新大阪で昼食を済ませ、大阪東線と近鉄奈良線を乗り継ぎ、東大阪市の近鉄牧岡(ひらおか)駅を目指します。
次の目的地は河内國一之宮「牧岡神社」。
今回の電車ツアー、運がいいのか立ち乗りすることなく座席に座り移動できています。
この調子で行きたいものです。電車の揺れは心地よい居眠りを誘います。
お昼寝タイム50分程で牧岡神社の最寄り駅「牧岡」駅に到着。
さてどれ程歩くのかな?
神社は改札出口にいきなり社号標と階段、その先に注連縄鳥居。
右の石柱には「神事宗源」と刻まれています、天児屋根命が天の岩戸開きではじめてお祭りを行い、祝詞を奏上された事から神事宗源の神として称えた事に由来するようです。
左は「天孫輔弼」と刻まれ、天照大御神、高皇産霊神から天皇を助けるよう特命を受け、その務めをはたした事から天孫輔弼の神として称える事を指すようです。
この石柱は1922年(大正11)に奉納されたものだそうです。
階段手前の「元春日平岡大社」の社標、こちらの平の方がPCの漢字変換は受け入れてくれる。
それにしても駅から0分、これは近い。伏見稲荷以上じゃないだろうか。
注連縄鳥居を過ぎ、参道を横切る道路を渡る。
石灯籠と鳥居を構え、赤い灯篭が立ち並ぶ参道が続く。
この鳥居はニノ鳥居、一ノ鳥居はここから更に下った東高野街道に建っています。
参道脇の由緒書きと摂河泉展望ハイキングコース案内板。
御祭神は第一殿/天児屋根大神、第二殿/比売神、第三殿/経津主大神、第四殿/武甕槌命が祀られる。
摂社は天忍雲根大神を祀る若宮社と末社の天津神と国津神を祀る天神地祇社。
社伝によれば創建は紀元前3年に国土平定祈願のため、現在地の東にある霊地神津嶽に天児屋根大神と比売神を祀ったことが始まりのようです。
神津嶽における山岳信仰が始まりのようです、天児屋根命は中臣氏の祖で中臣氏の氏神とされています。
現在地には650年(孝徳天皇白雉元年)に神殿が造営され、神津嶽の二神を奉還、経津主大神、武甕槌命が勧請され、四殿に夫々祀られている。
奈良の春日大社を創建した藤原氏は氏神としてこの牧岡神社の祭神4柱のうち天児屋根命、比売神の2柱の分霊を春日大社に勧請したとされ、それ故に牧岡神社を「元春日」とも呼ぶそうです。
ハイキングコースは神社左の暗越奈良街道を経て額田山展望台に至る4㌔、2時間ほどのコースで展望台から大阪平野が一面に見渡せるそうです。
参道の先に再び階段。
剣先の付いた鳥居の先に拝殿が見えてきます。
境内右の手水鉢。
龍ではなくこちらは鹿が清水を注いでいます。
階段前の狛…鹿、寝てます。
こんなところにも春日大社と牧岡神社のつながりを感じます。
特徴のある注連縄の結びはあげまき結びに似ているけれどよく分かりません。
注連縄をくぐりそこそこ急な階段を上り拝殿へ。
境内は右に授与所、左が鶏鳴殿と呼ばれ社務所にあたります。
正面の拝殿。
入母屋造りで大きく張り出した向拝が印象的。
現在の拝殿は1879年(明治12)に新築されたもので、平成の補修でそれまでの檜皮葺きを銅葺きに葺き替えられたようです。
拝殿には既に来年の干支の大きな絵馬が飾られ、初詣に向け巨大な賽銭箱の準備が整っています。
中門の前を守護する狛犬は遥か先、寄るのもこれが精一杯、なかなか個性のある顔つきをしています。
中門と吊り灯篭の並ぶ透塀
1879年(明治12)改築、1905年(明治38)に現在の場所に移設されたようで、その後も修復の手が入れられ現在の姿を保っています。
本殿は、1826年(文政9)氏子の奉納により造営されたもの、以前の本殿を含む伽藍は1579年(天正7)信長により焼かれ、復旧は1602年(慶長7)に豊臣秀頼が造営するまで待つことになります。
岡造と呼ばれる様式の四殿並列の本殿、彩色も鮮やかで杜の中で引き立つ存在です。
綺麗に並ぶ姿を見たかったけれどご覧のように覆屋が作られ、現在も補修の手が入っています。
また今度ということです。
拝殿から右に石灯籠が並ぶ参道は続きます。
左手に遥拝所
神域の榊の木を通し、皇霊殿、伊勢神宮、橿原神宮、神津嶽を遥拝する場所。
若宮社の若宮社奥にある井戸「出雲井」
古くから神聖な水が湧き続け、枚岡神社の鎮座地出雲井町はこの井戸の名から、呼ばれるようになったともいわれます。
下は「白水井」と呼ばれる井戸。
これらの井戸は若宮社の祭神「天押雲根命」が天児屋根命の命により、天の二上に登り皇御孫尊の御膳水を取ってきた神と云われ、水と所縁もあることから二つの井戸があるのかも知れません。
遥拝所の先に祀られる摂社の若宮社
社殿は1887年(明治20)に改築されたもので、天押雲根命が祀られています。
下は参道の一番奥に鎮座する末社の天神地祇社
祭神は天津神・国津神で、それほど大きくない社にはもともと境内にあった19の末社すべてがここに合祀されているそうで、結構な大所帯となっています。
牧岡神社、歴史のある河内國一之宮に相応しい風格のある神社。
艶やかな四殿並列の本殿の全容が見られないのは本当に残念です。
河内國一之宮牧岡神社
創建 / 紀元前3年
祭神 / 第一殿/天児屋根大神、第二殿/比売神、第三殿/経津主大神、第四殿/武甕槌命
住所 / 大阪府東大阪市出雲井町7番16号
アクセス / 新大阪から大阪東線⇒近鉄奈良線を⇒牧岡駅下車徒歩0分
1日目の参拝予定はすべてコンプリート。
後は新梅田食道街で晩御飯代わりに一杯やりに向かいます。
新梅田食道街へは17:30頃到着。
細い通路には所狭しと飲み屋が連なる、おやじにとっては天国のようなところ。
この中で訪れたのが初音という立ち飲み屋。
おでんに、串カツ、しめ鯖・・・・・すべてがリーズナブルで気取る必要のないくつろげる立ち飲み屋です。
程よく食べておいしいお酒を頂き満足したところで今夜の宿まで向かいます。
初音 / 大阪市北区 角田町 9-26 新梅田食道街 1F
電車移動の予定でしたが、街はイルミネーションでとてもきれい、なのでホテルまでの小一時間かけて歩くことに。
おやじの勝手なイメージは飲み屋街=大阪だったが、こうした絵面の大阪も結構綺麗じゃないですか。
今夜の宿は「天然温泉 浪華の湯 ドーミーイン大阪谷町」
天然温泉の大浴場もあり、時間制ですが宿泊者には酒も飲み放題で、ラーメンも振舞われる。
下手なスーパー銭湯より安くて室内も綺麗で快適。
二人で一万を切り、おつりはお札が何枚か戻ってくる。
結構お得感のあるホテル、電車旅の宿泊の選択肢にしてもいいかも。
かみさん、風呂上がりの一杯飲みに行こう!
天然温泉 浪華の湯 ドーミーイン大阪谷町
住所 / 大阪府大阪市中央区内本町2-1-9
2019年12月
近江國一之宮建部大社
2019/12/26.27
青春18切符を利用し一泊二日で令和元年最後の一之宮巡りへ。
名古屋を8時過ぎの電車に乗り、かみさんが数週間練りに練った滋賀、大阪方面に向かう。
最初の目的地は滋賀県大津市。
JR琵琶湖線「大石」駅から徒歩で25分程東に鎮座する近江国一之宮・建部大社へは11時頃到着。
琵琶湖に注ぐ瀬田川に架かる瀬田唐橋を渡り旧東海道沿いに神社を目指す。
天気は・・・・・よろしくない。
瀬田唐橋から県道2号線沿いに建部大社まで10分程、左手に社号標と石鳥居が現れます。
参道沿いには灯篭と松並木が真っすぐに続き、その先に社殿は見えません。
迎春準備に大忙し、業者さんの車が目立ちます。
松並木の続く
参道は左に折れ、正面にニノ鳥居とその先に神門が見えてきます。
鳥居前の由緒書き
「近江一之宮
御祭神 本殿 日本武尊、相殿 天明玉命、権殿 大己貴命
由緒
当社は近江國の一之宮と称えられ、景行天皇四十六年(316)四月神崎群建部御千草嶽に、日本武尊の御神灵と建部大神としてお祀りしたのが創りである。
天武天皇白鳳四年(675)四月に近江国府のあった瀬田の地にお迁し、此の国の守護神として仰ぎ奉られる様になった。
天平勝宝七年(755)には孝徳天皇の詔により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し権殿に奉斎せられ現在に至っている。
例大祭 四月十五日、船幸祭 八月十七日」
大神神社は奈良県桜井市に鎮座する神社、近くまでは行くけれどなかなか参拝できていない。
かみさんの一之宮巡りの来年の計画には入ってくるだろう。
檜皮葺の神門に架けられた門幕、そこに描かれた神紋。
自分には見慣れない神紋です。
門の先の拝殿、その右に3本の杉が見えます、三本杉と云われる御神木。
大己貴命が権殿に祀られた際に一夜にして成長したと伝わるこの杉が神紋になっています。
檜皮葺の入母屋妻入り拝殿、趣があっていいものです。
拝殿前の両脇、石を積んだ台座の上から狛犬が拝殿を守護しています。
境内伽藍は本殿の左右に八座が、右に大野神社や稲荷神社が祀られています。
拝殿右の絵馬殿。
右側の灯篭は文永七年(1270)庚午と刻まれたもので、滋賀県内では最古と云われる石灯籠で重要文化財に指定されているもの。
拝殿の左右に八つの社があり、写真上の上座4社は左から、蔵人頭神社/七掬脛命(料理の神)、行事神社/日本武尊の家臣で吉備臣武彦と大伴連武日、大政所神社/播摩稲日太郎姫命(日本武尊の母)、聖宮神社/景行天皇(日本武尊の父)が祀られています。
写真下の右の下座4社は手前から箭取神社/石占横立・田子之稲置・乳近之稲置、弓取神社/弟彦公、若宮神社/建部稲依別命(日本武尊の子)、藤宮神社/布多遅比売命(日本武尊の妃)が整然と並んでいます。
社殿全景。
本殿・相殿は流造で左が本殿で日本武尊、右が相殿で大己貴命をお祀りしています。
透塀で囲われた本殿域には後方へ続く参道があります、そちらから本殿外周を一回りできます。
本殿後方の神域にはさざれ石と菊花石が安置され、さざれ石(写真上)の前に立つとセンサーが働き君が代が流れてきます。
菊化石(写真下)
太古の菊の化石‣・・・・ではなくて、玄武岩の母岩に堆積岩が菊の花のように生成されたものです。
まさに菊の化石のような紋様をしています、自然は不思議なものを作るものです。
境内右側の小さな池の前に建つ大野神社の鳥居。
古びた小さな狛犬が社を守っています。
草野姫命を祀り、縁結びの神として親しまれているそうです。
左の赤い鳥居は武富稲荷神社。
武富稲荷神社全景。
五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の神、稲倉魂命を祀る。
ここの狛狐は右耳が欠け痛々しい。
稲荷の左の鳥居は八柱神社。
苔むした流造の小さな社に藤時平、融大臣、事代主命、市杵嶋姫命、素盞男命、豊玉彦命、櫛名多姫命の七柱が祀られています。
ここを守護する狛犬も個性的です。
桧山神社遥拝所(桧山神社旧本殿)。
大野神社右手の子山の上に鎮座する。
境内御旅山に鎮座し伊邪那美命、大山祇命、息長足姫命、武内宿祢大臣、住吉大神を祀り、元熊野神社山神社、鞭指神社の祭神を合祀し桧山神社と改称されたもの。
1995年(平成7)の本殿改築に伴い、江戸時代に建立された本殿を解体修理し、この地に移築し遥拝所としたもの。
写真上 神宮遥拝所。
かつての御神木、彌栄の松の根が置かれています。
写真下 宝物殿。
神宮遥拝所の左にあり、ここには日本武尊の妃と云われる寄木造の女神座像などが保管されています。
宝物殿を守護するのは白い狛ライオン。
建部大社を訪れると出逢う頼もしい面々。
かわいい者もいれば、痛々しい者、凛々しい者など色々とお目にかかることができます。
近江國一之宮建部大社
創建 / 316年(景行天皇四十六)
主祭神 / 日本武尊、大己貴命
住所 / 滋賀県大津市神領1-16-1
アクセス / JR琵琶湖線「大石」駅から徒歩で25分
さて初日2社目に向かうため再び瀬田唐橋を渡りJR石山駅に戻ります、ここから新大阪に向かいエキマルシェで遅めの昼ご飯の様です。
新大阪エキマルシェの松葉新大阪店についたのが13:30、串カツとビールで次に向かうエネルギーを補充します。
始めて寄ったお店です、駅にある立ち食いの串カツ屋。
次から次に揚げられた串カツが並べられ、そこから選んで食べるスタイル。
何がどれなのか分んないので聞くのが一番。
各カウンターにないものを頼むのが熱々を頂くポイントかも、多少冷めたものは二度揚げして提供してくれます。
さあ次はどこにいくのかな?
2019/12/26
「浄元寺」
名古屋市昭和区村雲町「清沢山浄元寺」
御器所八幡宮から西に5分程の所にある曹洞宗のお寺。
西垂れの傾斜地、入り組んだ道筋に鎮座します。
高く積まれた石垣を持つ寺です。
浄元寺西側から山門のある東にかけての眺め。
石垣と白壁の高さが傾斜の度合いを物語っています。
山門の全景
左にモミジが植えられていますが、既にほぼ落葉し木のシルエットのみになっていました。
瓦葺の山門
1747年(延享4)の建立と云われるだけに趣のあるものです。
「山門禁葷酒」
大丈夫です、修行の妨げになる匂いを漂わせてはいません。
参拝させて頂きます。
なかなか重厚な山門から境内と本堂の眺め。
石畳が敷かれ参道は左に伸び本堂へと続きます。
右手が寺務所の様で、更に右手に庫裏へと続きます。
手前に立派な枝振りの枝垂れ桜が植えられ、春はさぞかし美しい姿を見せてくれるでしょう。
境内左の庭にはベンチが置かれ、静かな境内で自分の煩悩と向き合う時間も時には必要かもしれません。
曹洞宗の寺院では座禅会を開かれる所が結構あり、背筋を正し無心で座る座禅はお勧めです。
入母屋瓦葺の本堂
この本堂は戦災で焼失してしまったようですが、再建され現在の姿となりました。
本堂の山号額
浄元寺はここから少し北東方向に八大龍王社がありますが、その北側にある龍興寺の末寺で、創建は文禄年間(1592~1596年)と云われています。
軒先に正に角の様に突きだした隅角と風鐸。
鬼飾りや棟飾りに浄の文字が入っており、青空を背景に浮き立っています。
本堂から境内の眺め、境内はそれ程広くはありませんが、手入れされた庭が狭さを感じさせません。
境内西側に安置された馬頭観音、年号は不明。
浄元寺の伽藍の中ではこの山門が一番印象深い物です。
時を重ねたものは視線を引き付けるものがあります。
このもみじが赤ければ彩りもよかっただろうが、これも四季の移り変わりの一場面。
令和元年もあと少しで暮れていきます。
浄元寺
山号 / 清沢山
宗派 曹洞宗
本尊 / 聖観世音菩薩
住所 / 名古屋市昭和区村雲町14-17
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「荒畑」駅下車、南西へ徒歩15分程
「中山神社」
名古屋市天白区天白町大字平針黒石「中山神社」
かみさんの免許更新の送迎を兼ね、待ち時間の間に参拝してきました。
東部丘陵地帯にある大根(おおね)池、その昔に灌漑用に作られた溜池で、この池を中心に周囲の里山の自然を残したまま整備されたのが天白公園。
公園の南に大根町はこの池の名が由来と云われています。
公園東部の道路からの眺め、周辺は閑静な住宅街が続き、道はなだらかに天白川方向に下っていきます。
1938年頃(左)のこの地と近年の比較、北垂れの斜面は天白川方向に向かい、田畑と複数の溜池が見てとれます。
地下鉄鶴舞線や国道302号線の整備に伴い、それらは埋め立てられ宅地化、静かな自然が残るベットタウンに変貌しています。
中山神社へは公園内に複数の参道と公園東側の通りに面し社号標が建てられた参道があります。
新しい社号標と案内板が設けられ、参道?は里山の森に伸びていきます。
訪れた12月中旬の参道は落ち葉がつもり、茶色のカーペットの様。
滑りやすいけれど足には優しい。
落葉が盛んな森、枯葉を踏みしめる音に冬の訪れ感じます。
登り始めて直ぐ尾根に、道は二手に分かれ神社は右に進みます。
左に進むと大根池沿いの遊歩道へと続きます。
尾根道を50㍍程進むと里山の頂きに枯葉が一面に積もった中山神社が見えて来ます。
社号標から歩いてくると本殿後方に出る様です。
玉垣で周囲を囲まれた社殿は全て新しいもののようですが、里山の頂きに東を向いて鎮座するこの光景は特別な空気感が漂います。
正面全景 「原中山神社」とある。
原?、現在は天白町大字平針黒石ですが、一帯はかつては原新田と呼ばれた地域、それらが分かれ今に至っています。
神社の創建は不明ですが、その当時から既にここに祀られていたようです。
鳥居から社殿の全景
2013年に社号標含め整備されたばかりのようです。
中山神社縁起
「岐阜県恵那郡串原村、中山神社より分祀された社であり、祭神は広国押武金日命(二十七代安閑天皇)である。
当神社の祭神は奈良県吉野郡金峯山より犬に乗って渡って来られたいう伝承があり、古くより山犬を神の使いとして崇め「おいぬ様」と称しこの形像を祀る信仰が行われ盗難・病難、災難除け、子宝を祈って霊験ありとされています。」
串原村中山神社は539年(宣化天皇4)に金峯神社から勧請・創建と云われる古社で、中山神社はここから勧請されたという事です。
現在の中山神社の社殿は2003年(平成15)に再建されたばかりで、創建を知る術はないようです。
小振りな狛犬(山犬さま?)は彩色も鮮やか、目つきはどことなく愛嬌がある。
神の使いとされる犬を感じさせるものは彼ら以外に見受けられませんでした。
流造の小さな社ですが、飾り金具も施された立派なものですね。
原の中山神社、参拝。
良く見ると細かな所にも彫が施されています。
社から鳥居方向の眺め。
鳥居の左にも参道は続いているようなのでそちらにも歩いて見ます。
参道から見上げる神社の眺め。
階段の様に木々の根が露になっています。
そこを下ると道は整備された歩道となり下に続いています。
落ち葉の上を歩く時は気を抜くと滑る、よくあるパターンです。
この歩道も落ち葉で一杯です、ここはモミジの落葉が多く見られます。
下った先は公園北側の通りに続いていました。
神社正面に続くこちらには社号標はなく、左側に案内板があるのみです。
神社が鎮座する里山の西側にある冬枯れた大根池と天白公園。
周囲はデイキャンプ場や遊具など整備され自然豊かな公園。
大根池東沿いの遊歩道には、こうした神社への案内板と歩道が整備され訪れる人にその存在を告げています。
小さな里山ですが、神社までの歩道を登ったり下りたりすると油が切れた関節には少しつらい。
かみさんの免許更新待ちに訪れた中山神社ですが、あっという間に「お迎え宜しく」のメールが届きました。
二社ほど廻ろうかと思っていたけれど、免許の更新案外早いものですね。
里山の頂きで落ち葉に埋もれるように鎮座する中山神社を後にします。
2019/12/18
中山神社
創建 / 不明
祭神 / 広国押武金日命
住所 / 名古屋市天白区天白町大字平針黒石
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「原」駅下車、南へ徒歩15分程
広場に佇む小さな社は屋根から降りた「屋根神様」
名古屋市昭和区御器所3丁目
南北に伸びる御器所台地、ここから西側は精進川低地につながり、その先の熱田台地へ続きます。
なので緩やかな下りが続きます。
どんぐり広場南側の交差点から東の眺め。
この先が台地のピークになるのかな、そこから東は山崎川に向け再び下っていきます。
このあたりは明治頃には溜池が多く、すぐ西の龍興寺ヶ池を始め、広見池、天池、丸池など複数の農業用溜池があったところ、それらの池は大正から昭和の都市計画に伴い耕地から住宅地に変貌し、池は埋め立てられていきます。
どんぐり広場のある御器所3丁目の旧町名は天池町、由来は天池で、天池どんぐり広場の名もそこから付いています。
どんぐり広場とは
「地域の幼児の健全育成を図る目的と児童福祉の立場から、30㎡以上で無償提供される土地があり、交通事故のリスクがなく、地域の方々の管理・運営ができる場所に対し設置される子供の遊び場」。
免税対策の一環としてこうした用途に使われる場合があります。
東西に長い広場の北隅に、鉄製の櫓が高く組まれ、その上に社が祀られています。
正面を除き、透明な樹脂パネルで社は囲われ風雨?から守られています。
こうした光景は社の大・小にかかわらず時折見受けられます。
覆屋の薄暗い中で祀られている事を思えば、これはこれで有りだと思います。
黄色の柵で囲われた、どんぐり広場東方から西方向の眺め。
地域の方により管理された広場です、間口右の社も同様に町内でお世話されているものと思います。
賽銭箱は見当たりませんでした、公共の場と言う事で設置できなかったのかナ。
それにしてもここまで高くしなくとも。
いえいえ、元は近隣民家の軒下に祀られていた屋根神様、以前と比べればこれでも低いのかもしれません。
軒下で祀られていた社ですが、民家の火災により降ろされたようです。
それを機にどんぐり広場に祀られたもののようです。
天池どんぐり広場がいつ設置されたのか、それは分かりませんでした。
昭和に入ってからなのは間違いないでしょう。
こんな高い場所にありながら、お供えされている榊は生き生きしています。
専用の梯子でお世話するしかないようです、そうした事も屋根神様に通じるものがあります。
祭神は読者の方から教えを頂き「尾陽神社」「伊勢神宮」「御器所八幡宮」がお祀りされています。
いつ頃この辺りに祀られたのかも分かりませんが、神明造りで千木・鰹木、金色に輝く飾り金具も施され小さいけれど立派な社。
今年も残りわずか。
色合いが減っていく中にあって広場には赤い椿の花が彩を添えています。
見通しの効く高い櫓の上で透明の覆屋から、広場で遊ぶ子らや町内を見守っています。
どんぐり広場前の道筋から南にある社の眺め。
こうして少し離れると、周囲の景観に溶け込んでしまい、存在は分かり難いかも知れません。
天池「屋根神」
アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「荒畑」駅下車、南へ徒歩5分程
住所 / 名古屋市昭和区御器所3丁目602