地下鉄大須観音駅で下車
 若者の街と化した大須を過ぎて若宮大通に出る
そこから西に向かって堀川方向に歩いていきます
1
人通りは少なくなり、やがて堀川手前の「新洲崎橋東」交差点が遠目に見えてきます
 洲崎神社は交差点の北側に鎮座します
2
西隣はビル、後方はマンション
 現在はさほど広いとは言えない境内
名古屋城築城以前は現在の栄1丁目全域を社地とし、落葉樹の生い茂る広大な境内だったようです
 しかし名古屋城築城と堀川掘削を期に縮小の一途を辿ったのでしょう
往時の名残を残す樹齢を重ねた大きな木の先には鳥居と拝殿が見えています
 洲崎神社の西隣に隣接する赤い鳥居は石神神社
栄とは思えない静かな境内は、都会のオアシスとも思えるような空間を提供しています
3
境内入口の社号標、奥に手水舎が写り込んでいます
 さほど大きくない境内ですが、見所が詰め込まれています
5
洲崎神社の西に隣接する石神神社、赤い鳥居に道祖神の扁額が掲げられています
1912年(明治45)に洲崎神社に合併、石神神社の社号標は境内に建てられています

 入口付近の史跡案内板
今では想像できないかもしれませんが、昔は神社の前に天王崎港があり船着き場でした
 江戸時代、7代尾張藩主の德川宗春の意により領地の繁栄を願い行われた船祭(洲崎天王祭)は、当時の東照宮時代祭と並ぶ二大祭の一つに数えられたと云われましたが、宗春の隠居とともに船行列は廃止
 1888年(明治21)頃には船祭も行なわれなくななりました
この地は城址でもあり、神社の遺跡、屋敷の跡地でもある歴史のある場所の様です
6
この地を語る古文書、慶長から現在まで多くの古文書が洲崎文庫と呼ばれ残されていると云われ、その一部が
 ここに掲示されています
石上神社鳥居付近の石標、七福七貧・・・・・そだね
5
洲崎神社鳥居前に掲げられた案内板と由緒書き
 洲崎神社の社名は、その昔は広井天王、牛頭天王社と呼ばれ、その昔この地が入り江で洲崎になっていた事から由来すると云われています
この近くの堀川には​御船手役所跡​の史跡も残ります
 埋め立てで海岸線も後退、今では高速が目の前を通りイメージ出来ませんね
犬
鳥居手前で高速を見上げる様に佇む狛犬
6
境内右の手水舎、絶える事無く注がれる静水は苔生した手水鉢へ注がれる
7
手水舎の奥、左が稲荷社、右が秋葉社燈籠
8
手水舎の向かいに石神社の社号標と伊勢神宮遥拝所石標
道祖神
石神神社境内で見かけた道祖神、永年の風化によって丸みを帯び表情は分かりません
9
石標の先には三霊神社遺跡の碑(上段左)と住吉社・船玉社(上段右)
 秋葉社・稲荷社、泰産社・弥五郎社、俤(おもかげ)社・大物主大神 (下段)
干支の置物が祀られていますが、洲崎神社では全ての干支にお目に架かれます
10
二の鳥居前から拝殿へ
 鳥居右に縁結びの神「絆」と書かれ眼をひきます
猿田彦大神と天鈿女命を祭神とし、縁結びに御利益があるパワースポット
 良きパートナーを求める方、願をかけてみては如何でしょうか
願い事を書いた輪を道祖串に通し、短い縄で結ぶもの、沢山あるが願いは叶ったかな
13
境内右にある社務所と拝殿右の白龍龍寿大神へ続く参道
11
参道脇の干支の置物
12
参道脇の干支・・・・・・干支
14
拝殿の両脇にも干支、干支
15
拝殿右にある石神様
 手前の小さな鳥居、その下にある神橋?を潜って洲崎道祖神参拝するそうな
交通安全に御利益があるそうですが、腹這いになっても無理!
 鳥居には道祖神の小さな扁額も付いています
16
拝殿左の英霊社と・・・・・干支
17
干支に見守られ参拝を済ませ内部を一枚、鏡が見えます
 こちらの平安末期、鎌倉末期に作られた和鏡は名古屋市指定文化財に指定されていますが
その他に古鏡40面、絵画、工芸、武器、武具、洲崎文庫含めた古書等多くの文化財を保存されるそうです
 宝物殿がある訳でもなく、どこかで公開していると嬉しいのだが
18
拝殿右に続く参道から白龍龍寿神社へ、鳥居の先は薄暗い事になってる
19
白龍龍寿神社は商売繁昌、家内隆昌に御利益があるそうです
20
内部は龍ではなく至る所、蛇、蛇だらけ、苦手な奴が一杯
23
薄暗い拝殿、とぐろを巻いてこちらを見ている 

御朱印
22
洲崎神社
創建 / 859-877年(貞観年間)
主祭神 / 素戔嗚尊、石神
境内 / 末社
     白龍社、英霊社、泰産社・弥五郎社相殿、泰産社・弥五郎社相殿、
     秋葉社・稲荷社相殿、住吉社・船玉社相殿
住所 / 名古屋市中区栄一丁目31番25番地
アクセス / ​地下鉄鶴舞線「大須観音駅」下車。徒歩約10分