尾張高野山宗総本山 大慈山 岩屋寺
伊勢湾岸沿いに知多半島先端の師崎に続く国道247号線を山海交差点で左折、そこから県道470号線を走る、すぐに県道276号線に変わり5分程で左手に岩屋寺が見えてきます。
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県道右側に大きな無料駐車場があり、車で訪れても駐車場に困る事はありません。

訪れたのが1月18日、この日はかみさんが知多四国八十八箇所霊場巡りのイベント参加のため、送迎を兼ねおやじはコース対象外の岩屋寺を訪れました。
こちらの参拝前に国道沿いの神社を複数巡ってきたので、かみさんからのお迎えコールがいつ来てもおかしくない。そんな事でいつものように時間をかけて見て廻る余裕はなく。

駐車場から岩屋寺の伽藍が良く見渡せます。
左が本堂、中央の門前の先に鐘楼と多層の建物が見て取れます。
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門前を右に進み鐘楼側から境内を見ます。
袴腰が施された鐘楼に視線が行きます。
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鐘楼から更に右の眺め。
左が拝殿、右は庫裏でしょうか。
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これだけ大きな伽藍を持ちながら、岩屋寺の門前に山門は見当たりません。
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門前の石段前の左に「新四国第四三番札所」、右に「岩屋観音」の石標が建っています。
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石段左に瓦葺入母屋造の手水舎。
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境内右の休憩所と手前に弘法堂。
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焦点が合っていない堂内写真ですが、左に弘法大師と中央に不動明王の姿が拝めます。
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弘法堂の左に袴腰が施された瓦葺の鐘楼。
当初は四脚鐘楼だったとされ、1697年(元禄10)の火災で焼失、1753年(宝暦3)に再建されますが、再建までの長きにわたり梵鐘は本堂の軒端に吊されていたそうです。
横長の鐘楼は斜めから眺めると安定感があり、木組みも美しく、岩屋寺の伽藍の中にあって「経蔵」と並び存在感のあるもの。
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下り棟に強面の鬼瓦が睨みを利かしています。
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「阿弥陀堂」
鐘楼の向かえに建つ入母屋瓦葺の建物。
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平治の乱に敗れ、この地に辿り着いた源義朝、匿われていた長田忠致の裏切りから命を奪われ、野間に葬られます。
1159年(平治元年)、源義朝(頼朝の父)の霊廟をお詣りに訪れた浄土真宗の開祖親鸞聖人が岩屋寺を参詣、その際に弘法大師七井の井戸の水を汲み、自ら阿弥陀如来の一尊を書き納められたと云われ、現在の阿弥陀堂の本尊となっているようです。
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石段の正面に石の鳥居と二層建物。
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大師ヶ嶽を背にして建ち、伽藍にあって目を引く存在です。
瓦葺二層造りの「一切経蔵」と呼ばれるもので、現在の経蔵は2年の歳月をかけ1801年(寛政13)に完成したもの。
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​内部の輪蔵(経が収蔵され、一回しで収められた経典全てを唱えたと同等の功徳があるとされる)は、1812年(文化9)から三年の歳月をかけ作られたと伝わります。
軒を支える木組みは、飾り彫りこそないものの、荷重を巧みに分散する先人の知恵が凝縮された美しい造形美をみせてくれます。
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「一切経蔵」の左の明神鳥居を構えた「笠森稲荷」。
理由は不明ですが、伏見稲荷の抱き稲と豊川稲荷の紋が入る神社幕が吊るされています。
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石段の先に狛狐。
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「笠森稲荷」本殿
始まりは旧山海村に住んでいた山本助左衛門という村人が、上州を訪れた際に目の病にかかり、失明しかけたそうで、現地に祀られていた笠森神社に願掛けした所、治ったことから、帰郷後、自宅近くの岩屋寺塔頭であった谷ノ坊に建立した事が始まりと云われます。
眼病平癒に霊験あらたかで、参詣者が絶える事が無いほど崇敬されていたようですが、助左衛門の死に伴い岩屋寺に併祀されたようです。
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「一切経蔵」の右に三つの堂と山肌に五百羅漢像が祀られています。
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右に地蔵堂と奥の方型の堂は「薬師堂」
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薬師堂内。
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左の堂は「遥拝所」
斜面を覆わんばかりの羅鑑像は、1820年(文政3)当時の岩屋寺住職の豪潮律師によって開眼されものだそうで、其々表情も違い、中には永年の風化により表情が分からないものもある。
羅漢像はこの脇から続く参道を登り、大師ヶ嶽の山頂にある弘法大師立像にまで祀られています。
この羅漢像を見て行くだけでも相当な時間が必要、しかし
それに見合うだけの壮観な光景が続きます。
この「遥拝所」はここから山頂の大師像を拝むためのものだと思われます。
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境内左に「本堂」
右に「尾張高野山の寺号標」左に「南知多観音第二十五番札所、東海百観音第七番、知多四国四十三番」霊場と彫られた石標が建つ。
「知多西国三十三所霊場」の一番札所でもあり、昨年(2019年)は開創250年の知多半島最古の霊場。
尾張高野山とは元々は天台宗だった岩屋寺に1925年(大正14)に転住した豪鉄大僧正により、1951年(昭和26)尾張高野山宗 総本山として開創したもの。

岩屋寺の歴史は古く、715年(霊亀元年)に行基の開基と云われ。
創建当時の伽藍は十二坊に大門、楼門、多宝塔など建立され、壮観な伽藍を有していたと云われます。
本尊の千手観音は、​高野山​に金剛峰寺を創建後の弘法大師が再び諸国遍歴を行い、岩屋寺で百日間の護摩修行を行った際の護摩の灰で作られたものと伝わり、奥の院を開きそこに祀ったものと云われ、現在は本堂で祀られているそうです。昨年、60年ぶりに御開帳が行われたようです。
因みに弘法大師が南知多町大井聖崎に上陸したのは814年(弘仁5)とされます。
岩屋寺
尾張名所図会に描かれていた岩屋寺は現在の伽藍に近いもので、鐘楼から右に延びる奥の院へ続く道筋は現在も面影を留めています。
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寄棟瓦葺で流麗な屋根勾配が印象に残る本堂は幾度か火災で焼失し、1804~1818年(文化年中)に​密蔵院​から訪れた豪潮寛海により再興される。現在の本堂の再建は分かりませんが、尾張名所図会に描かれている姿に近いものです
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扁額は「厳窟寺」とある、別称で千眼光寺厳窟寺とも呼ばれるようです。
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白地の幕に三つ葉葵の寺紋が入る。
1819年(文政2)、尾張徳川藩主の加持祈祷所となり、三葉葵の紋章を許されたとある。
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長い歴史を持つ岩屋寺、文化財も多く残り「一切経」、「金銅法具」などが受け継がれ本堂右の宝物殿で所蔵されています。
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本堂の参拝を終え、鐘楼方向へ、その先は「拝殿」
こちらでは檀家の位牌を安置するほか、写経や落語などの催事が催される場。
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拝殿入口左に菩薩像。
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拝殿から右の本坊。
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境内に掲げられた岩屋寺、奥の院の案内図、広大な境内です。
奥の院入口までは車で数分で行けるようですが、残念ながらここでかみさんのお迎えに行かねばなりません。多宝塔のある奥の院へは次回改めて訪れます。
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かみさん提供の奥の院「多宝塔」
厳粛な空間に佇む多宝塔、やはり自分の目で見てなんぼのもの、再訪するだけの価値がある寺だと思います。
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知多四国巡り、ありかもしません。

尾張高野山宗 総本山 大慈山 岩屋寺
宗派 / 尾張高野山宗
開基 / 715年(霊亀元年)
本尊 / 千手観世音菩薩
住所 / 愛知県知多郡南知多町山海間草109
車アクセス / 南知多道路
「南知多」ICから内海方向、国道247号線山海を左折、県道470号線、県道276号線経由車で20分程
公共交通機関アクセス / 名古屋鉄道「知多新線」内海⇒海っ子バス西海岸線⇒松原停留所から徒歩
(時間帯により岩屋寺停留所までの便がある)