尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2021年07月

名古屋市守山区白沢町「長命寺」
1
市内から車の場合、県道30号線を龍泉寺方向に走り「松川橋南」交差点で右折、「川村」交差点を左折、直進した左側で参拝者駐車場も確保されています。
前回掲載した守山区白沢町「天王社」の東に隣接する臨済宗のお寺です。
2
長命寺、山号は医王山。
道路南に面し白壁が続き、中ほどに重厚な山門を構えています。
3
山門左の石碑には「長命を 祈りてまいる この寺は 清く流るる 川村の里」と記されている。
4
山門から境内の眺め。
正面に入母屋瓦葺の本堂と右方向に庫裏、寺務所と繋がっている。
本堂左方向に濃尾震災慰霊碑などがある。
5
山門右の手水舎。
6
山門から左方向。
右から蓬莱七福神の寿老尊を祀る壽老殿と鐘楼、その左に観音堂の伽藍。
7
境内から山門の眺め。
四脚の瓦葺の山門、木鼻や蟇股など手が掛けられ、趣のある佇まいをしています。
境内西側に戦没者慰霊碑が建っている。
no title
長命寺はもともとは川嶋神社付近に長母寺を開山した無住国師が旧号で光常寺として開山したとされ、小牧・長久手の合戦(1584年)で本尊の薬師如来像を除き伽藍を焼失。
後の1700年(元禄13)に長母寺末寺、「医王山 長命寺」と改号し再興され現在に至るようです。
(上の地図の左のマーカーが川嶋神社で右が長命寺)

また周辺にはかつて南北に城があり、ゆとりーとラインの「白沢渓谷」付近の小高い場所に川村北城が、長命寺の南東付近に川村南城があったとされ、どちらも今は痕跡は残っていません。

長命寺と川村南城は所縁があり、織田信長の家臣とされる水野右京進が築城し、城主5代に続く水野氏の菩提寺が長命寺だという。本堂裏手には1720年(享保5)に建てられた石碑も存在する。
現在の本堂は1956年(昭和31)に再建されたもので、伽藍は新しいけれど長い歴史を持つ寺。
8
本堂全景
向拝木鼻などには意匠が施され、コンクリートにはない暖かく落ち着いた佇まい。
本尊は薬師如来。
9
瓦葺、入母屋造りの妻入りの壽老殿全景。
蓬莱七福神の寿老尊を祀る。
蓬莱七福神とは守山区、尾張旭など名鉄瀬戸線沿線の霊場巡り。
守山区小幡の長慶寺(大黒天)、同区大森の法輪寺(福禄寿)、同区小幡の弘法寺(布袋尊)、同区市場の宝勝寺(毘沙門天)、春日井市松河戸の観音寺(弁財天)、尾張旭市印場元町の良福寺(恵比寿)、別格として守山区竜泉寺の龍泉寺(宝船)、そしてここ白沢町長命寺の寿老人の霊場を巡るもの。
10
木造瓦葺の鐘楼
緑青に覆われつつある梵鐘、銘文は見当たらず、いつ頃鋳造されたものかは分からなかった。
梵鐘の下帯には蓮?が描かれているけれど、全体の姿はシンプル。
11
観音堂
鐘楼の左にある切妻の建物でこの背後が白沢町の天王社。
堂中には複数の観音像と右に地蔵が安置されています。
12
観音像
前列の像は主に昭和の頃の像が多いが、奥の方には寛政や文政の頃に奉納されたものが見られます。
一番奥に安置された丸みのある素朴な表情の像などは更に古く見える。
そうした像はきっちりと刻まれたものにはない、人の思いが感じられいいものです。
2021/07/27


長命寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 薬師如来
開基 / 無住国師
創建 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町319-1
関連記事 / ​名古屋市守山区白沢町「天王社」​ 名古屋市東区の古刹「長母寺」

今回の戸隠五社巡りの起点となる戸隠イースタンキャンプ場。
00
カッコーの鳴き声で目覚める、相変わらず朝は早い、熟睡中のかみさんを起こさない様に一人早朝の散策に出かけた。熊の存在を考えると少し心細いが遭遇したらその時に考えよう。
1
目的地はキャンプ場から県道36号線沿いに奥社方向へ徒歩10分程、県道沿いに熊笹に包まれた森に続く注連縄の吊られた小路を目指します。
1.5
前日キャンプ場に向かう途中、車窓から見え、気になっていたところです。
国道沿いに無料の駐車場があり、そこに掲げられていた案内図が上。
複数の車中泊の車はここから登山目的で夜を明かしていたようです。
目的地へはこの看板脇から右に続く小路があり、そちらからも行く事が出来ますが熊笹が生い茂り、ここは県道側から向かいます。
2
県道36号線から念佛池入口を見る。
左手に注連縄で結界がはられた入口があります。
3
県道から入口の眺め。
注連縄と右手の石標に気が付かなければ見つけにくい。
池そのものがやや下がった位置にあるので目立たない事もあり、訪れる人は少ない。
念佛池はすぐこの先。
4
右の苔むした石標「念佛池」とある。
5
碑の裏側の元号は安政5年(1858)と読める。
ほぼ2世紀にわたり雪深いこの地に建ってきただけに全体は苔が覆い、碑そのものは角がない。
6
碑からすく先の少し窪んだ場所に小さな池があります、これが「念佛池」
池の対岸に石の祠と解説板があるが、見ようによっては「ただの池じゃん」となるだろう。
池の周囲は花期は過ぎているけれどリュウキンカの黄色の花がちらほら残っている。
5月から6月頃なら池の周囲は鮮やかで可憐な黄色の花が彩を添えているのではないかな。
この小さな池、どこからも水は流れ込んできていません。
澄んだ池の底を眺めてください、砂を舞い上げて地下水が湧出しているのが見て取れます。
8
念佛池解説
建歴2年(1212)の頃、親鸞聖人(浄土真宗開祖)が戸隠権現(戸隠神社)へ参詣されました。
その折り、この小池の端で念仏を唱えると、念仏に応えて池底が沸き返るが如き不可思議な状態を現したので、戸隠権現の霊験顕著と感激し「念佛池」と命名したと伝えられています。
親鸞聖人旧跡
滞在宿坊 (戸隠中社)
桂の木 (戸隠豊岡)
9
奥社鳥居左奥に「一龕龍王の祠」が建っていますが、干ばつの時に黒姫山登山道の脇にある「種池」の水を汲んで雨乞いをすれば、必ず雨が降ると信じられていて、「種池」の主とされる「一龕龍王」がそこに祀られているという。
6月の「種池祭」では、その祠と「種池」、そしてここ「念仏池」でも神事が行われるそうだ。

右手の「念仏池」と刻まれた石標には親鸞聖人がこの池を拝む姿が描かれている。
すっかり苔むした祠、いつ頃祀られたものなのか詳細は分かりませんが、時の経過とともに山と一体になろうとしているようにも見えます。
7
森の中に佇む小さな池。
池の底から砂を舞い上げ脈打つように水が湧きだす光景は親鸞聖人がこの小池の端で念仏を唱えて起きたとされる不可思議な状態が今も続いている。

朝霧に包まれた念仏池の水面に周囲の木々が映り込み、静まり返った周囲にあって、池の底から湧き上がる湧水のさまは自然の息遣いそのもの、この山自体が息づいている。
そう感じる事間違いない、神秘的な光景が見られます。
10
そろそろかみさんも起きていることだろう、ここはかみさんにも教えてあげよう、いい加減戻るとするか。
念佛池方向の県道から戸隠イースタンキャンプ場受付ロッジ(右の建物)の眺め、キャンプサイトは県道を超えた右方向になります。
2021/06/24

念佛池
関連記事 / ​戸隠神社五社巡り「奥社・九頭龍社」
所在地 / ​長野県長野市戸隠越水
車アクセス /   上信越自動車道信濃町ICから約30分
戸隠イースタンキャンプ場から​徒歩10分程

名古屋市守山区白沢町
白沢渓谷の西の麓に当たり平坦な扇状地にできた地域、ここから東は緩やかに丘陵地が続きます。
町名の由来となる白沢川は1768年(明和5)に従来の流れに堤を築いて堰き止め、北側の山を開削し庄内川へ流路が変えられたもので、ここから東に行くと城土公園があり、園内を白沢川が流れ庄内川に注いでいます。
00
古くから農耕を生業とする集落があり、龍泉寺に続く四観音道に続く里道でもあり、川村南城もあったようだ。
1
今回の目的地は白沢町の「天王社」。
目印は臨済宗のお寺「長命寺」で天王社は長命寺の敷地の西角に一部に社地が与えられた、そんな感じが漂う。
天王社はこの白壁の切れた所に鎮座します。
2
南の車道から見る天王社と後方は長命寺。
3
切妻の妻入り四方吹き抜けの拝殿から本殿の眺め。
拝殿左上に何か記された木札があり、恐らく由緒に繋がる事が書かれているような気がするが読めなかった。
4
拝殿左に祭礼の案内。
近隣の川嶋神社の管轄のようです。
この天王社の創建など詳細は分からないが、川嶋神社で伺えば何か得られるかもしれない。
こうして年間の祭事計画が貼りだされているだけに、近隣に住民からは今も崇敬されているようです。
5
本殿は守山では定番ともいえる赤い覆屋の中に赤い本殿が祀られ、本殿前には赤い鳥居も置かれている。
扉が閉じられているので分からないが、恐らく津島神社の御札が収められていると思います。
6
赤く塗られた社殿、いかにも氏子の手で維持されているのがわかる。
ペンキまみれのこの光景も良く見かけるものだ。
荒れるに任せた社に比べれば、この方が血が通っていて鎮まる方も喜んでいるのではないだろうか。
今は平穏なこの地も、過去には自然からの試練を受けてきた、そうした過去の経験から災い除けのために祀られたものだと推測します。
目的があってここに祀られ、今もその思いは次の世代に受け継がれている。
こうした思いが受け継がれていく事は、この地で生活するうえで重要な伝承だと思います。

「天王社」白沢町
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「川村」駅下車 南へ徒歩10分程

戸隠キャンプで大雨に見舞われ、予備のテントが使えるかしばらくの間張りっぱなしで様子を見ていた。
1

その間あの時の様な強烈な雨が降る事もなく梅雨が明けてしまった。
やった事はポールのショックコードの長さをつめた事くらいで肝心の防水性は見切れていない。
シームの防水性は確実に使い込んだコールマンよりは生きていそうなのでタープがしっかりしていれば雨漏りにはならなさそうだ。
11
大雨見舞われる前
12

上の写真は大雨が過ぎ去った翌朝の状況。
フライシートのないメッシュタープはブルーシート、テントはタープを被せ雨の侵入を防ぎ大した被害には至らなかった。
新しいのが欲しい所だが、ヘキサが大雨を緩和してくれれば、今のテントやメッシュタープでも快適に使えるのでは。
そこで戸隠の大雨で急場をしのぐためテントの上にかぶせたヘキサタープに手をかけて見た。
13
という事でタープのシームテープを全て引っ剥がし、手持ちの素材を代用して貼替、防水スプレーを吹き付け補修して見る事にした。買う買わないはその後だ。
14
結局縫製する箇所にはシームテープは付き物。
使おうが使うまいが接着面は浮き、縫い目からの漏れは避けられない。おまけに少し浮いたテープは触れば触るほど剥がれてくる。
一枚ものの生地で作られた製品はないもんだろうか。昔からそう思うところ。
シンプルな構造のヘキサですら5枚も縫製してある。
15
テープは簡単に気持ちよく剥がれてくる。
縫製部分の汚れ、ごみを取り除き代替のテープで貼替。
手持ちの素材はメッシュ入りの補修テープとビニール地のガムテープ(ホームセンターで数百円程度)。
16
以前知り合いからもらったもので生地や粘着性は折り紙付き。
その昔カヤックの底部分の補修の為に使っていた残りですが、5カ所分の長さはないのでオリジナルのシームテープ幅で切り取って長さを稼いで張ってみた。
本当はこの幅の倍くらいで行きたいところ。
テープは生地にしっかり貼りつき良い感じです、最後に生地の裏側(表)に板を敷きテープの上から仕上げの加圧をして、生地の重なりやテープの気泡を追い出して良しとした。
17
加圧を終えた縫製部分、結局5本中3本はこれで補修が出来た、これは原材料費ゼロ。
18
残る2本はどうしたもんだか、布のガムテープは宜しくない、物色すると写真のビニール地の粘着テープが出て来た、これなら布に比べれば防水性は高い、接着力もありそうだ。
webでもこうしたテント補修用の商品があるけれどこれで様子を見て見よう。
買い替えるかもしれないものに無駄な出費は不要。

貼り方はいとも簡単、ゴミと汚れを取り除き、テープの幅そのままで縫製部分に貼り付けるだけ。
唯一の注意点は生地にシワを作らず、テープに空気を入れずにしっかり貼り付ける。それだけです。
こちらも貼り終えた後、生地の裏側に下敷きになるものを置きしっかり密着させる。

シームを張り替えた後は表にして、スキーウエア用の防水スプレー(これもいつのものだか)があったのでひたすら吹き付けて完成。
しっかり乾燥させ生地もサラサラ、この金をかけない労力に見合う効果があればいいのだが。
いや、あるはずだ。

メッシュタープも補修したいが、一枚構造でフライシートのないテントやタープに雨漏りは付き物です。ブルーシートを被せるのが安価で最強かも知れない。

来月は乗鞍方面に2泊三日のキャンプが決まった。
乗鞍も過去に強烈な雨を経験したことがあるだけに、もう一度戸隠キャンプで露呈した問題点を解決しなければ。

その一つに快適でありながらコンパクトな装備。
今回は少し冒険してみようと軽で行ってみようと目論んでいます。
スペアタイヤのない軽はパンク補修キットで対応できないバースト(タイヤが裂ける)の場合、山では苦労する、なのでこれまで未舗装を走る山行に軽は避けてきた。
タイヤは意外なほど簡単に岩で裂けてしまいます、タイヤに負担をかけないためにも身軽な装備は重要になってくる。

2021/7/25
関連記事 / ​キャンプで戸隠神社五社巡り

名古屋市緑区大高町字中川
寝覚の里から徒歩で常滑街道を東進し国道23号線沿いに北上する事15分。
道は巨大なコンクリート堤防により行き止まりとなり、堤防の先は天白川が流れる。
1
いかにも夏を感じさせる空。
堤防から天白川河口方向を眺めてみた。
先に見える橋は天白犀川橋は下を国道23号線、上は名古屋高速大高線。
小さな流れの天白川、ここまで来ると流れを集め川幅はとても広く、水位は平時でも干満の影響を受け上下します。
2
堤防から上流の眺め。
左が天白川、手前が扇川、ここから堤防を上流に向かうと大高川が合流する。
見あげる高さの堤防も、上から眺めると意外に水面が近い、標高はこそ-ではないものの、この巨大な堤防に守られ平穏な日常がある。
タイトルなし
1890年代(左上)からほぼ現在(右下)のこの地の変貌。
往古は等高線が密になる辺り以外は波打ち際、新田開発で沖へ〃と海岸線は遠ざかって行き、伊勢湾台風で大きな被害を経験するなどした周辺も現在は住宅地に移り変わってきた。
3
堤防から南東方向の眺め。
今回の目的地「龍宮社」はこの堤防沿いに鎮座しています。
4
堤防を降りても社殿らしき姿はない。
5
堤防から少し離れると、先ほどから手前に見えていた生垣に鳥居が建っていた。
会社の緑地帯の様に見えていたがここが「龍宮社」で間違いないようだ。
6
鳥居はとてもタイトな位置に建っていて、鳥居の直前に企業のフェンスが迫り、鳥居から境内全景が伝えずらい。
南東方向を向いて鎮座する「龍宮社」、三方は生垣に囲まれ境内は通りから見付けにくいかもしれない、この生垣が目印といっていいかな。
社地はブロックで囲われ、そこに土が盛られ外周に生垣が植えられ神域を形作っています。
7
夏空を背景に仰ぐ高さに本殿が祀られていて、4本の鰹木と縦に削がれた千木が付く。
8
龍宮社
「名古屋市緑区大高町字中川
祭神 底筒男神、中筒男神、表筒男神
正式名称は住吉社と云い、大阪の住吉大社からきている。
筒男三神は航海安全の神として各地の海辺に祀られる。
大高川と扇川との出会う南側に鎮座されていたが、昭和34年(1959)伊勢湾台風で被害を受け、河川改修の為、昭和40年(1965)にこの地に移された。
龍宮社提灯祭り 毎年旧暦6月15日」
9
筒男三神は正式には住吉大神と呼ばれるようで、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊を行ったときに、瀬の深いところから底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神、水表で上筒之男神が誕生したとされる水の神。
解説によれば伊勢湾台風で被災以前はここから約400㍍程上流に鎮座していたという。
帰りに寄り道してみたが痕跡は見つけられなかった。
2021/7/18

龍宮社(住吉社)
創建 / 不明
祭神 / 底筒男神、中筒男神、表筒男神
所在地 / ​名古屋市緑区大高町字中川
寝覚の里から徒歩ルート /  ​常滑街道を東進し国道23号線沿いに北上する事15分
関連記事 /  ​寝覚の里​ ​住吉大社

↑このページのトップヘ