尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2021年05月

稲置街道沿いの神護山先聖寺と境内の外町天満宮を後に犬山城に方向へ。
時間にして2~3分程歩く、街道左側に下の写真の様な建物を見かけ寄り道。
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稲置街道から一筋東に入ると切妻瓦葺二階建ての黒い板張りの外壁に白壁がシックな建物と玄関先に白い砂利が敷かれた箱庭が視線を引く。
母屋の周りを見て廻ると庄屋さんの自宅の様に見えます。

「旧堀部家住居」
堀部家は代々犬山城主成瀬家に仕えた士族だそうな。
この母屋は棟札に1883年(明治16)と記されているようで、当時の堀部勝四郎が施主だという。
母屋の他に離れ座敷、渡廊、土蔵、作業室(蚕室)、高塀があり、2006年(平成18)に登録有形文化財に指定されているようです。

当日は「冬季休館」の看板が置かれていたので中まで入っていませんが、HPの写真など見る限り庭園などもあり、農とは少し離れた武家屋敷の流れを受け継ぐ様式。
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坪庭
人の頭ほどの小さな岩、それを取り囲む様に苔が植えられ、その周囲は白砂利が敷き詰められている。
今頃は岩の周りの苔も瑞々しい緑に変っているでしょう。
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入口の解説
この施設はNPO団体により管理運営され無料で内部を見て廻れ、解説などもしてくれるようです。
冬季閉館、コロナ禍の影響で閉館する場合もあるようなので、訪れる場合は確認した方がいいかもしれません。
木之下城伝承館・堀部邸
所在地 / 犬山市南古券272
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堀部家住宅の北向いに猪ノ子町公民館があります。
その裏に赤い鳥居を見付け立ち寄ってみた。
公民館の右横から裏に回り込むと確かに赤い鳥居はあるけれど、鳥居をくぐるには公民館裏口の僅かな隙間から横入りして鳥居をくぐるような感じ。
なんだか公民館裏口から直接鳥居をくぐるような鳥居の位置関係。
公民館の正面には以前は燈籠の台座らしき跡があり、公民館が出来る以前は真っすぐに堀部家前まで参道があったような、そんな気にさせる。
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赤い鳥居と赤い玉垣で囲まれた小さな社、社号標はなく鳥居に額はない。
個人的には赤と云えば稲荷か天王社だろうと勝手に推測するけれど、そうとも云えず自宅で調べて見てもすっきりする情報は見つからなかった、不明社としておこう。
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二段に盛られた本殿域に板宮造りの社が祀られていて、狛犬や狐は見かけなかった。
この社を守護するのは公民館かもしれない。
この後方はコイン駐車場になっていて、そこに駐車すると赤い鳥居と社は一目で分かるのでは。
詳細は分からないが取り敢えず参拝させてもらいました。
後日何か分かれば改めて追記させてもらいます。

不明社
所在地 / 犬山市南古券327(旧堀部家北側)
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旧堀部邸から数分も北に歩けば、街道の面影が僅かに残る街並みから一転し両サイドにビルが立ち並び、その先の本町交差点まで道幅は急に広くなります、交差点を横切る通りは県道183号線です。
この本町交差点を越えると再び街道の香り漂う街並みに戻り、それと共に人波がみえてきます。

遅い昼ご飯、時間は既に14時を回っている、お楽しみのビールと酒もあと少しの辛抱だ。

徒歩ルート / ​先聖寺門前から稲置街道を北へ2~3分程
関連記事 / ​犬山の唐寺 『神護山先聖寺』​ ​『外町天満宮』

好天に恵まれた28日、外気を吸いに江南市の「フラワーパーク江南」と「138タワーパーク」へ花を見に出かけてきました。
前日の予報は暑くなるという事だったけれど、意外に過ごしやすかった。
名古屋からだと車で1時間もあれば着くことが出来る。
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最初に向かったのは「フラーワーパーク江南」。
国営木曽三川公園で13の公園で構成され、その中の一つ。
平日という事もあり来園客は少なく、小さな子供を伸び伸びと自由に走らせてあげるには良い場所だ。
来園客は100㌫マスクを着用、「2㍍離れましょう」の看板もあり、個々が静かに季節の花を楽しんでいる。
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公園の主要な建物「クリスタルフラワー」
館内では様々なブースがあり、お茶も出来るようですがそこは避けることにした。
ここから北側に木曽川(南派川)が流れ、園内はアスファルトも少なく体感温度は低く感じ快適な空間。
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色とりどりの花を期待して訪れたけれど丁度春から夏に向けて植え替えの時期。
既に見頃を過ぎた花が多かった。
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園内には大小三つの水辺があり、それらは小さな小川で繋がっていて歩いていても心地が良い。
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クリスタルフラワー前の水辺
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花は植え替えの時期のようだ、華やかな色合いは少ないけれど、園内は鮮やかな緑にあふれている。
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この時期人目を引き付けるのが「アリウム」
ネギ坊主みたいなやつだ。
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少ないとはいえ花が絶えることはない。
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水盤には睡蓮も植えられ丁度開花の時期を迎えています。
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そろそろ睡蓮の時期だねと思っていただけに、ここで見られたのは有難い。
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ここには蓮はないけれど今年は蓮の花を見に行きたいものだ。
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ここの水場には様々な生き物と出逢え、見付ける度におやじから童心に戻ります。
ここにも映っています。
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オタマジャクシがいっぱい。
かみさん「こやつらがみんな成長してゲロ〃やる訳?」
そうだよね、カエルいっぱいという事は長いものも・・・いたりする。
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「スモークツリー」
なだかなぁ、どうやって撮ればいいもんだか。
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陽時計のあるこの水辺には小魚ないっぱい泳いでいる、その横を外来種の亀が多数。
誰か放すのか、定着したものなのかは分からないけれど、もはや在来種として認めてやらないといけないのかも。

フラワーパーク江南
URL  /  https://www.kisosansenkoen.jp/~konankaki/
所在地 / ​愛知県江南市小杁町一色
入園料・駐車料無料

「フラワーパーク江南」から「138タワーパーク」にも立ち寄ってみました。
この公園も国営木曽三川公園の13の公園の一つ。
かみさんの実家のじいさんが写真を撮りがてら息子達を連れ、ここと「アクア・トトぎふ」をセットにして毎度散財させられていたが「花が豊富」と話は聞いていた。
「フラワーパーク江南」から木曽川下流に向け県道183号線➡県道182号線光明寺交差点右折、道なりに
移動時間20分程だ。
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「ツインアーチ138」
いつも高速から眺めるこのタワー、初めて間近でみた。
高さ138メートルの2つのアーチの中心に展望タワーがあり、タワーを目玉として四季折々の花が楽しめる。
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タワーの手前から左の南派川堤に出てみた。
その昔は対岸との往来は舟で行き来し、この橋の袂には「木曽川わたり渡船跡」として石標がそれを伝えている。
今は県道115号線の渡橋が架かり容易に南派川を渡り川島町に続く。
対岸には「川島ハイウェイオアシス」の観覧車、少し左に視線を移すと岐阜城も見て取れる。
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つい最近までは「ネモフィラ」が綺麗に咲き誇っていたようですが、現在園内で今が盛りとばかり咲き誇る花は少なく、昨日もコキアを盛んに植えていた、植え替えの時期です。
写真は「ローズストリーム」
6種類のバラが植えられ一番の見所かもしれない、ここも花は今一つ。
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園内の様子
綺麗に整備された公園は解放感で溢れている、それを求めて訪れる方もマスク着用はもちろん、距離を空ける等マナーが守られていました。
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ポピーはピークは過ぎたようだ
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一番勢いのあるバラとタワー
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せっかく来たのだから入場料500円を支払いタワーに上がってみた。
エレベーターは我が家だけで利用、展望室も密も感じる事はなかった。
360度のパノラマは濃尾平野を一望でき、500円の価値はあった。
写真は岐阜城のある金華山、そこから眼下の川島の町には松倉城(跡)、ぐるりと見て廻ると、鵜沼城(跡)や犬山城に小牧城等が一望できる。
これなら狼煙を上げればすぐに分かる、人の動きも分かる、山の頂に城を築く理由も頷ける。
名古屋市内を横切るのにとんでもない時間をかけるけれど、こうして俯瞰して見ると濃尾平野意外と狭いか。
園内もタワーも感染防止対策は整い、訪れる人のマナーもいい、花はこれから衣替えで少し寂しい時期だけど、外気を吸いに屋外に出て見よう。

138タワーパーク
URL / https://www.kisosansenkoen.jp/~tower138/index.html
所在地 / 一宮市光明寺字浦崎21-3
江南フラワーパークから車アクセス / 県道183号線➡県道182号線光明寺交差点右折、道なり ​移動時間20分程


余談ですが
昼ご飯で立寄ったカレー屋さん、後から入店してきたグループの光景は余程covid19の存在を身近に感じた。
「マスク外しの大声で会話、くしゃみ」、みんなで外せば怖くない、という事なんだろう。
店も若者も幼い子供もみな我慢しこの時期を過ごしている。
視線を外せば多くの客の視線を浴びている事に気が付くと思うのだが、きっと既にワクチン接種は終わったものと見た、あれ? そんな年齢でもないが。

2021/05/26
気が早いのにも程があるか

名古屋市千種区の千種公園近くに立ち寄ったので公園まで足を延ばしてみました。
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開花状況、全体的には上の写真が率直なところです、蕾ばかりですね。
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日射条件の良い所で一部開花していますが黄色ばかりが目につきます。
緊急事態宣言下、一時の気分転換を求めユリを見に来られる方も見えます。

ダメ〃〃で息が詰まる毎日、宣言の効果がダメ〃だから矛盾だらけのママ再延長?
こんなに綺麗にユリは咲き始めたが、飲み屋のユリは咲いているのだろうか。
煩悩捨てきれないおやじの本音は飲みに行きたいところ。
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盛期になると通りすがりに見える公園の中は艶やかな色で華やかになり、園内は甘い香りが漂う。
今はまだそこまでではないようです。
2021/5/26
千種公園

小竹薮駐車場から県道24号線、国道415号線と経由し富山湾方向へ。
小矢部川を越え、矢田交差点で左折すると正面に小高い丘陵地が見えてきます、その道の突き当りが氣多神社。
所在地で云うと富山県高岡市伏木一宮、地名に「一宮」と入るように、伏木はその昔国府や国分寺が存在した越中国の中心だったそうです。
ここに到着する少し手前に国分寺跡、神社境内にも越中国総社跡の伝承地とされ解説板が建ち、越中国総社跡(伝承地)もあります。
927年に編纂された『延喜式神名帳』には名神大社として記される古社で、越中國一之宮を称する4社(射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社)の一つ。
一之宮御朱印のコンプリートを目指すかみさん曰く「幾つあんのよ」と云いたくなる気持ちも分からんでもない。
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越中國一之宮 氣多神社社頭
駐車場は左にあり、更に道路を右に進んで行けば一気に社殿近くの駐車場まで辿り着けます。
社頭左に社号標そこから石段が続き、その先に鳥居が見えます。
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駐車場から走ってきた道を眺めて見ます。
富山平野の先に富山湾、遥か先には残雪が残る立山連峰を望め、四季折々自然を移り変わりを目の当たりにできる羨ましい環境です。
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駐車場脇の手水舎
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苔むした山肌から龍が顔を出し、勢いよく清水が注がれています。
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手水舎の左に「気多神社の清泉」
傾斜地の上に残る古い切株、その下の斜面に穴が開き、そこから絶える事無く湧き出る清泉。
昭和61年「とやまの名水」に選定されたそうで、看板には「煮沸して飲用」とある。
おかしなものは添加されていない、渓流の水とは違い地下から湧き出して来た自然からの恵み。
自然と云えば手水舎の柱に「くま出没注意」の気になる貼り紙もあった。
1分程坂を下ればそこは住宅街、そんなところに有難くない自然もいるようだ。
蛇よりはましか。
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社頭の解説と下は境内で見かけた氣田神社略史。
一部抜粋した内容は以下。
734年(天平4)能登国気多大社から大己貴命(おおなむちのみこと)を分霊、勧請、氣田大神として越中國一之宮田神社となる。
757年(天平宝字元年)越中国から能登国が分立し、越中国は射水、砺波、婦負、新川の四郡となり、能登・羽昨にある氣田大社を国府に近いこの地に勧請されたと云われ、一説には718年(養老2)に行基が開基したとも云われるようです。
1182年(寿永年間)と1550年(天文年中)上杉謙信など二度にわたり兵火に見舞われ伽藍を焼失。
1558~1570年(永禄年間)に現在の本殿が再建、1645年(天保2)に加越能大守「前田利常」が気多神社を崇敬し、本殿・拝殿などを修繕。
さして1859年(明治2)廃仏棄釈の令により、本地仏を旧国分寺跡の薬師堂へ遷す。
主祭神は大己貴命、奴奈加波比売命、配神は事代主命、菊理姫命を祀る。
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緩やかな石段を上りきると神明鳥居があり、石灯篭が続く参道は更に杜の中へ続きます。
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参道途中に神馬像、その後方が本殿に一番近い駐車場。
苔むした境内はこの辺りから左右に広がりを見せる。
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境内左側には石碑が複数建てられています。
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拝殿が見えてきます、この石段が最後の石段。
訪れたのが日没間近とゆうことで、木々の間から西陽が差し込み幻想的な雰囲気を漂わせている。
参拝客はなく境内は静かさに包まれています、こんな時に後ろから音でもすると「出たか?」と考えたくもなる。 正体はかみさんなんですけどそれくらい静寂な空間でした。
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鬱蒼とした杜の樹々、根は苔むした地表にまで現れ、自然の逞しさを感じさせてくれる。
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参道左側の眺め、参道は二手に分かれ正面は拝殿へ、左手に進むと拝殿左側に回り込めるようです。
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石段を上り拝殿へ、狛犬がいますが逆光でシルエットになる。
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狛犬
阿形後方の建物は「参集殿」
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参集殿全景
狛犬の台座には1933年(昭和8)とある、大先輩だ。
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氣田神社拝殿
瓦葺で妻入りの拝殿は左右に回廊が付き、内部は幣殿と一つになっている。
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拝殿に掛けられた額は「氣田神社」
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参拝
拝殿内の内部はガラス張りで陽光が降り注ぎ明るい印象を受ける。
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社殿全景
日陰にはまだ残雪も残る。
本殿は三間流造の柿板葺で社殿は1558~1570年に再建され、国の重要文化財に指定されている。
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本殿
緩やかな曲線を描く向拝は幣殿へ繋がり派手な飾りを廃したシンプルな外観。
本殿の正面に掛けられた「一宮」の額が見て取れる、解説によればさらにこの奥に「氣田大社」の額
が掛けられているという。
藤原行成の真筆とされ、小野道風、藤原佐理と並んで三蹟の一人。
残念ながら奥に額らしきものは見えますが、おやじのカメラではこれが精一杯。
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「一宮」の額
力強さの中に柔らかさもあり優しさすら感じる。
空海(弘法大師)の真筆とされ、豊富な知識と技量、優れた感性で文字を描く能書の達人で嵯峨天皇・橘逸勢と共に日本三筆と称される。
後方に額は見えているのだが・・・・
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拝殿左の御興堂
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更に左の一段高い場所に玉垣で囲われた社があります。
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大伴神社
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社殿は流造で越中國国守だった大伴家持が祀られているという。
創建は1985年(昭和60年)、地元有志により境内に創建されたもの。
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境内全景
彫りの深い二対の狛犬が守護している。
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上の狛犬は鳥居をくぐって最初のもので、胸に鈴をつけた彫りの深い体格のいいもの。
下は本殿前の狛犬。
小柄な体ですが角が付いた愛嬌のある顔が印象に残る。
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大伴神社左から境内全景。
西に杜があり、陽が陰るのは速い、静かな境内に神々しさが一層ましてくる。
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氣田神社、富山平野や富山湾、遠く立山連峰を望む山麓に鎮座し、静かに時が過ぎていく空間を持った閑静な一宮だ。

さあ一路今夜の宿泊先を目指そう。
2021/3/23

御朱印
越中国一之宮「氣田神社」
創建 / 734年(天平4)
祭神 /  大己貴命、奴奈加波比売命、
配神 /  事代主命、菊理姫命、

境内社 /  大伴神社
創建 /   1985年(昭和60年)
祭神 /   大伴家持
所在地 /  富山県高岡市伏木一宮1-10-1

関連記事 / ​「越中國一之宮 射水神社」
射水神社(小竹藪駐車場)から車でのルート / 県道24号線➡国道415号線➡矢田交差点で左折、​移動時間20分程

以前掲載した「那智山参拝 熊野古道 大門坂から熊野那智大社」
熊野那智大社の鳥居の手前で参道は二手に別れ右に向かうと「青岸渡寺」の仁王門へ続きます。
「青岸渡寺」へは敢えて仁王門の石段を上ることなく、熊野那智大社境内の東門と繋がっていて容易に本堂に向かう事が出来ます。
それもどうなの、という事で一旦かみさんと別行動、一旦熊野那智大社一ノ鳥居まで戻り仁王門から訪れる事にした。
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青岸渡寺仁王門
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那智山青岸渡寺石標。西国三十三所巡礼の一番札所。二人とも過去にこの地を訪れながら、巡拝をはじめたかみさんが今だ御朱印を頂けていない、念願とも言える一番札所。​​
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御詠歌碑
「補陀洛や岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝津瀬」
那智の語源は梵語から由来し、音訳は那堤・難地と訳す様で、大いなる川をさし大滝を意味するようです。
那智の滝、熊野川、ゴトビキ岩など自然そのものが象徴、熊野三山を参詣してみると音訳の難地が合っている事を実感します。
仁徳天皇御代に裸行上人がこの地に観音像を祀り開基したことから始まり、以降、多くの高僧が参籠した霊場で往時は7寺36坊を有したという。
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御詠歌碑の後方に石段が続きその先に仁王門がある。
後方の信徒会館があまりに大きいので門そのものは小さく見えてしまう。
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なちさん霊場の石標から石段が伸び仁王門に至る。
もとは旧参道に建っていたが、明治政府の廃仏稀釈(1868年)により取り壊されてしまった。
現在見る仁王門は1933年(昭和8)に新たにこの場所に復興されたもの。
入母屋造りの木造の仁王門、彩色は適度に色褪せ落ち着いた佇まい。
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安置される仁王像は鎌倉時代の仏師で運慶の子、湛慶(たんけい)作と伝わるもの。
高さは3㍍を越え、筋肉の盛り上がりや見開いた目など力強い像です。
県指定文化財。
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門をくぐると仁王像と背中合わせに狛犬。
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寺の栞で狛犬の紹介はなく、県や町の文化財リストに上がっておらず、年代など詳細は不明。
獅子頭の様な顔つきの木造の狛犬、胸を突き出し背筋を伸ばして手の込んだ台座の上から本堂を見上げているように見える。
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狛犬達の見上げる先に本堂。

石段を上がり切ると下から狛犬の視線を感じる。

なんだろう、熊野に来てからこの程度の石段は苦にならなくなった。
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石段を登り切りると左に那智大滝から導かれた清浄水、「延命の水」と呼ばれる。
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そして正面に本堂。
如意輪堂とも呼ばれる高床の入母屋造で、大きな向拝を持ち堂内は外陣と内陣に分かれています。
戦国の時代には兵火で焼失するも秀吉により再建され、栞によれば飛鳥時代から六度目の建物だという。
桃山時代の建築物では県内最古とされ、こうして見る姿は廃仏稀釈の災難から免れ、1924年(大正13)に解体修理を受けたもの。
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西国第一番札所 那智山 青岸渡寺
印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝で修行を積みその暁に瀧壷で八寸の観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初とされ、先に掲載した補陀洛山寺も裸形上人により開基された。
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本堂
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堂内
外陣上部に掛けられた「鰐口」はかる日本最大、秀吉が本堂再建の際に寄進したもので直径1.4㍍、重さ450㎏の鰐口にはその趣旨が刻まれている。
本尊の如意輪観音菩薩は秘仏。
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仁王門の横に聳えていた信徒会館、こうして見る姿は普通ですが、下から見上げた姿は近代工法を用いた舞台造りとでも云えばいいか、立派な建物だ。
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本堂右に水子堂、その右に建つ宝篋印塔は1322年(元亨二)のもので塔身四面に梵字が刻まれたもので重要文化財に指定されています。
後方の屋根は鐘楼で更にその後方の高みには大黒堂(如法堂)と続く。
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鐘楼
1903年(明治36)に復興され、梵鐘は1324年(元享4)鋳造のもので、高さは1.9㍍あるという。県指定文化財。
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大黒天堂
鐘楼右手にあり、大黒天を本尊とする。
もとは光明堂と称し回向(えこう)堂だったが1924年(大正13)現在の場所に移築された。
本堂修理中には仮本堂として利用された。
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大黒天堂正面全景
伝教大師の作とされる「蓮華の葉上大黒像」が祀られ、大黒天を中心に七福神が勢揃いする。
大黒天堂は向拝飾りや木組みなど、彫り飾りに視線が行く。
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向拝側面
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木鼻や向拝等に施された彫飾りは手が込んでいる。
額は大黒天。
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堂内は薄暗く、外陣と内陣に別れている。
外陣の天井は一面朱色の提灯が吊るされていて、中央に本尊の大黒天、左右の厨子には六福神が祀られている、御真言は「おんまかきゃらやそわか」
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阿弥陀堂
大黒天堂から更に右の参道を進んだ左に建ち、1994年(平成6)に新たに建立されたもの。
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信徒会館やこの辺りまで来ると、三重塔と那智の滝が一望できる。
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三重塔

もともとは平安末期に建立され、その様子は「那智参拝曼荼羅」にも描かれていて、江戸時代に自然災害で倒壊、こうしてみる塔は1972年(昭和47)にこの地に復興したもの。
内部に飛滝権現の本地仏千手観音を安置、内部は壁画が描かれ塔にも登る事が出来(有料)那智の滝や太平洋を一望できる。
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三重塔の脇にある那智山の石標と遥か前方の岩盤から流れ那智の滝。
ここから次の目的地「飛滝神社」へは下りの石段(帰りは上り)と整備された歩道を進みます。
那智の滝は更に大きく迫ってくる。
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御朱印と御詠歌、念願の一番札所。

西国三十三所巡礼一番札所 那智山 青岸渡寺
宗派 / 天台宗
開基 / 仁徳天皇御代
開山 / 裸行上人
本尊 / 如意輪観音
所在地 / 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地 

関連記事 / ​補陀洛(ふだらく)山寺・熊野三所大神社
、​熊野那智大社

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