作りの門は木鼻、虹梁、蟇股など、どれも緻密な彫が施され見る者を圧倒する
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木鼻の獅子はその眼差しといい、表情といい、今にも動き始めるような仕上がりです
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祐明門右側側面
大きな屋根を支える邪鬼の表情は険しい
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こちらは左側
何れも細部まで掘り込まれた彫飾りが印象的です
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祐明門
境内側、全周に干支の彫飾りが施されています
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裏側には白と黒の神馬、これも清水虎吉の作との事
棟梁兼彫刻師
出来る人は何をやらせてもいい物が作れるものですね
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裕明門の天井に視線を向けます
そこには40枚の格天井絵画があり、どれもこれも生き生きと描かれ個々に見ごたえのあるもの
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40枚の内、35枚は京都の画家村田香谷が描いたもの
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祐明門の内外の12支24孝の彫刻は清水虎吉の作
正面に球持ちの親子流、粟穂にウズラ、周囲に十二支、通路の内側には二十四孝物語の4場面が彫られていて、御朱印にも描かれています
因みに24孝とは
「支那の元の時代、郭居敬という人が幼児教育のために二十四の孝行物語をまとめたもの」とある
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境内から祐明門の眺め、極彩色に彩られた華やかな門もいいけれど、素木の落ち付いた雰囲気はいいものです

蕎麦待ちのお客が訪れてきます
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境内全景
正面が拝殿
渡り廊下で左の神楽殿と右の社務所につながっています

右手の貨幣の形をした石は開運招福の石として名付けられた石碑、中心の四角をくぐりぬけると「縁起良し!」との事
明治24年、全国から集められた短歌が神社の社宝として保管されて来たそうで、それらを「残月集」として発刊した際の記念の様です
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境内の狛犬は明治時代のもの、なかなか見慣れない風貌の持ち主
これらも明治時代の献納されたもの
後方は土俵
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有明山信仰の中心、有明山神社拝殿
1888年(明治21)に再建された拝殿
7つの鰹木が施された屋根のフォルムは直線的で男性的な印象を受けます
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扁額
由来
「天照大神の籠った岩戸を手力雄命がこの地へ投げ飛ばしたのが、戸放(とはなら)ヶ岳とか有明山と呼ばれる霊峰だと伝えられる
第八代孝元天皇の5年に造営されたのが、戸放権現と伝えられ、後の有明山神社である
延歴24年(805)、東国平定途上の坂上田村麻呂が有明山麓の妖族・八面大王征討の際、この戸放権現に祈願し、見事に成伐したという
後島羽上皇は領主仁科盛遠をして国家安泰を祈願させ、1215年(建保3)、「暁時雨」と題して詠まれた「かたしきの衣手寒く時雨つゝ有明の山にかかるむら雲」(続古今集五八七番)という御歌を賜ったという
江戸時代に一時衰退する
明治に入って豊科寺所出身の岡村阜一氏が再興のため尽力、現在地に社殿増築、神域を拡張
尊厳と華麗を加え、世に人呼んで信濃日光と称し、信徒頻りに増し遠近より参拝者多く、大正昭和に至り多くの皇族方のご参拝を頂いた」
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祭神
里宮 / 手力雄命、八意思兼命、大己貴命
奥宮 中岳本社 / 手力雄命、八意思兼命、大己貴命
南岳本社 / 天照大神、天鈿女命、金刀比羅大神
北岳本社 / 造化三神
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神楽殿
格子天井には81枚の天井画が描かれ、市指定文化財に指定、社宝とされます
4/27から29にかけ行われる例大祭では神楽が奉納されるので、その際には見る事が出来るのでは?
訪れた当日は扉が閉じられ、窺う事ができなかったのは残念です
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有明山神社を再興し、現在の伽藍を整えた岡村阜一の銅像
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拝殿左の渡り廊下、その下はくぐる事が出来ます
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中には境内社の有明講の社が祀られていますが、この社の千木と鰹木の形状は見慣れなもの
穂高造りにも似ていますが良くわからない
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拝殿右の社務所
渡り廊下の下をくぐると、その先に妙見里の瀧に出ます
小さな瀧と泉があり、法壽龍神が祀られています
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境内から左に進むと隣接する長生殿の境内に続いています
そこには霊神碑はじめ複数の石碑が建っています
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長生殿
石碑群から少し下ったところにあり、社右に苔むした餅つき岩がある
詳細は良くわかりませんが、社名が示すように不老長寿に御利益がある様で
賽銭を入れ参拝し、海石に氏名と生年月日を書き、社裏に納めると祭礼の際に長寿祈願して頂けるもの
ここで海石? お越しの際にはお忘れなく
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有明山神社御朱印
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二十四孝「唐夫人」の御朱印
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かみさんがこれを選んだ理由は・・・・・読めない

有明山神社 里宮
住所 / 長野県安曇野市穂高有明宮城7263
公共交通機関アクセス / JR大糸線穂高駅又は有明駅から車で15分
車の場合 / ​安曇野ICから安曇野わさび街道⇒県道306号線⇒県道327号線

名古屋市瑞穂区浮島町『浮島神社』
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新堀川に架かる熱田橋を越えれば熱田区から瑞穂区に変わります
浮島町の浮島神社へはこの橋を渡ります
浮島町の由来はその昔今より海岸線か近かった頃、この辺りは遠浅の海岸で一部に小高い土地があり
潮が満ちると、ポツンと浮いた島のように見える事から町名の由来ともなったと言われています
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その様子は「尾張名所図会」の​姥堂と裁断橋の光景も描かれています
ただ、裁断橋の架かっていた精進川は流れも名も変え、新堀川となり、描かれている海岸線は遥か先となりました
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熱田橋を渡り旧東海道を東に歩くと直ぐに道は左に二手に分かれるので、右に進みます
やがて左手に穂波公園に至ります、浮島神社はこの公園の一画に鎮座します

公園の片隅にフェンスで囲われた社は見逃す事はないでしょう
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公園南側道路に境内入口があり、両脇に「成熟講」と刻まれた石標と社号標があり
木造の神明鳥居の先に提灯掛けと常夜灯、その先に狛犬と社が見て取れ、伽藍として整っています
唯一、手水鉢が見当たらない?
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手水鉢は境内左にブルーシートで覆われているようです
参道の右に社務所はありますが無人の様です
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石垣が随分と高く積まれ、その上に社が祀られています
浮島神社参拝です
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社前の小振りな狛犬
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浮島社の表札も掲げられていて一目瞭然、由緒書きは掲げていない様でした
由緒など詳細は不明ですが、尾張名所図会の記述に当時は廃社だったと記されていて
それがいつ再建されたのか、伝馬2丁目の秋葉神社境内にある「浮嶋神社」の石碑との関連など
もやもやが残ります

浮島神社   (熱田神宮境外末社)
創建 /    不明
祭神 /    天穂日命
住所 /    名古屋市瑞穂区浮島町6
アクセス /   ​市営地下鉄名城線「伝馬町」駅から東に徒歩約15分程
       ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社⇒秋葉神社⇒新明社⇒徒歩約5分 浮島神社

名古屋市熱田区伝馬3丁目「神明社」
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 姥堂から伸びる旧東海道は、緩やかなカーブを描いて手前の新堀川方向へと続きます
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新堀川に架かる熱田橋が見えてきたら、手前の交差点を左に進みます
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先には交通量の多い国道1号線が東西に走り
左前方に小さな杜と玉垣が見えるのが「伝馬3丁目神明社」です
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国道1号線の高架下は新堀川
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 国道1号線脇にそそり立つ大きな木、街中ではとても目立つ存在です
車で前を通るたびに気になっていた神社ですが、なかなか縁が無かった
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神明社鳥居前から境内全景
石鳥居を構え、右に社号標があります
境内は東入で正面に社が2つ祀られています
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境内に入ると右手の道標に目が行きます
そこには「左江戸道」、「右 知多郡新道」と彫られています
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常夜燈の先の神域には鰹木と千木が付く大小二つの社、右の小さい社が秋葉社、、神域の左側に社務所があります
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境内右、清水は注がれていないけれど手水石がある
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左が神明社、右が秋葉社
どちらも自然石を積んだ台座の上から、ほぼ東を向いて祀られています9
社から鳥居方向の眺め
写真の鳥居右横に「創建400年祭」と刻まれたの石標がある
この神明社について「熱田自転車散歩道」で由緒が書かれていた
「かつては天道社といい、「おてんとうさん(太陽)」を祀る庶民の神様だった。
文禄5年(1596年)の銘のある「お日待碑」が御神体で現在は社殿の下に埋められている」

石碑の創建400年は上記からすれば頷けるものです
右の秋葉社は大正に入り合祀したものらしい
元は伝馬5丁目に鎮座していた、庶民の神「おてんとうさん」は昭和に入り、道路整備に伴いこの地に遷座したようです
気になるのが、いつ頃天道社から神明社に変わったのかさっぱり分からない

私の祖母もおてんとうさんに手を合わせていたものです
おてんとうさんを中心にした一種の講があり、庶民の集うコミュニティーがあったのだと思います
いつからか分からないけれど、それが神明社に変わり、庶民の身近な存在からほんの少し距離を置く存在になっていったのかな
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歩道から境内の二つ並んだ社が良く見えます、この下に「お日待碑」は埋まっています
奥の建物が社務所
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 境内に植えられたザクロが色付き始め、境内にほんの少し彩を与えています

「神明社」伝馬3丁目 
創建 /   不明
祭神 /    天照大御神、軻遇突智神
住所 /    名古屋市熱田区伝馬3-3-7
アクセス /  ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社⇒秋葉神社⇒新明社5分
                  市営地下鉄名城線「伝馬町」下車国道1号線を東に5~6分

長野県松本市安曇上高地にある「穂高神社奥宮」を訪れます
誰もが知る上高地、松本側から上高地へはここ沢渡からバスで行くことになります
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ナショナルパークゲートで往復チケットを買いバスターミナルでしばしバスを待ちます
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パークゲート入口に展示されている熊の剥製を見たり、予めトイレに行ったりしているとバスの待ち時間も早い物です
朝一番のバス(6:00)に乗りたいところですが当然無理です
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バスで釡トンネルを経て上高地バスターミナルまでは30分程で到着です
夏休みも終盤を迎え少しは空いているかと思いきや、そこは上高地、海外からの観光客や登山客を含め相変わらずの賑わいです
弁当をリュックに押し込んで明神池まで小散歩です、空は今の所快晴です
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陽は昇り切ってしまったけれど
見慣れた河童橋から穂高連峰の眺め、いつ来ても梓川の清らかな流れと山々の美しさには感動します
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雲は多いものの穂高の峰々は姿を表し歓迎してくれています
ここから穂高神社奥宮のある明神池までは、左岸コースをひと歩きします
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明神岳も取り敢えず姿を見せてくれています、雲の動きに対し歩きはあまりに遅い
いつまで姿が見れるのか多少気になる
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遊歩道の趣が強い梓川沿いの左岸道、遡るのは50分程でしょうか8
やがて穂高神社奥宮参道入口に到着、ここでトイレタイムと小休止
目の前には明神岳が見えています
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ここからは看板に従い、左に進み明神橋を目指します

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参道入口から5分程で明神橋到着、標高2,931㍍の明神岳の姿は・・・・・徐々にガスってきました
橋を渡り左に進み、奥宮に進みます、ここまでくればあと少しです
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緑に包まれた参道に明神鳥居が現れ、嘉門次小屋が見えてきます
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正面に奥宮の社が見えて来ました
左に嘉門次小屋、右手に手水鉢、御朱印は左奥の社務所です
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汗ばんだ手を清め参拝に向かいます
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境内図と由緒の記された案内板
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明神岳の麓、静寂で神々しさが漂う明神池の畔に奥宮は鎮座します
昼を少し過ぎ、多くの参拝客が訪れる時間です、拝所前は参拝者が途切れることはありません
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拝所前の狛犬
胸を突出して凛々しい姿をしています
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穗髙神社奥宮
祭神の穂高見命は日本アルプスの総鎮守で海陸交通の守護神です
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里宮の中殿で見る事が出来なかった特徴のある「穂高造り」の鰹木、ここ奥宮の社で見る事が出来ます
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龍頭鷁首
毎年10月8日の奥宮例祭の際に、明神池に浮かぶ御船の舳先に飾るものです
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一の池
立ち枯れの木が印象的だった大正池から、立ち木が悉く無くなった印象を受けます
過去の台風の影響でしょうか
以前は、明神池の透き通った水の中を泳ぐ無数の岩魚や鱒の姿が見れたものです、その姿も減ったように思えます
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穂高の山に降臨した神から恵まれた清水は、明神池から梓川を経て安曇野の田畑を潤します
ここは安曇野の豊かな水の源です
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嶺宮遥拝所
嶺宮は北アルプスの主峰奥穂高岳に祀られています、奥宮の様にお手軽に参拝は叶いません
明神岳直下のここから参拝する事で、それは叶います
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二の池
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浮島のように点在する小島と立ち枯れた木々、神域に相応しい空間です
朝霧に包まれた早朝が一番神々しい表情を見せてくれます
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参拝を終え、梓川右岸から河童橋を目指します
この辺りには立ち枯れの木が残っています

けれど、あちらこちらに流された大木や、風による倒木が手つかずのまま見られます
以前であれば大正池の光景は上高地を代表するスポットでした
土砂の堆積で池は埋まり、川に戻りつつあります
自然の営みから生まれた上高地は今も動いています
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随分とかわいいサイズですが、やっと岩魚を見つけることができました
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歩けばお腹もすきます、人波も途切れた所で川沿いのベンチで遅い昼ごはん「河童のひるめし」
普段なら量が多いナと思うけれど、以外にもペロッと完食
さあ、お腹も満たされました、再び歩きましょう
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岳沢付近の流れ
木洩れ陽の中、清らかな流れに漂う水草の緑は鮮やかそのもの

明神池から右岸の木道は随分補修が進んでいましたが、高齢の方や子供連れの方は時間も短く、足元もしっかりした左岸コースがお奨めです
右岸コースは右側通行が周知されていなかったり、左右に広がって歩いてこられると余計な神経を使います

久し振りに訪れた上高地、来年は四半世紀振りに涸沢まで行ってみるか?
そこまで行くという事は、嶺宮?・・・・・もっと歩かねば 
帰りは地下鉄でなんて言ってられない、ここは自らの足と相談し行動するしかない神降地です

2019/08/26

穂高神社 奥宮
創建 / 不明
祭神 / 穂高見命
住所 / 長野県松本市安曇上高地
アクセス / 沢渡バスターミナルからシャトルバスで約30分
        上高地バスターミナルから明神池までは梓川左岸コースで約50分
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穂高神社奥宮「御朱印」

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