尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2020年12月

名古屋市瑞穂区大喜町3
過去に掲載した田光八幡社の社頭から東へ、千種郡道を超えて徒歩2~3分も歩けば大喜町の「秋葉神社」が現れます。

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街並みの先のこんもりした樹々が田光八幡社の杜、その手前に見える交差点が南北に伸びる千種郡道。
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上は大正の頃(左)と右がほぼ現在の当地、赤い線が千種郡道。
1909年(明治42)に南区呼続の東海道から北の飯田街道を結ぶ目的で整備された道で、整備といっても道幅が広い訳ではないけれど、群道界隈には当時の街並みを垣間見ることが出来ます。
大喜町の「秋葉神社」の印は描かれてませんが町のほぼ中心に鎮座し、この一帯の火伏を司っているのが分かります。
現在は周辺の家屋は建替えられ静かな住宅街の趣ですが、道は狭く隣家と隣り合うような環境なので火伏の神は今も地元では大切にされています。
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細い路地の片隅に周囲を玉垣で囲った一角が社地として与えられています。
社頭右に社号標が建ち、境内は二段に整地され、上段に台座が組まれ社が祀られています。
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社頭全景。
住宅街の神社でありがちな、左右や後方に壁の様に住宅が迫り、閉塞感すら感じる空間とは少し違い、解放感のある社地。
鳥居や狛犬はないものの、街中の「秋葉さん」としては形が整った大きめの神社かもしれません。
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こちらの神社詳細は分かりませんでした。
社前に建つ春日灯籠に刻まれた1931年(昭和6)が創建に繋がる一番古い年号でした。
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社全景
まずは参拝させて頂きます。
右手が細い路地、後方は駐車場という事で風が通り、境内の樹々も綺麗に選定され、良く手入れされていることもあり明るく気持ちの良い空間。
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板宮造りの二社宮。
祭神は一柱は火之迦具土神だと思いますが、もう一柱は分かりません。
社名札が欲しいところ。
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東の路地から見る社、見上げる高さから大喜町を見守っているようにも見える。
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狭い路地が多く、住宅が密集したこの地域、火災でも起これば他人事では済まされない、路上駐車でもあろうものなら消防車の身動きはとれないだろう、運命共同体のようなもの。
綺麗に手入れされた秋葉神社や、見事に路上駐車のない光景を見ていると、我家の近所にはないあるべき姿を見た様な気がする。地域の結びつきの強さのようなものが感じられ。

瑞穂区大喜町 「秋葉神社」
創建 / 不明
祭神 / 火之迦具土神
住所 / 名古屋市瑞穂区大喜町3-23-4
公共交通機関アクセス / ​地下鉄鶴舞線「瑞穂運動場西」から西へ徒歩15分ほど
関連記事 / 『田光八幡社』

鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にある、JR肥薩線の無人駅「嘉例川駅」
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 山深い場所の様に見えるけれど、台地の上にある鹿児島空港から車で15分もあれば、こんな長閑な風景があります。
写真は駅舎から150㍍程手前の高台に観光客用として大駐車場が整備され、ここから歩いたところで知れています。
駅舎前は駐車禁止で路線バスのロータリーでもあり、物見遊山の駐車はこちらが迷惑にならない。
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この看板脇から高台から降りる階段が整備され、歩道は駅舎へと続きます。
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 駐車場突き当りから駅舎への遊歩道。
山々に囲まれ、緑に包まれた光景の中に一本の線路が伸びています。
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 歩道から嘉例川駅方面の眺め。
周辺の木々は桜、春には桜のトンネルの中を電車が走っていく。
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 歩道はやがて公園に続き、その先が駅舎のあるバスのロータリーに続きます。
この辺り、その昔はこの駅で降車し妙見温泉へ湯治に向かう人で賑わいを見せたそうですが、今は駅舎を目当てに訪れる観光客が主の様です。
往事の賑わいも今はなく、静かな山間の駅、生まれ故郷に戻ってきたような懐かしさすら感じる。
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 霧島ジオパークの解説板。
宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島山を中心とした北西-南東方向の30㌔ × 20㌔の範囲にある20あまりの火山が密集する地域をこのように呼び、有史以前から現在に至る火山活動の歴史やそれにより育まれた自然の多様性、そこに暮らす人々の歴史や文化を案内するものです。
鹿児島を訪れ、桜島から始まり、開聞岳に霧島山とこの地は生活と火山はとても身近存在。
嘉例川駅はこの地図の左下あたりになります。

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 駅前ロータリーから駅舎全景。
このレトロな外観の駅舎、無人駅でありながら特急が停車する珍しい駅。
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 駅舎は県内最古で登録有形文化財に指定され、地元自治体が所有管理されている。
歴史を辿ると1903年(明治36年)に営業を開始、当時は妙見温泉への入口の駅として賑わったものの、やがて1984年(昭和59年)に無人化され、「嘉例川駅」開駅100周年にあたる2003年に有志の方々による祝賀会をJR九州に具申したそうですが無人駅ゆえに相手にされなかったそうです。
しかし自力で賛同者を集め、祝賀会を開催し多くを集客したことから、2004年(平成16)に特急列車「はやとの風」の停車駅となり、約5分間停車し停車時間内に駅舎の見学や記念撮影などができるようになり認知度が上がったようです。
地元から愛される駅舎は2004年に旧隼人町が買い取り、駅弁や猫の観光大使など注目を集めるPR活動が盛んに行われているようです。
それら地元の思いは2006年登録有形文化財、翌年の2007年には 南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産のひとつに指定されるなど実を結びその価値が認められ今に至るようです。
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 昔ながら土間の待合室、そこにある長椅子は昔は結構見かけた記憶があります。
なんだか懐かしいものが今も現役で残っています。
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 待合室の時計も今だ現役で時を刻んでいます。
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 駅舎の照明も白熱電球、昔のままなのでデザインは建物にマッチしています。
LEDにはない色合いと温もりがあります。
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 待合室の左の執務室が展示スペース、その奥は入れませんが中には過去の駅名標やタブレット閉塞器が無造作に置かれています。
昔、電車の乗員が輪っかの様なリングを駅員に渡していたのを記憶しているけれど、それをこの閉塞器にセットして単線路線で複数の列車が走らないように制御をしたものらしい。
赤い開閉器の塗装の朽ち方がこの駅の歴史そのものかも知れない。
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 嘉例川観光大使「たぬき猫 にゃん太郎」
ウナギイヌは知っているけれど、たぬき猫とは新種の猫?
ンな訳はない、目の周りのマークがたぬきを連想させたのでしょう
本人は知る由もないだろうがもう少しなんとか・・・でもやっぱり狸か
今は天に召され、観光大使の重要なポジションは空席の様です
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 ホームから「きりしまおんせん」方向の眺め、線路は真っすぐに続き山に吸い込まれていきます。
この先の大隅横川駅も嘉例川駅同様に開業当時の駅舎で、戦時中の機銃掃射を受けた柱にはその跡が残るそうです。
山郷の無人駅の趣は嘉例川駅の方が味わえるのかもしれません。
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 現在掲げられていた駅名標。
古びた梁の木目と黄ばんだ漆喰壁もこれはこれでいい。

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「なかふくら」方向の眺め
線路の左に長く続く石積みは、以前使われていた列車交換用のプラットホーム跡で、線路が撤去されホームの面影は残っていませんが、その長さは現在のホーム以上あるのでは。

このホームから列車に乗り夢を求め、山郷から町に出る、なんだかイルカやアリスの歌詞が浮かんでくる光景です。
古いから新しいものに変えるのもいいかもしれない、古いものには其々の思い出も残っていていいものだ。

JR肥薩線「嘉例川駅」
住所 / ​鹿児島県霧島市隼人町嘉例川2176
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ついこの間まで暖かい日が続き、節々がとても調子よかった
先日の降雪以降から手のひらを返したように本来の寒さを取り戻してきたようです
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日暮れも早く、空には黒雲が空のどこかには居座り、隙あらば「降らせるぞ」と云わんばかりだ
腰痛、関節痛持ちにはこの急な温度差がとてもこたえる
体中の関節という関節は完全に油切れ、体はフリーズしている

散歩に出かけても随分と樹のシルエットがはっきりし、視覚からも寒さを感じる
スキー場にとっては有難い冬将軍到来、こんな寒い中に夜中に起きてスキーだ、山だと良くぞ行けたものだ、あの頃はなんだったんだろう
今は人であったり、風呂であったり、熱燗だったり、ひたすら温もりが恋しい
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殺風景な景色が増えていき、視覚は無意識に夕陽の色合いや落下盛んな椿の赤い絨毯に目が行く
一時帰休もあったりと年内の御勤めもあと少し、楽しみにしていた計画も見送り
COVID19は冬将軍以上に身に染みる

知多郡美浜町奥田海道田、曹洞宗東林山「瑞延寺」
以前掲載した常滑街道沿いの八幡社から道一本東に入った所に鎮座し、八幡社から歩いても数分の距離。
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 知多半島には認知度の高い八十八ヶ所巡りとして「知多四国霊場」があります、うちのかみさんが今コンプリートを目標に巡っているところですが、それとは別にもう一つの知多の霊場巡りとして「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」かあります。
札所寺院も「知多四国霊場」の寺院とは別の寺院で構成され、新たな発見や出逢いがあります。
今でも「直傳弘法さん」の愛称で親しまれ、熱心にまわられる方も見えると聞きますが、今一つ認知度は低いようです。
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ここ「瑞延寺」は「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第56番札所。
宅地化が進むなか、僅かに残った畑の中に伸びる細い道の突き当りに瓦屋根の建物が見えます。
そこが曹洞宗東林山「瑞延寺」、左に寺号標があり、その奥に赤い鳥居が見えます。
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 境内に入ってすぐ左に小さな観音堂と稲荷鳥居の前に百度石があります。
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 中に安置されるのは青面金剛童子?馬頭観音?
台座には邪鬼と三猿らしき姿が見えるけれど相変わらずよく分からない。
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 境内左に赤い鳥居と狛狐、稲荷の様ですが、鳥居の額には何も記されていないような。
右手が「瑞延寺」本堂。

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 鳥居扁額、こうして見ると何も書かれていない様ですが、PCで調整すると末広稲荷と出てきました。
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 稲荷堂正面全景
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・・・・・読めない、額の揮毫は大正6年と読めるけれど、それが創建時期を示すものなのか詳細は分からなかった。
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 稲荷堂右が本堂。
拝見した事はないけれどこちらには聖徳太子三歳の像が安置されていると今います。
以前掲載した「報恩寺」の末寺になるそうです。
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 寄棟の屋根の傾斜や軒に向け僅かに反りがあり、安定感のある姿。
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 棟込瓦には東林山と山号が入る。
創建は1504年(永正元年)の開基、報恩寺三世和尚により創立され。当時は瑞松寺と呼ばれていたという。瑞延寺に改称されたのが1714年の頃だといいます。
過去には恋の水神社の本社がこちらに祀られていたとされる。
この寺の創建に繋がるものとして、1670年(寛文11)に尾張藩が纏めた「寛文村々覚書」の北奥田村村絵図の中で瑞延寺が記されているという、見た目以上に古い歴史があるようです。
本尊は延命地蔵菩薩。
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 瑞延寺は静かな田舎の風情漂う寺でした。
2020/10/26

四国直伝弘法八十八ヶ所霊場第56番札所
曹洞宗 東林山 瑞延寺
宗派 /   曹洞宗
山号 /  東林山
開基 /   1504年
本尊 /   延命地蔵菩薩

末広稲荷
創建・祭神 /    不明
住所 / 愛知県知多郡美浜町奥田海道田136
公共交通機関アクセス /   名鉄知多新線​「知多奥田」駅下車 西に徒歩で10分程
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ここは名古屋市北区清水
以前掲載した「経王大菩薩」から上街道を5分程北上し西に1本入った辺りに白龍夫婦龍神が鎮座します。
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 細い路地沿いに明神鳥居、右手は公園なのだろうか小さな鉄棒がある。白い幟が立ち並んでいます。

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 白龍夫婦龍神社頭
左右に社標が三つあり鳥居の先はすぐに覆屋でさほど奥行きはないようです。
ここから上街道を少し南に行くと経王大菩薩がありますが佇まいはよく似ている。

こちらはその名の通り夫婦の白龍を祀る神社、白龍はよく耳にするけれど夫婦と付くのは珍しい。
それが妙にほのぼのとし、ほっこりした印象を抱かせます。
仲睦まじい夫婦の龍が空を駆け巡る、飛躍した想像の世界が広がる。
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 鳥居をくぐってすぐ右手に手水鉢と芭蕉和尚と刻まれた碑があります。
云わずと知れた松尾芭蕉(1644年~1694年) を指しているのでしょう。
句碑らしきものはなく、この神社との縁はよくわかりません。
手水鉢の前面に彫られたものは何を表しているのかよく分からない、よもや蛇のウロコ?それは考えすぎか。
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 白龍夫婦龍神の覆屋内
正面に板宮作りの本殿と右に三社殿、更に右には赤い座布団の上に石が置かれている。
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これといって謂れが掲示されていないのではっきりしないけれど、よもや白龍の御神体?
蛇にも龍にも見えず、表面は艶がある。
恐らく願いを込めもち上げた時に軽く感じれば願いが叶うという石、重軽石だと思います。
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 三社殿
「秋葉社・天照皇大神宮・津島社」の社名札があります、この社の形態でこの祭神、過去からここに祀られたものではなく、恐らくは変貌を遂げた周辺の住宅で祀られていた屋根神さまかもしれません。
日々地元の方々で手入れされているのでしょう榊も瑞々く、覆屋内はとてもきれいに保たれています。
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 本殿
白龍夫婦はここに祀られているのでしょう、
この神社がいつから鎮座するものか、はたまたどこからか遷座されたものなのか詳細は全く分かりません。ただ間違いないのは、この神社を守る「三北町」の方々は白龍夫婦を崇敬されていることは伝わってきます。
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 上は覆屋内に貼られていた神社清掃マニュアル。
持ち回りで手入れをするにあたり、分かりやすい手順が記されています。
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 「白龍夫婦神社」について記された掲示物はこれだけだった。
どなたか長老の記憶を辿り、由来を書き加えていくといいのだろうが。
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 上は1920年頃の当地、マーカーの右に上下にまっすぐ伸びる赤い線が上街道(旧木曽街道)。
街道沿いに集落はあるものの、そこから一歩出ると周辺には田畑が広がっています。
今では高速道路の高架が聳え想像すらできませんが、これもほんの少し前の事。
白龍夫婦をお祀りする動機と環境は整っている。
一説には神社北側を流れる堀川沿いに巨木があり、その中に石の様なものがあり、それがいつからか白龍としてここに祀られたとも。  
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 白龍夫婦の痕跡は見られませんがこの寒空の下、妙に温もりを感じる神社である事に間違いない。
なにしろ夫婦の白龍が祀られている、その辺の白龍とは訳が違う、二倍の御利益を授かる事が出来るのではないだろうか。

龍は蛇にも結び付きます、二匹の「白蛇なんですよ」となると温もりは吹っ飛び鳥肌に変る。
昔の地図や手水鉢の彫を見ると蛇の可能性も捨てがたいぞ、だとすれば白だろうがピンクだろうが、今は蛇は好まない。
2020/12/17

白龍夫婦竜神
創建 / 不明
祭神 / 高龗大神

境内社 / 秋葉社・天照皇大神宮・津島社
住所 / 名古屋市北区清水5-10-13
公共交通機関アクセス / ​地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約10分
関連記事 / ​経王大菩薩

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