春日井市神領町1『貴船神社』
神領町の『三明神社』の前の通りを​南へ5分程​歩きます。
やがて左手の保育園を通り過ぎると小学校が正面に現れ、道はそこから右に続きます。
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右手の角地に舗装された保育園の駐車場、その先の小さな杜が目的地「貴船神社」。
周囲は北と西が住宅街、東は保育園がありその先に庄内川右岸の堤防道路、南は小学校、静かで自然を身近に感じる事が出来る環境。
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左は1891年(明治24)と右がほぼ現在の地図、こうして見ると随分宅地化されたものです。
貴船神社は現在も明治の頃も記載はされていません。
神社の由緒は分からなかった事を最初に書いておこう。
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貴船神社は社号標や鳥居、狛犬などはなく、灯篭と拝殿、覆屋に納められた社の伽藍。
村の社そのものかもしれない。
境内入口右の「神領銅鐸」の立派な解説板が目に付く。
手前の石標は社号標ではありませんでした。
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「神領銅鐸出土地」と刻まれた石標。
今は出土当時の面影は残っていませんが、発掘当時は神社境内に接する小川があったようです。
その小川の堤から銅鐸が2点出土したようです。
この石標は銅鐸が出土した場所に建てられているそうです。
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解説板
江戸時代末期の1858年(安政5)、現在の保育園付近から2点の銅鐸が発見され、状態の良い1点は地頭が所有、もう1点の銅鐸は地元に保管されたと伝えられます。
その時の状況が 名古屋藩士の細野要斎(1811~1878)の「感興漫筆」で「神領村農民長蔵が次子仙左衛門、村東の堤畔を掘て、銅鐸二を獲たり」と記録が残る。
また、昭和4年の考古学雑誌に「庄内川の右岸堤防を隔たる西十数間、無格社木船神社の接している何等特長のない低い地点」で出土したことが紹介として掲載されているといいます。

2点の銅鐸は一つは破損、一つは原型を留めていたそうです。
破損した銅鐸は復元され、神領区有の銅鐸としてここから西に5分程の​臨済宗瑞雲寺​に保管されているそうです。原型を留めた銅鐸の行方は分からないようです。

この銅鐸は雨乞いの神具として使われ、干ばつ際には、貴船神社に住人が集まり、銅鐸を持出し庄内川の水を中に入れ、洗い清めた銅鐸を持ち帰ってたらいに入れ、竜の掛け軸の前に供え神主の祈願の祝詞と村人がお参りを繰り返したそうです。
その祈願を行うと必ず雨が降り、日照りは解消したと伝えらるそうです。
銅鐸がそうした用途で用いられていた頃は貴船神社の屋根裏に保管されていたようです。
そうした事も用心の悪さから瑞雲寺に移されたらしい。

銅鐸が作られた当時の用途は分からないけれど、そうした神事に使われてもそれはそれでいいのではないかな。物が残ってさえいれば。
行方の分からないもう一方は今頃は海を渡っているのかもしれません。
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さて、神社に進みます
右に石が組まれた常夜灯があり、その奥に小さな社と拝殿があります。
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岩の上に置かれた社は「秋葉神社」です。
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拝殿全景。
瓦葺の切妻で四方吹き抜けの拝殿で、その奥の覆屋の中に社が窺えます。
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貴船神社の鬼瓦も菊紋が入っています、三明神社の様式の流れを受けているのでしょうか。
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拝殿内から社の眺め。社は南を向いて祀られています。
創建や祭神については分かりませんが、先ほどの考古学雑誌の記述で「無格社木船神社」とあるけれど、
それ以前の「感興漫筆」に社名が出てこない事から推測し江戸以降の創建ではないかと思います。
こうした事が解説として整備されていくといいのだが。
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一段高い台座の上に祀られた板宮造りの社、秋葉神社はまめに訪れる方が見えるようです、最近は水事情も良くなり、こちらに頻繁に訪れる方は少ないようです。
境内のさつきが唯一彩りを与えています。
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貴船神社側面全景
銅鐸が出土した古墳の痕跡を留めるものは石標以外皆無です。
いずれにしても春日井や東部丘陵地帯には多くの古墳があり、宅地化に伴い現存しないものも多いですが、古くから人が住み、豪族がいたという事でしょう。


春日井市神領町『貴船神社』
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​春日井市神領町1丁目14
公共交通機関アクセス / JR中央本線「神領」駅下車、​南へ徒歩15分程
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