尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2019年09月

空に漂うもこ〃した雲から形も随分様変わりして鰯雲が見られるようになり
風もすっかり秋を感じるようになってきた
かみさんのリクエストもあり岐阜県の白鳥まで出かけてきました
目的は阿弥陀ヶ滝と茶屋のランチ、けいちゃん纏め買い、コストコによって帰るというかみさんのプランです
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名古屋を8:00に出て、下道で国道156号線をひた走る事2時間30程
白鳥町の「道の駅清流の里しろとり」到着が11:30
道の駅後方を流れる長良川の堤から下流の眺め
先ほど渡ってきた奥美濃大橋と国道158号線の高架、その下を清流長良川が流れる

若い頃はスキーや登山、ソロキャンプの渓流釣りに頻繁に訪れ、この風景は見慣れたものだけど当時はこの巨大な高架はなかった
国道沿いの街並みは懐かしい昔の面影が残り、流れには終盤を迎えた鮎を狙い釣り人で賑わっていました
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道の駅からしばらく北上し長良川鉄道の「白山長滝駅」
長良川鉄道の滅多に鳴らない踏切が鳴った
長瀧白山神社に車を停め、無人駅に入る「ながら1号」を撮ってみた
青い空に緑の山々、無人駅と赤い車両、長閑そのもの
いつか乗って見たいものです
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「白山中宮長龍寺」「長瀧白山神社」
「白山長滝駅」の前に鎮座する神仏習合の名残りを留める寺
霊峰白山を間近に聳え、美濃国側の中心となっていた
往時には七堂伽藍を持つ一大寺院だった、現在は衰退し坊跡の看板から当時を知る事が出来ます
現在は長滝白山神社が祭礼などメディアに取り上げられ知名度が高い、幾度も火災に遭いながらも復興し
今も地元から厚く崇拝されている神社です
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長良川沿いに国道158号線を遡り、昔の石徹白スキー場方向に続く県道314号線に入り高度を上げていきます
下を流れる前谷川、山郷の稲も黄金色に輝き刈り入れの時期が近づいています
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 やがて道は二手に分かれ、阿弥陀ヶ滝はここから左へ進みます
運が悪いとここまで戻り、右手の駐車場に停める事になります
ハイシーズンでもないので進んで見ました5
軽にはつらい上り坂を5分程登ると写真の様に茶屋が見えて来ます
車はここまで、トイレもここで最後です
ここはなぜ混むのか?
流しそうめん発祥の地とされる「あみだが滝山荘」を目指し訪れる方が多い
他府県からも訪れる程知られているようです、なので少ない駐車場はすぐに一杯となります
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目指す阿弥陀ヶ滝はここから徒歩で10分程登る事になります
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沢沿いに滝に続く入口があります
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入口に付けられた看板「平坦で登りやすい」そうです
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直ぐに自然石を組み上げた手水鉢、絶える事のない清水で清め先に進みます
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「平坦で登りやす」路です
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 やがて右手に阿弥陀堂が見えて来ます
ここで阿弥陀様に拝んでいきます
奈良時代初め、霊峰白山を開山した泰澄(たいちょう)は、女神の御告げで、この霊泉を長滝と名付け、霊場の一つとした
天文年間(1532~1555)、白山中宮長滝寺の僧侶道雅(どうが)はこの滝壺で護摩修行をしたところ、こつぜんと阿弥陀如来が現れた云われ、それ以来阿弥陀ヶ滝と呼ばれるようになったそうです
古来より白山登拝者が身を清めた滝で、葛飾北斎が「諸国滝巡り」の8図にも「木曽路の奥 阿弥陀ヶ滝」とし描いています
  
この右手の山裾には「虹を吐いて夏よせつけず滝の音」と刻まれた句碑と五陵滝?があります
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阿弥陀ヶ滝の案内板と熊出没注意
以前の白山山系は猿の印象が強かった、当時から熊もいた訳だけど10年近く徘徊して1度しかお目に掛らなかった
今や熊だけではなく、かもしか、いのしし、長い物・・・・・何がいても当然おかしくない
お互いに合いたくない?はずです
身近な場所でもクマ避けスプレーや鈴はお守りのつもりで持っているといいのかも知れない
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阿弥陀堂から先に進むと、岩壁から流れ落ちる滝が見えて来ます
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白山山系から湧き出た湧水が集まり、一本の沢となり岩壁から流れ落ちる、その落差は60㍍と云われ
「日本の滝100選」、「岐阜の名水50選」に選ばれているようです
纏まって流れ落ちる水も、やがてミストの様になり滝行には絶好なのかも知れません
岩肌の苔も緑が鮮やかす、眼にもいいスポット

滝壺の左脇を良く見ると、不動明王がこちらを睨んでいます
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滝を中心に180度が岩壁で至る所から地下水が湧き出ています
右手の岩壁にはポッカリと空洞ができています
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水のカーテンをくぐり内部に入ると、中には阿弥陀如来はじめ複数の石像が祀られています
そこから左に小道があり、滝裏までつながっていますが足元は苔が生し行かない方が賢明
明王の姿も随分と近くに見えてきます
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滝口
上流は行ったことが無いので分かりませんが、水量はさほどではないようです
緑に包まれた薄暗い滝と、空の青さが印象的
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 滝のしぶきを浴びながら佇む明王像

風向きにもよりますが、滝壺付近は何処にいてもそこそこ濡れます
滝壺の明王を拝んで下流に戻る事にします
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帰り道は滝の左に下り専用の道があるのでそちらから下って行きます
途中、沢の対岸から先程の阿弥陀堂を見下ろす事が出来、堂の右の句碑と五陵滝が一望できます
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道はやがて二手に分かれ、右手に行くと「元祖流しそうめん」に続き、左に進むと登り口に戻ります
自然あふれる空間に赤提灯とパトランプが妙に合わないような
真夏ならともかくそうめんはスルーしました
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入口の茶屋
郡上野菜とタイごはん」のお店「Thaicafe Tharat」で遅めの昼食
そもそもかみさんが滝に行きたかった最大の動機は、ここのグリーンカレーが食べたかったから
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阿弥陀ヶ滝の袂で夏季限定で営業しているタイカフェで、本格的なタイごはんと地元の野菜が食べられるお店、今年の営業も今月いっぱいで終わりのようです
かみさんが楽しみにしていた「グリーンカレー」はなく、「ガパオライスプレート」のみでしたが、スパイシーで美味しい、何より野菜がフレッシュで良かった
ボリュームのあるプレートは、にんにくの入ったナンプラーで味変を楽しみながら完食

ほぼ〃元祖流しそうめんに人が流れていきますが、こちらもなかなかのものです
個人的に流しそうめんもそそられますが、ぐるぐる周回するのは若干抵抗ありかな

さてとお腹も満足したので、来た道を戻りバロー白鳥店によって「いちまのけーちゃん」を纏め買いです
以前は釣りやキャンプのついでに荘川まで買い求めていましたが、ここバロー白鳥店でも手に入る事をかみさんが見つけ峠を超えずに買う事が出来ました
いちまのけーちゃん​は荘川の名産で、荘川の民宿に泊まると必ず出てくる我家のお気に入りです
けーちゃんの買い物も済ませ、高速に乗って最終目的地の岐阜羽島のコストコに向かいます

名神の名古屋方向の合流は相変わらず、無秩序に流れが滞っています
それに反し大阪方向はガラガラです
諦めの悪い人はいるもので、分岐直前から東方向に割り込む者もいて大阪方向のスムーズな合流の妨げになっています、皆さん並んでいるのに

岐阜羽島方向へは至って順調に到着、かみさん「予定より早いのでコストコへ行く前に近くの寺に寄っていこう」との事、やってきたのは曹洞宗真如山大雲院本覚寺
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 名鉄竹鼻線沿いの小さなお寺、本堂の天井に描かれた「雲龍の絵天井」は岐阜県の重要文化財に指定されています
天井板一杯に鏡が描かれ、そこを埋め尽くすように極彩色の雲龍が描かれています
1850年(嘉永3)に描かれた天井絵は濃尾地震で本堂が倒壊したものの、1914年(大正4)に原画をもとに修復され今に至ります
薄暗い本堂の天井から訪れる者を睨んでいます
おやじが「天井絵が見たい」とずっと言っていたので探してくれた様です
ありがたや〃

それではコストコに行きましょう
という事で5分程で岐阜羽島のコストコ到着、店内は常滑と比較して若干小さい感じです
レイアウトは常滑に慣れていると多少勝手の違いを感じます
ひと回りして、サーモン、マンゴー、ピザ、4本でお買得のワイン、チーズを買い求める
いつ来ても果たしてお得なのだろうか?と思う、単価にしても安いのだろうがパッケージの大きさは・・・・・
マンゴーがごろごろ入って1,000円やワイン4本などはおやじの感覚でも安いと思います
かみさん曰く「コストコはレジャー」だそうな

羽島のコストコを見て回り、目的のものを買い求めて帰路に付く
・・・・・とその前にコストコでガソリン満タンにしておこう
軽じゃありがたみは無いけれどガソリンが安いのはおやじでも分かるぞ
目一杯注ぎ込んで帰路に着く、高速の渋滞は気持ちも穏やかではいられない
下道で名古屋に向かう事にしました、到着予定時間は19:10、高速利用と10分しか変わらないようです
2019/09/20

「白山中宮長龍寺」「長瀧白山神社」
住所 / ​岐阜県郡上市白鳥町長滝

阿弥陀ヶ滝、Thaicafe Tharat
住所 / ​岐阜県郡上市白鳥町前谷

本覚寺
住所 / ​岐阜県羽島市竹鼻町2434-1

熱田区伝馬2丁目
名鉄常滑線の高架が南北に延々と続く
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 この近くには姥堂や裁断橋、熱田神宮境外末社「鈴之御前社​」、德川家康幼時幽居地など少し歩くと見所の多いところです
「秋葉神社」は旧東海道から少し南側の筋になります
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高架沿いの交差点の角に「秋葉神社」は鎮座します
東を向いた船の舳先の様な小さな境内です
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北側道路に社号標と境内入口
境内に入ると東を向いて一対の常夜燈と直ぐ先に小さな社が祀られています
鳥居や狛犬はありません、社の後方には大きな銀杏の木が聳え小さな杜を作っています
この町の火伏の神として祀られたものでしょう、この小ささが逆に身近な存在に感じられます
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社号標には大正11年と刻まれています
西暦では1922年、なのでほぼ一世紀に渡りこの町を見続けている事になります

境内に入ると「浮島神社」と彫られた碑が目に止まる
新堀川を東に渡って少し行くと浮島神社がありますが、ここ秋葉神社になぜこの碑があるのか理由は分かりません
一昔前のこの地は海岸線が迫り、潮の干満により丘陵地が島のように見えた事から「浮島」と呼ばれ、浮島神社周辺は瑞穂区浮島町として名も残ります
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社全景
石垣を4段に積み、さらにその上に2段の台座が作られ、玉垣で囲い社が祀られています
境内には南天、皐月が植えら、時期になると小さな境内に彩りを添えてくれそうです
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東を向いた小さな社に表札はありません
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北側道路からも社の側面を良く見通せます
秋葉神社がいつからここに鎮座するのか?
明治、大正の創建だと思われますが詳細は分かりません
ですが、ここ「秋葉神社」が伝馬2丁目の火伏の神である事は確かなようです

「秋葉神社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市熱田区伝馬2丁目11
アクセス / ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社⇒秋葉神社​​

黒体龍神​から10分程歩いて、北区楠味鋺に鎮座する東龍神社を訪れます
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庄内川に架かる水分橋を渡り、左に折れた堤防道路は県道162号線、堤防道路をしばらく歩きます
車の往来はあるものの、街中とは違い視界を遮るものはなく、伸び伸びとした解放感が味わえるのが郊外の寺社を巡る楽しみでもあります
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堤防沿いの右下にこんもり茂る杜が見えてくると、堤防から下に降りる階段があります
その階段を下りると東龍神社の参道に直結です
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庄内川右岸の堤防下に佇む小さな社の神社で鳥居や狛犬もいません
境内の杜は主に2本の大きな楠木(だったと思います)と社脇の松で形作られていて、社は杜の木陰の中に祀られています
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 それ程広い境内ではないけれど、社と常夜燈のみのシンプルな境内はスッキリして狭さを全く感じません
境内入口の右に「東龍神社」社号標が建ち、元号が明治と刻まれているのは識別できるものの、何年かまでは読み取れません
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境内の中央に石積みの台座の上で南を向いて祀られる社

こちらの由緒について鎮座年代は定かでないけれど、ここから少し離れた味鋺神社の境外末社のようです
味鋺神社で毎年行われる祭礼では、古習として神輿渡御が行なわれ、東龍神社は渡御の御旅駐賛所となっているようです
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祭神 / 宇麻志麻治命(物部氏祖神)、高龍神
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 角の取れた丸い石が多用されています、庄内川の川原に行けば容易に手に入るのでそれを用いたのかな?

両脇を住居に囲まれていますが、西側に道路があるので境内には陽射しが良く入り込み明るい印象を受けます
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神社のある味鋺周辺は、江戸時代の小牧街道と共に発達した村
今も旧街道には、昔の農家や小商いの面影を残す家並みが残る
更に遡るとこの辺りは古墳が多く存在した場所でもあり、水分橋から徒歩で20分程北に行った「二子山公園」には味饒田命の墳墓と言われる味美二子山古墳もあります
その墳丘に物部天神が祀られ、そこが味鋺神社のお旅所だったと云われます
やがて小牧街道が整備され交通の往来が増すと共にこのお旅所は廃止され、ここ東龍神社に変更されたようです
現在、二子山公園内に物部天神はなく、公園北側の白山神社で訪れると何か分かるのかもしれません
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東龍神社西側の細い通りから北に向かうと、県道162号線から別れて伸びる脇道につながり、西の味鋺神社方向に伸びていきます
それにしても東龍神社があるという事は、他にも龍神社があるという事です
2019/09/09

東龍神社
創建 / 不明
祭神 / 高龍神、宇麻志麻治命(物部氏祖神)
住所 / 名古屋市北区楠味鋺5丁目101
アクセス / ​黒体龍社⇒水分橋を渡り左に県道162号線を徒歩10分程

長野県安曇野市「穂高神社里宮」
信州安曇野を代表すると言っても過言ではないだろうか
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穂高駅前から県道309号線を東に走ると明神鳥居の建つ穂高神社北参道入り口へ
車で鳥居をくぐり駐車場に車を止めて
鳥居前に戻り駅前通りを写真左方向に徒歩で表参道を目指します
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湿度の高い都会の暑さとは違い、日陰に入れば大汗をかくことはありません
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鳥居からしばらく歩くと右手に社号標と脇参道、ここも横目に通り過ぎ更に先を進みます
脇参道に掲げられた色褪せた由緒書き
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道路際に赤い鳥居と社が見えてくるのが厳島社
小さな赤い橋を渡り参拝して行きます
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赤い玉垣に囲まれた境内、苔生した台座の上に赤い社が祀られている
左手は用水が流れ、上流は穂高神社の神橋に至ります
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厳島神社を過ぎ一本目を右に入ると表参道に到着
参道は手前を更に先に行った国道147号線まで続きますが、ここから境内を目指す事にします
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表参道社号標と由緒書き
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穂高神社の永い歴史の中で祭神も移り変わってきました

穂高神社祭神
中殿 / 穂高見命(ほたかのみこと)
左殿 / 綿津見命(わたつみのみこと)
右殿 / 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
別宮 / 天照大御命(あまてらすおおみみこと)
若宮 / 安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)
相殿 / 信濃中将(ものくさたろう)
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石造りの明神鳥居の一ノ鳥居
その先の神橋の先にはニノ鳥居と神楽殿が見えてきます

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仰ぎ見る一ノ鳥居扁額
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 神橋
安曇野市文化財でこの水が厳島神社の横を流れていきます
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神橋を渡った左が社務所で右が授与所
境内は全面玉砂利が敷き詰められ、踏みしめる玉砂利の音は杜に響く、ここが厳粛な空間である事を実感します
……ん?やけに参道を走る車が多いのだけれど
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正面にニノ鳥居と神楽殿も間近になってきました
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境内の諏訪神社略記
「その昔、穂高見命が穂高岳に降臨したことから始まります
重畳なる中部山岳を開き、梓川流域の安曇筑摩地方を開拓した恵みをもたらした
この地の豪族「安曇氏」が祖神を祀った神社で上下の崇敬を集めた古社」
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 安曇野市文化財の手水舎、手水石
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 神馬舎
装飾の施された唐鞍を付けられた神馬は木曽馬をモデルとして作られているという
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二ノ鳥居前の胸を突出し筋骨隆々とした狛犬
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ニノ鳥居は1869年(明治2)に建てられた境内最古の建造物でしたが、今年建替えられています
忠実に再現された欅の鳥居は、柱の両脇を支えるため「稚児柱」を持つ「両部鳥居」と呼ばれるもの
扁額も建て替えに合わせ新たに掛けられたもの
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二ノ鳥居をくぐった正面に一際目に付く神楽殿、2016年(平成28)に建て替えられたもの
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神楽殿の右に若宮社と複数の境内社が一列に祀られています
左奥に二つ目の神馬舎、さらに進むと先程車を止めた北駐車場に続いています
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若宮社を中心とする末社群は左から
八坂社/素盞嗚尊
事比羅社/大物主神
子安社/木花開耶比売命
保食社/宇気母智命、
四神社/少名彦名命/ 八意思兼命/ 誉田別尊/ 蛭子神/猿田比古命
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 中央の大きな社が若宮社
祭神は阿曇比羅夫命、相殿神は信濃中将
ものぐさ太郎は耳にしたことがあると思いますが、ここ穂高神社を造営したのが信濃中将とされます
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狛犬
肉付きのいい丸みのある体型は妙に愛くるしい、しかし顔等は風化による痛みから表情はよくわからなくなっています
台座に刻まれた元号は明和6と読めるような、西暦だと1769年なかなかのベテラン
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若宮社の右側の末社、左から
疫神社/素盞嗚尊
秋葉社/軻遇突智命
八幡社/誉田別尊
鹿島社/武甕槌命
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 若宮社から見た拝殿
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 穂高神社拝殿
多くの氏子や崇拝者の手厚い支援もあり、2009年に127年振りとなる建て替えが行われたもの
こうして見ていくと穂高神社の伽藍は重要文化財に指定されたものは意外に少ない
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参拝
穂高神社は祭祀の中心となるここ里宮と上高地の明神池湖畔の奥宮、奥穂山頂の嶺宮の三社になります
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本殿は、形が等しい右殿、中殿、左殿と並ぶ三殿方式と呼ばれるもの、この三殿と小さい神明社が祀られています、中殿の千木の構造は左右の千木を結ぶような梁がある特徴のあるもの
拝殿から本殿は見えてはいますが、千木を見る事は出来ませんでした
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本殿は20年に一度造り替える式年大遷宮祭と20年の間に2度行う小遷宮祭があるそうです
古文書の「三宮穂高社御造営定日記」には1483年(文明15)の記録が残るそうで、直近の大遷宮祭は2009年に行われ、今も古式のままに引き継がれています

穂高神社の遷宮は、お伊勢さんの遷宮とは少し違うようです
三棟の本殿全て建て替えるものではなく、遷宮毎に一棟を建て替え、新しい本殿に主祭神の穂高見命が祀られるそうです、なので遷宮の度に穂高見命の場所が変わります
本殿は、形が等しい右殿、中殿、左殿と並ぶ三殿方式と呼ばれるもの、この三殿と一直線に小さい神明社が祀られています
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境内全景
盛んにあちこちで「車を買ったら穂高神社へ」と書かれた看板を見かけます
そのせいか、新車の祈祷に訪れる方がとても多いのに驚きます
拝殿前には届いたばかりの車が並び漸く車の無い全景を撮る事ができました
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穗髙神社境内の神楽殿の横のひときわ目を引く杉の大木「孝養杉」樹齢は500年は越えると云われます
この木はパワースポットの様で、家族の病気平癒祈願のためこの木にお参りをしたところ、家族の病気が良くなったと云われ、この名がついたとされます

若宮西の欅も樹齢は500年を超え、安曇野市指定天然記念物に指定されています
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拝殿から左に進んだ先に弓道場のある境内に繋がります
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結びの石神
さて里宮参拝を済みました、標高3,190㍍の奥穂高岳山頂の嶺宮へ参拝しましょう
とはいっても山支度もしてこなかったので登山は出来ません
弓道場の右手にある嶺宮遥拝所に向かいます
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右手の奥の嶺宮遥拝所全景
ここで参拝すれば奥穂山頂の嶺宮まで登る事無く参拝できます、今回はここから参拝します
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山頂を思わせる岩の上に祀られた石の社に背景の池は奥宮のある明神池を連想させます
これまでは登る事しか念頭になかったけれど、いつかは二人で参拝登山に行きたいものです
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弓道場の左の参集殿
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参集殿後方をひと回り、そこには芭蕉の句碑等複数の碑が見られます
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参集殿南側の参道入り口
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 若宮社後方の神馬舎、こちらは赤毛の神馬です
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北駐車場から境内に入る入口にあるオールステンレス製の「健康長寿道祖神」
平成25年長野県が長寿日本一に認定された記念で建てられたもの
笑顔で微笑む翁と媼の寄り添う像の握り合う手の部分を撫でると健康長寿、夫婦円満・縁結びの御利益を授かると云われます
像はにこやかな表情をしています、こうありたいものですね
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 「健康長寿道祖神」の後方に北参道の手水舎、手水石
安曇野の豊かな地下水がここに湧き出ています
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北駐車場に掲げられている穂高神社配置図
これでほぼひと回りしてきたことになります
残るは駐車場脇の「塩の道道祖神」を見ていきます
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安曇野と言えば道祖神が思い浮かびます
その数は400体を超えると言われ、市町村単体で日本一だそうです
 道祖神は村の外れで悪霊や悪い病が村に入るのを防ぎ、行き交う旅人の安全を守り、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄などの守り神として祀られます
一帯では江戸時代中期(1700年代)のものが残るそうです
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 ここ「塩の道道祖神」には地域で祀られていたり、寄進されたものがここに纏められています
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相合傘の夫婦像(北安曇郡美麻村にあり縁結びの神として信仰された)や餅つきをする夫婦像(餅つき道祖神、夫婦円満の神)など、素朴に描かれた表情の道祖神を見る事ができます
それぞれに解説板もあり素性を知る事が出来ます

穂高神社は至る所解説板の整備が行き届き、訪れた者にとってはありがたいものです001
穂高神社里宮
住所 /   長野県安曇野市穂高6079
アクセス /   車:長野道​「安曇野」ICから15分程​ 駐車場は無料
       電車:JR松本駅から大糸線​「穂高」駅下車、徒歩5分程

名古屋市熱田区伝馬2丁目『熱田社』
村社「笹宮」から東に歩いて10分もかかりません
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熱田社は「図書公園」の敷地内の一画に鎮座します
参道は公園の北側道路に新明鳥居と社号標が建っています、北から入り境内で左、そして左へと折れる
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鳥居から続く参道の左に石垣の積まれた神域に三社が祀られています
Uターンする様な形で北側道路に背を向けた社が隣に見えています
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北側道路から見た熱田社、社の前にも鳥居が見えます
見えそうで見えないけれど神域には3社の社が確認できます
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参道に入り左へ
正面が社務所の様ですが無人です
社務所左脇に手水鉢が見えています
参道はここで左へ折れ、二之鳥居をくぐります
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社務所左の手水鉢、・・・・・空です
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明神鳥居の二之鳥居から社を望む
しかし、鳥居の先の玉垣に鎖が掛けられ、これ以上は近づいて欲しくないようです
鳥居の先に高く積まれた神域、そこには3社が祀られ、狛犬が一対いるようです
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熱田社二之鳥居に掲げられた石造りの扁額
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鎖の所から精一杯アップで捉えた狛犬は凛とした立ち姿で神域を守護しています
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一対の燈籠と神域全景
神域を囲う玉垣などから年号を識別する事はできません
三社は全ては北を背にして南を向いて祀られています
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六本の鰹木と内研ぎの千木で飾られた社とその両脇に小社、社名は分かりません
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図書公園から眺める熱田社全景
図書と聞くと図書館でもあるから?・・・・・
ではなく
「​姥堂​」の記録の所で徳川家康幼時幽居地が出てきます、ここからとても近いのですが
竹千代(家康)は6歳から8歳の間、人質としてこの地に幽閉されます
その彼を世話したのが、当時熱田の豪族だった加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)で
公園の名の由来はここから来ているようです
人質として過ごした二年間、後に家康は厚遇を受けた加藤家に140余石の土地を与えられます

由緒があるといいのですが、熱田社はその地の守護のため創建されたものかも知れません


熱田社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​名古屋市熱田区伝馬2丁目25-2
アクセス / ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社​ 徒歩15分程

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