尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

カテゴリ: 御朱印

2021/06/23~25
キャンプメインで戸隠神社を巡ってきました
今回は戸隠イースタンキャンプ場から車で5分程の戸隠神社奥社を掲載します。
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キャンプ場から近いこともあり、まずはキャンプ場にテント設営、ランタン含め装備をセットしてから奥社駐車場(有料)へ向かいました。
天気はいつ降り出してもおかしくない状況ですし、ただでさえ大食いの車なので身軽にしてから移動という事です。
大鳥居へは写真の駐車場からまっすく進めば、さかさ川沿いに鳥居前に至ります。
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戸隠神社は、信仰の山「戸隠山」の麓に鎮座する奥社、九頭龍社、中社、宝光社、火之御子社で成り立ち、それらを参詣する事を戸隠神社五社巡りと呼ばれています。
今回はそのうちの奥社と九頭龍社を目指します。

戸隠神社奥社大鳥居
さかさ川に架かる橋を渡れば左側に下馬石がある。
そこから先は、例えガースーだろうがマスクの人だろうが、忖度なしに馬から降りなければいけない。
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さかさ川 
鳥居前を流れる細い渓流で、清らかな流れの中には岩魚の姿も見られます。
殺生禁止という事もあり人影を見ても隠れる気はないようだ。
河畔には茶屋があり奥社からの帰りには一息入れることが出来る。
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鳥居左奥に「一龕龍王の祠」
右に一枚岩の大きな社標が建ち、こんもり盛り上がった高みに石段が作られ、その先に苔むした小さな祠が祀られています。

干ばつの時に黒姫山登山道の脇にある「種池」の水を汲んで雨乞いをすれば、必ず雨が降ると信じられていて、「種池」の主とされる「一龕龍王」がここに祀られている。
由緒は分からないけれど、今も6月の「種池祭」では、この祠と「念仏池」、「種池」で神事が行われるそうだ。

念仏池は滞在中に訪れたが、朝霧に包まれた森のなかに佇む小さな池、底から脈打つように水が湧きだす光景は自然の息遣いを目の当たりにすることが出来る。
この山自体が息づいている、そう感じる事間違いない。
ただ感受性が違えば「ただの池じゃん」となるかもしれない。(近く掲載予定)
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参道を進み奥社に向かいます。ひたすら真っすぐに続く参道は鳥居から2㌔続きます。
この参道ただ真っすぐなだけではなく、冬至と立春には太陽が真っすぐに昇るように仕組まれているという。
とにかく静かだ。
聞こえるのは踏みしめる足音と小鳥のさえずり、森を吹き抜ける風の音、そして風に吹かれ、時折聞こえるクマ笹の葉が擦れ合う「ガサ〃」。
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大鳥居周辺で見かけた案内板、バリアフリー遊歩道も整備され水芭蕉の時期には良いかもしれない。
良くないのは右の看板、一応御呪いのつもりでクマよけの鈴は下げてはいるが、これは致し方ないだろう「人出没注意」として避けてくれれる事を祈るしかない。
取り敢えず「いるよ」
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もうひとつ
左は大鳥居付近の参拝案内図と右は熊出没注意看板。

かつては戸隠山顕光寺と呼ばれた戸隠神社、そこに続く道は戸隠道呼ばれていたという。
戸隠山は修験者によって開かれ、後に大衆の参詣道として、そして流通道としての役割も担い整備されていった。
参拝案内図によれば奥社までは2㌔の参道を40分ほどかけて登っていきます。
大鳥居から隋神門まで1㌔15分、隋神門から奥社までが1㌔25分とある、平坦に見えるこの参道は随神門から先は過酷になる事を意味しています。
こんな天気の時はトレッキング並みの足ごしらえは必要かと思う。

この長い参道のチェックポイントはやはり随身門となるだろう。
杉木立に覆われ緑あふれる参道は静まり返り、厳粛な雰囲気に包まれている。
参道脇には杜の歴史を伝えるように朽ち果てた株を苔が覆い、次の杜を担う新芽が根を張っている。
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「後で拡大すればいい」とろくに読まなかった石碑の碑文、甘い考えでした。
どうやっても読めない、参道脇にはこうした石碑や塔、石仏が見られる。
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歩きはじめて20分、鳥居から1㌔地点に朱塗りの随神門が現れる。
その手前には大きな狛犬が一対。
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大きくて貫禄のある狛犬です。
苔むしてなんぼの神域にあって図体は大きいがまだまだ経験不足。
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神仏習合時は仁王門として仁王像が安置されていたと云います、今は左右に随神を安置した随神門となり、神域に立ち入る邪悪なものから守っています。
建立は1710年(宝永7)の建立とされ、茅葺き入母屋造りの三間一戸の八脚門。
戸隠神社の伽藍の中でも最も古いとされる建造物。
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茅葺屋根は萱を台地として根付いた緑が生い茂り、年月を感じさせる。
個人的にはシダの緑がとても新鮮で趣きがあり好きなんだけど、これはそろそろ葺き替え時期のサインでもある。
額は「随神門」
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随神が訪れた者に睨みを利かせている。
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上は戸隠神社御本社復興記念
参道左右には細い流れがあり、それらの周囲には既に巨大な葉っぱと化した水芭蕉も自生しています。
下は参道左の奥社院坊址案内板。
随神門の奥側左右に850年(嘉祥3)以来戸隠権現に奉仕した嘗ての院坊址が点在する。
明治政府による神仏分離に伴いここにあった院坊は中社、宝光社として移転していった。
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戸隠神社社叢案内板
「戸隠神社奥社社叢は、戸隠神社奥社(江戸時代以前は戸隠山顕光寺奥院)の境内地として400年にわたり保護管理た社叢林である、授僕の伐採が禁じられてきたため原生林に近い稀有な森林植物相を持つ貴重な森である、随神門から先の参道沿いは江戸時代初期に挿し木により植樹された200本を超える杉の巨木が並木をつくり、人為と自然が年月をかけて融合し一体となった姿を見ることができる」


戸隠神社信仰遺跡案内板
「戸隠神社は奥社・中社・宝光社の三社からなっている。
平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られる。
縁起によると学問行者が修験を始めた年代を849年(嘉祥2)としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源とされる。
1087年(寛治元年)に中院が開かれ、明治の神仏分離により寺を廃し、奥院・中院・宝光院を奥社・中社・宝光社と名称を改めた。」
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戸隠神社社叢
参道脇はこうした巨大な杉並木が続く。
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奥社に向け参道を進んでいくと杜の中に様々な石碑や塔、院坊址が残っています。
左上
「大乗妙典一字一石書写碑」1751年(寛延4)
宝篋印塔入口付近の参道右側の少し高みの茂みの中に埋もれています。
「大乗妙典」とは法華経のこと、「一字一石」は経文の一字を小石に書き留め、それを地中に埋めた供養塔。
右上
「宝燈国師母公 祈願観音堂跡 宝篋印塔」
参道左に建ち、ここから先に宝篋(きょう)印塔があるらしいが、踏み込めなかった。
右下
法華多宝塔、1705年(宝永2)奉納された六角柱の塔、各面に梵字と「為大衆説、妙法華経」などの文字がが刻まれていますが。足元が悪く傍に近寄れなかった。
左下
随神門から奥社までは同じ1㌔でありながら+10分余分に時間を費やします、参道は表情を変えて来ます。
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飯綱社
奥社も近くなり、急な参道の途中左側の一段上がった所に鎮座する飯綱社。
飯綱大明神を祀り飯綱大権現ともいわれ、戸隠山の北東に並ぶ飯縄山の神仏習合の神。
一説によれば九頭龍権現を主とする戸隠信仰より、飯綱(いずな)権現を主とする飯縄信仰の方が古い?とも云われるようです。古くから戸隠山の鎮守としてここに祀られてきたと云う。
実態は不思議な能力をもった天狗と言われ、崇める事でその能力を授かる事が出来るといいます。
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斜面の上方に見える建物は奥社社務所。
奥社まで間もなくです。

尾上講社石塔
詳細は不明
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雨脚も強くなり、雷が轟く天気となった頃、漸く奥社に辿り着く。
境内はフラットではなく4段の境内。
下の段に手水舎、一段上がった左が社務所、その上の段の左が九頭龍社、右の最上段が戸隠神社奥社の伽藍。
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手水舎から九頭龍社の眺め
石段手前の狛犬、どちらも立派な角を持ち、苔むした姿はキャリアを感じさせる。
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奥社
最上段に鎮座する。
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戸隠神社奥社(御本社)
御祭神 天手力雄命
御由緒並びに御神徳
創建は、前210年、第八代孝元天皇の 御代。
御祭神は神代の昔、天照大神が天岩戸にお隠れになった時にその神力をもって、岩戸を開いた神。
開運守護・五穀豊穣に御神徳があり、大相撲の土俵祭りの御祭神に御名を連ねるなど、武道・スポーツ必勝の神としても知られる。
嘉祥二(八四九)年、開山した学門行者が道場として築いた伽藍が起源とされ、山中の三十三窟の第一窟・本窟(宝窟)の在所です。
新年祭 五月15日
例祭 八月一五日
新嘗祭 十一月二十三日
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社殿は後方の戸隠山の岩肌にできた本窟(宝窟)と一体化したような独特の姿をしている。
豪雪地帯にあってこの立地という事から、何度か雪崩の被害を受けているという。
現在の社殿は1979年(昭和50)に再建されたもの。趣はシェルターの様相です。
社殿奥にあるという本窟、そこは当然見る事は叶わない。
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戸隠神社奥社
創建 / 前210年、第八代孝元天皇の御代
祭神 / 天手力雄命
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本殿域で唯一社殿が山に接していない「戸隠大神」
詳細は不明。

神社に来れば地元の酒の銘柄が良く分かるかもしれない、今夜の酒はどちらにしよう。
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本殿域から一段下がって左側に鎮座する九頭龍社、五社巡り二社目。
御祭神 九頭龍大神
御由緒並びに御神徳
地主の神で御鎮座年代古く、天岩戸が化成したと云われる戸隠山の守護神にして神代の岩戸隠れの変に御功績を立てました本社の御祭神である天手力雄命を当山にお迎えした大神で水分神、水口神、五穀豊穣、魔除けの神、虫歯の神、縁結びの神として御霊験あらたかに国民の多幸弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神です。
祈年祭 五月一五日
例祭 八月一五日
新嘗祭 十一月二十三日

奥社同様拝殿の先は右後方の戸隠山に接している。
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九頭龍社
天手力雄命が祀られる以前から地主神として古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として崇敬されている。
創建 / 不明
祭神 / 九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)

奥社、九頭龍社共に背後の杜や御神体の戸隠山の岩肌と一体となりそれぞれが趣のある佇まい。
ここまで来たら社殿を取り巻く周囲の光景に視線は向けたい。

さて社務所で御朱印を頂き大鳥居に戻ります、傘もなく、下はぬかるんで滑りやすい、それでいて雷鳴がやたら近い。
早足になるところですが、雨は参道の杜が和らげてくれます、足元を見てゆっくり下るのが賢明。
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手水舎から少し下った、参道脇の石仏。
行きに見かけていたが、雨もありスルーしてしまったけれど、濡れついでに帰りに寄ってみました。
参道から見ると木々が生い茂る山肌の岩。
岩の下は自然にえぐれたようになっていて、そこに苔に包まれた大小の石仏が安置されています。
由来は不明。
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雷に怯えながら中間地点の髄神門まで戻ってきました。
裏側から見る屋根も苔むし、シダや若い木々が育っている。
漸く大鳥居が見えてきたころ雨もやんできた、参道は水たまりができている。
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天気が思わしくない時に参拝する場合、しっかりした靴、雨具をお忘れなく。
ついでに、あればクマ除けの鈴をぶら下げると気持ちが落ち着きます。
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駐車場に向かう途中で見かけたマンホール、戸隠の山と鳥がデザインされている。

雨と雷にくじけそうになったけれど、包み込むように迫る戸隠山とそこから育まれる自然の光景や恵み。
ドピーカンより早朝か曇天に訪れる方が神の山を身近に感じることができるかもしれない。
多少濡れたけれど気持ちのいい参道です。

戸隠神社 奥社 九頭龍社
所在地 / 長野県長野市戸隠3690
戸隠イースタンキャンプ場から車ルート /   ​奥社駐車場(有料)まで約5分

越中國、能登國、加賀國一之宮を車中泊で巡ってきましたが、今回の加賀國一之宮白山比咩神社で終わりとなります。
前回掲載した能登國一之宮「氣田大社」から、車で1時間30分程度の移動時間で石川県白山市の白山比咩神社に到着する事が出来ます。
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白山比咩神社
花の山として知られる霊峰白山を御神体とする、全国3000余社の白山神社の総本宮であり、加賀國一之宮として古来より崇敬されてきた神社です。
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白山比咩神社の参道は、県道103号線沿いに大きな駐車場を備えた北参道と南参道、そして手取川沿いから続く表参道の三か所があります。
写真は表参道の一ノ鳥居。
神域の玄関にあたり、そこに構えられた石造りの明神鳥居は、1936年(昭和11)に建てられたもの。
もともと白山比咩神社には長らく鳥居がなかったそうで、白山七不思議のひとつと云われていました。
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鳥居を過ぎた参道脇に由緒書き。

「白山本宮 加賀一之宮白山比咩神社
御祭神  白山比咩大神(菊理媛神)、伊弉冉尊、伊弉諾尊
当社は霊峰白山を御神体として生きとし生けるものの「いのち」の祖神である白山比咩大神をお祀りした事に始まる。
神祠の創建は崇神天皇の七年(紀元前91年)と伝えられる延喜式内の名社である。
古来「下白山」と称えられた当社は現在「白山本宮」「加賀一ノ宮」として仰がれ「白山さん」として親しまれる北陸鎮護の大社。
旧社地は北陸鉄道加賀一ノ宮駅前の古宮公園の安久濤の森だが文明12年(1480年)大火により四十有余の堂塔伽藍を焼失。
その後は末社三宮神社の境内の現在地に遷座、本宮鎮座の地として現在に至る。
明治維新の後「白山天嶺」を奥宮「下白山」を本社として「国幣中社」となるが、終戦後の今日は全国三千有余を数える白山神社の総本社として「白山信仰」の中心として家内安全・延命長寿・五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・交通安全・縁結びなど広大なる御神徳を仰がれている。
白山奥宮は1,700㌶の境内を中心とする国立公園白山は春山・夏山・秋山とし5月から10月までの6か月間登拝のため開山されます」

霊峰白山へは加賀・越前・美濃の3国それぞれから山頂に至る禅定道があり、加賀禅定道(白山比咩神社)、美濃禅定道(長瀧白山神社)、越前禅定道(平泉寺白山神社)と呼ばれ、それらは三馬場として栄えたがいずれも神仏分離により衰退していった。
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そこから先の参道は杉や欅、楓などの杜に包まれた表参道が続き、中ほどには琵琶瀧などあり「水」の豊かさを感じることが出来ます。

ニノ鳥居前から一の鳥居方向の眺め、右手に続く石段は北参道へと続きます。
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ニノ鳥居と手水舎。
目の前の石段を登ると境内に繋がります。
右手は杉が生い茂り、切れ堕ちるような斜面が手取川に向かって続いています。
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自然石を積み上げた手水鉢、正面の龍口からは絶え間なく水が湧きだし、森の豊かさを感じさせる。
この空間は参道を登って火照った体に一時の清涼感を与えてくれる。
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ニノ鳥居から最後の石段を眺める。
周囲の緑に溶け込み存在感を感じないけれど、狛犬もいる。
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どちらも山の斜面の過酷な場所に台座が作られ、その上に苔むして緑色になった小さな狛犬が見つめている。奉納年度は不明です。
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三ノ鳥居
ここからは平坦となり左の神門の先に境内が広がり、神門の手前を左に進むと北参道を経て、北駐車場に続きます。
神門の傍らに社が見える。
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荒御前神社
神門の傍らに鎮座する境内摂社の荒御前大神。
一見社流造の社には荒御前大神、日吉大神、高日大神、五味島大神の四神が祀られています。
荒御前大神は『日本書記』の中で、神功皇后の朝鮮半島出兵の際、それを守護する神として登場します。
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三間八脚の神門に神馬舎が繋がり、左手に北参道に繋がる玉垣門へ続く。
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神門から眺める外拝殿。
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神馬舎
神門右にあり白山麓の大欅を素材にして作られた神馬が安置されています。
均整の取れた神馬は絢爛豪華な装飾が施され、白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといわれる。
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白山比咩神社拝殿から本殿方向の全景。
切妻造りの平入、檜造りの優美な姿の外拝殿の破風屋根と後方の妻入りの直会殿の屋根が見せる曲線は綺麗なものがあります。
もとは、1920年(大正9)に建てられた旧拝殿、1982年(昭和57)の増改築で外拝殿になりました。
その後ろに、直会殿、拝殿、幣殿、本殿までが一直線に並びます、本殿の姿は窺えない。
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拝殿前の狛犬から社務所方向の眺め。
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拝殿前を守護する狛犬は角付きで逞しいシルエットをしています。
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外拝殿唐破風向拝。
大きな注連縄が吊るされ、木組みには派手な飾りや彫は施されていないシンプルなもの。
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拝殿扁額と下は拝殿から幣殿の眺め。
神紋は「三子持亀甲瓜花」、このご神紋の意味は「生命がますます栄えるめでたさを象徴し、家運長久・子孫繁栄・神人和楽のしるし」とされるようです。

拝殿と幣殿は一体化し、本殿へは30段の木階登廊で結ばれているという。
ご祭神の白山比咩大神(菊理媛尊)を祀る本殿は、江戸時代の1770年(明和7)、加賀藩10代藩主前田重教の寄進によって造営されたもの。

加賀禅定道として栄えるが、室町時代中期以降は一向一揆により一時衰退しましたが、信長によりそれらが一掃され、領主となった前田家から厚く庇護され、江戸時代に入り加賀藩主となった前田家からも引き続き庇護を受け栄えたという。
それも明治の神仏分離令と修験道廃止令の執行に伴い、別当寺院だった白山寺は廃寺となり、他の馬場同様の道を辿り、社号も白山比咩神社へ改めた。
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手前の遊神殿から社務所方向の眺め。
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白山奥宮遥拝所
神門をくぐり右に鎮座し、遠く離れた険しい白山山頂の奥宮を拝む遥拝所。
鳥居の先に注連縄が架けられた大きな岩は、「白山三山」大汝峰、御前峰、別山の形をしているという。
毎月1日と15日の月次祭(つきなみさい)では、神職による遥拝が行われるそうだ。

左手の参道を進むと南参道、住吉社、禊場などを経て南駐車場に繋がっている。
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鳥居右の「白山奥宮遥拝所」の石標。
この先に白山が聳え、白山を登ることなく奥宮に参拝できる。
眼下には水の恵みをもたらす手取川の流れが望める。
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参拝を終え神門から右に進み北参道に向かいます。
玉垣門をくぐり杉の巨木に包まれた石畳の参道を進む。
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社務所全景。
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フラットな参道は巨木の杜が作る木陰が広がり静寂な空間が広がる。
古い株は苔むし、その上から新たな命が芽吹いている、自然の循環は力強い。
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参道脇の句碑。
1689年(元禄2)に、松尾芭蕉が奥の細道への道すがら、北陸の中天に聳える白山の姿に感銘を受けて詠んだ句が刻まれ、建立は1961年(昭和36)。
『風かをる 越しの白嶺を 国の華  翁』
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北参道車祓所と手水舎。
県道に隣接する北駐車場が現在の主要な参拝道なのだろう、切妻の大きなもの。
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新しいもので龍の姿はありません、その代わりに欄間には細かな龍の彫飾りが施され、木鼻の飾りと共に視線を引き付ける。
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北参道の大鳥居で守護する狛犬。
こちらも角を持ち、鼻に特徴的がある。
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北参道大鳥居脇の「触穢の所」と社号標。
参拝前に喪や出産の穢れを自らお祓いする場所。
作法は1、一礼し扉を開く、2.二礼二拍手し中の祓詞を唱える、3.二拍手二礼、4.祓い串で自らを祓い清める、5.塩で自らを祓う、6.扉を閉じて一礼する。
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社号標は「国幣中社 白山比咩神社」とあり1893年(明治26)の健之。
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北参道大鳥居。
北参道駐車場からなら足元の心配なく容易に参拝が出来る。
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境外社 河濯尊大権現堂
北駐車場の西隣に鎮座し祭神は河濯尊(かはすそん)を祀る。
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天明時代から続くようで、以前は神社の地内の参道脇に鎮座していたという。
明治の頃に2回の火難に遇い、以降は現在の地に祀られたようです。
堂内には泰澄大師作と伝わる石仏が安置されており、難病、病魔退散、下半身の病に御利益があるという。
堂内には「仏様のことば」が記されていて、一読すると感じるものがあるかもしれない。
「お前の人生は、悪くもなければ良くもない、お前にとって丁度よい、地獄へ行こうと極楽へ行こうと行ったところが丁度よい・・・死ぬ日月さえも丁度よい・・・」
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北駐車場の白山手取川ジオパークの解説板。
若い頃に手取川へ大きな岩魚を求め相棒と良く出かけていた、豊かな水と自然に包まれ、自然の息吹を感じる噴泉塔もあり白山の恵みの豊かさを体感できた。
行きたい気持ちは十分あるけれど、気持ちと体力は別物だ、何より頼もしかった相棒もいない。
今は、当時見向きもしなかった神社を参拝して回るのが「丁度よい」のかもしれない。
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加賀國一之宮白山比咩(しらやまひめ)神社
主祭神 / 白山比咩大神、伊邪那岐尊、伊弉冉尊
創建 / (伝)第10代崇神天皇年間
境内摂社 / 荒御前神社
境外社 / 河濯尊大権現堂
境外飛地摂社 / 水戸明神(未訪問)
境内末社 / 住吉社(未訪問)
所在地 / 石川県白山市三宮町ニ105-1

氣田大社から車アクセス / のと里山海道(県道60号線)白尾IC➡津幡バイパス➡金沢バイパス➡北陸自動車道白山IC➡県道8号➡国道157号線明島町交差点➡県道105号線西崎交差点➡県道103号線八幡町交差点右折➡表参道 ​​所要時間1時間30分程度​​
関連記事 / 
能登國一之宮氣田大社 其の2​「亀鶴蓬莱山 正覚院」 
白山長瀧寺と長瀧白山神社​ 
福井県勝山市平泉寺町 ​「平泉寺 白山神社」

以前掲載した稲置街道の本町道り。
目的だったビールと食を堪能し犬山城方向を目指す。
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背後に犬山城と通りの突き当りに大きな鳥居、最終目的地としていた針綱神社も間もなくだ。
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針綱神社一ノ鳥居から境内全景
右に「尾張五社 針綱神社」の社標。
尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661~1733年)が著した『尾張五社略記』に記された尾張国を代表する五つの神社とされ、現在の愛知県、岐阜県に鎮座する熱田神宮、津島神社、千代保稲荷神社(おちょぼさん)、尾張大國霊神社(国府宮)、針綱神社を指すと云う。

しかし、これも諸説あるようで、一之宮(真清田神社)、二之宮(大縣神社)、三之宮(熱田神宮)と国府宮と針綱神社を加えた五社、熱田神宮を外し津島神社を加えた五社等定かではないようだ。
もっとも、そうして意識し参拝してこなかっただけに少し意識してみよう。
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一ノ鳥居からの眺め、鳥居脇に狛犬、正面に反橋があるようだ。
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鳥居右の略記
「針綱神社 鎮座地 犬山市大字犬山字北古券65-1
御祭神 尾治針名根連命(尾張氏の先祖神)、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命」

建立年代は不明ですが、927年(延長5)の延喜式神名帳に尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」と記されている古社。
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一ノ鳥居脇の狛犬。
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反橋から手水舎。

反橋は1919年(大正8)と刻まれていた。
この傾斜、とても渡れるものじゃない、神様たげが渡れる橋だ。
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手水舎と龍口、注ぐ先は鉢ではなく竹筒だ。
後方の赤い手水舎は隣接する三光稲荷神社のもので、針綱神社に比べると若い参拝者で賑わっていた。
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手水舎から先は境内が一段高くなり、狛犬とニノ鳥居を構える。
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ニノ鳥居の狛犬、1915年(大正4)のもので、一ノ鳥居の狛犬に比べるとベテランのようだ。
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参道はそこから右に曲がり石段を上り社殿に続く。
正面には複数の境内社が祀られている。
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参道正面に鳥居を構える社は上大本町の秋葉社。
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秋葉社の右の境内末社群。
この一画に山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社が祀られ、小銭消費ゾーン。
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秋葉社左の境内。
ここから左に進めば隣接する三光稲荷神社、石段を上りまっすぐ進めば犬山城。
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秋葉神社の左に鎮座する市神社、あまり聞きなれないけれど、どうやら津島神社の祭神を祀るようだ。
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金比羅神社。
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多賀神社、この社以外は南方向を向いて鎮座するけれど、この一社だけが東を向いて祀られている。
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境内右の末社群を秋葉神社方向に眺める。
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末社群の左に鳥居を構える針綱天満宮。
多くの境内社があるけれど、創建時期などは分からなかった。
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針綱天満宮の右に三ノ鳥居、その先は本殿方向に石段が続きます。
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針綱神社拝殿と右に八幡社。
「針綱神社の犬
天文6年(1537年)、信長公の叔父、織田信康公が自ら木の犬を彫り当神社に延命長寿、安産を祈願した。
その犬は誠に素朴で良い出来とは言えないが大きな陽物をつけているのが特徴である。
その犬を模して古くから子犬は織田広近(信康の4代前)を模して彫ったとも云われる。
この広近は信康が犬山城を築く68年前の文明元年(1469年)夏、犬山の木ノ下の地に初めて城を築いた人で、非常に活動力の優れた人であったと云う。
この旺盛な力が商売と結びつき、商売繁盛の守護犬として商家に人気があったと云われる。
又、一説には、犬の特徴にちなみ神社に祈願すると良い殿御に巡り逢えるとか。
下半身の病を思わないとか。
犬は安産故、安産、子授、縁結びの守護犬として若い女性に人気があり、厳かに授けられたものと伝えられています。
命の神としても有名で戦のある度、出征する兵士、家族の参拝が後を絶たなかった。」
(針綱神社栞より)
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これが約500年前に奉納されたと云う「木彫りの犬」(写真は栞から引用)
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神紋は三つ巴。
下は拝殿に掲げられた扁額。
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針綱神社社殿全景。
「御由緒 当神社は延喜式神明帳所蔵の式内社で本国貞治本に従一位針綱明神又元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座させれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられる濃尾の総鎮守でありました。
中古織田信康公、市内木の下城を社地に移築せんと後奈良天皇の宣旨を蒙り、天文6年(1537年)8月28日、白山平(お城の東方にあるお山)に遷座し奉った。
爾后69年を経た慶長11年(1606年)4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新の後、同15年(1882年)9月28日名栗町の座地より天文6年(1537年)迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社のひとつ)として近隣の崇敬を集める。」
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上、白馬
本殿西側に祀るこの白馬は古くから子供の守り神として霊験あらたかと云われ、お馬さんにお供えした豆を頂くと歯ぎしり、ひきつけが治ると伝えられおり、願い事の叶うお馬さんとして信仰されている。
下、愛宕社
燈籠は1829年(文政12)のもので竿には子孫の福を願った銘文が刻まれている。
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ニノ鳥居から本町通を振り返る、人の流れは三光稲荷神社に向かう姿が大半でした。
訪れたのは3月9日、この時期は境内の梅と木曽川沿いの河津桜が見頃だった。
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針綱神社
創建 / 不明
祭神 / 尾治針名根連命、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命
境内社 / 秋葉社、山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社、石神社、金比羅神社、多賀神社、針綱天満宮、八幡社、愛宕社
所在地 / ​犬山市大字犬山字北古券65-1
公共交通機関アクセス / 名鉄小牧線「犬山遊園駅」から​西に徒歩15分程
関連記事 / ​本町通り

越中國、能登國、加賀國一之宮巡り二日目は「道の駅氷見」から能登國一之宮氣多大社を目指します。
国道415号線で県道232号線、国道249号線をひた走り、能登半島を西へ横断します。
県道249号線の「氣多大社前」の信号を右折し氣多大社まで休憩含め約1時間ほどの道のり。​​
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氣多大社は石川県羽咋市寺家町にある神社。
何も考えず県道249号線で神社まで来てしまいましたが、ここは一ノ鳥居と二ノ鳥居の中間地点のようで、バックミラーの遥か先に一ノ鳥居が・・・・あった。
こうして見ると日本海の海岸に一ノ鳥居を構え、そこからニノ鳥居に長い参道が一直線に伸びています。
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ニノ鳥居。
駐車場は左に広大な駐車場が確保されています。
車を停め、歩いて一ノ鳥居まで向かおうとしたが、遠景だけ撮影し諦める。
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右に「國幣大社 氣多神社」社号標。
ニノ鳥居は木造の両部鳥居、参道はここから更に続き、神門までは随分先です。
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ニノ鳥居左に由緒書き、境内見取り図。
「当大社の御祭神は大国主命(大己貴命)と申し、能登の地を開いた大神と崇められる。
創立年代は、第10代崇神天皇の御代と伝わる。
延喜の制では、名神大社に列せられる。
本殿背後、約1万坪の社叢林(入らずの森)中央の奥宮には素戔嗚命、奇稲田姫命が祀られている。
伝統的な特殊神事は、新年門出式(1月11日未明)をはじめ、平国祭(3月18日~23日)、蛇の目神事(4月3日)、鵜祭り(12月16日未明)等が有名。」
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​参道左の木々に包まれた小高い所に鎮座するのが氣多大社末社「養老大黒像奉安殿」​
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​一間流造のシンプルな佇まい、大黒天の提灯に明かりが灯る。
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社殿内部。
大きな厨子の扉が開けられ、にこやかに微笑む大国様が安置されています。
氣多大社の社伝に「孝元天皇の御代に大己貴命が出雲から多くの神々を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いた」と云われ、氣多の「氣」はそれら神々の気に肖り付いたとか。
目が三角になる事の多いこのご時世、大黒様の表情は「少し余計な力を抜いたらどうなの」とでも言っているような。
いい表情です。
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​参道を進みます。
背筋をピンと伸ばした狛犬と神門、左に手水舎。
写真では切れていますが参道右に社務所があります。
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手水舎。
清水は注がれていませんでした、その代わり花手水。
常時なのかは定かではないけれど、コロナ禍にあって嬉しい計らい。
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上を見上げて雄叫びを上げる、強そうな狛犬だ。
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​​​​神門。
社伝に建立年代は1584年(天正12)とされ、1680年(延宝8)に補修の手が入れられている。
優雅な屋根の勾配で、派手な飾り金具を廃した​​シンプルながら、​​落ち着いた佇まいの門。​​​​
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​拝殿
入母屋造の​
桧皮葺妻入り拝殿。
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 建立年代は、1653年(承応2)~1654年(承応3)の建立とされ、屋根の曲線が綺麗だ。
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​​​拝殿内
高欄がない​縁には​正面と左右の石段で​​上がるけれど、​​​結構な高さがあり​​​下から眺める拝殿内は写真のようになります。​​​
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社殿全景
左に摂社の「若宮神社」、拝殿の奥に本殿に並び、その右に摂社の「白山神社」が並びます。

訪れた3月の時期、境内を彩るのは梅、過度な装飾を廃した社殿に色を添えている。
社殿後方の深い杜は社叢林「入らずの森」、 加賀藩により保護された森は国の天然記念物に指定されているそうで、聖域の杜には奥宮が鎮座するという。
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左の若宮神社本殿は1569年(永禄12)、能登守護大名の畠山義綱により再建されたもので、檜皮葺の1間社流造りで事代主命を祀ります。

右が氣多大社の
本殿。
棟札によれば建立は1787年(天明7)といわれ、檜皮葺の3間流造りで、前後に庇が続き、正面に1間の向拝が設けられ、それらが綺麗な曲線を描き軒先に続く、両流造りと呼ばれるもので、本殿内部は外陣、中陣、内陣に分かれているという。
大国主命(大己貴命)を祀る事から縁を求め訪れる参拝客は多いという。
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拝殿右は摂社の白山神社本殿。
3間社流造りの檜皮葺で、建立は棟札から氣多大社本殿と同年とされ、同時期に同じ大工の手により造られたようで、本殿内や外観など氣多大社本殿に準じデザインが整えられている、祭神は菊理姫命。
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白山神社本殿と気多大社本殿。
高欄付きの縁を持ち、蟇股や木鼻にも装飾が施されている。
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神庫。
本殿域一番右にある方型の校倉造の建物で、建立は本殿と同時期の1787年(天明7)とされ、宝倉として呼ばれていたようです。
校倉造、久しく見ていなかったような気がする。
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揚田神社
神庫から右に進むと参道脇に杜の入口に鳥居が建っている。
ここから先は聖域で立ち入ることは許されない、奥宮まで続くのだろうか。
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大玉神社
揚田神社から更に右に進んだ突き当りに鎮座し、石積みの台座の上の小さな狛犬が本殿を守護している、祭神は、天太玉命。
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「むすび神苑」と彫られた岩。
縁起は分からないけれど小石を積むのが習わしの様だ。
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菅原神社
大玉神社から右に進む参道の先にあり、菅原道真を祀る事から合格祈願などの無数の絵馬が掛けられている。

これでひと回りした事になります、神門に戻り西隣の氣多大社神宮寺「正覚院」に向かいます。
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 神門の斜景。
角柱を用いた四脚門、屋根の勾配や木組みなど斜めから見ると美しさが増す。
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神門からニノ鳥居方向の眺め、左が社務所。

あれま、かみさんの姿がない、隣の「正覚院」へ向かったのか?
追いつかねば、正覚院はここから右の参道を進みます。
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能登國一之宮氣多大社​
創建 /    (伝)第8代孝元天皇の御代、または第10代崇神天皇年間とも
主祭神 / 大己貴命
境内摂社 /   若宮神社(事代主命)、白山神社(菊理姫命)
境内末社 /   養老大黒像奉安殿(大黒天)、揚田神社(荒御魂神)、大玉神社(天太玉命)、菅原神社(菅原道真)
所在地 / 石川県羽咋市寺家町ク1  


「道の駅氷見」から車アクセス /  国道415号線で西へ県道232号線国道249号線氣田大社前を右折
関連記事 / ​道の駅氷見 

小竹薮駐車場から県道24号線、国道415号線と経由し富山湾方向へ。
小矢部川を越え、矢田交差点で左折すると正面に小高い丘陵地が見えてきます、その道の突き当りが氣多神社。
所在地で云うと富山県高岡市伏木一宮、地名に「一宮」と入るように、伏木はその昔国府や国分寺が存在した越中国の中心だったそうです。
ここに到着する少し手前に国分寺跡、神社境内にも越中国総社跡の伝承地とされ解説板が建ち、越中国総社跡(伝承地)もあります。
927年に編纂された『延喜式神名帳』には名神大社として記される古社で、越中國一之宮を称する4社(射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社)の一つ。
一之宮御朱印のコンプリートを目指すかみさん曰く「幾つあんのよ」と云いたくなる気持ちも分からんでもない。
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越中國一之宮 氣多神社社頭
駐車場は左にあり、更に道路を右に進んで行けば一気に社殿近くの駐車場まで辿り着けます。
社頭左に社号標そこから石段が続き、その先に鳥居が見えます。
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駐車場から走ってきた道を眺めて見ます。
富山平野の先に富山湾、遥か先には残雪が残る立山連峰を望め、四季折々自然を移り変わりを目の当たりにできる羨ましい環境です。
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駐車場脇の手水舎
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苔むした山肌から龍が顔を出し、勢いよく清水が注がれています。
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手水舎の左に「気多神社の清泉」
傾斜地の上に残る古い切株、その下の斜面に穴が開き、そこから絶える事無く湧き出る清泉。
昭和61年「とやまの名水」に選定されたそうで、看板には「煮沸して飲用」とある。
おかしなものは添加されていない、渓流の水とは違い地下から湧き出して来た自然からの恵み。
自然と云えば手水舎の柱に「くま出没注意」の気になる貼り紙もあった。
1分程坂を下ればそこは住宅街、そんなところに有難くない自然もいるようだ。
蛇よりはましか。
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社頭の解説と下は境内で見かけた氣田神社略史。
一部抜粋した内容は以下。
734年(天平4)能登国気多大社から大己貴命(おおなむちのみこと)を分霊、勧請、氣田大神として越中國一之宮田神社となる。
757年(天平宝字元年)越中国から能登国が分立し、越中国は射水、砺波、婦負、新川の四郡となり、能登・羽昨にある氣田大社を国府に近いこの地に勧請されたと云われ、一説には718年(養老2)に行基が開基したとも云われるようです。
1182年(寿永年間)と1550年(天文年中)上杉謙信など二度にわたり兵火に見舞われ伽藍を焼失。
1558~1570年(永禄年間)に現在の本殿が再建、1645年(天保2)に加越能大守「前田利常」が気多神社を崇敬し、本殿・拝殿などを修繕。
さして1859年(明治2)廃仏棄釈の令により、本地仏を旧国分寺跡の薬師堂へ遷す。
主祭神は大己貴命、奴奈加波比売命、配神は事代主命、菊理姫命を祀る。
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緩やかな石段を上りきると神明鳥居があり、石灯篭が続く参道は更に杜の中へ続きます。
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参道途中に神馬像、その後方が本殿に一番近い駐車場。
苔むした境内はこの辺りから左右に広がりを見せる。
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境内左側には石碑が複数建てられています。
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拝殿が見えてきます、この石段が最後の石段。
訪れたのが日没間近とゆうことで、木々の間から西陽が差し込み幻想的な雰囲気を漂わせている。
参拝客はなく境内は静かさに包まれています、こんな時に後ろから音でもすると「出たか?」と考えたくもなる。 正体はかみさんなんですけどそれくらい静寂な空間でした。
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鬱蒼とした杜の樹々、根は苔むした地表にまで現れ、自然の逞しさを感じさせてくれる。
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参道左側の眺め、参道は二手に分かれ正面は拝殿へ、左手に進むと拝殿左側に回り込めるようです。
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石段を上り拝殿へ、狛犬がいますが逆光でシルエットになる。
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狛犬
阿形後方の建物は「参集殿」
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参集殿全景
狛犬の台座には1933年(昭和8)とある、大先輩だ。
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氣田神社拝殿
瓦葺で妻入りの拝殿は左右に回廊が付き、内部は幣殿と一つになっている。
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拝殿に掛けられた額は「氣田神社」
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参拝
拝殿内の内部はガラス張りで陽光が降り注ぎ明るい印象を受ける。
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社殿全景
日陰にはまだ残雪も残る。
本殿は三間流造の柿板葺で社殿は1558~1570年に再建され、国の重要文化財に指定されている。
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本殿
緩やかな曲線を描く向拝は幣殿へ繋がり派手な飾りを廃したシンプルな外観。
本殿の正面に掛けられた「一宮」の額が見て取れる、解説によればさらにこの奥に「氣田大社」の額
が掛けられているという。
藤原行成の真筆とされ、小野道風、藤原佐理と並んで三蹟の一人。
残念ながら奥に額らしきものは見えますが、おやじのカメラではこれが精一杯。
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「一宮」の額
力強さの中に柔らかさもあり優しさすら感じる。
空海(弘法大師)の真筆とされ、豊富な知識と技量、優れた感性で文字を描く能書の達人で嵯峨天皇・橘逸勢と共に日本三筆と称される。
後方に額は見えているのだが・・・・
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拝殿左の御興堂
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更に左の一段高い場所に玉垣で囲われた社があります。
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大伴神社
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社殿は流造で越中國国守だった大伴家持が祀られているという。
創建は1985年(昭和60年)、地元有志により境内に創建されたもの。
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境内全景
彫りの深い二対の狛犬が守護している。
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上の狛犬は鳥居をくぐって最初のもので、胸に鈴をつけた彫りの深い体格のいいもの。
下は本殿前の狛犬。
小柄な体ですが角が付いた愛嬌のある顔が印象に残る。
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大伴神社左から境内全景。
西に杜があり、陽が陰るのは速い、静かな境内に神々しさが一層ましてくる。
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氣田神社、富山平野や富山湾、遠く立山連峰を望む山麓に鎮座し、静かに時が過ぎていく空間を持った閑静な一宮だ。

さあ一路今夜の宿泊先を目指そう。
2021/3/23

御朱印
越中国一之宮「氣田神社」
創建 / 734年(天平4)
祭神 /  大己貴命、奴奈加波比売命、
配神 /  事代主命、菊理姫命、

境内社 /  大伴神社
創建 /   1985年(昭和60年)
祭神 /   大伴家持
所在地 /  富山県高岡市伏木一宮1-10-1

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射水神社(小竹藪駐車場)から車でのルート / 県道24号線➡国道415号線➡矢田交差点で左折、​移動時間20分程

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