尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2020年10月


『大神教本院』から大鳥居沿いに大和國一之宮大神神社へ。
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 参道を横切る桜井線の踏切を越えてニノ鳥居に向かいます。
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やがて左に大量の樽が見えてきます、「大神神社酒殿」ここまで来るとニノ鳥居も目前。
まだまだ飲んだことのない銘柄の多い事。
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 大神神社ニノ鳥居。
左の社号標は人と比べるとその大きさがイメージできよう、大和国一之宮の風格が伝わってきます。
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ニノ鳥居をくぐり境内を進みます、コロナ禍とはいえ参拝者が途切れることはありません。
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 参道に架かる新橋の左に人が集まっています。
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 「祓戸神社」
まずは祓戸四柱の神に参拝し、穢れを清める。
祭神 / 瀬織津姫神、速秋津姫神、伊吹戸主神、速佐須良姫神
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 夫婦岩を過ぎ、目の前の石段の先に拝殿が見えてきます。
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 石段を上ると左に手水舎
三輪の7本杉のひとつ「しるしの杉」と呼ばれる御神木(株のみ)、手水鉢に清水を注ぐのはとぐろを巻いた蛇。
大きな樹には白蛇はつきものだ、この境内には何匹の白蛇がいることやら。
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 大神神社境内案内図、御神体である三輪山。
そこに多くの摂末社が点在し、ササッと訪れ参拝するには広すぎる。
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 拝殿
現在の姿は1664年(寛文4)徳川家綱により再建されたものと云われ、この拝殿の先にあるべき本殿はない。
三輪山そのものをご神体とする大神神社には本殿がなく、拝殿を通して三輪山そのものを拝む原初の神まつりの姿を留めています。

訪れたのが6月末、拝殿前には大きな茅の輪。
杉、松、榊と神霊の宿る霊木が飾られたこの輪をくぐる事で無病息災を祈願するもの。
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 拝殿からその奥にある三ツ鳥居を通し、大物主大神が鎮まる三輪山を拝する。
三輪山は大黒様の人を幸せにする幸魂と、知性の奇魂が宿る、御神体の三輪山そのものを崇める。
我国最古の神社とされ、この拝殿の先に本殿はなく、拝殿奥の三つ鳥居を通して三輪山を拝む原初の神祀りの姿を今も伝える。
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 大和國一ノ宮
三輪明神 大神神社
御祭神 大物主大神
配神 大己貴神、少彦名神

この地は大和の文化発祥の地とされ、山の辺の道や最古の市とされる海柘榴市(つばいち)等、政治・経済・文化の中心として栄え、大神神社は皇城鎮守神の明神大社22社の一つとして奉幣を受け、中古より大和國一ノ宮として崇敬されている。
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 勅使殿から拝殿からの眺め、左の御神木は「巳の神杉」と呼ばれる樹齢500年と云われる杉の巨木。
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むとされる。

現在の社殿は1992年から始まった平成の大造営により、1997年に儀式殿、参集殿、祈祷殿を築造、1999年に三ツ鳥居(重要文化財)と拝殿が保存修理の手が入れられたもの。
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 勅使殿から右に進むと左に末社「神宝神社」の鳥居。
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 参道の傍らに解説板。
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 神宝の名が示す様に古くよりお宝・財物を守護する神として崇敬されている。
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 祭神は家都御子神、熊野夫須実神、御子速玉神を祀る。
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 「天皇社」
三宝神社の右の小高い山の頂に鎮座します。
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 鳥居左に解説板。
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 石段を少し登ると視界は広がり「天皇社」が現れます。

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 祭神は三輪山の麓に都をおかれ、小さな国々を平定し大和朝廷の基礎を確立された第十代の崇神(すじん)天皇。
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 拝殿から左方向に進むと「宝物収蔵庫」と「祈祷殿」、「狭井神社」へと続きます。
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1997年に建てられた「祈祷殿」、日々の祈祷や結婚式を奉仕する施設。
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 久すり道(くすり道)
狭井神社へ続く緩やかな登り坂が続く参道。
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 三輪山登拝は社務所に申し込み、決められたルールを順守することが求められます。
参道脇には薬業関係者により奉納された薬木や薬草が植えられています。
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 「狭井神社」鳥居。
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 鳥居脇の鎮女池に浮かぶ「市杵島姫神社」
桜井市茅原に鎮座する末社の富士・厳島社から勧請された神社で、祭神は素盞嗚大神の子で、水の守護神とされる市杵島姫命を祀ります。
安芸の宮島のご祭神として、七福神の中で福徳財宝、芸能を司る神様として親しまれています。
5月下旬から6月上旬にかけて境内のささゆり園のささゆりが見頃を迎えます。
この辺りの水辺でも見られ、神社に彩りを与えてくれる。
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 摂社「磐座神社」
背後に鬱蒼とした杉の樹が迫る神秘的な空間、鳥居の先に社殿はなく、玉垣で囲われた中の岩(磐座)をご神座として祀る。
祭神は「神農さん」とも呼ばれる薬の神様、少彦名神を祀る。
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 「狭井神社」
正式には狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわのあらみたま)神社と呼ばれ、大神神社の荒魂を主神に大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神を祀ります。
創建は垂仁天皇の時代の創建されたと伝わるそうです。
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入母屋檜皮葺の拝殿と春日造りの本殿の伽藍。
こちらに参拝する目的の一つに、拝殿左奥にある井戸(薬井戸)から湧き出る霊泉でしょう。
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 病気平癒、身体健康の神様として信仰が篤い神社、そこに湧き出る霊泉は様々な御利益があり、それを授かりに訪れる。
井戸の周囲は狭いけれど、コップも用意されています、立ち寄って御利益を授かってはどうでしょう。
ここからだと本殿の姿も窺うことができます。
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 「狭井神社」を後に久延彦神社方向の展望台に向かいます。
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 展望台は恋人の聖地と称するようですが、ネーミングはともかく、ここから見下ろす三輪の街並みと、そこにそそり立つ大鳥居の光景は恋人でなくとも立ち寄ってみても損はない。
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 上
久延彦神社の外れにある遥拝所、傍らにフクロウの絵馬が掛けられています、その数はすさまじい。

「久延彦神社」拝殿

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 末社『久延彦神社』
知恵の大神
祭神は久延毘古命をお祀りする、「世の中の事を全て知る知恵が優れた神様」
なので知恵や学問向上、合格・就職成就の徳を授かりに訪れ、そしてフクロウの絵馬に願をかける。
久延毘古命も大変だ、黄金色の稲穂が実る田んぼの中でのんびりしたいのではないだろか。
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 摂社「若宮社」
久延彦神社正参道から山の辺の道を右に進み、右手に株だけになってしまった「おだまき杉」が現れるとそこが「若宮社」、直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)とも呼ばれ国の重要文化財に指定されています。
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 線の太い姿の鳥居前の狛犬。
写真で大きさは伝わらないと思いますが、台座の上の彼らは見上げる様な高さにある。
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境内右手に小さな池があり、訪れた時には睡蓮の白い花が咲き誇っていました。
その先には小さな社。
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 末社「琴平神社」
祭神は大物主神を祀ります。
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 末社「御誕生所社」
社務所の右に鎮座し、「磐座神社」同様に鳥居の先に本殿はなく磐座が祀られています。
鴨津美良姫命を祀ります。
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 「御饌石」
お正月の御神日祭り際、正面にある岩に久延彦神社に神饌を供えたり、ここから大神神社を遥拝する場所として使われる。
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 拝殿正面。
外観は拝殿と云うより本堂の方がマッチする。
明治の神仏分離以前までは大神神社の神宮寺「大御輪寺」であった。
現在は大神神社の摂社として「若宮さん」として崇敬されています。
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 祭神は大物主大神の子孫で大直禰子命で、 少彦名命と活玉依姫命の二柱を配祀しています。
神宮寺当時の本尊の十一面観音像(国宝)は現在聖林寺に安置されているそうです。
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 「若宮社」から正面に進めば目と鼻の先がニノ鳥居。
素の道すがらで見かけたお堂、寺号標がある訳でもなく「馬場木村のお地蔵さん」とあるだけ。
ボケ封じ、脳天地蔵かぁ、中に入りたいとこですが、ここで道草をする訳にはいかない。
かみさんを追いかけねば。
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 大神神社の参拝は以上で終わり、行きたかった神社もありますが、帰りの時間を考えるとこれ以上は回れません、ニノ鳥居に戻ります。
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 「大和國一之宮大神神社」御朱印


「大和國一之宮大神神社」
住所 / ​​奈良県桜井市三輪1422
公共交通機関アクセス(名古屋より) / 近鉄名古屋駅⇒名張駅⇒近鉄大阪線⇒桜井駅⇒JR桜井線「三輪」駅下車
関連記事 / 車中泊で紀伊國・大和國一之宮巡りと紀三井寺特別御開帳へ
大神神社境外摂社 綱越神社(おんばらさん)・​大神神社下宮 『大神教本院』


「諏訪神社、吉嶽稲荷神社、参拾番神社」

尾張旭市の愛知県森林公園を御存知の方は多いと思います。
森林公園は名古屋市と尾張旭市の境に位置しますが、目的地は森林公園西外れのテニスクラブ付近。
県道75号線の北側になり、住所は名古屋市守山区中志段味南原になります。
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 『諏訪神社、吉嶽稲荷神社、参拾番神社』は県道脇に三つの鳥居が並んでいて、分かりやすいと思いますが規模は小さなものです。
鳥居は左から諏訪神社、吉嶽稲荷神社、参拾番神社と並びます。
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 左の『諏訪神社』、縁起含めて詳細は分かりません。
ここから北西に20分程歩いた中志段味宮前にも諏訪神社がありますが、そちらと関連があるのかもしれません。
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 伽藍は左に手水舎と正面にこぢんまりとした拝殿、その奥にコンクリートの小さな覆屋へと繋がっています。

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 諏訪神社狛犬
大陸の香り漂う線の太い容姿ですが、下を向く姿が怒られた子供のようで妙にこの姿印象に残る。

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 外からも拝殿からも本殿の姿を窺うことは出来ません、祭神は武御名方命。
過去の地図など調べて見ましたが、創建を推測する鳥居の印は見られません。

『諏訪神社』
創建 / 不明
祭神 / 武御名方命
関連記事 / 『諏訪神社』名古屋市守山区

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右隣りの『吉嶽稲荷神社』
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コンクリートの覆屋の中に社が収められていますが、外見から稲荷を印象付けるものは見当たりません。
以前からここに鎮座するものなのか、宅地化に伴いこちらに纏められたのか詳細は不明。
鳥居に額が掲げられているだけでもありがたいと思うべきだろうか。

『吉嶽稲荷神社』
創建 / 不明
祭神 / 不明
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 一番右が参拾番神社。
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 参拾番神社額。
神仏分離前には結構身近に祀られていたようで、それも徐々に衰退していったようです。
名古屋市千種区に 参拾番神社がありますがあまり馴染みのない社名です、人知れず街中でひっそりと佇んでいるかもしれません、。
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こちらもコンクリートの覆屋の中に社が収まっています。
こちらの祭神はそうそうたる顔ぶれ。
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 陰暦の1日から30日を日替わりで三十番神が入れ替わる。ここにきて毎日参拝すれば全てを拝める。
移動手段が整った今とは違い、ひと昔前はこれらを詣でるのは一大イベント、身近にこうした神社の祀られるのも自然の成り行きかもしれない。 
それにしてもこんな小さな社に多くの神さま、さぞかし賑やかなことだろう。
『参拾番神社』
創建 / 不明
祭神 / 参拾番神
 
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それにしても・・・・・君
何かあったのかい? 悩みでもあるのかい?
力にはなれないけれど、せめて上を向こう。

『諏訪神社、吉嶽稲荷神社、参拾番神社』
住所 / 名古屋市守山区中志段味南原
公共交通機関アクセス / ​JR中央線「神領」下車、南に庄内川を越え徒歩40分

前回掲載した「飛騨の水屋と天醫稲荷大明神社」

宿から稲荷神社、温泉寺を経由し温泉街に向かったのですが、写真の並びが宜しくない、温泉寺の写真の並びを変えています。
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下呂の温泉街から少し東に外れた「中根山」の麓に温泉寺参道があります。
参道入口の寺号標と地蔵堂が目印です。
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「子守り地蔵尊」
その昔、飛騨川が氾濫したときに幼い子供と、そのお婆さんが濁流の犠牲となり亡くなったそうで、それを哀れんだ村人がお祀りしたのが始まりと云う。3
後半の言葉はとても重たい。
堂内にはしっかりと幼い子供を抱く子守地蔵様が安置されています。
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173段の石段も間もなく終わりです、目の前には城壁の様な壁と山門も間近。
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山号は「醫王霊山」
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山門の先で「下呂五福神」がお出迎え。
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毘沙門天と福禄寿は秘仏のため、ここには安置されていません。

歳と共に日常生活で若かりし頃との違いを実感するこの頃、そんな歳である。
それでも普通に五体満足であることにここで感謝する、「おかげさまで・・・・・」と。
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右から補修中(9/28時点)の社は旧飛騨屋邸地蔵堂、中央が「本堂」で、左の方型の建物は「湯掛薬師」。
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「飛騨屋は元禄期より北海道松前藩のもと、アイヌやロシアと交易、北前舟などで材木や魚介類を本州に輸送した江戸時代の大財閥。この檜皮葺の地蔵堂は飛騨屋久兵衛4代益郷が1821年(文政4)下呂本店屋敷内に建立したもので現存する唯一の遺構。」
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「湯掛薬師」
お湯掛け薬師とも呼ばれ、師如来像の鎮座する蓮台から温泉が湧いて、若い頃とは違う個所に温泉をかけ、お参りすると癒されるそうだ。全身浴びたいところですが・・・・・目だね。
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本堂前から堂内の眺め、下呂温泉と白鷺は切り離せない、堂内にはその白鷺が彫られた額が飾られています。
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現在の本堂の創建は1671年(寛文11)とされ、それ以前は「湯島薬師堂」とよばれ記録では1507年(永正4)まで遡るそうです。

下呂温泉は平安時代には既にあったと云われ、1265年(文永2)湯ヶ峰にあった湯源が涸れてしまつたそうです。
ある時益田川に舞い降りた白鷺が村人に新たな湯源を告げたという。
白鷺は再び飛び立ち「中根山」中腹の松に留まったそうで、村人がその場所に行くと金色の薬師如来が鎮座していた、白鷺は薬師如来の化身で、舞い降りた場所が温泉寺という事です。
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「さるやの石」
この地に伝わる昔話で、日本昔話にも取り上げられた、養蚕を営んでいた優しい夫婦が親とはぐれた小猿を飼うようになった、子猿は成長と共に夫婦をよく助けたそうです、特に蚕を食べてしまうネズミの駆除をよくつとめてくれていた、やがて猿は天寿を全うし、お墓を作ったところ「猿の墓の回りの小石を持ち帰るとネズミ避けになる」と評判になったそうで、以来願掛けの小石とされるようになったそうです。
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「中根山」中腹の境内、その西側に建つ「温泉寺普明堂」。
ここから写真右手を眺めれば、はるか下に流れる飛騨川(益田川)と下呂温泉街が一望できる。
あれから一か月を経て、今は紅葉の山々と境内の紅葉が美しい事でしょう。
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堂内右側の机に並ぶ白い物体、願がかけられた石が山積みです。
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山門脇の鐘楼、白鷺が羽を広げたような軒の広がりを見せている。
下呂の街にこの鐘の音は良く響き渡る事でしょう。
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本堂の右には上に続く細い参道があり、本堂の裏山に続きます、この絵馬は本堂の側面に飾られていたもので、よく見ると文政等の元号が記され絵馬も見られます。
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本堂裏から上に登っていくと既に掲載した「飛騨の水屋と天醫稲荷大明神社」へと続きます。

温泉街の外れの地蔵堂から続く173段の長い石段、ゆっくり上って辿り着く温泉寺境内から眺める下呂の街並み、それだけでも満足感は得られるはずです。
良くぞここまで上れたものだ、五体満足に感謝するしかないだろう。

醫王霊山温泉寺
宗派 / 臨済宗妙心寺派
創建 / 1671年(寛文11)
本尊 / 薬師如来
住所 / 岐阜県下呂市湯之島680
関連記事 / ​飛騨の水屋と天醫稲荷大明神社

昨日は風もなく穏やかな一日でした。

今年はコロナ禍で知多四国巡りも中断が続いていたけれど、かみさんのテーマでもあり、久し振りに参加するとのこと、ならば車で知多半島まで送迎しよう。

二人とも久しく歩いていなかったので久しぶりのウォーキング、とはいえ歩くのは彼女、おやじは車で周辺の寺社を回ってきました。
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今回徘徊したのは野間近辺。
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まずはかみさんの第一チェックポイントの知多四国五十七番札所「報恩禅寺」。
ここで知多四国巡りの彼女を見送り、おやじは別行動。
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第一目的地はおやじには似合わない「恋の水神社」
万病に効く延命の神水として、近頃では「恋の水」として若者たちが参拝に訪れるそうだ。
桜姫もこんな沢山の願いを叶えなければならないとは

恋の水神社
住所 / 知多郡美浜町奥田中白沢92-91
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大己神社
美浜町奥田の小学校の南の高台に鎮座、大己貴命を祀る神社、先の「報恩禅寺」とは所縁がありそうです。
住所 / 知多郡美浜町奥田海道田181
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八幡社
南知多ビーチランド付近の国道247号から東に入った、細い昔ながら路地に鎮座する。
祭神は応神天皇をお祀りする
住所 / 知多郡美浜町大字奥田字儀路8
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瑞延寺
八幡社からすぐ近く、1504年(永正元年)の開基で本尊は延命地蔵菩薩。
住所 / 知多郡美浜町奥田海道田136
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冨具崎港の東の小高い山の頂にある小さな冨具崎公園。
車で行けるけれど道が狭くすれ違いは大変、駐車場も数台分
展望台からビーチランド方向の眺めはなかなか見通しがいい。
住所 / 知多郡美浜町野間冨具崎114
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冨具神社
美浜町野間の総鎮守、志那津比古命と志那津比賣命を祀り、尾張国神名帳に文治二年丙午(1186)の記録が残る。
車で頂の駐車場まで行けますが、東側の旧参道の石段を登り参拝する事をお勧めします。
住所 / 知多郡美浜町大字野間字冨具崎65
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秋葉神社
内海千鳥ヶ浜海水浴場の目の前の小山に鎮座します、海を臨む趣のある神社。
住所 / 知多郡南知多町内海東座頭畑 

以上が今日参拝できた寺社、3時間少々ですが結構効率的に回る事が出来ました。
丁度秋葉神社の石段を下っている時にかみさんからのお迎え要請、久し振りなのに結構ペースは速かったようです。ピックアップポイントの野間灯台に向かいます。
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久し振りの2万歩越え、久し振りの海、久し振りの遠景・・・・・飛び交う飛行機の少ない事。
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折角なので海を眺めて昼ご飯、Go To Eat。
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昼にしてはボリューム満点、晩御飯抜きか?
お腹も満たされ、13時に常滑コストコ経由で岐路に着く。

春日井市大留町『子安神明社』

天王山古墳から庄内川右岸堤防沿いに歩いて5分程上流に向かいます。1
堤防に上がり上流を眺めれば対岸は東谷山、左に高蔵寺も視界に入ってくる。
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この辺り、現在は住宅が立ち並び更に広がりを見せていますが、1546年(天文15)頃は足利義輝配下の村瀬氏の領地、この地には大留城が築城され、村瀬作右衛門が城主となり篠木荘一帯を治めていた。
『子安神明社』は庄内川右岸堤防北側、大留城二の丸跡に鎮座しています。
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城は1584年(天正12)の長久手合戦で作右衛門の討ち死により廃城となり、現在は城の痕跡は本殿後方に空堀らしき痕跡?が残る程度。
通り沿いに子安神明社の新旧の社号標が建ち、参道の先に鳥居を構えています。
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参道に入ってまず目につくのが大きなクロガネモチの樹、その下に小高く盛られた上に建つ赤い社。
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社は社名札がなく詳細は不明、右の石標は社号標かと思っていたけれど『大留城趾』の石標。
嘗てここに城があった事を伝える唯一のモニュメントかも知れない。
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参道は左に曲がり奥へと続き、そこに鳥居が建てられています。
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右に手水舎、鳥居の先に蕃塀と拝殿、本殿の伽藍の様です。
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個人的にこの辺りで舟型の手水鉢を見かけるのは珍しい。
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鳥居の先でドーンと蕃塀が構える。
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鳥居方向の眺め。
蕃塀左の樹の根元に何か石標らしきものがあります。
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水神社
張り出した根の勢いで石標も傾いてしまっています。
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蕃塀の先に四方吹き抜けの切妻瓦葺の建物は舞殿?それとも拝殿?
よく分からないのでここは舞殿としておこう。
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吹きっ晒しにしては綺麗な床、舞殿から拝殿の眺め。
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石垣が積まれ一段高いところに神殿域、手前で狛犬が守護している。
向拝が付けらた切妻妻入の拝殿のようです。
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狛犬、強調された吽形の目が印象に残る、出目金ならぬ出目狛。
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拝殿、本殿の全景、右側に複数の石碑が建てられている。
本殿後方と右側に僅かに城の空堀らしき名残が残る。
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拝殿内から本殿の眺め、社名から推測すると祭神は天照大御神。
創建となるとさっぱりわからない。
鳥居は大正の元号が彫られていましたが、1891年(明治24)の地図でここに鳥居の印が記載されているのでそれ以前である事は間違いない。
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渡廊から本殿。
本殿域右側、本殿右に板宮造の小さな社があるようですが、詳細は不明。
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拝殿の左側、左に猿田彦神社と本殿域にも一社祀られているようです。
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玉垣から続く塀の端に陶器の小さな狛犬。
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本殿左の三本の鰹木と内削ぎの千木が施された社、こちらも社名札はなく詳細が分かりません。
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本殿域右の石碑群は霊神碑、御嶽神社です。
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東側から境内の全景。
ここに城があった、そんな面影は感じられません。
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神社南側、この土手の向こうは庄内川が流れる。

『子安神明社』
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
住所 / ​春日井市大留町6丁目20-8
公共交通機関アクセス / JR中央線「神領」駅下車、​「大留神明社」、「天王山古墳」経由で徒歩30分
関連記事 / 春日井市大留町『天王山古墳』 、『神明神社』 春日井市大留町5

『大留城趾』
築城 / 1546年(天文15)
廃城 / 1584年(天正12)
城主 / 村瀬作右衛門

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