お国からの還元の恩恵は漏れなく利用しよう。
そんな趣旨で9月の終わりGOTOで下呂温泉へ。
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宿から下呂の温泉街を徘徊した間、現地で見かけて目に留まった寺社を今回は記載します。
下呂の町には「ここは行っとけ」的な寺社がありますが、それは意識していません、どこまでも道すがらです。
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まずは宿から少し下ったところに温泉寺の参道があったのでここから温泉街に向かいました。
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山の斜面を切り開いた細い参道を下っていきます、下を眺めるとすぐ下に社が見えます。
かみさんに道草に付き合ってとお願いし、写真だけは収めてきました。
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神社に降りていく参道沿いには所々こうした石像が安置されています。
上は天保(1831~1845)の元号までは読めるがそれから下は今一つ分からない。
下は馬頭観音だろうか? こちらは元号すら分からない。
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参道をさらに下ると左の斜面に水屋が現れる。
「飛騨の水屋」と云うようで、屋根が飛騨地方特有の建築様式だという。
栗の木を割った「板ぐれ」とよばれるもので葺いているそうです。
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水屋の中には石が組まれ、三つの碑が建っています。
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左が山之神、中央に水神、右が氏神とある。
山の神の後方斜面から清水が湧き出ています。
その水は松の木を刳り貫いて作られた水船に溜められ、中を二つに区切り片側は飲料水として、時には夏場に野菜や果物を冷やしたり、もう一方では洗い物に使い分けていたそうです。
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飛騨地方の水屋の解説板。
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水屋の先が上から見えていた神社。稲荷神社の様です。11
「天醫稲荷大明神社」
由緒書きには以下の記載。
・1856年(安政5)、温泉寺の鎮守として祀られた。
・温泉寺山号の「醫王霊山」に基づき天醫稲荷と伝わる。
・明治維新後、神仏混合廃止令により当地若宮八幡宮へ合祀されたが、明治4年、寺の平安と温泉街の発展を願い、京都伏見稲荷大社より勧請、温泉寺境内に再び祀られた。
・平成20年、造営150周年を機に地元有志により新築落慶。
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鳥居から天醫稲荷大明神社の全景。
石で作られた流造の社、狛狐、灯篭など、2008年に建て替えられただけあって、緑に囲まれた環境の中で石の白さと鳥居の朱が鮮やかに見える。
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鳥居の傍らの由緒書き。
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今頃は緑の樹々は赤や黄に彩りを変えている事でしょう。

飛騨の水屋と天醫稲荷大明神社
創建 /  1858年(安政5)
祭神 /  宇迦之御魂神
住所 / ​岐阜県下呂市湯之島