二泊三日で岡山・鳥取・兵庫「一ノ宮巡り」day2
車中泊した道の駅「神話の里 白うさぎ」で二日目を迎える。
新調したインフレーターマットは布団と同等の効果があり熟睡できた。
例によって夜が明ける少し前には目が覚める。携帯を見ればまだ5時過ぎ。
横ではかみさんが熟睡中、ひとり外に出て周辺散策。
こうして車の鍵を持ってブラブラするもんだから目覚めた彼女の動きを制限している。
車中泊の際はかみさんにスペアキーを持ってもらうのがいいのかも。
no title
白みかけた空は雲が多く、生憎の空模様、日の出のドラマは期待できないようだ。
道の駅の前を伸びる国道9号線、道の駅と白兎海岸を結ぶ巨大な木造歩道橋から日本海の沖合を眺める。
昨晩は真っ暗な海原にポッン〃と漁火が灯り幻想的な光景があった。
10
星取県の看板、周辺に民家が少ないこともあり、昨晩は晴天の夜空に普段の数倍の星が輝き、若い頃の視力に戻った錯覚になる。
普段の街は明る過ぎる、こうした光景すら打ち消し、どこまでも味気ない現実しか感じさせない。

歩道橋から見る白兎海岸
左は鳥取砂丘方向、かみさんが雨が降る前に行きたいスポットだ。
右は今日の第一目的地、白兎の丘と恋島方向の眺め。

昨晩、地図と雨雲レーダーを見ながら今日の行程を話し合い、当初第二目的地だった鳥取砂丘の前に道の駅から西に片道40分も走れば伯耆国一ノ宮も行けそう。
計画外で第二目的地に加えることにした、鳥取砂丘までは雨は降らないと診た。

そろそろかみさんも起きた頃だろう、第一目的地に向かう準備をしよう。
11
車に戻ると既にかみさんは身支度を終え、顔も洗いに行けず、おやじの帰りを待ち構えていた。
やはりスペアキーは次回から持ってもらおう。
準備を整え目の前の小さな岬「気多岬」に歩き出す。
普通に歩けば岬の頂にある「白兎の丘」まで15分程もあれば辿り着ける。
岬の先には小さな小島「淤岐之島(おきのしま)」がある。
「因幡の白兎」の舞台となった場所がここで、海岸には物語を伝える解説が置かれています。

岬の陰に祀られた小さな神社「白兎 川下神社」
「古来氣多ノ前神ヶ岩に鎮座されたもの。
白兎神社と共に1764年(宝暦14)再興、1912年(大正元年)白兎神社に合祀した。
綿津見大神の娘豊玉比売は神ヶ岩に庵を結び、鵜の羽を敷き鵜草萱不合の命を生み、龍神となって海に消えたとされ、それを機に此処に祀ったのが白兎 川下神社。
海を守り、婦人病の守護神とし崇められている。
平成21年の台風で被災し現在の場所に遷座。祭典は8月1日」

ここから一旦国道の歩道を進み「白兎トンネル」の手前から右に入り丘を目指します。
丘なんだから当然のことだが坂が続く、その坂を2~3分程上り気田岬東屋に向かう。
たいした坂でもないですが、起き掛けの体には少々応える。
12
何の飾りっ気もない東屋ですが、窓からは白兎の住んでいた淤岐之島が目の前に見える。
恰も額に入れられた一枚の絵のように見える。
その島には数本の松が自生する程度で、頂には鳥居が建てられているが岩礁と云っても過言ではない。
これでは兎も渡りたくなるというものだ。
冬には荒れる日本海、今はまだ穏やかだ、姑息な手段を使わなくとも渡れるような気がする、そんな間近に島がある。

さて東屋に辿り着く手前に丘へ続く坂があり、それを登り「白兎の丘」を目指す。
坂はこれまでより急になる、こちらも数分で辿り着ける距離ですが体はまだ起きていないようだ。
東屋から先に進む歩道もありますが、歩道整備中なのか当日はそれ以上先は進めませんでした。

丘には白兎神上陸の地として展望台とカップル向きの撮影スポットが建てられていた。
眼下には小沢見の集落とその先の岬の「大崎城址」が望め、右方向は鳥取砂丘が見通せる。

余談ですがこうした鐘をあちらこちらで見た気がする。
13
「道の駅はわい」もその一つ。
道の駅白兎から国道9号線を西進する事30分程。
今はまだ未開通の部分が残る山陰自動車道のSAとなる施設。
ここで8:00、レストラン営業時間には少し早く、併設のコンビニで朝食を買い求める。
今回はこのパターンが多いかな。

この地の地名が「羽合」と云うらしく、日本のハワイとして売っている場所のようだ。
セイタカアワダチソウの咲き乱れる展望台からは南に東郷池を見下ろせる。
そこには「ハッピードーム」なる鐘が置かれていた。
「道の駅はわい」
所在地 / ​鳥取県東伯郡湯梨浜町宇野234

これまで快調に走ってくれている車にも少し給油もしなければ。
満タン70literのメーターも既に残り一目盛り、「ハワイ」インターで下道に入り30リッターほど給油。
車も多少お腹を満たし、東郷池東岸に鎮座する倭文神社までは県道234号線で20分程の移動時間。
14
東郷池北端の湖岸に杜を見かけ立ち寄ってみた。
そこには解説板が建ち、そこにはこれから向かう倭文神社と所縁があるようだ。
「宮戸弁天」
「古来より伯耆一ノ宮の七弁天として付近7カ所に弁天さまが祀られていた。
宮戸弁天はその一つ、祠が残るのは宮戸弁天だけである。
もとは小島で倭文神社の祭神下照姫が魚釣りをしていた場所。
下照姫の使いの白蛇がここから龍湯島までの間を往復した伝説もある。
今は埋め立てられ陸続きとなっている」

東郷池の湖畔に大きな岩が組まれ、神域に小さな社が祀られる宮戸弁天。
とても美しいと云われる下照姫、朝もやの湖畔にその姿を落とし糸を垂らす光景は幻想的だったろう。
東郷池に佇む宮戸弁天の姿も下照姫の姿に通じるものがある。
湖面に向いて立つ鳥居の先には倭文神社の鎮座する御冠山も間近に見えている。

宮戸弁天
創建 / 不明
祭神 / 弁財天?
所在地 / ​鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内

御冠山を目指し車を進める事にしよう。
15
宮戸弁天から10分程で倭文神社の社頭駐車場に到着。時間は9:00を少し回っていた。
社頭では神職の方が参拝者を迎えるため参道を掃き清めるそんなタイミング。
一番乗りだ。
社頭から続く参道、その先の石の鳥居をくぐると趣のある随神門がある。
この門は至る所繊細な彫が施され、興味が有る無しに関わらず参拝者は必ず足を止め見上げる事だろう。
山門から先の参道は緩やかに右に曲がっているため社殿は見通せない。
16
参道の由緒書き(一部抜粋)
伯耆(ほうき)国一ノ宮 倭文(しとり)神社、通称 伯耆一ノ宮
【祭神】 健葉槌命(主神)、下照姫命、外五柱(事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高高彦命)
【例祭日】 5月1日
【由緒】
伯耆國一ノ宮として御冠山の中腹に鎮座、安産の神として広く信仰されてきた。
創立年代は不明、出雲大社御祭神大国主命の娘下照姫命がこの地に移住、安産の復旧に努めた。
創建当時この地の主産業が倭文(しずおり)の織物であった、倭文部の祖神健葉槌命に下照姫命加え祭神としたもの。
織物はその後姿を消し、安産信仰だけが残り、安産守護として崇敬されている。
参道には安産岩もある。
延喜式神明帳には倭文神社の名が残り、神階は幾度も昇進、正一位伯州一宮大明神の額が残る。
往古の社殿は広大で千石の御朱印地を有したが戦国時代に荒廃、1554年(天文23)守護大名尼子晴久が社殿を造営し神領70石を寄進、後に神領は中絶、1570年(元亀元年)羽衣石城主の南条宗勝が復旧。
その後も盛衰を経て明治以降県社であったが1938年(昭和13)国幣小社となる。

【安産岩】
昔難産に苦しむ妊婦が一之宮に願いをかけ日参したという。
満願の日、下照姫命の霊夢を感じ参拝、その帰りに参道脇の岩で安産できた、以来安産岩と呼ばれるようになった。
【下照姫命着船の地】
羽合町宇野と泊村字谷の中間の御崎に出雲から着船されたとされる。
下照姫命は舟から降り、化粧を直すのに使った化粧水と呼ばれる水が伝えられている。
【国宝】
伯耆一ノ宮経塚出土品
【史跡】
伯耆一ノ宮経塚


緩やかに右に曲がる参道、その先に拝殿が姿を現す。
17
伯耆一ノ宮倭文神社
神社は1521~28年(大永年中)と1600年(慶長5)に焼失しているそうで、1624~45年(寛永)に社殿再興、現在の社殿は1818年(文化15)造営とされ、1872年(明治5)随神門も造営された。
祭神は健葉槌命(主神)、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高高彦命

社殿
拝殿は平入の入母屋造りで大棟後方右側に神饌所(?)が付く特徴のあるもので、そこから渡廊と流造の本殿に繋がる。
本殿は妻壁、虹梁、木鼻などいたる所に緻密な彫が施され、三本の鰹木と内削ぎの千木が付く。
境内は落ち葉焚きの煙が漂い、恰も社殿が朝もやがかかったようでもある。
00
受付前の時間でしたが快く御朱印を頂けたようです。
伯耆国一ノ宮 倭文神社
創建 / 不明
祭神 / 健葉槌命(主神)、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味耜高高彦命
所在地 / ​鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754

計画外で訪れた伯耆国一ノ宮 倭文神社、静かな杜に包まれた本殿や随神門、それらに施された彫も見事、一ノ宮の風格漂う神社でした。

ここから鳥取砂丘を目指し山陰自動車道を東進しよう、今にも泣きだしそうな空だがゆっくり走っても1時間程、なんとか持つ、だろう。
18
鳥取砂丘
鳥取砂丘パークサービスセンターの駐車場に11:10到着、雨雲もなんとか雨を降らすのを思い留まってくれている。
かみさんの希望だった鳥取砂丘、修学旅行で訪れた学生や家族連れで訪れる観光客が多かった。
世の中少しだけれど活気を取り戻しつつあるようだ。

かみさんは若い頃に訪れた砂丘の印象とは随分と違っている事に驚いていた。
まずは砂丘の大きさも随分小さく見え、砂はもっと軽かった印象だったようだ。
日本で二番目の大きさを誇る鳥取砂丘、おやじにはそれでも大きく見える。

幸い雨に降られることもなく、風もさほどない、馬の背なかの様な砂丘を目指し歩き出す。
靴は砂の入らない物に履き替えたものの、歩きにくい事に変わりはない。
30分程で海の見渡せる馬の背到着、風紋を探し右往左往するも足跡ばかりで風紋らしい風紋は見つからなかった。
それでも馬の背から見る日本海の波が打ち寄せる渚の長さ、振り返って見る砂丘の大きさは歩いて辿り着いた者にしか分からない感動がある。

時間は丁度お昼時、砂丘を歩いた事もあり多少お腹も空いた。
車から傘を持ち出しお目当ての海鮮丼を食べに行く。
ところが、かみさんが予定してお店は既に予約で一杯。
諦めて砂の美術館方向に歩き出す、予定の店とは縁がなかったけれど、少し歩いたところに「海鮮問屋村上水産鮮魚部」のお店があり、そこで食べる事に。
それなりに刺身が乗った海鮮丼にみそ汁付きで1,200円。
それなりの味で、値段もそれなり、コンビニや軽食が多かったので美味しく頂けた。

お腹も満たされ、そこから「砂の美術館」に向かい歩き出す。
これまでずっと我慢していた空も遂に泣き出した、良くぞ持ってくれた。
19
「砂の美術館」に着いた頃は雨脚も強くなっていた。
鳥取砂丘リクエスト、最大の目的は砂の美術館だったかな。
2022/1/3まで開催されている「砂で世界旅行 チェコ&スロバキア編」、どうやらここがメインだったか。
広い館内全体はプラハ歴史地区、カレル橋とモルダウ川、スピシュ城などチェコとスロバキアの歴史や景観、自然や動物、伝承をテーマにした「砂像」が立ち並ぶ。
素材は砂と水だけで圧縮した砂、その塊から形を彫り出すもの。
どれも細部まで緻密に刻まれた作品は見事なもので、館内は海を越え現地に来た気分になる。
素材には糊など含まれていないので、石垣同様で砂の粒子一粒〃がお互いを支えあい形になっているだけ。
作者の情熱や技術の結晶も時間の経過や振動、雨等でやがては崩れ去る。
二度と再現できないはかなさと美しさを感じさせてくれた。
「砂の美術館」
所在地 / ​鳥取県鳥取市福部町湯山2083-17

時計を見ると間もなく14:00、今日の予定はここまで、ここから今日の宿泊地城崎温泉に向かいます。
移動時間を1時間30程度と想定、チェックインが15:00なので丁度いい時間になりそうだ。
20
のんびりと走って城崎温泉到着が16:00頃。
ホテルにチェックイン、荷物を降ろし一息つく、となればビール。
ほんとこの時期は日暮れが早い、行動範囲は狭くなり、ビールを飲むと一日終わった感が漂い損な気分になる、ましてや雨だ。
かみさんの構想は温泉街を食べ歩き、外湯めぐり全制覇の計画だ。
食べ歩きは無理だが外湯めぐりは捨てられない、食事は最終(19:00)にしてもらい、下駄に履き替え温泉街に歩き出す。
ホテルから無料のバスもありますが周遊している訳ではない。歩いた方がいろいろ見られます。

城崎温泉の宿泊施設は内湯の大きさに制限を設けているようで、所謂大浴場のような大きな内湯を設けない代わりに宿泊者には外湯めぐりのパスがもらえます、そうする事で温泉街に人は流れ、外湯も活性化するという仕組みの様です。

大谿川沿いの温泉街には上流から、鴻の湯、まんだら湯、御所の湯、一の湯、柳湯、地蔵湯の六つ、城崎温泉駅近くにさとの湯と、其々特徴のある七つの外湯があり、それら全てをコンプリートするのが通なんだとか。
まずは一番上流側から下流に向け巡る事にしました。
大谿川沿いは柳並木が続き、石の太鼓橋が架かり温泉街の情緒が漂う、城崎らしさを感じる風景。
ホテルで貸し出しされた下駄は歯が低く鼻緒はビニール、まるでサンダル、最後まで履けるだろうか嫌な予感がする、それでもカランコロンといい音は響く。

1300年の歴史を持つとされる城崎温泉、泉質はナトリウム、カルシウム塩化物泉などが含まれ、神経痛や筋肉痛、打身などに効果が期待できるされる無色でサラッとした感覚の湯。
一つ〃が外観・内部共に個性的で趣のある外湯で紹介していると一枚には収まらない。

個人的には江戸時代の村民が入浴していたことから「里人の外湯」と呼ばれる「地蔵湯」が印象に残ります。
この湯の泉源から地蔵尊が出た事からこの名が付いたそうで、入口には地蔵も祀られています。
銭湯の様な湯舟ですがその奥にはこの地を象徴する柱状節理が多数置かれていたのが印象に残ります。
柱状節理はこの辺りでは日常生活に身近な存在として漬物石や石垣などに利用されてきたそうです。
それを間近で眺めながら湯に浸かると城崎を体験できたような気がする。

七つの内、大谿川沿いの六つは制覇したものの、少し離れたさとの湯は食事時間の関係で巡り切れなかった。外湯めぐりは連泊でゆっくり巡りたいもの。
城崎温泉外湯めぐり
21
雨の影響もあり温泉街の人通りは少なかったけれど、懐かしい射的も残っていたりして温泉街の雰囲気は十分味わえました。 ・・・・・ここは雨は要らなかった。
ホテルに戻り、一息ついて食事。
刺身を摘みに地元の酒を頂く、二日目お疲れさん乾杯、これが最高。

大江戸温泉物語 きのさき
所在地 /  兵庫県豊岡市城崎町桃島1232  
関連記事 / ​
「一ノ宮巡り」二泊三日で岡山・鳥取・兵庫 #1」

二日目ルート / ​道の駅白うさぎ➡宮戸弁天➡倭文神社➡鳥取砂丘➡城崎温泉