尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2021年06月

以前掲載した稲置街道の本町道り。
目的だったビールと食を堪能し犬山城方向を目指す。
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背後に犬山城と通りの突き当りに大きな鳥居、最終目的地としていた針綱神社も間もなくだ。
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針綱神社一ノ鳥居から境内全景
右に「尾張五社 針綱神社」の社標。
尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661~1733年)が著した『尾張五社略記』に記された尾張国を代表する五つの神社とされ、現在の愛知県、岐阜県に鎮座する熱田神宮、津島神社、千代保稲荷神社(おちょぼさん)、尾張大國霊神社(国府宮)、針綱神社を指すと云う。

しかし、これも諸説あるようで、一之宮(真清田神社)、二之宮(大縣神社)、三之宮(熱田神宮)と国府宮と針綱神社を加えた五社、熱田神宮を外し津島神社を加えた五社等定かではないようだ。
もっとも、そうして意識し参拝してこなかっただけに少し意識してみよう。
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一ノ鳥居からの眺め、鳥居脇に狛犬、正面に反橋があるようだ。
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鳥居右の略記
「針綱神社 鎮座地 犬山市大字犬山字北古券65-1
御祭神 尾治針名根連命(尾張氏の先祖神)、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命」

建立年代は不明ですが、927年(延長5)の延喜式神名帳に尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」と記されている古社。
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一ノ鳥居脇の狛犬。
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反橋から手水舎。

反橋は1919年(大正8)と刻まれていた。
この傾斜、とても渡れるものじゃない、神様たげが渡れる橋だ。
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手水舎と龍口、注ぐ先は鉢ではなく竹筒だ。
後方の赤い手水舎は隣接する三光稲荷神社のもので、針綱神社に比べると若い参拝者で賑わっていた。
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手水舎から先は境内が一段高くなり、狛犬とニノ鳥居を構える。
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ニノ鳥居の狛犬、1915年(大正4)のもので、一ノ鳥居の狛犬に比べるとベテランのようだ。
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参道はそこから右に曲がり石段を上り社殿に続く。
正面には複数の境内社が祀られている。
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参道正面に鳥居を構える社は上大本町の秋葉社。
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秋葉社の右の境内末社群。
この一画に山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社が祀られ、小銭消費ゾーン。
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秋葉社左の境内。
ここから左に進めば隣接する三光稲荷神社、石段を上りまっすぐ進めば犬山城。
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秋葉神社の左に鎮座する市神社、あまり聞きなれないけれど、どうやら津島神社の祭神を祀るようだ。
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金比羅神社。
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多賀神社、この社以外は南方向を向いて鎮座するけれど、この一社だけが東を向いて祀られている。
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境内右の末社群を秋葉神社方向に眺める。
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末社群の左に鳥居を構える針綱天満宮。
多くの境内社があるけれど、創建時期などは分からなかった。
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針綱天満宮の右に三ノ鳥居、その先は本殿方向に石段が続きます。
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針綱神社拝殿と右に八幡社。
「針綱神社の犬
天文6年(1537年)、信長公の叔父、織田信康公が自ら木の犬を彫り当神社に延命長寿、安産を祈願した。
その犬は誠に素朴で良い出来とは言えないが大きな陽物をつけているのが特徴である。
その犬を模して古くから子犬は織田広近(信康の4代前)を模して彫ったとも云われる。
この広近は信康が犬山城を築く68年前の文明元年(1469年)夏、犬山の木ノ下の地に初めて城を築いた人で、非常に活動力の優れた人であったと云う。
この旺盛な力が商売と結びつき、商売繁盛の守護犬として商家に人気があったと云われる。
又、一説には、犬の特徴にちなみ神社に祈願すると良い殿御に巡り逢えるとか。
下半身の病を思わないとか。
犬は安産故、安産、子授、縁結びの守護犬として若い女性に人気があり、厳かに授けられたものと伝えられています。
命の神としても有名で戦のある度、出征する兵士、家族の参拝が後を絶たなかった。」
(針綱神社栞より)
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これが約500年前に奉納されたと云う「木彫りの犬」(写真は栞から引用)
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神紋は三つ巴。
下は拝殿に掲げられた扁額。
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針綱神社社殿全景。
「御由緒 当神社は延喜式神明帳所蔵の式内社で本国貞治本に従一位針綱明神又元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座させれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられる濃尾の総鎮守でありました。
中古織田信康公、市内木の下城を社地に移築せんと後奈良天皇の宣旨を蒙り、天文6年(1537年)8月28日、白山平(お城の東方にあるお山)に遷座し奉った。
爾后69年を経た慶長11年(1606年)4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新の後、同15年(1882年)9月28日名栗町の座地より天文6年(1537年)迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社のひとつ)として近隣の崇敬を集める。」
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上、白馬
本殿西側に祀るこの白馬は古くから子供の守り神として霊験あらたかと云われ、お馬さんにお供えした豆を頂くと歯ぎしり、ひきつけが治ると伝えられおり、願い事の叶うお馬さんとして信仰されている。
下、愛宕社
燈籠は1829年(文政12)のもので竿には子孫の福を願った銘文が刻まれている。
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ニノ鳥居から本町通を振り返る、人の流れは三光稲荷神社に向かう姿が大半でした。
訪れたのは3月9日、この時期は境内の梅と木曽川沿いの河津桜が見頃だった。
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針綱神社
創建 / 不明
祭神 / 尾治針名根連命、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命
境内社 / 秋葉社、山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社、石神社、金比羅神社、多賀神社、針綱天満宮、八幡社、愛宕社
所在地 / ​犬山市大字犬山字北古券65-1
公共交通機関アクセス / 名鉄小牧線「犬山遊園駅」から​西に徒歩15分程
関連記事 / ​本町通り

2021/5/28巣籠に耐えかねかみさんと連れ立って国営木曽三川公園 フラワーパーク江南に花を見に江南方向に向かった。
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帰り道にお囲い堤ロードを更に下って国営木曽三川公園138タワーパークまで足を延ばす事になりタワー通りの南派川の堤で小さな小社を見かけ車を停めて見た。
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社の左には大きな幹のイチョウの樹が植えられていて、火の災いから社を守りたい、そんな意図が伝わってきます。
堤の斜面に合わせる様に石段が積まれ、角の取れた丸い石を積み上げ境内が作られています。
その周囲を玉垣が囲んでいますが社に比べ風化が進んでいます。
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社号標はなく、社の扉はしっかり閉じられ外部から識別は出来なかった。
玉垣に何か彫られていないか調べて見るもそれらしいものは見つけられない。
5本の千木と内削ぎの千木が施された社、その正体は分からない。
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南派川の堤から光明寺の街並みを見据えるように佇む小さな社と近代的なタワー。
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地図からは創建年代が推測できないか見てみました。
上段左上は1891年頃ですが、そもそも道がない。
現在の道筋になり目印となるイチョウの樹と石段らしきものが写りだすのが昭和の中ほどから。
玉垣の風化具合が昭和の時期に合うのかな。
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1562年(永禄5)清州城で信長と家康の間で結ばれた清州同盟。
その宴の席で信長と家康は酔い覚ましに馬に乗りこの地の光明寺城(現在は石標のみ)を訪れたという。
そこから対岸の岐阜城を眺め「美濃を制する者が天下を制するか」と呟いたといわれる。
地名の由来は古刹の天台宗光明寺がある事からきている。
光明寺城は廃城となり現存しないけれど、この堤から北を望むと岐阜城(稲葉山)は間近に望める。
この地が戦国武将と所縁のある地なのが分かる。

この不明社がいつ頃ここ祀られているのか定かではないけれど、こうして高みから眺める姿からはそんな武将たちの思いを想像させる。(写真は国営木曽三川公園 138タワーパークから岐阜城方向の眺め)

光明寺の不明社
創建・祭神 / 不明
所在地 / ​一宮市光明寺東神明​ 
国営木曽三川公園 フラワーパーク江南から車アクセス / 県道183号線 県道182号線 県道150号線(タワー通り) ​所要時間15分程
関連記事 / お囲い堤で出会った不明社

昨日2回目のワクチン接種を受けて来きた。
良く2回目の副反応の強さが聞かれる
高齢者とされてしまう65歳以上より若い世代の副反応が強いなどとも云われている

熱もなく、全く体調に変化は見られない
公的機関などが副反応の症状として挙げる中から強いて挙げるなら
接種したところの疼痛(なんじゃこれ)、早い話が痛みの事なんだろうがそれくらいか
これって、程度の差こそあれ至極自然な事、注射に痛みは付き物だ

いつもの様に酒を飲み、風呂にも浸かり
今朝は今しがたまで伸び放題の庭木の枝をバンバン切ってきた
若干、腕の筋肉が張り(そりゃ剪定したからでしょう)
軽度のだるさを感じる(そりゃ剪定とキャンプなんか行ったからでしょう)
副反応らしきものは・・・・ない
気持ちだけは若いが、やはり高齢者の証なのか?

ひとまず、いつの型に有効なのか分からないけれど
感染しにくくなり、感染しても発症や重症化のリスクが低くはなるようだ

日常となった、マスクや消毒、密の回避、なにも変わらないけれど
自分が要因で家族に広めるリスクが低減される事は一番有難い

6/23~25にかけて戸隠で2連泊し戸隠神社を5社巡ってきました。
何十年ぶりかのキャンプでした。
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名古屋から6時間程(途中2回休憩、現地で食材調達含む)、戸隠神社奥社を通過し10分程で県道脇の戸隠イースタンキャンプ場受付に到着。
今にも降り出しそうな天気、梅雨、まして山なんでこんなもんか。
広いフリーサイト区域に先客は4名ほどか、雨に降られる事もなくテントの設営を終え場内を散策。
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場内は針葉樹の林の中にオオバコの群生する草地が広がり、立派なログのトイレ棟を中心として各所にトイレ、炊事等が整備されている。
食べ残しは都度廃棄場へ、飲料容器は濯いで廃棄場へ持っていく事がルール、これも獣対策。
それさえ徹底していれば自然に包まれ静かに時間が過ぎていく。携帯はアンテナは取り敢えず立ち、テレビは入らなかった。

二泊しましたが雷と一時的に強烈な雨の二日間。 台風の影響で晴れていても雲がくれば雨。
ビンテージもののテントやタープでは防水性が心配。
それでも雲が切れると綺麗な星空が広がり、フクロウも毎晩やってくる。
etc3.5
念仏池
キャンプ場から県道36号線沿いに奥社方向へ徒歩5分、県道脇に注連縄が吊られた熊笹に包まれた森に続く道があります。
念仏池はすぐ目の前、県道から少し奥まり、やや下がった位置に池があるので目立たない事もあり訪れる人は少ない。
小さな池の対岸に石の祠があり、親鸞に由来がある池でもあります。
池の底からは砂を舞い上げ湧水が湧きあがり、自然の息遣いを感じられます。
水面には周囲の木々が映り込み、朝霧に包まれた念仏池は神秘的だった。
カッコーの鳴き声で目が覚めたら、熊の存在を考えると心細いかもしれないが散歩がてら歩くのもいい。
etc3
朝はカッコーから始まりウグイスのさえずりで目が覚める。
ここを利用する方はそうした時間を楽しむ目的で訪れている様だ。
空いていればとてもいい時間を過ごせるキャンプ場でした。

戸隠イースタンキャンプ場
所在地 / 長野県長野市戸隠戸隠山国有林内
上信越自動車道 / 須坂長野IC➡戸隠バードライン➡
℡ / 026-254-2125(8:00~17:00)
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キャンプ場から車で10分程の鏡池
人造湖ながら戸隠の山々を水面に落とす姿は美しいものがある。
所在地 / 長野県長野市戸隠
キャンプ場から車アクセス / 奥社方向へ、「そばの実」で左折2km、10分程、幅員は当然狭いです。
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戸隠 神告げ温泉
キャンプ場から戸隠神社中社方向へ車で15分程の所にあり、戸隠スキー場中社ゲレンデの麓にある日帰り温泉入浴施設。
神経痛や筋肉痛などに効能がある単純泉で、内湯しかありませんが緑を望みながらリラックスして温泉に浸かれます。
中には食事処もあり、戸隠の蕎麦屋の中では遅くまで蕎麦が食べれる。
館内は昭和レトロな展示品やご主人の趣味が全面に現れ懐かしさを感じる。
写真はマスコットの北海道犬の「おたる」、入口で出迎えてくれる、隣にご主人様がいるので一切こちらを向いてくれないが愛嬌のいいワン子だ。
泉質 / 単純泉
効能 / 神経痛、関節痛、運動麻痺、うちみ、慢性消化器病、痔症、冷え性など
℡ / 026-254-1126
所在地 / 長野県長野市戸隠3182, 中社ゲレンデ駐車場内
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キャンプ場から車で5分程で戸隠神社奥社駐車場へ。
そこから奥社までは長い、写真の随神門から杉並木がひたすら続く全長2㌔の参道を20分程かかっただろうか。

コロナ禍で訛った足には相当くる。
雨具なしで奥社に向かい、途中から雷交じりの雨に見舞われたが杉並木が和らげてくれた。

戸隠神社「奥社」
祭神 / 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
天岩戸を開けた神様をお祀りしている。
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九頭龍神社
天手力雄命が祀られる以前から地主神として古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として崇敬されている。
祭神 / 九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
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戸隠神社「中社」
奥社から5分も下れば中社無料駐車場。
大きな鳥居をくぐり目の前の石段を上ればすぐだ。

祭神 / 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天岩戸に隠れてしまった天照大神、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神様です。
中社からは戸隠古道を歩き火之御子社、宝光社へ向かいます。
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火之御子社
1098年(承徳二年)頃の創建とされ、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀りしている。
戸隠山の神様が神仏習合の当時も、この社だけは神社として終始し、戸隠神社太々神楽は、この神社に仕えていた社人により古来から現在に伝えられている。
祭神 / 天鈿女命(あめのうずめのみこと)、高皇産御霊命(たかみむすびのみこと)、栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
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宝光社
長い石段を登ると神仏習合時代の名残を感じさせる荘厳な社殿があり。
祭神 / 天表春命(あめのうわはるのみこと)
中社祭神の御子神様で、開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、女性や子供の守り神として御神徳があるという。
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戸隠 蕎麦処 そばの実
上、数量限定の十割蕎麦@1,100
下、旬の味比べ@900
戸隠イースタンキャンプ場の5分程手前にある蕎麦屋、人気店で列が出来ていた。
ここから左に進むと鏡池に続く。
10割蕎麦にしては細く美味しい、最初は塩で頂いて欲しい。
我家評価は5段階で星3つ、店内、外の眺め、そして料理と見栄えの良さは味にも影響してくる。
℡ / 026-254-2102
所在地 / 長野県長野市戸隠3510-25
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うずら屋
中社の鳥居右にある老舗でここも人気店。
ざるそば並み(上)@880と大(下)@1,050とお野菜いろいろ天ぷら盛り合わせ@960。
天ぷらの揚げ加減は絶品、外はさくさく、中はふっくらで口当たりがいい。
蕎麦は特に良さを感じなかった、体調の加減か、つなぎ粉の香りが口の中で広がった。
朝8:30に記名を済ませ、開店前に神社を巡ったけれど、中社鳥居から最短の蕎麦屋である以外、そこまで人気なのが味音痴のおやじには分からなかった。
我家評価は5段階で星2.5。
℡ / 026-254-2219
所在地 / 長野県長野市戸隠中社3355
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最終日は快晴。
食事を済ませ、現地で土砂降りの雨に曝されたテントやメッシュタープを天日干しして積み込むことが出来た。

・・・最初の絵と外観が違う? やはり豪雨には防水性が足りず、タープとブルーシートで雨漏れと格闘した結果です。晴限定と考えるか、上にタープを張るしかなさそうだ。

もう一つ失敗、虫寄せとして点ける予定の2マントルガソリンランタン、前準備では問題なかったがプランジャーがスカスカで圧縮不能で使えず、タープに虫がガンガン寄ってきた。これは部品交換しないと。

久し振りのキャンプ、問題や課題抽出の機会として考え、次回までにはなんとかしよう。
それにしてもシームレスのテントやタープはないもんかい。
2021/6/23~25


車アクセス / 東名高速➡中央自動車道➡長野自動車道➡上信越自動車道➡須坂長野東ICから➡バードライン経由で​5時間程

亀鶴蓬莱(きかくほうらい)山 正覚院

前掲載した能登國一之宮氣田大社からの続きになります。
正覚院は氣田大社の西隣に隣接し、歩いても1~2分。
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鶴亀蓬莱山 正覚院は石川県羽咋市寺家町に境内を構える高野山真言宗の寺院です。
気多大社の旧神宮寺で本尊は大日如来です。

最初に視界に入るのが黒瓦葺の鐘楼。
一見地味に見えますが各所に彫りが施され、瓦には加賀梅鉢の紋も入る。
山門へはここから右に進みます。
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正覚院山門
黒瓦の四脚門で右奥が庫裡、左が本堂。
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山門から本堂の眺め

正覚院の創建ははっきりしない、718年(養老2)、白山を開山した泰澄大師が伊勢内外宮を参拝しての帰り、夢想の歌「恋しくば尋ねても見よ能く登る一つの宮の奥の社へ」とのお告げを受け、氣田神宮寺を創建したと伝えられている。

855年(斉衡2)に亀鶴蓬莱山気多太神宮寺の勅号を賜り、以来氣多大社(能登国一之宮)の神宮寺として寺運が隆盛しました。

往事の氣田多神宮寺は正覚院を初め、長福院・地蔵院・薬師院等多くの神宮寺や坊があったが、明治政府による神仏分離により廃絶の道を辿るが、正覚院のみが存続し独立の道を歩んできました。

仏式を廃された氣多大社で保管されていた重要文化財の阿弥陀如来坐像や多くの仏像など、幸いにも正覚院に引き継がれ寺宝として継承されている。
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本堂全景。
黒瓦葺で葺かれ棟飾りにも加賀梅鉢の紋が輝いている。
唐破風向拝の木鼻や虹梁などにも彫が施され、落ち着いた佇まいでありながら拘りを感じる。
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境内左に多宝塔、参道はその先の鐘楼と観音堂に続きます。
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境内左の全容。
雪深い地域に来ると黒瓦を目にすることが多いけれど見事に統一されています。
小さな鐘楼ですが降り棟瓦の立派な事。
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正覚院庭園中央の由緒
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護摩堂
2007年(平成19)に手が入れられたようです、右手は白寿観音像、左奥に赤い宝物殿。
白寿(ボケ封じ)観音写経奉納
「願わなくとも花は咲く だがいくら願っても咲いた花なら散っていく 後で必ず実を結ぶ誰もが一応は通らなければならない老いの坂道で 道に迷わず まわりの皆と共に幸せでありますように願う・・・・・・惜しまれるような良い思い出をこの世に残していきたいものです」
最近こうした言葉が浸みるようになってきた、老いの坂道を実感する毎日です。
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護摩堂から左へ進み楼閣方向へ。
黒瓦と白漆喰、そして木の色合い、上品な佇まいです。
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宝物殿を横目に見ながら先に進めば駐車場に戻ることが出来ます。
高台の駐車場から先は日本海が広がります。

広大な駐車場に車が少ないのは寂しい限り。
とはいえ、祭礼でもないのにごった返す姿がいいかというとそうでもない。
氣田大社も正覚院も静寂さが似合っている。
2021/3/24

亀鶴蓬莱(きかくほうらい)山 正覚院
創建 /   不明 
宗派 / 真言宗

本尊 / 大日如来
札所 /  北陸白寿観音霊場 第19番、能登国33観音札所 16番札所
所在地 / 石川県羽咋市寺家町ト92
関連記事 / ​能登國一之宮氣多大社 1

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