尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2020年12月

小牧市大字南外山『天神社』
航空自衛隊名古屋小牧基地の東に沿って南北に伸びる県道102号線、犬山街道としても呼ばれ、江戸時代には名古屋城下と犬山城下を結んでいた。
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 名古屋方面から小牧基地左に見て犬山街道を少し北上、南外山交差点を右折するとすぐ左に写真の鳥居が見えてきます、南外山『天神社』です。
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 白い鳥居と額、整地され間もない感じがする境内の先に南を向いて社殿が鎮座します。
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 鳥居から見える南外山交差点とその先に空に浮かんだ建物が印象的。
サイロの上に建つていて恐らくは機械室かと思われますが、遠目に見るとサイロの上に建つ一軒家。
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 境内左に手水鉢、龍はいません。
後方の建物は南外山会館。
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 南外山『天神社』社殿全景。
社殿域は天神社と津島社の二社が祀られているようです。
門松や神社幟も建ち、あと数時間で新しい年を迎える準備は万端のようです。
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 正面が天神社。
祭神は菅原道真、来年の干支の丑がつきものですがこちらで牛は見かけませんでした。
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 覆屋の下の社は流造で3本の鰹木と外削ぎの千木が施されています。
今年は初詣にはいきません、こちらで参拝させて頂きます。
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 斜めからと側面から社殿。
小さいけれど細かな彫飾り施されているようです。
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 天神社の右が津島社。
こちらも参拝させて頂きました、僅かな賽銭大きな祈願。

こちらの天神社、色々調べて見ましたが創建に繋がる情報には辿り着きませんでした。
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 年代別の地図でもこの場所に鳥居が記されるのは昭和に入ってから。
境内の白い鳥居に刻まれた年号は2010年(平成22)、一番古そうな手水鉢の年代は分かりませんでした。
平成という事はないでしょうが、周辺の区画整理や犬山街道沿いという事を考えると、近隣から遷座してきた物かも知れません。
いずれにしても詳細は分かりませんが、街道を挟んだ各集落ごとに氏神さまが祀られていても不思議ではない、それほど古い道筋です。
2020/12/31

天神社・津島神社
創建/ 不明
祭神 / 菅原道真
境内社 / 津島社
住所 / ​小牧市大字南外山259

今年一年、このブログを訪れて頂きありがとうございました。
流行病も東京で千人を越えてしまいました、間もなく訪れる新年が皆さまにとって良い年となりますように。来年もよろしくお願いします、お元気で。

愛知県知多郡美浜町野間冨具埼『冨具神社』
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 我家の問題児のナビに冨具神社をセットしたところ、何故だか神社東側の細い山道を登らせ冨具崎公園に導いてくれた。
少しばかり目的地にズレはあったものの、冨具崎公園から眺める野間の街並みと伊勢湾の眺望はなかなかいいものがある。たまには遠景でも眺めて見ればとナビが気を利かせてくれたのだろう。
グーグル先生に尋ねると公園から歩いても10分程、車は公園に駐車して山道を下り神社に向かう。
後で分かった事ですが、冨具崎港沿いを内海方向に走っていれば左側に冨具神社の駐車場がありました。
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 山道を下り集落の先に鳥居が見えてきました。
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 冨具神社社頭。
石の神明鳥居と常夜灯、右に社号標が建っています。
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 石橋を渡ると常夜灯と狛犬、参道はその先から登りの石段が杜の中に続いています。
常夜灯左側の手水鉢と古井戸?
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常夜灯から先は御覧のような石段が続く。
その手前には見慣れない風貌の狛犬が神域を守護しています。
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 顔つきに特徴のある狛犬(嘉永元年)。
双方共に耳が垂れ、阿形は怒らせると鋭利な前歯で噛みついてきそうだ。
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まずは正面の石段から、石段は随分と苔むし、使われている石も古いものの様です。
正面を登り切ると今度は左に続きます。
何段だったか忘れましたが、これだけ登れぱ頂です、後は突き当りを右に進むと社殿に到着です。
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 冨具神社ニノ鳥居から境内の眺め。
鳥居左に手水舎、社務所、正面に拝殿・本殿。
頂きにありながら、やたらと広い境内を持っています。
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 鳥居右に戦役記念敵弾
詳細は語られていないけれど、日清日露戦争の砲弾を記念碑としたようです。
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さざれ石。
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 冨具神社全景。
切妻瓦葺で平入の拝殿、左右に境内社が祀られています。
ニノ鳥居から拝殿にかけて狛犬はいないようです。
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 大きな注連縄が印象的。
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 拝殿内から幣殿、本殿方向の眺め、外見以上に内部は広く、床板はピカピカに輝いています。
近年社殿は一新されているようです。
こちらの祭神は祭神は風神として知られる志那津比古命と志那津比賣命を祀ります。
神社由緒によれば、風宮神社と称された時代もあり嘉永2年に改号された。
創建は明らかではないが、愛知県尾張國知多郡旧野間町の総鎮守、総氏神として祭られてきた。
言い伝えで「志那津比古命と志那津比賣命をお祀りし、海上鎮護、風雨の調和、作物豊穣大量満足を祈願するように」お告げをうけて社を設けたようです。
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古書によれば「従三位冨具神社または冨具天神」。
尾張国神名帳に「智多郡坐明神 天神従三位冨具天神文治二年丙午(1186)三月宣命状國中皆増位階」、尾張史には「冨具ノ社、細目村にあり風ノ宮大明神と称し、ふぐをふうくうと称し風宮となる、当村及び一色村の氏神なり」と記録が残る。
社伝には1509年(永正6)水野氏下野守の再建と記録が残り、尾張名所図会にも描かれるなど、かなりの歴史を持つ神社。
往古より海岸に鎮座する冨具神社は、GPSのない時代に航行する船の見当とされ、伊勢湾の風や潮流による災厄を鎮める神として船人から崇敬され、この沖を航行する舟は必ず片帆を下げ畏敬の念を表したそうです。ポンコツナビの誤差なんぞは道だけの問題、海となれば「ここは何処よ」「魚の宝庫はどこだっけ」となる。
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 拝殿左右に祀られている社。
写真右から山神社、楠宮社、秋葉社、多賀社。
これらも社殿同様に新しいけれど、社務所に伽藍や参道修復の写真が掲げられていましたが、どうやら台風で相当の被害を受けてしまったようです。
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 冨具神社の本殿はなかなか見て取れません。拝殿横から見るに神明造のようです。
社務所に掲げられた由緒もしっかり書かれ、初めて訪れた者にも分かりやすい。
先に見た末社以外にも祀られているようで、社務所左の下り坂を探し歩いてみた。
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アスファルトの整備された裏参道はそのまま国道に通じていました。
 (・・・・・公園に停めた事を後悔)
坂の途中に手水舎。
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ここが見落としていた境内社のようで、参道から2段に分かれ社が点在しています。
手前の社は金刀比羅社。
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 樹々の間から伊勢湾が望める高台には社が三社と石像が安置されています。
正面の二社は左から御嶽社、幸宮社が祀られています。
御嶽社の前の石像は覚明行者、普寛行者だろうか。
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 右手の一社は恵比寿社。
参道の向かいにも石段があり、そちらにも向かってみた。
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 古びた石段は二つに分かれ本殿後方に続きます。
そこに祀られていたのは津島社。
裏参道を少し下れば国道に繋がりその先は冨具崎港、国道脇と社務所西に参拝者駐車場もしっかり用意されていました。
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えらい遠回りしたもんだ、ナビがあってもこんなもんだ、これじゃ大海原なんて到底目指せない。
さすがに車までの見当は不要だろう。
車を停めた冨具崎公園まで坂を登るか、その前に正参道の下りの石段が待っている。
2020/10/26

冨具神社
創建 / 不明
祭神 / 志那津比古命、志那津比賣命
境内社 / 山神社、楠宮社、秋葉社、多賀社、御嶽社、幸宮社、金刀比羅社、津島社、
住所 / ​愛知県知多郡美浜町野間冨具埼65
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年末年始にかけて「大雪が降るぞ!」
随分前から長期予報で警鐘を鳴らしています
冬の準備はできてますか?

我家の車も冬支度しなければと思いながら手付かずだった
昨日ようやく二台の車を冬タイヤへ、弱っていた軽自動車のバッテリーも衣替え。

タイヤ交換は毎年恒例だけど、一年中冬タイヤのままにしていたおやじの車、今年夏タイヤに戻していたのを思い出し2台一度に冬タイヤへ履き替えた。

バッテリーは馴染みの店で車検の際、データを基に交換を勧められていたけれど、価格が折り合わず後日Webで購入し​DIYで交換、古いバッテリーの処理はお店の厚意でお願いする事で車検を終えていた。
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到着したバッテリー、購入価格は7,600円。
処理はお願いする予定でいたけれど、バックアップ用のバッテリーもないので自宅で保管する事とした。

保管・管理しておくと、今回の様にバッテリー交換の際に、繋いだまま交換できアクセサリー類やちょっとしたデータ(累計節約燃料、アイドリング停止累計だとか)が残るので時計等後で再セットの必要がない。
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外観は新品なのでピカピカ。
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説明書も付いているので心配な方はこれに従って交換すれば問題なく交換できるはず。
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42RのRは写真の様に見て右側に+があるバッテリー、車種によってこれが左にくるLがあり、個人で購入し「やって見よ」と思われる方はLかRを良く確認し発注しないと、オークションに出すことになるやも。我家の軽の場合はR。
昔の車(何年前の事じゃい!)は間違えても何とかケーブルが届いたものですが、近頃の車のケーブルにそうした余裕はありません。
ボンネットを開けると地面が見えたあの時代に比べ、軽とはいえエンジンルームに一杯物が詰め込まれ地面など見えやしない。
使う工具はスパナがあれば事足ります、先端に10と書かれたものを使います。
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【ケーブル端子取り外し】必ず-(マイナス)側から外します
取り外しは左の写真の-(マイナス)側から、ナットを緩めて金具を上に持ち上げれば簡単に取り外せます。緩める場合は左回せば緩みます。

次に右の写真の+(プラス)側の赤いカバーをめくり同様に取り外し、バックアップ電源を繋いでいる場合、金具は簡易の絶縁効果が期待できるタオルか軍手で金属(車体)に触れないようにして、交換の邪魔にならない所に置いておきます。
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【本体取り外し】
バッテリーを車体に固定するための取り付け金具を緩めて、取り外します。
これも10と書かれたスパナでナットは緩めれます。
金具の下側はフック状になっていて、先端が車体と食い込み固定されているだけです。
ナットは緩めるだけで、外す必要はありません。金具を外せば交換できるようになります。
バッテリーは見た目の大きさに対し重いので、特に配送業者から手渡される際は重いものを持つ意識がないと「結構重いぞ!」という事になります。因みに10㌔程で米一袋の重さ。
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米一袋を取り外し、新旧比較、やがて左のようになる。
バッテリーはタイヤと同じ消耗品、車に10年乘るとして5回は交換することになります。
今回はBOSCH製を選択しましたが、今どきのバッテリーは握り手が付いているのでハンドリングはとてもいい。
元通りに米一袋をセットすれば復旧です、順番は【取り付け金具】➡【+(プラス)側】➡【-(マイナス)側】
この順番で元に戻せは交換は終わりです。 必ず【+(プラス)側】から取り付けます。
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交換完了。
今回はバックアップ電源を繋いでいないので時計やらラジオやらの再セットをします。
バッテリー交換時間はゆっくりやって30分程です。
タイヤ交換は2台で1.5時間程でしたか、これで冬の準備は出来た、雪を待つばかりだ。

ここからは余談
バッテリー交換は割高な料金を取りながらバックアップも取らず交換するデイーラーがあるので、交換後はこうしたメモリーを見ればそのデイーラーの素性が分かります。
我家の軽が正にそれ、納車後1週間でエンジン始動不能(原因の究明、部品交換もなく)から始まり、初期トラブルが連続する「遊べる軽」のはずでしたが「問題児」そのもの。
バッテリー交換に出せばメモリーをセットする繰り返し、今はそのデイーラーと付き合いはしていません。そもそも二度とこのメーカーを選ぶ事はないでしょう。
今この問題児にはメーカーからリコールの案内が届いているけれど、それとて馴染みの町工場で代えてもらおうと思っています。
ユーザーの?こうした声と症状はデイーラーもデータとして持っています、それらが集まってリコールにも繋がります。
おかしいな事象や前兆は言葉では意思疎通がとれないもので、再現性もなかったりします。
写真や動画に残し相談すると意外に問題個所の特定と対応は早いようです。

ところで古いバッテリーは一般廃棄物で廃棄は出来ませんのでご注意を。
引き取りを依頼する場合は1,500円前後が相場の様ですが、バッテリー内部の鉛は再資源化されます、専門業者だと㌔いくらかで買い取ってもらえるようです。

鹿児島県鹿児島市黒神町『腹五社神社』
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 朝陽を受け桜島のシルエットが浮かび上がる、観光で訪れた者には記憶に残る短くも美しくい光景です。(鹿児島市内より)
自然は人に感動や恵みを与えてくれる、しかし時に過酷なまでの絶望感に満ちた試練を与えます。
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 黒神埋没鳥居と呼ばれる『腹五社神社』は、鹿児島市からフェリーで島に渡り、桜島港から国道224号線と県道26号線を10分程走った島の東側にあたります。
桜島は現在大隅半島と陸続きとなっていますが、以前は独立した火山島でした。

1779年の安永噴火以降穏やかだった桜島、大正3年1月12日の朝、引ノ平付近の噴火から始まり、東山腹の鍋山付近へと活動が広がり、明治維新以降に我が国が経験する最大の噴火「大正噴火」となります。
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 東山腹にあたる鍋山付近から流れ出た溶岩流は、東桜島村の脇・有村・瀬戸の集落を覆い尽くし、幅約360㍍、水深75㍍の瀬戸海峡をも埋め尽くし大隅半島まで到達し陸続きとします、これが今の桜島の姿になります。
当時の桜島は東桜島村と西桜島村に分かれていたそうで、18の集落に約2万人の島民が生活を営んでいた、この噴火により多くの人命と家屋、農地が失われました。
海峡を泳いででも逃げようとして亡くなった方もあり、地獄絵図そのものだったと云います。

埋没鳥居として知られる『腹五社神社』には大正噴火の記憶がそのまま今に留められています。
神社を訪れる気持ち以前に自然が与える試練を目に焼き付け、自然から驕り高ぶった人に対する警鐘を感じ取っておきたかった。
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 県道26号線沿いに無料駐車場があり、道路を渡った黒神中学校の右が目的地。
駐車場には強固なコンクリートで作られた避難壕が、島内の至る所にこうした避難壕が当たり前の様に設置されています。
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 駐車場から黒神埋没鳥居は目の前。
学校の敷地と隣り合わせ、というか一部になっている。
神社のある黒神地区、地名の由来は諸説ありますが、女性の髪の様にふさふさした木が茂っていたことから「黒髪」とついたといわれます。
大正噴火当時に黒神地区には約700世帯あったとそうですが、神社を含めそれらは全て噴火による火山灰により一日で埋没しています、その高さは実に2㍍にもなるそうです。

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 県道を渡り神社へ、右手の石垣は黒神中学校の校庭。
あれから100年を経過し、道路を含めてこれらは堆積した火山灰の上に作られたもの、周囲は黒髪の様な樹々が生い茂り、当時の惨状を伝えるものは少なくなっているようです。
一日にして集落を埋め尽くす自然の力に対し、人が出来る事は時間もエネルギーも遠く及ばない。
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 神社入口の解説。
島へは船で渡っていたものが大正噴火による30億㌧の溶岩により大隅半島と陸続きとなった。
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 「桜島・錦江湾Geo Park」、地球・大地からのメッセージから学び、保全し、地域の活性化につなげる公園。ユネスコの認定を受けた世界Geo Parkが国内9カ所、日本Geo Parkが43か所あるという。
以前掲載した「嘉例川駅」のある一帯は2010年に認定された霧島山を中心とした日本Geo Parkの「霧島Geo Park」でした、「桜島・錦江湾Geo Park」は20013年に日本Geo Parkに認定されたもの。
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 黒神埋没鳥居と参道全景。
左の石垣と大きな木(アコウ)の陰に包まれた横が参道にあたります。
右に資料館、左に赤い覆屋があり、参道を塞ぐように石鳥居の笠木だけが露出しています。
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 赤い覆屋の中には小さな社が祀られています。
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Geo Park認定の翌年に隣の黒神中学校の生徒らが作成した、桜島の成り立ちから防災情報を伝える解説。Geo Park認定は郷土を知るうえで貴重な経験と知識を得る機会にもなっているようです。
観光で訪れた者から見ると、活動が続く桜島の噴煙と山肌を間近に見ていると「いつなんどき・・・・」を想定してしまうものですが、火山と共に生活を営む住民には長い経験からくる「桜島の掟」があり、火山との付き合い方を熟知しているようです。

自分は活動している山に登ると無意識にペースが上がり、腰掛けて火口や噴気孔を眺める余裕は未だにない、まだまだ肝が据わっていないようだ。
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 『腹五社神社』鳥居
災害前の鳥居は高さ3㍍ほどだったと云われ鳥居、貫の直下まで火山灰が堆積しています。
これが自然の力、大正噴火そのもの。
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 額束の文字「腹」は読み取れるけれど下は欠損し読み取れない、『腹五社神社』と記されている事だろう。今は灰の下に埋もれてしまった黒神集落の氏神さまだ。
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この鳥居は昭和38年に県の天然記念物に指定を受けている。
噴火により埋没した神社は垂水町の牛根麓稲荷神社も同様ですが、そちらは埋没したものを笠木部分まで発掘したものという。
黒神の埋没鳥居は住民により掘り起こす動きがあったものの、時の村長だった野添八百蔵は自然の脅威を後世に伝える為、発掘を中止し当時のまま保存することにした。
自身を含め神社を掘り起こしたい住民の気持ちと、事実を保存し伝える意義の選択の中での決断だった。
その決断のおかげで人の英知など及ばない自然の脅威を今もこうして感じることができる。
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 埋没鳥居からは参道が続き現在の本殿へと続きます。
参道の左右には複数の境内社が祀られています。
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 左側に一際大きな覆屋があります。
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 内部には小さな石の社が祀られています。
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その中に石像が安置されている。
子安観音なのか、見ようによってはマリア様にも見えなくもない、いずれにしても埋没した神社にあって、穏やかな表情で子供を抱くその姿がとても印象に残る。
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 本殿に至るまでに見られる境内社。
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 『腹五社神社』本殿
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この地にあり、自然の脅威に見舞われた経験から、避難壕のように強靭な造りの社殿は当然の事だろう。
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 普段なら色々と祈願する事があるけれど、この時は何も思いつかなかった、しいて言えば平穏に生かされていることへの感謝だっだように思う。
鎮座は350年前と伝えられているようですが詳細は不明。
腹五社神社の祭神は瓊瓊杵尊 木花咲耶姫 彦火火出見尊 豊玉姫命 鸕鶿草葺不合尊を祀り、御神体は当時のものが一部を除き焼け残り、今も祀られていると云う。
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 本殿から参道の眺め、右側が校舎で参道を廊下が横切っています。
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 石垣の脇に聳える巨木はアコウの樹。
枝や幹から気根と呼ばれる根が絡み合い、生命力の強さが感じられます。
この樹は大正噴火にも耐え、今も力強く聳えている。
『腹五社神社』は自然がもたらす絶望的な脅威と逞しさを感じることが出来、周囲の景観には絶望的な自然災害から立ちなおしてきた人のエネルギーを感じさせてくれます。

黒神埋没鳥居『腹五社神社』
創建 / 不明
祭神 / 瓊瓊杵尊 木花咲耶姫 彦火火出見尊 豊玉姫命 鸕鶿草葺不合尊
住所 / ​​​鹿児島県鹿児島市黒神町647
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 尾張旭市渋川町3「直會神社」
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 矢田川に架かる印場橋下流から上流の眺め。

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 矢田川右岸堤防の北側が渋川町3になり、直會神社は中学校の西側に鎮座しています。
境内に聳える大きな樹々は堤防からも直ぐに目に付くものです。
訪れたのは2020/12/9、玉垣には大祭を知らせる赤い幟と癌封じ祈願と書かれた白い幟がたなびいていました。
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 社頭の眺め。右側に社号標と手水舎、社務所。
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 手水舎と龍口。
儺追(なおい)水と呼ばれ、後方に解説が記された碑がある。
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 神殿域。
広い境内の東側の一画が一段高く盛られ、大きな樹々の下に社が祀られています。
神明鳥居の先に石段が付けられ拝所へ続く。
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 鳥居左にも社号標
こんもりとした杜ですが重く澱んだ印象はなく、風の通りもよく陽の空間。
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 切妻、妻入りの社殿で、本殿が祀られた部分を除き吹き抜けになっています。
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 拝所から本殿域。
神社額は本殿域に掲げられています。
土間全体に御影石が敷き詰められ、鏡の様に周囲の景色や光が映り込み明るい印象を受けます。
こちらの神社、幟にもあるように癌封じの御利益があるそうで、祭神は神直日神と大直日神。
「僅かな賽銭・大きな祈願」家族全員分をしっかりとお願いする。
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 拝所右側のお祓い石
「昔から直會神社は腫物、吹出物などの治療に効験あらたかで、神殿の前にある小石で患部をさすると治ると云われていきました。(小石を持ち帰り、患部をさすり、治ったら、その小石を左側の納所へ戻す)
神殿前に御祈祷した黒い小石を置きましたのでご利用下さい。
現在では腫物の中でも癌が一番関心を集めています、癌予防、治療を含めて癌封じにご利用ください。
笑う門には福来るといいます、落ち込みかけた心を笑いの力と信じる気持ちで吹き飛ばしましょう。
心より応援します。直會神社 澁川神社」
こちらの神社に神職は常駐していません、ここから北に鎮座する澁川神社が管轄されているようです。
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 鳥居左の解説
676年(白鳳5)に天武天皇の大嘗祭が行われ、その悠紀斎田がこの地(尾張國山田郡)にあったと伝えられる。
大嘗祭とは、天皇が即位したあと、その年に取れた米などを神様に供える祭です。その米は占いによって定められた田んぼで大切に作られました。
田んぼは都より東を悠紀斎田、西を主基斎田と区別して呼んでいた。
直會神社は、悠紀斎田での収穫をお祝いして神様に供えた、お酒や食べ物などの御下がりを頂く「直會」という儀式跡に建てられ、祭神は、罪や穢れを祓う神直日神と大直日神。

この神社にお願いすると、体の穢れ、腫物やできものが治るとされ、「のうらいさま」「にょうらいさん」とも呼ばれ親しまれている。
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 遠方から参拝に訪れる方もあり、名古屋市昭和区紅梅町や守山区森孝新田には直會神社への道標仏も建てられています。直會道と呼ばれた嘗ての道筋も、区画整理と共に失われました。

毎年、3月と12月の第1日曜日には直會神社の大祭が行われ、植木市や露店が参道にたち賑わいを見せる。また、お神楽やお神楽や市指定無形文化財の打ち囃子も奉納される。
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 神社の創建時期は以前掲載した斎穂社と同時期の676年(白鳳5)頃とされる。
1891年(明治24)頃の地図を調べてみる、澁川神社の印は見つかるも「直會神社」は記されていない、形態はともかく実際に鳥居が記されるのは昭和に入ってからでした。
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 直師夢想東軍琉棒の手の碑と二つの境内社。
碑文は「古くは村落自衛の為、武者修験者に授けられてきた棒術が神楽芸能として変わっていく時代の文化文政年間、森下理右衛門が出来町蓬師範のもとで修業、代々にわたり在中地区農民に伝授、文政四年「直師夢想東軍琉棒術目録」を授け、農民の手で相伝され現在に至る。
昭和三十二年、尾張旭市棒の手として愛知県無形文化財、同五十一無形民俗文化財として再指定される。」
奥の二つの社は詳細不明。中腰で覗き見れば御札から分かるやもしれない。
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 境内南奥から社殿を横から眺める。
社殿半分がポッカリと開き吹き抜けになっているのがよく分かる。
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 穢れを払い、禍を直す神を祀る「直會神社」
アスファルトの隙間で懸命に花をつけるスミレの花。

今日の「マスクの方」の話を聞けば聞くほど、今一番穢れを払い、禍を直す必要に迫られている方々が他にいるようでならない。

「直會神社」
創建 / 676年(白鳳5)
祭神 / 直日神(神直日神、大直日神)
住所 / 尾張旭市渋川町3
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線​「印場」駅下車南へ徒歩20分程
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