今年は仕方あるまい。

知名度のある所に行きたいけれど、流行の拡大に加担しそうでいけない。
現状の結果は一人〃の行動の結果。
三密を避けての寂しい花見。
2
 桜には罪はない、人のいない場所で散りゆく桜を見に外の空気を吸いに出かけてきました。
途中のスーパーで花見酒のつまみとして焼き鳥屋で列に並ぶ。
昨日は陽気もよく焼き鳥屋は大賑わい。
大半の人はマスクをし、一定の距離を取り列を作る。 
感染防止、拡大抑制の当然の行為だと思う。
おやじも同様だ。
1
 空気が読めていないのか、マスクもしないで、ピタッと後ろに付かれ、咳込まれると気持ちは宜しくない。 

やはり拡大は止まるまい。
皆感染するしかないようだ、こうしたお店は可能な限りの対策をしているのが見て取れる。
3
 過敏になりたくないけれど先程買った缶ビール。
これとて人の手を介している。

それこそ作るところから始まり、店頭に並び、自ら口にするまで過程と個人の意識は目には見えない。
見えない相手は結構根性があるようなので、安心の担保はなにもない。
こんな相手と付き合うには個人の意識しかあるまい。
4
こうして焼き鳥を食べ、ビールが飲めるのも、店側の配慮と買う側の配慮があってのもの。
一心同体だ。
自粛から「禁止」と云われる前に個人が三密を避ける意識と感染させるかもの配慮があれば今の相手の勢いは衰えていく。

壇蜜は避けたくないが、予防策が確立されるまで、三密回避と自己管理、自然が人に与えた課題なのかもしれない。

抜本的な治療法がないのだから、意識と行動が伴わなければ次の相手が訪れる。
その都度支援〃では、見た目しっかり浮かんでいる大きな船は傾く。

過剰な買い溜めはしない、人と接するときはマスクと手洗い、これを実行し普通に生活する。
あべのマスク早くほしいものだ。
5
ああ、懐かしい面々と赤ちょうちんで飲みたいものだがここは我慢我慢。
家の居酒屋「かみさん」で一杯やるか。

「なんて年だ」サクラもそう思っているかもしれない。
明日は会社かア
普段の「お元気で」の言葉が妙に新鮮に感じてならない、自粛するかア