源兵衛町源兵衛公園、何やらすごいネーミング
 それにつられて名古屋市南区を訪れました

目的地は須佐之男社
 名鉄常滑線「柴田」で下車、20分程歩いただろうか
源兵衛公園に到着、公園の南側に隣接する様に玉垣で囲われた杜が現れます
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神社の西側には紅白の梅の花が咲き誇り彩を与えていました
 写真奥が源兵衛公園ですが、公園内、神社内は子供達の遊び場になっています
自分も子供の頃に身近に神社があり、陽が傾くまで遊んだなァ
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西側にある鳥居、二の鳥居まで見えます
 早速境内へ
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一の鳥居を過ぎた右に手水舎と手水鉢、水は僅かに注がれていました
 左には社務所兼集会所?でしょうか
本殿の側面も正面に見えています、拝殿はこの先の左に回されるのかナ?
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二の鳥居から一の鳥居を眺める力石と石標が祀られている
 境内が広がると共に南側に・・・あれ?別の鳥居が見えてくる
南側に回り込み仕切り直し
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南側からの眺め、鳥居とその先に拝殿、やっと見慣れた風景になりました
 背後には天白川の堤防が迫っています、海抜はゼロ
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鳥居左の石標には由緒が刻まれています 
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右の社号標は村社「須佐之男社」とありますが、古い社号標には「村社式外須佐之男神社」と彫られ残っています
 社号標の右奥が手水舎になります 
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色白のかえるくんがお出迎えです
 水は絶え間なく注がれ、澄んでいて気持ちがいいよね
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境内左の銀杏の古木
 社創建の際の記念樹として植樹され、現在もその姿を留めています
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鳥居から拝殿を臨む
 拝殿前で優しい表情で見守る狛犬です
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参拝前に拝殿右から鳥居方向を眺めてみました
 どっしりとした鬼瓦と破風飾りも誂われた拝殿の先には堤防が見えています
外見に対し拝殿内は飾りっ気のない質素な印象を与えます

須佐之男社
由緒
九州大友家の家来で知多郡大高町の山口源兵衛は1706年(宝永3)、堀川の材木庄大山屋二代目の神戸文左衛門より資金融資を受け干潟に築堤、新田を作りそこに天王社を祀ったのが始まりとされます
約300年の歴史を綴ります

源兵衛町の由来はここから来ていると思われます
源兵衛の新田は今では住宅地に変貌しコンクリート堤防で守られ面影は感じられません 
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幣殿と本殿、夕陽を浴び、装飾飾りが黄金色に輝いています
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拝殿左には二つに分かれる参道
 左は西側の鳥居へ、右参道は境内末社へとつながります
末社は左が伊勢皇大神宮、右は秋葉神社
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拝殿右側参道先の境内末社「水天宮」
 
 小さいながら神社伽藍も形になっています
源兵衛が作った新田、その氏神に見守られ、源兵衛公園では子供達の戯れる声が聞こえてきます
 いい情景だと思います
 

須佐之男社
 
御祭神 / 須佐之男命
創建 / 1706年
境内末社
 伊勢皇大神宮・御祭神・天照大神 / 秋葉神社・御祭神・迦具土の神
 水天宮・御祭神・天御中主之神
住所 / 名古屋市南区源兵衛町5丁目-1385
アクセス / 名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約20分