尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

2021年08月

笠寺観音として馴染みのある天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。
仁王門前を東西に延びる旧東海道を横切り、正面の細い路地を2~3分ほど南へ歩いて行きます。
やがて左側に石垣で一段高く盛られ、濃い緑に包まれた一画が笠寺天満宮東光院。
通りの白い幟がなければ、寺の存在は分かり難いかもしれない。
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通りから北を見ています。
真正面に笠寺観音仁王門、左手前が秋葉神社。
今回の目的地東光院は右側の白い幟の立つ一画。
この道、道幅が狭く対面通行なので幅寄せや、進路を譲るのが苦手な向きにはお勧めしません。
駐車場は寺の北方向の少し離れたところにあります。
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上は尾張名所図会から天林山笠覆寺の絵図に手を加えて見たもの。
左が笠覆寺で右の黄色の丸部分が笠寺天満宮東光院にあたり、東光院の右下の水色が仁王池。
こうして見ると東光院の通りが門前通りの様に見えてくる、そして仁王池(現在はない)の名も意味あり気だ。
東光院が鎮座する当たりの現在の町名は上新町ですが、秋葉神社のあたりは大門に変わり、仁王と大門のワードからこの辺りに以前は門が存在していたのかも知れない。
茶色に塗った街道沿いには笠覆寺の塔頭寺院や宿坊が建ちならぶ。

笠覆寺の始まりは733年(天平5)の天林山小松寺から始まり、幾度も盛衰を繰り返し、930年(延長8)藤原兼平が再建、36坊をつくり名を笠覆寺と改めた。東光院も笠覆寺の坊の一つとして創建されています。
笠覆寺はその後も盛衰を重ね、1238年(嘉禎4)に12坊を再興、江戸期には6坊となり、明治に入り独立した寺院として現在に至っている。
神仏習合の名残が色濃く残り、目的の笠寺天満宮は東光院の本堂(庫裏)左に鎮座しています。
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東光院山門全景。
出世神酒天満宮書かれた幟が目立つ。
山門をくぐり、まっすく進むと方丈に至ります。
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東光院は山号を天林山と称し真言宗智山派の寺院で、不動明王を本尊とします。
創建は定かではありませんが、笠覆寺の塔頭寺院という事からかなりの古刹。
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山門右の袖壁に案内板。
「笠覆寺の塔頭として創立され1536年(天文5)に再興され今日に至る。
本尊の不動明王は伝教大師の作と伝えられ、元々は紀州熊野新宮の本尊。
縁あって1651年(慶安3)に東光院本尊として伝来、厄除け満願不動として崇敬される。
境内に一堂あり、往古当地寺部の城主山口半左エ門所蔵されていたが、豊臣秀吉より東光院に授かる。
お酒を供えると顔面紅くなる言い伝えから「出世神酒天神」として信仰が厚く、尾張徳川家代々崇敬特に厚く、葵紋の御札筥等を寄付されている。
近年学問の神さまとして、学業上達・入試合格祈願の参詣が多い。
また、宮本武蔵が当寺に一時滞在、天満宮に帰依する遺品が現存する、その為、武士道上達・技術上達祈願のご利益多し。
他に源範頼の由緒あり」

範頼の由緒とは
源頼朝の父義朝と平家との戦い「平治の乱」で負け戦となり、義朝は討たれ、頼朝は伊豆國に流されます。戦に参戦しなかった範頼は縁故を辿って一時東光院に隠れ住んでいたとされる。
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東光院が所蔵する宮本武蔵の遺品とは「宮本武蔵自筆の書」、「武蔵画像」、「自作木刀」が所蔵されているようですが現在は一般公開されていないようです。
公開されていないと逆に調べたいもの、「​南区と宮本武蔵のかかわり​」で画像付きで紹介されていました。
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山門をくぐり左に参道が続きその先に見える寄棟の堂が「笠寺天満宮」
堂の右に見えている建物は東光院本堂で更に右に方丈。
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参道左に手水鉢
自信はないけれど元号が天保と刻まれている様に見えます。
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笠寺天満宮全景
笠寺天満宮の建立年代は定かではない、菅原道真自筆の肖像画を所蔵するとされる。
由緒に星崎城(現在の笠寺小学校)城主、山口半左衛門重勝が所蔵していたものが秀吉、そして東光院に授かるとあるので、創建は室町後期から安土桃山時代なのだろう。

堂の外観はシックな色合いで落ち着いた佇まいをしている、細部の劣化、特に縁などに随分傷みが来ている。
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笠寺天満宮。
後方が東光院本堂。
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堂に掲げられた額は「天満宮」とある、額の形がひょうたんに見えなくもない。
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堂内、中央に「天満宮」の額が掛けられ、金色の厨子に豊臣秀吉から授かった菅原道真の肖像画「出世お神酒天神」を所蔵するようで、厨子の前には小さな狛犬(獅子?)が安置されている。
左には弘法大師の姿もある。
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堂の右に石標がありますが文字は読めませんでした。
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左が笠寺天満宮社標(昭和3年健之) 。
右は山門から真っすぐ参道を進んだ先に立つ石標(詳細不明)。
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本堂左と方丈入口。
参拝時の境内は樹々に包まれ建物の全景は捉えにくい状態でした。
恐らく切妻のようで、南区の案内には江戸中期(1650年頃~1750年)の建立とあった。
こちらに範頼や武蔵が身を寄せた。
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寺号標は昭和9年と健之とあった。
寺町の名残を感じる細い通り、今や住宅が立ち並び絵図の面影は皆無です。
こんもりとした緑に包まれた一画だけは別世界のようにも感じる。

通りに戻れば強烈な日差しと暑さが襲ってくる、目の前の秋葉神社を参拝して引き揚げよう。
2021/8/27

東光院
山号 / 天林山
宗派 / 真言宗智山派
創建 / 不明
本尊 / 不動明王

笠寺天満宮
創建 / 不明
祭神 / 管原道真
所在地 / 名古屋市南区笠寺町上新町47
公共交通機関アクセス / 名鉄名古屋本線​「本笠寺」降車、東へ徒歩10分程
関連記事 / ​天林山 笠覆寺​ 、 『​熊野速玉大社​ 、​訶愚突知社​、

戸隠神告げ温泉 湯行館
キャンプしがてら二泊三日で戸隠神社五社巡りの際、滞在中にお世話になった日帰り入浴施設。
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「戸隠神告げ温泉 湯行館」全景

戸隠中社の「蕎麦処うずら家」から車で数分、徒歩でも10分程の距離にあります。
戸隠スキー場中社ゲレンデの麓にありスキーシーズンのアフタースキーには最高かもしれない。
この時期だと神社参拝や登山の帰りなど疲れを癒すには絶好。
駐車場もこれでもかと云わんばかりの広さがある。
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入口左側にマスコットのほっかいどう犬の「おたる」
CMのおとうさんと同じ犬種。
この子、とてもおとなしく、見知らぬ者が前を通っても全く動じることなく籠の中で眠っている。
えっ、立ってるやんと思いますよね。
これ、こちらの店主がたった丁度戻られ、ご主人のお出迎えのタイミング。
北海道犬は狩猟犬、我家でも過去にはハスキーなどを飼っていたけれど、狩猟や作業などを目的とした犬種は肝が据わっていて、うまく躾ができるととても飼い主には従順、それ以外の事には動じない(なかった)。
犬は飼い主の足音が分る、それまで丸くなって寝ていたものが、おたるの様にむくっと起き上がり遠吠えをして迎えてくれる。
山に行ってもそうだった、戻ってくるまでじっと待っていたもんだ。そうした相棒に訪れる別れは辛すぎる。
おたるは体格から見て若いけれど、いい育ち方をしているようだ。
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館内に入ると、これまた親父をくすぐるアイテムがさり気無く「さわらないで」の看板と共に置いてある。懐かしのモンキー(復刻版)、以下店主の了解を得て撮らしていただいた。
館内には昭和生まれにはたまらないコレクションが飾ってある、全てオーナーの趣味。
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入って正面のくつろぎスペース。
館内には食事処もあり、地粉十割の手打ちそばが食べられる食事処「安兵衛」もあります。
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入って左に進むとお風呂に続く、その通路にも懐かしいフィギア(マジンガーZ)や車の写真(ケンメリGTR)などが陳列してあったりとこの時代を知る物にはたまらない。
オーナーはジープを乗り継いでいるようで四駆の話も盛り上がりそうです。
その他にも古い清涼飲料のポスターなどがそこかしこに貼ってある。
銭湯というよりプチ昭和博物館。
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本題の風呂へ。
ロッカーは有料、先客一名。
最近入浴施設に行って、マスクを外すのを忘れることがよくある。
ボケが始まっている事は全く否定しないけれど、このマスク着用習慣はいつになれば解除されるのだろう。
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脱衣所もそうですが、施設は比較的新しく綺麗に保たれています。
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内湯。ここからは撮影自粛。
こちらは内湯ひとつのみですが湯船も広く、ガラス窓の外には戸隠の木々か眺められ解放感がある。
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泉質は無色透明でいかにも温泉を主張する香りは感じられなかったけれど、その湯は肌がすべすべになり若返った気になる。湯温も長湯が可能な温度。
効能は神経痛、関節痛、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、慢性消化器病、痔症、冷え性などに効能がある単純泉。
長時間のドライブ、神社巡りにテント設営、一日の疲れが癒され長湯にもなる。
窓から見える木々は今は緑が鮮やかですが、秋に訪れると紅葉が綺麗かもしれない。
すっかりリラックスし、湯上りのビールはテントに戻ってからだ。
晩御飯と酒盛りの準備せねば。
神告げ温泉、名の由来を聞こうとして忘れてしまった、ボケは全く否定しない。

戸隠神告げ温泉 湯行館
所在地 /  ​長野市戸隠3182
☎026-254-1126 
営業時間 10:00~20:00 (食事処10:00〜17:30)
料金 /  大人600円、3歳~小学生以下300円
定休日 /  年中無休
関連記事 /  長野県長野市「蕎麦処 うずら家」​

「明りは見えてきている」そうな
ホント????????????

根拠を示して、ガースー
それ言わないなら、国民感情逆なでするような寝言は言わない、云わさせない

もっと現実に目を向けて欲しい、が無理だろう。
もう年寄りの時代ではない。
リーダーシップを発揮できなかった首相として歴史に残るのでは
選挙が楽しみです、総理も国民に選ばせてほしいものです。
派閥・利権・忖度・中抜き・高齢化・感染拡大・・・・「明りは全く見えない」
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名古屋市南区白水町「白水神社」
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上の地図、左は1938年(昭和13)頃の当地で周囲は現在ほど宅地整備が進んでいない。
この辺りは二つの河川に挟まれ、新田開発により陸地を海に広げて誕生した町。
当時はまだ西に少し行けば海岸線で大江川や天白川の河口も近く付近には貯木場も身近にあった。 
この地が急速に変貌を遂げる要因になったのは、1937年(昭和12)大同特殊鋼星崎工場の誕生と共に始まったと云っても過言ではない。
当時はまだ南区鳴尾町の一部で現在の白水町に変更になったのが1948年(昭和23)だという。
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白水神社から南の大同病院方向の眺め、その前を左右に伸びるのが県道36号線、ここから少し東には南北に国道247号線が伸びている。
渋滞の要因だった名鉄常滑線も高架となり随分と道路事情が良くなり、新しい住宅も目立ち街並みも変わってきた。
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白水町の名の由来は当時この辺りには、きれいな用水や小川が流れていたことに由来するという。
なんとも綺麗な町名だこと、そんな白水町は過去に大きな災害に見舞われ多くの人命が失われています。
1959年(昭和34)9月26日にこの地域を襲った台風15号、全国に死者・行方不明者5098名出す大災害を引き起こし、「伊勢湾台風」と呼ばれています。

台風の被害が特に激しかった南区白水地区では、死者・行方不明者1417人の方々が犠牲となり、その大きな引き金になったのは高潮により貯木場の木々が流され被害を拡大させた。

現在の街並みや強固な河川堤防から、そうした事は想像もできないかもしれませんが、それを語り継ぐ慰霊碑や海抜標識が目に留まります。
この白水町辺りでは海抜がマイナスの所も存在する。
白水町となり住居も住民も増えるにつれ、地域の守り神として迎えたのが白水神社。
伊勢湾台風では神社も当然被災しているはずです。
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上は白水町周辺のハザードマップ、赤丸で囲った部分が白水神社周辺、周囲に比べ水が集まる地域。
当時に比べ強固な堤防や揚水施設も充実し環境は改善されているとは言え、近頃の気象は明らかに異常。
こうしたハザードマップに目を通しても損はない。
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白水神社は大同病院から県道36号線を挟んだ北側の住宅街の中に鎮座します。
この広場、遊具等見当たらないけれど「白住どんぐりひろば」という事です。
柵に囲われた広場の西部分の一部を更に囲って本殿が祀られています。
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白住どんぐりひろば北側から白水神社の眺め。
境内へはこの北側から入る事になります。
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西を背に板宮造りの本殿が鎮座し、左右に常夜灯はあるものの、狛犬や社標、由緒等の案内し見当たりません。
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小さな神門の先に白水神社本殿。
本殿と木製の常夜灯、その前の小さな神門が良く合っている。
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参拝は終えたものの、どなたが祀られているのかが分かっていない。
新たな町の神様と考えれば、秋葉社か熱田社、或いは津島社あたりかと思いますが、社名札、御神札が見えないのではっきりできない。
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本殿。
木鼻には象、蟇股には龍の彫が施されている。
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どんぐり広場南側から見る本殿に朝陽が差し込む。

過去に絶望的な自然災害を経験した白水町。
ここに人々が寄り添い発展を続ける限り、心の拠り所として神様は絶えることはない。
2021/08/22

白水神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市南区白水町36-196  
公共交通機関アクセス / 名鉄常滑線​「柴田」駅から北へ徒歩10分程

「佐屋護国神社・佐屋神社」
愛西市中央図書館の区画西側に鎮座する、この近隣には愛西市役所、文化会館などの施設が集約され、愛西市の中心といっても過言ではない。
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車の場合は愛西市中央図書館の駐車場に駐車させてもらうのが良いかもしれない。
図書館の西には公園やトイレもある。
写真は駐車場から西の眺め、広々とした公園には遊具もあり子供達の絶好の遊び場かも知れない。
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佐屋護国神社・佐屋神社へは公園南から境内に繋がっていて、そのまま突き抜けると神社西側の正参道に続いています。
ここから改めて境内へ。
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南側から境内の眺め。
左に「佐屋護国神社」、右に「佐屋神社」の社標。
その先に狛犬が守護し神明鳥居、本殿が望める。
境内は一面玉砂利が敷き詰められ、陽光が降り注ぐ明るい境内です。

指定護国神社と、村社に相当する指定外護国神社に分けられる
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護国神社はそれまで、招魂社として地域の英霊を祀っていたものを、1939年(昭和14)に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令)によって、招魂社から護国神社に改称して成立した神社。
指定護国神社と、村社に相当する指定外護国神社に分けられるそうで、原則各県に指定護国神社は一社で
愛知縣護國神社(名古屋市中区三の丸)がそれにあたります。
広義では国の為に、狭義では間違いなく故郷であり家族の為だったと思う。
ここはそうして亡くなられた多くの郷土の英霊が鎮まる場所。
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鳥居前の狛犬。
台座には1938年(昭和13)とある。
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境内全景、真っすぐに伸びる参道の先に本殿。
本殿手前の左右には複数の石標が建つ。
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参道左の手水鉢。
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本殿全景。
手前に狛犬が守護し、一段高く積まれたその上に流造の本殿が建つ。
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本殿手前の狛犬。
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五本の鰹木と外削ぎの千木が付く。
参拝。
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本殿西からの眺め、流造の拝殿と後方右の尖がり屋根は愛西市中央図書館。
こちらの神社の由緒は分からなかった。
境内の鳥居や社標、狛犬などの奉納時期は1938年(昭和13)。
この年代以外の年号は見つけられなかった。
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以前から招魂社として鎮座していたものが、省令により新たに創建されたものなのか分からなかった。
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少し前の地図を見て見る。
不思議な事に右のほぼ現在の地図には鳥居が無いが、左の地図には1944年以降鳥居の印が現れる。
それ以前は周囲が田園地帯で鳥居の姿すら記されていない。
佐屋神社として地図上から創建に繋がるものは確認できなかった。
明るい境内に鎮まる英霊たち、故郷の移り変わりに驚き、これからも見守り続けてくれる事だろう。
2021/07/21

佐屋護国神社・佐屋神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
佐屋護国神社
創建 / 不明
祭神 / 郷土出身英霊

所在地 /  愛知県愛西市須依町東田面4
北一色町八幡社から徒歩ルート / 北東へ徒歩10分程
関連記事 / ​愛西市北一色町 「八幡社」

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