尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

カテゴリ: 神社・仏閣

春日井市松新町、北にJR央線「勝川」駅があり、東に徒歩で10分も歩けば住宅地に囲まれた「覚皇山法岑寺」に辿り着きます。
目的地の光春稲荷社は臨済宗東福寺派の寺院「覚皇山法岑寺」の境内に鎮座します。
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車の場合は山門前に参拝者駐車場もあり、駐車場の心配はなさそうです。
山門右に幾つもの赤い鳥居がこんもりと盛られ、樹々が生い茂る一画に続いています。
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山門右に覚皇山法岑寺の寺号標と右に光春稲荷社の社号標(昭和10年健之)が建つ。
通りからも鳥居の姿は良く目に付きます。
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上は1920年頃の当地、右がほぼ現在、北に中央本線、地図には入らなかったが下には庄内川が流れ、この辺りは小高い台地の上にあたります。
光春稲荷社はマーカーで示してあります。
この地図ではここに寺院や鳥居の印が現れるのは昭和43年になってからのことだった。
色々調べて見るも光春稲荷社や法岑寺について詳細は調べきれなかった。
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法岑寺境内から山門と左に光春稲荷社の鳥居の眺め。
法岑寺についてはもう少し調べてみて別途掲載する事にします。
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鳥居から光春稲荷全景。
左の樹々に包まれた小高い部分の上に社殿が鎮座します。
このこんもり感は古墳の雰囲気が漂いますが、まさしくここは古墳。
この辺りは古くから人が居住し周辺では高御堂古墳や八事神明社古墳などがある。

なんですが、古墳の案内板などはなく、古墳の形もよく分かりません。
これから参拝しがてら古墳の面影が残っているか見ていきましょう。
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赤い明神鳥居と扁額は「光春稲荷」とある。
この鳥居と、左の二カ所から拝殿に続くようです。
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奉納鳥居が続く参道は緩やかな弧を描き墳丘の上にある拝殿に続きます。
この鳥居の数からみても地元から崇敬されているのが見て取れる。
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参道は二手に別れ、左に拝殿、真っすぐに進むと墳丘を周回できる。
前方に小さな社があるようなので墳丘を周回してみます。
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見えていたのは覆屋で、内部には小さな狛狐、それと・・・白蛇、リアルだ。
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更に奥へ、拝殿の後方辺りにも一社。
墳丘斜面に祀られているため参道からだと見上げる位置になる。
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こちらも稲荷社のようだ。
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本殿後方にも一社。
本殿域は丸い石を積み上げ階段状になっています。
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こちらは狛狐と鳥居が安置されている。
何れの社に社名札は見当たらなかった。
ここから左に進み拝所に向かいます。
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拝所全景。
切妻の平入でシンプルで落ち着いた佇まい、両側の妻の下には大きな白い貝が飾られているのら視線が行く。まさかここから見つかったもの・・・そんなことはないか。意図あっての事だろうが分からない。
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拝所正面にも狐が飛び跳ねている。

ここ松新町の光春稲荷社の詳細は分からなかったけれど、郷土史かすがいで「伏見稲荷の眷族の分霊をお祀りしたのが始まりとされます」
以下は「郷土史かすがい第21号」からの抜粋。

「1896年(明治29)、中央線の開発工事が開始されたが、名古屋から玉野附近までは濃尾平野の平坦地を通るが、そこから先は庄内川左岸に沿って進み、丘陵地にトンネル14を貫き多治見に至る難工事だったという。
この工事はいくつかの区域に分けられ、其々の請負い業者により工事が進められたようですが、業者間のトラブルが絶えなかったようで、ひと昔前の映画の様なダイナマイトや鉄砲まで使った諍いにまでなったたようです。
当時ここ勝川地区を請け負っていた組頭の栗田武右ェ門は、諍いの多い事に頭を痛めていたそうだ。
そんな中で線路脇の墳丘の下で狐の穴を見付け、ここにお稲荷さんを祀り信仰すればご利益があり諍いは収まるだろうと思ったそうだ。
1896年(明治31)、京都の伏見稲荷から分霊を迎えたのが光春稲荷の原点とされる。
その後も諍いは続き、武右ェ門はお稲荷さんへ日参したという、日参28日目に祈願の成果が表れ和解が成立したという。」

墳丘は狐のお山だったようだ、後方にあった小さな社もひょっとして複数あった狐の穴の前に祀ったものだろうか。
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拝所から見る本殿、ここにも狐が。
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一間社流れ造りの拝殿全景。
小さいけれど木鼻や虹梁など手が掛けられたものです。
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今は想像できないけれど、諍いが絶えなかった当時、それを見かねた武右ェ門により祀られた光春稲荷社。
創建は近年の様ですがいい方向へ導いてくれるようです。
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拝所前の参道口、こちらが正参道なのか定かではないが、同じ方角に二つの参道を持つ神社も珍しいか。
墳丘の上に建つ光春稲荷社、武右ェ門と同じ悩みを抱える方は一度訪れて見てはいかがでしょうか。
2021/07/27

光春稲荷社
創建 / 1896年(明治31)
祭神 / 不明

光春稲荷古墳
年代・形状 / 不明
所在地 / ​春日井市松新町3-80
公共交通機関アクセス / ​JR中央線「勝川」下車東へ徒歩10分程
関連記事 / 高御堂古墳​ / ​八事神明社古墳

先に掲載した「森川花はす田」
蓮田と田んぼが広がる光景の中に浮島の様に森があります。
今回はこの森を取り上げて見ます。
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手前の川は鵜戸川、右岸には道の駅立田ふれあいの里があります。
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「森川花はす田」の南に見るからに神社か古墳を連想させる佇まいの森があります。

蓮を見終えた後に足を向けて見るといいかもしれない。
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鵜戸川左岸にここだけこんもりと樹々が残されています。
富岡神社(古木江城跡)の杜です。
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蓮田から見た杜は一つの山の様に見えていましたが、鵜戸川沿いの小道から眺めると社地の一部が盛られているだけでほぼ〃平坦と云ってもいいかもしれない。
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富岡神社(古木江城跡)について少し調べて見るも創建に繋がる記録は見つけられなかった。
右の地図はこの地の移り変わりを1891年頃と現在で比較してみた。
1891年の地図にも富岡神社の鳥居は記されており、尾張史( 1844年編纂)の中で左の記述を見付けました。そこには古くは富岡明神、神明宮と呼ばれ、この辺りの総社とある。
随分と歴史のある神社のようです。
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南側の田んぼから眺める富岡神社(古木江城跡)の全景。

緑の田んぼの中のこんもり茂った森は常夜灯と神明鳥居まで包みこんでいます。
子供の頃を思い出させる光景が残っています。
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あぜ道から鳥居と境内の眺め、鳥居の目の前がすぐに田んぼ。
生い茂る樹々が作る影は境内全体を覆い、強烈な夏の日差しを遮り境内は涼しいけれど、蚊が多いので虫よけがあるといいかも。
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社頭左に「古木江城跡」の石碑と解説板がある。
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案内は古木江城跡に関するもの。
「室町時代の末期、織田氏の砦として築かれました。
当時この地方には、一向宗が広がっていて、真宗門徒のその教義に対する信心は絶大なもので、信長の意向に反抗しました。
信長は、長島の一向宗門徒を滅ぼすため、弟の信興にこの古木江に城を築かせ、門徒勢力の分断をはかりました。
信興がこの城を守っているとき、弥富の服部党や近くの農民に囲まれ、六日間戦いました。
しかし兵力が少なく城に攻め込まれ、やぐらに上がって自害したと「信長記」には書かれています。
地元では城外で討ち死にしたと伝えられています。
元亀元年(一五七〇)一一月ニ一日のことです。
古木江城は小木江とも書き、地名にも「子消」「討レ」「頭倶前」などの名が残っていました。
富岡神社は、この一角に城の鎮守としてあったと考えられています。」

もう少し神社について書かれていると嬉しいが、ここは城が売りのようだ。
それでも神社の歴史は1500年代まで遡ってしまった。
城の鎮守としてどの程度の規模だったのか分からないし、城跡の碑が建っているものの城の規模もよく分からない。砦ならともかく、城とすると規模はもう少し広範囲だったのかも知れない。
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鳥居と常夜灯はあるものの、社標が見当たらない。
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手水鉢
鳥居をくぐった参道左にあり、自然石をくり抜いた船形をしている。
奉納年度未確認。
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境内から社頭方向の眺め。
木陰の中から見える稲の緑が鮮やかだ。
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本殿全景。
切妻の覆屋の中に本殿が祀られているが、拝殿は持たない。
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本殿域は自然石が二段で組まれ、その最上段に本殿が祀られている。
城の遺構としては特に残っていないようで、この高みを痕跡とするならば、この広さで持久戦をしたとは到底思えない気がする。
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境内から見上げる本殿域。
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杮葺きの神明造の本殿、5本の鰹木と内削ぎの千木が付く。
良く言われる女神が祀られている?
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本殿全景。
尾張史の記述に「神明宮と称した」ともあり、天照大御神が祀られているのかもしれない。
地元の方に尋ねれば一番早いだろうが、後方の蓮田には人が多く訪れているけれど、富岡神社(古木江城跡)を訪れる方は皆無だった。
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本殿域から西側境内の眺め。
なんとなく空堀の雰囲気があるような・・・ないような。
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本殿域は下から見上げると、それほど高く感じられないが、参拝を済ませ本殿前から振り向くと結構なたかさを感じられる。
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境内西側からこんもり盛られた本殿域の眺め。
手前の建物の用途はよく分からなかった。
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本殿域東側の眺め、樹々が生い茂り、本殿域の様相どころか、城をイメージする事は出来ない。
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樹々の隙間から僅かに見える覆屋に気が付いて初めて神社だと分かる。
よく古墳の上に鎮座する神社がありますが、こうして見ると古墳と思いたくもなる。

田園風景の中、緑の杜の中に佇む富岡神社は古木江城の鎮守として祀られた歴史のある神社。
2021/07/20

富岡神社(古木江城跡)
創建 / 不明
祭神 / 不明

古木江城
築城主 / 織田信興
築城年 / 1567年(永禄10)
廃城年 / 1571年(元亀2)
所在地 / ​愛知県愛西市森川町字村仲86
関連記事 / ​「森川花はす田」

名古屋市守山区白沢町「長命寺」
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市内から車の場合、県道30号線を龍泉寺方向に走り「松川橋南」交差点で右折、「川村」交差点を左折、直進した左側で参拝者駐車場も確保されています。
前回掲載した守山区白沢町「天王社」の東に隣接する臨済宗のお寺です。
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長命寺、山号は医王山。
道路南に面し白壁が続き、中ほどに重厚な山門を構えています。
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山門左の石碑には「長命を 祈りてまいる この寺は 清く流るる 川村の里」と記されている。
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山門から境内の眺め。
正面に入母屋瓦葺の本堂と右方向に庫裏、寺務所と繋がっている。
本堂左方向に濃尾震災慰霊碑などがある。
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山門右の手水舎。
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山門から左方向。
右から蓬莱七福神の寿老尊を祀る壽老殿と鐘楼、その左に観音堂の伽藍。
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境内から山門の眺め。
四脚の瓦葺の山門、木鼻や蟇股など手が掛けられ、趣のある佇まいをしています。
境内西側に戦没者慰霊碑が建っている。
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長命寺はもともとは川嶋神社付近に長母寺を開山した無住国師が旧号で光常寺として開山したとされ、小牧・長久手の合戦(1584年)で本尊の薬師如来像を除き伽藍を焼失。
後の1700年(元禄13)に長母寺末寺、「医王山 長命寺」と改号し再興され現在に至るようです。
(上の地図の左のマーカーが川嶋神社で右が長命寺)

また周辺にはかつて南北に城があり、ゆとりーとラインの「白沢渓谷」付近の小高い場所に川村北城が、長命寺の南東付近に川村南城があったとされ、どちらも今は痕跡は残っていません。

長命寺と川村南城は所縁があり、織田信長の家臣とされる水野右京進が築城し、城主5代に続く水野氏の菩提寺が長命寺だという。本堂裏手には1720年(享保5)に建てられた石碑も存在する。
現在の本堂は1956年(昭和31)に再建されたもので、伽藍は新しいけれど長い歴史を持つ寺。
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本堂全景
向拝木鼻などには意匠が施され、コンクリートにはない暖かく落ち着いた佇まい。
本尊は薬師如来。
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瓦葺、入母屋造りの妻入りの壽老殿全景。
蓬莱七福神の寿老尊を祀る。
蓬莱七福神とは守山区、尾張旭など名鉄瀬戸線沿線の霊場巡り。
守山区小幡の長慶寺(大黒天)、同区大森の法輪寺(福禄寿)、同区小幡の弘法寺(布袋尊)、同区市場の宝勝寺(毘沙門天)、春日井市松河戸の観音寺(弁財天)、尾張旭市印場元町の良福寺(恵比寿)、別格として守山区竜泉寺の龍泉寺(宝船)、そしてここ白沢町長命寺の寿老人の霊場を巡るもの。
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木造瓦葺の鐘楼
緑青に覆われつつある梵鐘、銘文は見当たらず、いつ頃鋳造されたものかは分からなかった。
梵鐘の下帯には蓮?が描かれているけれど、全体の姿はシンプル。
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観音堂
鐘楼の左にある切妻の建物でこの背後が白沢町の天王社。
堂中には複数の観音像と右に地蔵が安置されています。
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観音像
前列の像は主に昭和の頃の像が多いが、奥の方には寛政や文政の頃に奉納されたものが見られます。
一番奥に安置された丸みのある素朴な表情の像などは更に古く見える。
そうした像はきっちりと刻まれたものにはない、人の思いが感じられいいものです。
2021/07/27


長命寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 薬師如来
開基 / 無住国師
創建 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町319-1
関連記事 / ​名古屋市守山区白沢町「天王社」​ 名古屋市東区の古刹「長母寺」

今回の戸隠五社巡りの起点となる戸隠イースタンキャンプ場。
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カッコーの鳴き声で目覚める、相変わらず朝は早い、熟睡中のかみさんを起こさない様に一人早朝の散策に出かけた。熊の存在を考えると少し心細いが遭遇したらその時に考えよう。
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目的地はキャンプ場から県道36号線沿いに奥社方向へ徒歩10分程、県道沿いに熊笹に包まれた森に続く注連縄の吊られた小路を目指します。
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前日キャンプ場に向かう途中、車窓から見え、気になっていたところです。
国道沿いに無料の駐車場があり、そこに掲げられていた案内図が上。
複数の車中泊の車はここから登山目的で夜を明かしていたようです。
目的地へはこの看板脇から右に続く小路があり、そちらからも行く事が出来ますが熊笹が生い茂り、ここは県道側から向かいます。
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県道36号線から念佛池入口を見る。
左手に注連縄で結界がはられた入口があります。
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県道から入口の眺め。
注連縄と右手の石標に気が付かなければ見つけにくい。
池そのものがやや下がった位置にあるので目立たない事もあり、訪れる人は少ない。
念佛池はすぐこの先。
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右の苔むした石標「念佛池」とある。
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碑の裏側の元号は安政5年(1858)と読める。
ほぼ2世紀にわたり雪深いこの地に建ってきただけに全体は苔が覆い、碑そのものは角がない。
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碑からすく先の少し窪んだ場所に小さな池があります、これが「念佛池」
池の対岸に石の祠と解説板があるが、見ようによっては「ただの池じゃん」となるだろう。
池の周囲は花期は過ぎているけれどリュウキンカの黄色の花がちらほら残っている。
5月から6月頃なら池の周囲は鮮やかで可憐な黄色の花が彩を添えているのではないかな。
この小さな池、どこからも水は流れ込んできていません。
澄んだ池の底を眺めてください、砂を舞い上げて地下水が湧出しているのが見て取れます。
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念佛池解説
建歴2年(1212)の頃、親鸞聖人(浄土真宗開祖)が戸隠権現(戸隠神社)へ参詣されました。
その折り、この小池の端で念仏を唱えると、念仏に応えて池底が沸き返るが如き不可思議な状態を現したので、戸隠権現の霊験顕著と感激し「念佛池」と命名したと伝えられています。
親鸞聖人旧跡
滞在宿坊 (戸隠中社)
桂の木 (戸隠豊岡)
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奥社鳥居左奥に「一龕龍王の祠」が建っていますが、干ばつの時に黒姫山登山道の脇にある「種池」の水を汲んで雨乞いをすれば、必ず雨が降ると信じられていて、「種池」の主とされる「一龕龍王」がそこに祀られているという。
6月の「種池祭」では、その祠と「種池」、そしてここ「念仏池」でも神事が行われるそうだ。

右手の「念仏池」と刻まれた石標には親鸞聖人がこの池を拝む姿が描かれている。
すっかり苔むした祠、いつ頃祀られたものなのか詳細は分かりませんが、時の経過とともに山と一体になろうとしているようにも見えます。
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森の中に佇む小さな池。
池の底から砂を舞い上げ脈打つように水が湧きだす光景は親鸞聖人がこの小池の端で念仏を唱えて起きたとされる不可思議な状態が今も続いている。

朝霧に包まれた念仏池の水面に周囲の木々が映り込み、静まり返った周囲にあって、池の底から湧き上がる湧水のさまは自然の息遣いそのもの、この山自体が息づいている。
そう感じる事間違いない、神秘的な光景が見られます。
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そろそろかみさんも起きていることだろう、ここはかみさんにも教えてあげよう、いい加減戻るとするか。
念佛池方向の県道から戸隠イースタンキャンプ場受付ロッジ(右の建物)の眺め、キャンプサイトは県道を超えた右方向になります。
2021/06/24

念佛池
関連記事 / ​戸隠神社五社巡り「奥社・九頭龍社」
所在地 / ​長野県長野市戸隠越水
車アクセス /   上信越自動車道信濃町ICから約30分
戸隠イースタンキャンプ場から​徒歩10分程

名古屋市守山区白沢町
白沢渓谷の西の麓に当たり平坦な扇状地にできた地域、ここから東は緩やかに丘陵地が続きます。
町名の由来となる白沢川は1768年(明和5)に従来の流れに堤を築いて堰き止め、北側の山を開削し庄内川へ流路が変えられたもので、ここから東に行くと城土公園があり、園内を白沢川が流れ庄内川に注いでいます。
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古くから農耕を生業とする集落があり、龍泉寺に続く四観音道に続く里道でもあり、川村南城もあったようだ。
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今回の目的地は白沢町の「天王社」。
目印は臨済宗のお寺「長命寺」で天王社は長命寺の敷地の西角に一部に社地が与えられた、そんな感じが漂う。
天王社はこの白壁の切れた所に鎮座します。
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南の車道から見る天王社と後方は長命寺。
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切妻の妻入り四方吹き抜けの拝殿から本殿の眺め。
拝殿左上に何か記された木札があり、恐らく由緒に繋がる事が書かれているような気がするが読めなかった。
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拝殿左に祭礼の案内。
近隣の川嶋神社の管轄のようです。
この天王社の創建など詳細は分からないが、川嶋神社で伺えば何か得られるかもしれない。
こうして年間の祭事計画が貼りだされているだけに、近隣に住民からは今も崇敬されているようです。
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本殿は守山では定番ともいえる赤い覆屋の中に赤い本殿が祀られ、本殿前には赤い鳥居も置かれている。
扉が閉じられているので分からないが、恐らく津島神社の御札が収められていると思います。
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赤く塗られた社殿、いかにも氏子の手で維持されているのがわかる。
ペンキまみれのこの光景も良く見かけるものだ。
荒れるに任せた社に比べれば、この方が血が通っていて鎮まる方も喜んでいるのではないだろうか。
今は平穏なこの地も、過去には自然からの試練を受けてきた、そうした過去の経験から災い除けのために祀られたものだと推測します。
目的があってここに祀られ、今もその思いは次の世代に受け継がれている。
こうした思いが受け継がれていく事は、この地で生活するうえで重要な伝承だと思います。

「天王社」白沢町
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「川村」駅下車 南へ徒歩10分程

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