紀伊國一之宮 日前神宮

紀の川が作った和歌山平野、紀伊國一之宮は和歌山市の秋月に鎮座します。
和歌山電鉄貴志川線「日前宮」駅から徒歩で2~3分あれば、県道138号線沿いに鎮座する紀伊國一之宮の社頭に辿り着けます。
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県道の北側に社頭があり、道沿いに日前(ヒノクマ)神宮、國懸(クニカカス)神宮の社号標が建っています。
鳥居前に少ないながら駐車場もあり駐車が可能、境内西側に幼稚園がある事から時間帯によって送迎バスが駐車場を通るので通行の妨げにならない配慮が必要かも。
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紀伊國一之宮 日前神宮・國懸神宮社頭全景。
住宅や田畑が広がる和歌山平野にあって、緑豊かな社地はさながら緑の浮島の様にも見える。
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神社の外周は小さな堀で囲われ、石橋を渡れば境内。
この橋と正面に見える大鳥居は白さが際立っています、建替えられて間もないようです。
参道は杜の中へ消えていきます。
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鳥居右の由緒書き、鳥居をくぐり左が手水舎。
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『日前神宮
祭神 日前大神 相殿 思兼命、石凝姥命
國懸神宮
祭神 玉祖命 相殿 明立天御影命、鈿女命

謹みて按ずるに日前國懸大神は天照大神の前霊に座しまして其の稜威名状すべからざる太古天照大神天の岩窟に幽居まし、時群神憂ひ迷ひ手足措く所を知らず諸神思兼命の儀に従ひて種この幣帛を備へ大御心を慰め和め奉るに當り 石凝姥命天香山の銅を採りて大御神の御像を鋳造し奉る
是れ日前神宮奉祀の日像國懸神宮奉祀の日矛の鏡にして二鏡齊き祀る

例祭 九月二十六日  和歌山市秋月鎮座』

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手水舎全景。
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神楽殿・絵馬殿
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内部に掲げられた複数の奉納額。
上の左の額は1864年(元治元年)、右は 1696年(元禄9)と記されている、右の絵は七福神図のように見える。
下は1628年(寛永5)と記されているように見える。
どれも長い年月を経ていながら鮮やかな色彩が残り、躍動感のある描写が描かれています。
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境内右手に授与所。
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授与所から参道を進む、参道は杜の中で二手に別れ、右が國懸神宮。
左に進むと日前神宮に繋がる。
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上は日前神宮へ続く参道。
下が國懸神宮へ続く参道。
各々の参道脇に摂社が祀られています。
まずは國懸神宮のある右に進みます。
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摂社
中言神社
祭神 / 名草姫命(ナグサヒメノミコト)、名草彦命(ナグサヒコノミコト)

由緒

『祭神である名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目にあたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として奉祀されております。名草郡の地主の神として崇敬され、『紀伊続風土記』には名草郡だけでも中言社と呼ばれた神社が十二社もあった程で、同郡では最も多い神社であったと伝えられております。明治十年三月二十六日官命を以て日前國懸両神宮の摂社に定められました。』
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摂社
松尾神社
祭神 / 大山咋神(オオヤマクイノカミ)、中津島姫命(ナカツシマヒメノミコト)

由緒

『京都洛西の総氏神である松尾大社から分社され、当宮の末社となりました。特に醸造の祖神として特別な崇敬を受けており、毎年十一月には「松尾祭」が厳かに斎行されております』
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摂社
市戎神社
祭神 / 蛭子神(ヒルコノカミ)

由緒

『旧記』(くき)によると、市戎神社はかつて境内の外にお祀りされていた庭外社で、江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮末社となりました。もともとこの社の近くで「市」が立ち非常に賑わったことから、次第に市のえべっさん・市えびすと呼ばれるようになり、往時は新内(あろち)から芸者衆の「宝恵かご」が出て、たいそうな賑わいであったようです』
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國懸神宮
祭神 / 國懸大神(クニカカスノオオカミ)
相殿 / 明立天御影命、鈿女命
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切妻造の拝殿から本殿の眺め、向拝付き平入の入母屋造、7本の鰹木と千木は外剥の様です。
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摂社
天道根神社
祭神 / 天道根命(アメノミチネノミコト)

由緒

『天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。

紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。』
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摂社
邦安神社 (左)
祭神 / 松平頼雄命

由緒

『御祭神の松平頼雄公は紀州藩支藩の伊予西条藩の世継ぎでありましたが、お家騒動で廃嫡の憂き目にあうと不遇の生活を強いられていました。そこで、紀州藩々主で従弟であった徳川吉宗公は頼雄公を紀州へと移され、ここに紀州徳川家と頼雄公の御縁が始まります。

その後、吉宗公が将軍となり紀州を去ると再びその地位を追われることになった頼雄公は、51歳で非業の最後を遂げられました。

やがて和歌山城内に頼雄公を祀る神社が創建され、代々徳川氏によってお祀りされていましたが、幕末の混乱期に日前宮へ御遷座されました。(現社殿は平成25年正月再興)』

深草神社(右)

祭神 /   野槌神

由緒

『祭神の野槌神はイザナキ・イザナミ二柱の大神の御子にして、草や野に関するすべてを司り、守護する神であります。

古来より神の使いとしての「牛」と信仰を結び、野草を食むことからくさ(人体の腫物)を食むという「病気平癒」の高い御神徳があります』
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紀伊國一之宮 日前神宮
祭神 / 日前大神(ヒノクマノオオカミ)
相殿 / 思兼命(オモイカネノミコト)、石凝姥命(イシコリドメノミコト)
御神体 / 日像鏡
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日前神宮
鳥居から拝殿方向の眺め、日前神宮、國懸神宮共に社殿配置、造は瓜二つ。
現在の社殿は1926年(大正15)に建て替えられたもの。
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日前神宮の左に社務所へ続く参道が続きます。
写真は参道右側。
参道の左右に切妻造の社が祀られていますが、社名の表記がなく何れも不明。
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写真は参道左側にも二社。
全ては参拝した気になっていたが、略記によれば境内末社は20社とあった。
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杜を抜けると右手に社務所が見えてきます。
境内には紫陽花が植えられ、この頃に見頃を迎えていました。
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『紀伊國一之宮 日前神宮・國懸神宮』
住所 / 和歌山市秋月365
公共交通機関福セス / 和歌山電鉄貴志川線​「日前宮」駅から徒歩で2~3分
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