尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2021年03月

牧野ヶ池緑地
名古屋市名東区にあり灌漑用の牧野池を中心に公園と森が残されている。
前日の雨も上がり緑と桜を見ながら歩くには絶好かもしれない。
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駐車場西側の案内図
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竹の小径方向に向け南へ
子供達が休みに入っているのをすっかり忘れていた
ここなら親も安心して子供を自由に飛び跳ねさせられる
雨後の公園は帰ってから洗濯が大変かもしれないが、洗濯は洗濯機がやってくれる、好きにさせてやればいい。
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竹の小径
筍採取禁止の看板の多い事
そうだよなぁ、そんな時期だ
ここは真昼間より、少し陽射しが弱い時間帯の方が緑も鮮やかで趣が増すかも知れない
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ひと回りして西側の芝生広場へ
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これは山桜か? 鮮やかな緑の若葉が目に優しい
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芝生広場
緑も勢いづいてきた、この時期の緑は鮮やかなものです
森は一雨ごとに芽吹いている
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道端で見つけたスミレ
既に終盤のようで、鮮やかな紫ではなく色は褪せてきている
no title
何かが出そうな鬱蒼とした山道に入る。
粘土質の地面は昨日の雨で滑りやすい。
10分かからないくらい歩いた頃、森は開け視界が広がる。
白美龍神
ゴルフコース建設のためこの森を拓いていた際、森の中にある池の水面を泳ぐ大きな白蛇を多くの方が目撃した、人々は恐怖に慄き白蛇を鎮めるために祀ったのがこの神社。
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神社から人気のない尾根沿いを北に向かい牧野ヶ池西側の「わいわい広場」方向に出る。
こちら側は桜を楽しむ家族連れで賑わっている。
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駐車場に向かう途中で見かけた桜。
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高針JC東のループは無機質な美しさを持っているけど、それを背景に自然の美しさの対比が面白い。
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案内図に駐車場歩いたコースを落としてみました。歩くだけなら30分程か
牧野ヶ池緑地
所在地 / ​名古屋市名東区猪高町大字高針山ノ中

我家の前の桜の古木が今年も見事に満開を迎えた
 この時期は家族揃ってこの桜を眺めながらバーベキューをやったものだ
息子達もそれぞれの道を進む様になりそれなりに独り立ち?
 こうして桜が咲くと家族揃って花見を楽しんだのが懐かしく感じる
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子育て中は子供中心となり自由の効かない時期がえらく長く感じたもの
 今思えばそれも早いもので、子の成長は意外に早い
その分自分は老い、視力から始まり衰えは否応なしに実感する
 せっかく咲いた桜も、今日の風を伴う雨と明日吹くであろう風
今年の見頃は短いような気がする、ひっそりと咲く桜を撮りに郊外に出かけたいものだ
 さてどこにしようかな  
2021/03/28

追分から稲置街道を進み御日塚神社、三十三観音堂を経て10分程の場所に小さな観音堂を見かけ足を止める。
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 写真は街道から東の入鹿池方向の眺め。
田園の中を名鉄小牧線の車両が走り去る長閑な光景が見られる。
この辺りの住所は犬山市羽黒新田起シ 、名が示す様に江戸時代の新田開発によりできた集落。
この新田の灌漑用溜池として1633年(寛永10)に入鹿池が作られ、その水は麓の田畑を潤してきた。
この一帯は過去に洪水が多くの人命を奪っていきました。
洪水と聞くと木曽川と思うけれど、洪水の要因は入鹿池の堤が決壊した「入鹿切れ」によります。
満々と湛えていた入鹿池の水は破堤により一気に流れ下り、麓の犬山市、江南市、扶桑町、大口町、一宮など広範囲に大きな被害をもたらした。
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 上は「なごやコレクション」「入鹿池決壊図」より画像を引用させて頂いた入鹿池決壊時の周辺の被害を記録絵図。
破堤は1868年(明治元年)に起ります。
この年の長雨により破堤を回避する必死の応急対策も空しく破堤に至りました。
青い線は灌漑用の水路で黄色の線は街道で中央で二手に別れている場所が先に歩いて来た「追分」。
絵図には青く塗られた浸水域と各村毎の浸水水位、被害状況が記されています。
この被災地には災害で犠牲となられた方々の慰霊を弔う慰霊碑が各地に残り、過去の災害を風化させないモニュメントととして存在しています。
ここから近くの羽黒城屋敷にある「興禅寺」の境内には入鹿切れで流されてきた15tの巨岩が残され、碑とともに語り継がれています。

古い地名はこじゃれた地名に変り、こうした先人の教えともいえる碑は忘れ去られがち。
我家のある場所も古い地名から、ここがその昔とんでもない場所だったのか想像できる。
地名は変り、景観は変っても危害は今も変わらない。 
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 街道沿いに佇む小さな堂、その中には一体の如意輪観音像が祀られています。
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 頬杖をつき人々を救う術を考えている、そんな姿だ。
台座に明治、西國の文字が刻まれているが、そこから下は手前の板で遮られ読み取れない。
西國は恐らく西国三十三と彫られていると思います、入鹿切れ以降に安置されたもののようです。
街道沿いのこの場所から100年近くは行き交う人々を見守り続けています。
自分の中の煩悩を打ち消してもらいたいもの、手を合わせて観音堂を後にする。
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 観音堂から10分程北上すると五条川に架かる小さな橋に到着。
次の目的地は五条川の左岸の「尾北自然歩道」を遡る。
訪れたのは3月9日、桜は蕾も堅かった、今頃は桜も満開となり川沿いの光景もきっと華やいでいることでしょう。

「羽黒新田の観音堂」
徒歩ルート / 追分から​稲置街道を約10分
住所 / 犬山市羽黒新田起シ 
関連記事 / ​御日塚神社​、三​十三観音堂


かみさんの新知多四国八十八箇所霊場巡りの送迎でこちらを訪れ、地元の神社を徘徊。
知多郡美浜町北方『十二神社・山之神社・北方稲荷社』から県道279号線を利用し南に15分程走り、待ち合わせ場所の二十七番札所 天竜山誓海寺に向かう。
その手前の知多半島道路沿いに「津島社」を見かけ、こちらも参拝することにした。
因みに待ち合わせ場所の誓海寺は知多半島道路をくぐればすぐだ。
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右手が知多半島道路、一ノ鳥居は側道入口に立ち、左に社号標とその後方に袴付きの常夜灯。
参道には石の灯篭が続きます。
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入口の灯篭は1920年(大正9)のもの。
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知多半島道路の側道が参道、緩い上り坂の左が境内の様です。
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境内全景。
左に手水舎、右の入母屋の建物はよくわからない。
正面にニノ鳥居と拝殿と伽藍。
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龍は水が枯れてしまったようだ。
社頭から西は南知多道路沿いで、通過する車が良く見渡せる小高い丘の上に鎮座しています。
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これは何だろうね、神楽殿なのかな。
その先に妙に広い空間がある、公園か?
後で寄ってみよう。
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参道(側道)から左に進むとニノ鳥居。
その先が拝殿で本殿は見えないが左右に末社が祀られているようです。
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鳥居左に由緒碑がある。

愛知県知多郡美浜町大字古布字九条一三番地ノ二十
祭神 大国主命、櫛稲田姫命
正殿 須佐之男命、足名椎命、手名椎命
由緒
創立は不詳なるも、大治2年(1127年)以前の創立という記録がある。
張州府志に天王祠、尾張志に牛頭天王社の記載あり、明治以前は牛頭天王社と称していましたが、王政維新(明治維新)の際に津島神社と社号を訂正、同17年現社名訂正が許可された。
元は河和町大字古布字北平井百番地に鎮座。
昭和十九年十二月二十八日河和海軍航空隊設置によりこの地に遷座。

神社は現在鎮座する場所から東方の小学校がある辺りから遷座されたようです。
ここに航空隊、つまりは飛行場があったとは知らなかった。
どんな規模だったか調べて見るも古い地図では地図として出てこなかった。
伊勢湾、知多湾に突き出た知多半島、その丘に作られた航空隊はさながら航空母艦の飛行甲板。
こうした施設は当然標的にされる、ある意味この神社は戦災から逃れる機会を得たのかもしれない。

この碑は昭和63年健之、津島神社修復とある事から、この年に遷座後初の修復を受けたのだろう。
大治2年(1127年)以前に先人達は牛頭天王社を祀る動機があったのだろう、何がそうさせたのか知りたいところ。
創建時の先人の思いは今も大切に引き継がれているようだ。
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入母屋妻入りの拝殿、正面には狛犬もいる。
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拝殿前の狛犬は1920年(大正9)。
遷座と共に来たんだね。
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それでは参拝。
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拝殿右の境内社、六社あり手前から御霞社(須佐之男神)、社宮司社(社宮司神)、山神社(大県神)。
正面の三社は右から金刀比羅社(大物主神)、大國主神、神明社(天照皇神)。
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本殿は柱が・・・4本、間が三つある、なので三間流造、流造。
祭神は須佐之男命、大国主命、櫛稲田姫命、足名椎命、手足名椎命。
高欄に何かいるようだ。
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それは陶器で作られた小さな狛犬。
やや姿勢が悪く背中が丸い、見方を変えれば前傾姿勢でいつでも飛び掛かれる態勢の精悍な顔つきをして本殿を守護しています。
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 拝殿左の境内社は七社。
左手前から護国社(語国神)、御鍬社(御嶽大神)、井口社(弥都波能売神)、愛宕社(火産霊神)
正面三社は左から稲荷社(稲倉魂神)、御鍬社(保食神)、山神社(大山祇神)
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参拝を終えて拝殿から境内を眺める。17
境内東側に妙な空間、白い標識が建っている。
こうして書いている今、遷宮地と書いてあったような気がするが思い出せない。
なんだったかなぁ・・・・・気持ち悪いなァ
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気を取り直して、参拝を終え参道を下り待ち合わせの誓海寺に向かう。
反対側からやたら犬の吠える声が聞こえてくる、後で聞くと彼女はこの時点で既に誓海寺にいたそうだ。
待っている間ずっと吠えられていたらしい、この時の鳴き声がそれだったのね。
想定よりゴールは早かったようだ、すまん。
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漸く一ノ鳥居に戻る、そろそろ隣の誓海寺に行くか、久し振りの霊場巡り、ペースは遅いだろうから到着するまで寺を見るか。(既に到着し犬に吠えられてるちゅうの)。

『津島神社』
創建 / (伝)1127年(大治2)以前
祭神 / 須佐之男命、大国主命、櫛稲田姫命、足名椎命、手足名椎命
境内社 / 御霞社、社宮司社、山神社、金刀比羅社、大國主神、神明社、護国社、御鍬社、井口社、愛宕社
住所 / 知多郡美浜町古布(コウ)九条13-20

『十二神社・山之神社・北方稲荷社』から車アクセス / ​県道279号線経由10分程
関連記事 / 『十二神社・山之神社・北方稲荷社』

何も変わらない宣言解除を受け3/23~24先送りしてきた、越中、能登、加賀の一之宮を巡ってきました。
名古屋発6:00高速に乗り東海北陸自動車道で一気に北上、南砺市を目指します。
今回も一泊二日の車中泊、装備もあれから追加、ナビ付TVが加わり、電気ケトル・電気敷布団、それと相変わらず敷布団は外せない。・・・・・避難民か
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ひるがの高原SAのコンビニで調達した朝食、大日ヶ岳を眺めながら屋外で食べる。周囲はまだまたフキノトウの時期だ、日陰には大量雪が残る朝食を済ませ再び高速を福光ICに向けひた走る。
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名古屋から約4時間で最初の目的地「越中國一宮 高瀬神社」到着。
ここまで山ばかりだった景観が開け、広大な田畑が海のように広がる砺波平野が現れる。
その海の中に小島のように見える杜が高瀬神社。
雪が残る山々を背景に鎮座する。
創建の年代は不明で、北陸平定を終えた大己貴命が出雲へ戻る時に、国魂神として自身の御魂をここに鎮めたのが始まりと伝えられ。
越中國一宮の一つ・・・・・ひとつ?
何と云うのかこの國には一之宮が複数ある、射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社と一之宮の御朱印を集めるかみさんには納得できないものがあるようです。二宮・三宮ではいかんのかい。
雄山はともかく残りの三つの越中國一之宮は巡る予定。
「越中國一宮 高瀬神社」
創建 / 不明(伝)景行天皇年間 
主祭神 / 大己貴命  
住所 / 富山県南砺市高瀬291
これから桜も咲き、田植えも終わるとまた表情も変わる、今回巡った中では周囲の景観に佇む姿が一番印象に残る神社。
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さてお腹も空いた、車にはコストコ射水倉庫店でガソリン補給、身近な店の混雑状況と比較するとなんとも長閑だ、殺気立ったものはない。大食いの愛車にはコストコのガソリン価格が安いのは有難い。
車は燃料腹一杯、次は人の番、かみさん希望の「麺屋いろは」で富山ブラックラーメンを食す。
さぞかし醤油辛いと思いきや、意外にそれほどでもない魚介系の出汁、チャーシューもトロトロで麺は多少太くスープがよく絡む。おいしいですが最後の方は多少魚醤の辛さが気になる。
写真はランチセット、ひたすら炭水化物だ。
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次の一之宮は高岡古城公園に鎮座する「越中國一之宮射水神社」を目指す。
高岡古城公園は加賀藩初代藩主の前田利長公が築いた高岡城の城址を明治時代より公園として開放したもので、富山県指定史跡、国指定史跡に指定されています。
その中心の本丸広場に鎮座する射水神社は四季を通じて地元にのみならず多くの方が参拝に訪れる。
射水神社は、霊山である二上山そのものを祀る社であったと云われ、古記録に当社のご祭神は「二上神」と記されているそうだ。
神仏混淆が主流だった江戸時代までは、「二上山大権現」として崇敬され、その後、明治の神仏分離令を受け、二上神は瓊瓊杵尊として祀られるようになりました。
公園には護国神社や築城時の石垣も一部残り、今は膨らむ程度の桜の蕾も一斉に開いた時には見応えがある。
「越中國一之宮射水神社」
創建 / 不明
主祭神 / 瓊瓊杵尊
住所 / 富山県高岡市古城1番1号

公園内の護国神社を左に見て南の城下街を5分程歩いていきます。
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やがて左手に大きな大仏が現れます。
高岡大仏
高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像で、日本三大佛に数えられ幾度も造立され、現在の物は1933年(昭和8)の造立されたもの。
1221年源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立され事から始まり、与謝野晶子が高岡を訪れた際に、「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏さまです。
「高岡大仏」
住所 / 富山県高岡市大手町11-29
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曹洞宗高岡山瑞龍寺
加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺。
伽藍の多くが国宝に指定され、手前の山門もその一つ。
こちらへは麒麟茶屋の「麒麟焼き」が目的で寺は拝観せず、山門から境内を眺めてきました。

曹洞宗高岡山瑞龍寺
創建 / 1614年(慶長19) 
本尊 / 釈迦如来 
住所 / 富山県高岡市関本町35

まだ二社参拝する予定なので時間の都合で見送りましたが、余裕があれば見ておきたい寺です。
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越中國一之宮 氣多神社
地名に「一宮」と言う銘号が入るように、伏木はその昔国府や国分寺が存在した越中国の中心だった。
神社境内にも越中国総社跡の伝承地とする解説板が建つ。
一宮を称する4社の一つ。
気田神社一ノ鳥居付近の「気田神社の清泉」は地元の方が汲みに来るほどのもののようです。
龍口の右の看板がとても気になる、コロナ禍で参拝客は減り境内は彼らの生活圏になったか。

「越中國一之宮 氣多神社」
創建 / 757年(天平宝字元年)
祭神 / 大己貴命、奴奈加波比売命
住所 / 富山県高岡市伏木一宮1-10

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義経社
道の駅「雨晴」の前の海岸線の岩山に鎮座する神社。
源義経が奥州へ落ち延びる際、にわか雨に見舞われ、この岩の下で待ったという。
地名「雨晴」の由来となっています。
岩の下は波で侵食された岩が柱のように残り、それ以外は広間のようになっいて、雨をやり過ごし晴れを待つにはいい空間が出来ている。この岩の頂に鎮座するのが義経社。
鳥居を構え岩の頂に続く急な石段が付いている。
この一帯の海岸は雨晴海岸と呼ばれ、岩礁が多く白砂青松の景勝の地で、万葉集に「渋谿(しぶたに)」と詠まれ、日本の渚百選の一つでもある。「おくのほそ道の風景地」「有磯海」として名勝に挙げられている。
沖の小島は「女岩」と呼ばれ、周囲の小さな岩は母に連れそう子供のように見えることからこのように呼ばれるようです。天候が良ければ女岩と富山湾の先に立山連峰を望むことができる。
手前の線路はJR氷見線で、国道415号線脇の道の駅からだと海岸線を走る電車に踏み切りと義経岩、女岩の先に夕陽に赤く染まる立山連峰の絶景が見られるチャンスもある。

ここは人の出入りや行き交う車も多く車中泊には適さないかもしれない。
「道の駅雨春」
住所 /    富山県高岡市太田24番地74
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道の駅 氷見
今夜の宿泊地到着、この道の駅はすぐ近くにスーパー銭湯「総湯」や老舗の酒蔵「高澤酒造場」もあり、何より日立山連峰から上る朝陽が美しく見える場所。
しかも無料の足湯もあるので云うことなし。
ビール片手に車中を宴会兼宿泊モードに切り替え、散策がてら酒蔵に出向き土産用の酒を買い求める。
コロナの影響から試飲は当然なく、満を持して歩いてきても寂しい限り。
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二日目も快晴、いつものように日の出前から目が覚める。
富山湾の先の立山連峰が赤く染まり、ご来光を眺める、早起きのご褒美です。
手前の小島は氷見港に浮かぶ唐島。
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朝食は魚市場食堂
氷見魚市場の2階にある食堂で入口は分かりにくく、朝6:30から営業のはずなのだが「やってるよ」の看板も出ていない。扉を開け二階に通じる階段を上ると食堂。
鮮度が売りの店として評判の店。
朝っぱら海鮮丼、かみさんはやわゃわ盛、おやじはイワシ定食が朝食。氷見と云えばブリでしょうが時期は過ぎているのでブリ押しのメニューは避けてみた。
これにもれなく漁師汁が付いてくるのでボリューム満点、食べきれない。
イワシは鮮度も良く、久しぶりにおいしいイワシの刺身を食べた気がする。
漁師汁はとてもおいしかったが、身は食べる気がしなかった、ブリの骨は避けて通れないにしても、鱗が皮に着いた状態というのはいただけない。せっかくの味も鱗が口に入る食感で一気に食べる気を失う。
これは「つくねと汁」を味わうものと割り切った方がいい。
決して安くはないけれど、下手な観光客目当ての店よりは鮮度もよく、漁港独特の香りと商売気のない入口さえ受け入れればお勧めできる。
「魚市場食堂」
住所 /   富山県氷見市比美町435
さあここから二日目が始まる、今日は能登國一宮と加賀國一之宮を参拝します。
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能登國一之宮氣多大社
石川県羽咋市寺家町にある神社で日本海の海岸に一ノ鳥居を構え、そこから陸に向かい真っすぐに参道が続く。
上の写真はニノ鳥居横の駐車場から海岸方向の眺め、遥か先に一ノ鳥居が見える、あそこまでは行ってられない。中段がニノ鳥居から境内の眺め。
下段、手水鉢に生けられた花々、遠くから訪れ、清めが出来ないご時世にこうした心遣いはありがたい。

社伝によれば、第8代孝元天皇の御代に祭神の大己貴命が出雲から多くの神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。
創建 /     (伝)第8代孝元天皇の御代、または第10代崇神天皇年間とも
主祭神 / 大己貴命
住所 / 石川県羽咋市寺家町ク1
ここから次は千里浜なぎさドライブウェイ沿いに加賀國一之宮に向かいます。
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道の駅「のと千里浜」
海岸沿いの綺麗な施設、足湯やEVパークなどあり、毘沙門天の砂像が出迎えてくれる。
この辺りはイノシシ推しなのか。
道の駅「のと千里浜」
住所 / 石川県羽咋市千里浜町タ1番地62

次は加賀國一之宮、加賀・越前・美濃3国それぞれから霊峰白山の山頂に至る登山道、三馬場のひとつ加賀馬場のある白山比咩神社に向かいます。
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加賀國一之宮白山比咩神社
石川、福井、岐阜の3県にわたりそびえる白山、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。
山は麓に暮らす人々や平野に住む人々にとって、白山は命の水を供給してくれる神々の鎮まる聖なる山として崇められてきました。
主祭神 / 白山比咩大神、伊邪那岐尊、伊弉冉尊
創建 / (伝)第10代崇神天皇年間
住所 / 石川県白山市三宮町ニ105-1

さてこれで今回の越中國、能登國、加賀國一之宮巡りはコンプリート。
後は蕎麦を食べて名古屋を目指す事にします。
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白山比咩神社から車で、ものの2~3分のところにある「草庵」へ。
営業時間が11:30という事で開店まで10分程周辺を散策し開店を待つ。
粗挽きそばと十割蕎麦で腹ごしらえ、古民家を改装した店内はジャズが流れ、インテリアも落ち着いたもので、そんな雰囲気で味わう蕎麦は、歯応えもあり、汁も出汁の風味が利いたものでおいしい蕎麦。
薬味はワサビよりおろしの方がベストマッチ。
ただ、そば本来の香りについては今一つだった。 蕎麦湯はなかなかおいしいものでした。
数量に限りがあるようですが、白山比咩神社参拝の折には寄ってみるのもいいかもしれない。
「草庵」
住所 / 石川県白山市鶴来日吉町ロ32

お腹も満たされ一路九頭竜川を遡り、白鳥方向を目指し、途中で山菜とけいちゃんを買い求め名古屋に向かう。
2021/3/23~24
今回の走行ルート

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