尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

カテゴリ: 少し遠出

名古屋発6:00
3/23~3/24兵庫県、岡山県、香川県、徳島県の一ノ宮を車中泊で巡ってきました。
名古屋西ICを6:00に出発。
今回は全工程約1,000㌔の道中が予想されるだけに緊急車両のご機嫌がとても気がかり、内心心配している部分(アイドリング乱れ)を抱えながら、かみさんに悟られない様に平静を装い運転。

名古屋西IC発6:00
東名阪自動車道をひとっ走りして新名神高速道路へ。
平日で出勤時間に重なるので交通量が多少心配でしたが、意外に交通量は少なく順調。
本来なら観光バスが多く走る時間帯ですが、その姿は見かけない。
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8時頃琵琶湖を望む大津SAに到着、展望デッキで比叡山の山並みを眺めながら朝マック。
SAでも団体ツアー客の姿は皆無。
これほど閑散とした光景は見たことがない。
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 中国自動車道に入り10時に葛西SAで二回目の休憩。
途中から自衛隊の車列について走っていたけれど、SAで一台の自衛隊車両の横に駐車。
休憩を終え戻ってくるとこんな感じ、我家の旧車は迷彩車両の中に佇んでいた。
かみさんに「どこでも行けてこの車は良いよ!」妙に喜んでいるおやじに、「何がいいのか分からない」と冷たい一言。
迷彩車両とお別れして再び本線へ。車は制限速度+5㌔で巡航走行、快調に走ってくれている。
燃費も高速を走る分には好調、liter10㌔は行きそうだ。
最初の目的地は播磨国一ノ宮 「伊和神社」を目指す。
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 播磨国一ノ宮「伊和神社」到着は11時頃。
社頭向かえにある道の駅「播磨いちのみや」に車を停め参拝に向かう。
厳粛な雰囲気の漂う杜に包まれる伊和神社。参道は奥へと続く。
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 鳥居と山門をくぐり、参道は左に続きます、その先に陽射しに照らされた社殿が現れます。

社殿は北を向いて建てられていて、本殿裏に「鶴石」と云われる石が祀られています。
この地の豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託があり、一夜にして木々が生い茂り、大きな2羽の白鶴が石の上で北向きに眠っていたそうです、恒郷はその場所に社殿を造営したとされます。
社殿が北向きなのはそうした事からだそうで、幣殿両脇には鶴の像が飾られています。

播磨国一ノ宮「伊和神社
創建 / 144年(成務天皇14)とも564年(欽明天皇25)とも伝わる
主祭神 / 大己貴神
配祀 / 少彦名神、下照姫神
本殿 / 入母屋
境内摂社 /  五柱社、市杵島姫命播磨十六郡神社、御霊殿
住所  /    兵庫県宍粟市一宮町須行名407
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参拝を終え道の駅で遅い昼ご飯、地元のグルメ「ホルモン焼うどん」「ホルモン焼うそば」を食べる。
この辺りでは知られたB級グルメらしい、かみさんは甘辛い味付けのプルプルで柔らかいホルモン焼うどんに大満足。
「え~?」と思いながら焼きそばを注文した、これが意外に美味しい、肉は臭みもなく、柔らかく食べやすかった。
2011年B級グランプリではシルバーグランプリを受賞したそうです。
地元のグルメでお腹を満たし二番目の目的地「石上布都魂神社」に向かいます。
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 約1時間ほど山道を走ると備前国一ノ宮「石上布都魂神社」社頭に到着、時間は14時15分。
近年造られたばかりの真新しい鳥居、その脇の細い車道を車で進みます、道は細いままま登りとなり、林道の様相になります。
やがて道路脇の駐車場に到着、そこから山肌に付けられた山道を5分程歩いて登ります。
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5分程山道を登り、境内が近づくと道は石段に変わり、見上げるような斜面に手水舎が現れます。
手水舎の横にある最後の石段を登り切ると境内が広がります。
備前国一ノ宮「石上布都魂神社」は山の中腹に建つこぢんまりとした社殿です。

拝殿左から大松山山頂の本宮に続く山道が伸びています。
そこには以前は拝殿、幣殿、本殿、神楽殿など建っていたが焼失、現在は本宮の小さな社と磐座があります。
徒歩で約10分程ですがヒールでは登らない方が賢明でしょう。
素盞嗚尊の八岐大蛇退治の伝承があり、明治に行われた発掘調査でその時に使われた十束剣と思われる赤錆びた剣が出土した。

備前国一ノ宮「石上布都魂神社」
創建 / 不明
祭神 / 素盞嗚尊
本殿 / 流造
境内社 / 稲荷神社、拝殿右脇に小社
住所 / 岡山県赤磐市石上字風呂谷1448

食後の腹ごなしはこちらでしっかり終え、再び車に乗り込みここから高速を経由し一時間程走り
備前国一ノ宮「吉備津彦神社」へ。
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 備前国一ノ宮 「吉備津彦神社」へ15時45分に到着。
吉備の中山の北東の麓に鎮座する広い境内を持つ神社です。
別名を「朝日の宮」とも云われ、夏至の日に正面鳥居から祭文殿の鏡に陽光が当たる様に巧みに計算された伽藍となっているそうです。
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ここは桃太郎伝説のモデルとも云われる大吉備津彦命を祀ります。
境内には桃太郎のお供猿(楽々森彦命)、キジ(留玉臣命)、犬(犬飼武命)、桃太郎の中で鬼を演じた温羅を祀る温羅神社など桃太郎の出演者が勢ぞろい。
広い境内の右端には作家の中山森造氏の手による桃太郎と家来のセメント像が東を向いて立っています。
後方の御神体中山の裏には桃太郎伝説を伝えるもう一つの神社、吉備津神社があります。

備前国一ノ宮「吉備津彦神社」
創建 / 不明
祭神 / 大吉備津彦命
本殿 / 流造
境内社 / 子安神社、天満宮、霧島神社、亀島神社、稲荷神社、十柱神社、牛馬神社、温羅神社、祖霊社、七つの末社など
住所 / 岡山県岡山市北区一宮1043

それではもう一つの浦島伝説を伝える吉備津神社に向かいます。
この時点で16:20
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吉備津彦神社から車で5分を走り、中山の西の麓に回り込むと備中国一ノ宮「吉備津神社」到着です。
二つの国の一ノ宮が中山を境に背中合わせで鎮座している形になります。
矢置石の右から続く緩やかな石段、その先に赤い髄神門が見えています。
こちらの見所は個性的で美しい本殿とそこから鳴釜神事の行われるお釜殿に続く廻廊ではないでしょうか。
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 髄神門をくぐり、目の前に広がる境内建つ個性的な社殿。
本殿・拝殿(国宝)は1425年(応永32)に再建されたもので、特徴的な屋根構造は「比翼入母屋造」と云われる様式。他に類を見ない造から吉備津造とも呼ばれるそうです。
複雑な屋根構造ですが側面から見る姿は優美な佇まいをしています。

備中国一ノ宮「吉備津神社」
創建 / 不明
祭神 / 大吉備津彦命
本殿 / 吉備津造
境内社 / 一童社、若山宮、えびす宮、祖霊社、水子慰霊社、三社宮、本宮社、滝祭神社、宇賀神社
住所 / 岡山県岡山市北区吉備津931

おかま殿はコロナ対策の為開場・御朱印は16時まででした。
それが事前に分かっていれば・・・・・先に両社の御朱印を頂きゆっくり巡る手もあったのでしょうが
残念ながら備中国一ノ宮の御朱印は取りこぼしてしまいました。
その要因はまたしてもおやじにあるようです。
17:20気を取り直して吉備津神社を後に、瀬戸中央自動車道に乗っていよいよ本州を後にします。
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18時過ぎ瀬戸大橋の手前で丁度夕陽が落ちるところ、随分と陽は長くなってきたものです。
与島PAに寄り道し夕陽を眺めていく事に。
瀬戸大橋も夕陽を受け淡く赤に色付いてきました。
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 与島PAの展望台から本島に沈む夕陽の眺め。
長い道のりの疲れも忘れさせてくれる。
これが展望露天風呂から一杯やりながらの眺めであれば最高なんだが、今回は車中泊、暗くなるまでに目的地に着けるかな?
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さて、慌てることなく本線に戻り四国に渡ろう。
目指すは香川県綾歌郡宇多津町浜一番の道の駅「うたづ臨海公園」
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19:10目的地道の駅「うたづ臨海公園」到着、既に暗闇です。
コロナの影響で新規オープンを見合わせている四国水族館に隣接する道の駅です。
今回は寝る準備は遮光カーテンを閉めるだけだ、エアベッドはやめて後席は全てフラットにして敷布団を敷いてあります。寝袋出して寝るだけです。
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 近くの海鮮酒場で晩御飯、というより酒盛りか?
今回は本当に運転時間が長く疲れました、かみさんもグーグルさんを相手に気を使ったことでしょう、た旧車もよく頑張ってくれた、最初はビールでお疲れさんの乾杯です。

落ち着いた店内では瀬戸内の鯛やアジを主にした刺し盛りは新鮮そのもの、やはり酒が刺身には酒、純米酒金陵に決め飲み進む、フルーティーな香りと爽やかな喉越しはなかなかのもの、かみさんも好印象でした。
刺し盛りのアジは骨せんべいにしてくれます、あげ加減が絶妙でこれがお酒のお供に絶品、魚嫌いなかみさんにして美味しいを連発
それにしてもこれだけ美味しいお店なのに店内の客はやはり少ない、日本全体疲弊してる感が漂っている。
元気は取り戻せるのだろうか?

「回遊」
住所 / 香川県綾歌郡宇多津町浜一番丁6-21

車に戻りTVを見るもどれもこれもcovid-19ばかり、寝る。
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 翌日、いつものように陽の出と共に目覚め、一人散策。
新しい道の駅らしく花も綺麗に植えられチューリップが咲き誇っています。
遠距離から車中泊組も多数見られました。
正面の建物は結婚式場。
さてかみさんも目覚め、身支度を整え終えたようなので朝ごはん。
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 香川の朝食は「讃岐うどん」
朝からうどんです、喫茶店のように早朝から営業しています。
出汁、麺の好みにより人気店は星の数ほどあるようです、素人の私達は口コミで決めるしかない。
そんな中で選択したのが「讃岐うどん がもう」
郊外にある「がもう」へ7:30に到着、朝8:30の開店なのに既に一人の方が店の前で待っている。
他に車の中で一人、我が家は3番手。
まだ1時間あるので一人で周囲の長閑な田園地帯にある寺社を探して歩く。
戻ってくれば広い駐車場は地元や他府県ナンバーの車で溢れ、店前には行列が。
念願の本場讃岐のうどん、感想はイメージした程に腰は強くなかった事、出汁は上品で名古屋人から見ると薄味。これも幅広い個性の中の一つなのでしょう。
常連さんはかけの小をペロッと食べて次に向かう、これが流儀の様だ。
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 本場の讃岐うどんを堪能し二日目最初の訪問地を目指し高松道を東進。
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9:00讃岐国一ノ宮 「田村神社」の参道に到着。
真っすぐに伸びるとても長い参道を持つ神社で、社頭から眺める参道は随神門は見通せるけれど、この鳥居や拝殿は見えない。
拝殿近くに参拝駐車場があるけれど、一旦社頭に戻りここに辿り着く。
いかにも古くからここに鎮座する神社の趣を感じさせるものがあります。
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 水神信仰を基盤とした神社で一帯が湧水地、奥殿は淵の上に建てられている、それを象徴するかのように境内には巨大な龍のモニュメントが祀られている。
正面の拝殿と右に宇都伎社、素婆倶羅社、一宮天満宮が主要な伽藍。
境内には稲荷社、弁財天、お迎え布袋、桃太郎伝説の碑、七福神巡りなどお賽銭が足りなくなる程のお参り個所が多数あり、全て見て行くと結構時間が必要。
何か不思議な空間が漂う神社。

讃岐国一ノ宮 「田村神社」
創建 / 709年(和銅2)
祭神 / 倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命の五柱
本殿 / 春日造
宇都伎社
祭神 / 大地主神、倉稲魂神
素婆倶羅社
祭神 / 少彦名神
一宮天満宮
祭神 / 菅原道真

住所 / 香川県高松市一宮町字宮東286

10時を少し過ぎ一通り参拝を終え再び高松道を東進し次の目的地の阿波一ノ宮「大麻比呂神社」へは1時間ほどの道のり。
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11時15分「大麻比呂神社」大鳥居に到着。
駐車場を探すも社頭周辺にはなく、やむなく車で参道を進むが一向に表れない、これほど参道が長いと大鳥居までは戻りたくないので、一旦大鳥居まで引き返し、大鳥居を撮影し駐車場を求め参道を進む。
参道を横切る坂東谷川に架かる祓川橋の袂の駐車場までは結局800㍍程あり、橋から先も更に参道が続きます。これは今日一番の長い参道を持つ神社です。
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 橋を渡ると天然記念物の巨大な幹の楠木が参道の中央に聳え立ち、その先に漸く社殿が広がります。
本殿後方に境内は伸び、奥にはドイツ橋と呼ばれる第一次世界大戦で捕虜となったドイツ人により作られた橋や眼鏡橋がある。

阿波一ノ宮 「大麻比呂神社」
創建 / 神武天皇年間(伝)
祭神 / 大麻比古神
本殿 / 流造
境内社 / 西宮社、水神社、中宮社、山神社、豊受社、丸山稲荷社、丸山社
住所 / 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13

巨大な楠の樹と長い参道が印象に残る落ち着いた佇まいの神社。
ここでもスルーしながら参拝し1時間を超えてしまいました。
12:30大麻比呂神社の長い参道を走り再び東進する、ここでかみさんからのスケジュール変更「徳島ラーメンで昼ご飯の予定を見送り渦潮を見に行こう」との事。
この日は大潮でこの時間から渦の道を目指せばいい条件で見られるらしい。
四国初めて、渦潮初めての彼女の意向を尊重し高松自動車道と神戸淡路鳴門自動車道を乗り継ぎ約30分の工程です。
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鳴門第一駐車場に到着したのが13:00。
そこから大鳴門橋の下に作られた歩廊を歩き展望室まで向かいます。
高速を行き交う車の振動が伝わる歩廊を進み、川のように流れる鳴門海峡。
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ガラス張りの床や窓から眺める初めての渦潮は、できては消えを繰り返すもの。
巨大な渦が巻いている光景を思い浮かべていた彼女は多少イメージとは違っていたようですが自然が作る壮大な現象を楽しみ13:50渦の道を後にしました。
最終目的地の淡路國一ノ宮「伊弉諾神宮」までは約一時間の移動時間です。
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15時頃伊弉諾神宮社頭に到着。
ここに来るまでの県道88号線沿いには、随分長い距離で常夜灯が立ち並び社頭まで案内してくれました。
昼ご飯も食べていなかったので社頭の前のカツ丼屋で遅い昼ご飯。
ボリュームがありながら柔らかく美味しいポークかつ丼、690円の安さに多少驚く。
さて腹ごなしの参拝です、社頭から一ノ鳥居とニノ鳥居の中間あたりによく見るとやたらと背の高い人物が視界に入る。なんと馬に乗り参道を闊歩する光景に出くわす。
意外に歩きは早く歩行者信号が変わったころには既に姿はなかった。なんとワイルドな事。
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 「伊弉諾神宮」は古事記・日本書紀にも登場する、国生み神話の発祥の地、最初にここが陸地となり日本となった、そうした意味合いから日本でもっとも古い神社とも言われる。
境内の岩楠神社の前には樹齢900年を超える見事な「夫婦楠」がある。
面白いものでは頭髪感謝之碑と呼ばれる、先端はつるつるで黒光りした丸い石碑がある。
本殿の檜皮葺は随分と傷みが進み、国生みの神を祀る日本最古の神社として痛々しい姿、補修の手が入る事を願わざるを得ない。

淡路國一ノ宮「伊弉諾神宮」
創建 / 神代の時代に創祀と伝わる
祭神 / 伊弉諾尊、伊弉冉尊
本殿 / 流造
境内社 / 根神社、竈神社、鹿島神社、住吉神社、岩楠神社
住所 / 兵庫県淡路市多賀740

今回の一ノ宮巡りもこちらで終了です。
ここからは帰途に着くことにします、時間は16時になろうとしています。
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 今回こちらで買ってきたお酒は「三笑」と「奥播磨」の2種類。
利き酒は出来ないので飲んでからの感想になりますが、その時が楽しみです。


帰りの高速もゆっくり走って名古屋到着は19:45。
走行距離は920㌔、燃料は100リッター弱、重量級の旧車にしてはよく頑張ってくれた燃費です。

それにしても帰りの高速も全く渋滞はなく、走っているのは物流のトラックばかり、定速走行が得意な彼らの車列加わり、とてつもなくストレスのない快適なドライブができました。
途中では追い越し車線を快調に走りっぱなしの車が何台か取り締まりに遭っていました。

御朱印が頂けなかった所は残念ですが次の課題として取っておきます。
これから写真も整理しないとね、それにしても久しぶりのロングドライブは疲れました。

今回の走行ルート

和泉國一之宮 『大島大社』​から今回の青春18切符大阪寺社巡りの最終訪問地に向かいます
電車内でかみさんに目的地を訪ねると世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の中心的な存在「仁徳天皇陵」へ行くらしい。
鳳駅から阪和線で最寄り駅「百舌鳥駅」までは3駅、時間にして10分少々。
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 「百舌鳥駅」から仁徳天皇陵は徒歩で5分も歩けば着いてしまう距離。
駅を降りると写真の様なマップが掲示され、世界遺産に登録されPRに余念がない。

子供の頃は仁徳天皇陵と教えられた気がするけれど、今は「大仙陵古墳」と言うべきなのかな?
修学旅行にでも行く来たかの様なワクワクした気分になる。

世界遺産に認定されたのは2019年の事、登録の対象範囲は大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがり、4世紀後半から5世紀後半の45件の49基が対象という。
その一つを訪れようとな、面白い!。
ただね、デカい(全長460㍍)と言う事は巨像に纏わり付く蟻の様なもの、全容を捉えるには無理がある。
なにせ世界一の墳墓。
しかも今は当時と違い墳丘全体は木々が生い茂り古墳の姿ははっきりしない。
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 遥か先に大仙公園と手前にこんもりとした里山が見えてきます。
周囲は柵で囲われ公園なのだろうか?
いえいえ、ここは既に古墳が密集するエリアに突入しています。
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 見えていたのは収塚(おさめづか)古墳
傍から見ると柵で囲われた小山そのもので、頂きに社を構える鎮守の杜の雰囲気が漂います。
まるで円墳の様に見えますが、前方後円墳。
解説板も整備され、そこに描かれたイラストで漸くそれを知ることになります。
5世紀頃に作られた全長60㍍を超える古墳、前方部分は削平され濠は埋められています。
なので円墳の様に見える訳です。
「陪塚」と呼ばれる小型の古墳、大型の古墳の周辺に親族や副葬品を埋葬したと云われています。
埋葬品は埴輪など出土しているようですが、主は分からないようです。
尚、ここから西には長塚古墳と呼ばれる前方後円墳もあります。
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 大仙古墳の案内板
古墳の密集地なのが良くわかります。古墳好きにはたまらない場所かもしれません。

大仙公園の中で目を引く白い像は百舌鳥耳原由来の像
像は仁徳天皇で傍らに鹿が寄り添っています。
日本書紀に「仁徳天皇がここへ御陵を造営の真っただ中、野から突然現れた鹿が作業域に走り込んできた。
鹿は何故かそのまま倒れ、引き裂かれた鹿の耳からモズが現れ飛び立った」
それが百舌鳥耳原の由来らしい。
百舌鳥は大阪府の鳥でもあるようです。
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 仁徳天皇陵拝所付近にレプリカが置かれています、当然ながら縮小されている訳ですが、これが作られた当時の姿を知るうえで一番分かり易い。
今は杜となっている墳丘も白く輝く丘のように高く長く聳えていた訳です。
海岸線が迫っていた頃には、船でこの地を訪れる者に、巨大なモニュメントとして国力を象徴する意味合いもあったとか。
こうして見ると宇宙船の様に見えなくもない、人工的なものが持つ美しさみたいなものを感じます。
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 仁徳天皇陵の周濠。
もとは3重の濠が取り囲み、外濠は江戸時代に一度埋められたようですが、明治に入り再び掘り返したようです。
二の濠の前に神明鳥居が建てられており、古墳は三の濠の更に先にあります。
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 仁徳天皇陵拝所。
私たちが立ち入ることのできるのはここまでです。
ここは厳粛な空気感が漂う特別な空間。
16代仁徳天皇が埋葬されているとされます。
応神天皇の第4皇子で、母は仲姫命。
民のかまどでも伝わるように仁政を施す統治を行った方。
かまどの煙が立ち上らない町を見て、税の徴収を免除しその間は天皇自らも宮殿の整備を見合わせるなど
目線は民衆に向けられていた。

桜を愛で、百舌鳥のように飛び立ち、忖度と袖の下に目のくらんだどこぞの方々、庶民のかまどの煙は見えてますかねェ、見るも見ないもサイコロ次第かナ。
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 陵の周囲は周遊路があり、周辺の陪塚を含め見て廻れるよう綺麗に整備されています。
一周するのに50分程かかるらしい、電車の都合で半周しかできませんでした。
上の写真で行くと、左下から時計回りに右下あたりまでは歩きました。
周遊路は坂もなく平坦なので周遊だけなら50分あれば廻ることはできそうです。
それにしても大きく、巨象の全容を見るには及ばない。
世界遺産となっただけに、ボランティアガイドの方々以外に一ひねりする事はありそうです。
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 朝日寺
古墳の北隣に位置し、山号は霊鵲山、日蓮宗のお寺で創建は1752年(宝暦2)とされる。
もとは大阪市森ノ宮付近に建立された朝日庵を起源とし、1931年にこの地に移転した寺。
入母屋瓦葺の二層の屋根と唐破風向拝を持つ。
伽藍全景、周遊路は寺の横の熊野街道を北東方向に続きます。
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 朝日寺の後方が銅亀山古墳。
百舌鳥古墳群の中では珍しい一辺が26㍍の方墳。
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この辺りに掲げられていた仁徳天皇陵解説板。
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 周遊路の歩道にはこうした距離や方向を示すシールが貼られ整備されていました。
世界遺産として多くの外国人観光客が訪れることを考えると、情報が欠けてしまう素材は残念。
マンホールのようになっていれば識別不能ということはないのでは。
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 上
丸保山古墳、前方後円墳。
天皇陵の北西の外濠に位置し、住宅街の中にあります。

国道310号線の先の小高い山も陪塚、永山古墳と呼ばれるようです。
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 天皇陵北からの眺め。左の小高く盛り上がった部分は茶山古墳と呼ばれる56㍍の円墳。
天皇陵を取り囲む濠の堤に古墳が作られるのは珍しいそうです。
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 大安寺山古墳
茶山古墳同様に堤の上に築かれた直径63㍍の円墳だそうです。
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 天皇陵の上といえばいいのか、下なのか、丸い部分にあたる国道310号線沿いは西高野街道。
高野山参拝​の為に整備された街道で傍らには「ミユキ御苑 仁徳天皇御陵参拝道」と刻まれた石標が立てられています。みゆきとは行幸を指します。

この石標から外濠沿いに周遊路は右に続き、塚廻古墳を経て来た道に戻る事になりますがここまでです。
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 道すがらの源右衛門山古墳。
駐車場の一画に残る直径34㍍の円墳で、源右衛門の名は江戸時代の所有者の名から付いたようです。

一帯は大小含め17基ほどの古墳が残る、全て見て行くと一日がかりかも知れません。
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 一泊二日の大阪寺社巡りもここで終わり、阪和線「三国ヶ丘」駅から帰途に着くことにします。
2019/12/27

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
住所 / ​大阪府堺市堺区大仙町7
公共交通機関アクセス / JR新大阪から​御堂筋線⇒阪和線利用⇒「三国ヶ丘」駅下車45分程

空に漂うもこ〃した雲から形も随分様変わりして鰯雲が見られるようになり
風もすっかり秋を感じるようになってきた
かみさんのリクエストもあり岐阜県の白鳥まで出かけてきました
目的は阿弥陀ヶ滝と茶屋のランチ、けいちゃん纏め買い、コストコによって帰るというかみさんのプランです
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名古屋を8:00に出て、下道で国道156号線をひた走る事2時間30程
白鳥町の「道の駅清流の里しろとり」到着が11:30
道の駅後方を流れる長良川の堤から下流の眺め
先ほど渡ってきた奥美濃大橋と国道158号線の高架、その下を清流長良川が流れる

若い頃はスキーや登山、ソロキャンプの渓流釣りに頻繁に訪れ、この風景は見慣れたものだけど当時はこの巨大な高架はなかった
国道沿いの街並みは懐かしい昔の面影が残り、流れには終盤を迎えた鮎を狙い釣り人で賑わっていました
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道の駅からしばらく北上し長良川鉄道の「白山長滝駅」
長良川鉄道の滅多に鳴らない踏切が鳴った
長瀧白山神社に車を停め、無人駅に入る「ながら1号」を撮ってみた
青い空に緑の山々、無人駅と赤い車両、長閑そのもの
いつか乗って見たいものです
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「白山中宮長龍寺」「長瀧白山神社」
「白山長滝駅」の前に鎮座する神仏習合の名残りを留める寺
霊峰白山を間近に聳え、美濃国側の中心となっていた
往時には七堂伽藍を持つ一大寺院だった、現在は衰退し坊跡の看板から当時を知る事が出来ます
現在は長滝白山神社が祭礼などメディアに取り上げられ知名度が高い、幾度も火災に遭いながらも復興し
今も地元から厚く崇拝されている神社です
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長良川沿いに国道158号線を遡り、昔の石徹白スキー場方向に続く県道314号線に入り高度を上げていきます
下を流れる前谷川、山郷の稲も黄金色に輝き刈り入れの時期が近づいています
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 やがて道は二手に分かれ、阿弥陀ヶ滝はここから左へ進みます
運が悪いとここまで戻り、右手の駐車場に停める事になります
ハイシーズンでもないので進んで見ました5
軽にはつらい上り坂を5分程登ると写真の様に茶屋が見えて来ます
車はここまで、トイレもここで最後です
ここはなぜ混むのか?
流しそうめん発祥の地とされる「あみだが滝山荘」を目指し訪れる方が多い
他府県からも訪れる程知られているようです、なので少ない駐車場はすぐに一杯となります
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目指す阿弥陀ヶ滝はここから徒歩で10分程登る事になります
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沢沿いに滝に続く入口があります
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入口に付けられた看板「平坦で登りやすい」そうです
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直ぐに自然石を組み上げた手水鉢、絶える事のない清水で清め先に進みます
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「平坦で登りやす」路です
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 やがて右手に阿弥陀堂が見えて来ます
ここで阿弥陀様に拝んでいきます
奈良時代初め、霊峰白山を開山した泰澄(たいちょう)は、女神の御告げで、この霊泉を長滝と名付け、霊場の一つとした
天文年間(1532~1555)、白山中宮長滝寺の僧侶道雅(どうが)はこの滝壺で護摩修行をしたところ、こつぜんと阿弥陀如来が現れた云われ、それ以来阿弥陀ヶ滝と呼ばれるようになったそうです
古来より白山登拝者が身を清めた滝で、葛飾北斎が「諸国滝巡り」の8図にも「木曽路の奥 阿弥陀ヶ滝」とし描いています
  
この右手の山裾には「虹を吐いて夏よせつけず滝の音」と刻まれた句碑と五陵滝?があります
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阿弥陀ヶ滝の案内板と熊出没注意
以前の白山山系は猿の印象が強かった、当時から熊もいた訳だけど10年近く徘徊して1度しかお目に掛らなかった
今や熊だけではなく、かもしか、いのしし、長い物・・・・・何がいても当然おかしくない
お互いに合いたくない?はずです
身近な場所でもクマ避けスプレーや鈴はお守りのつもりで持っているといいのかも知れない
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阿弥陀堂から先に進むと、岩壁から流れ落ちる滝が見えて来ます
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白山山系から湧き出た湧水が集まり、一本の沢となり岩壁から流れ落ちる、その落差は60㍍と云われ
「日本の滝100選」、「岐阜の名水50選」に選ばれているようです
纏まって流れ落ちる水も、やがてミストの様になり滝行には絶好なのかも知れません
岩肌の苔も緑が鮮やかす、眼にもいいスポット

滝壺の左脇を良く見ると、不動明王がこちらを睨んでいます
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滝を中心に180度が岩壁で至る所から地下水が湧き出ています
右手の岩壁にはポッカリと空洞ができています
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水のカーテンをくぐり内部に入ると、中には阿弥陀如来はじめ複数の石像が祀られています
そこから左に小道があり、滝裏までつながっていますが足元は苔が生し行かない方が賢明
明王の姿も随分と近くに見えてきます
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滝口
上流は行ったことが無いので分かりませんが、水量はさほどではないようです
緑に包まれた薄暗い滝と、空の青さが印象的
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 滝のしぶきを浴びながら佇む明王像

風向きにもよりますが、滝壺付近は何処にいてもそこそこ濡れます
滝壺の明王を拝んで下流に戻る事にします
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帰り道は滝の左に下り専用の道があるのでそちらから下って行きます
途中、沢の対岸から先程の阿弥陀堂を見下ろす事が出来、堂の右の句碑と五陵滝が一望できます
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道はやがて二手に分かれ、右手に行くと「元祖流しそうめん」に続き、左に進むと登り口に戻ります
自然あふれる空間に赤提灯とパトランプが妙に合わないような
真夏ならともかくそうめんはスルーしました
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入口の茶屋
郡上野菜とタイごはん」のお店「Thaicafe Tharat」で遅めの昼食
そもそもかみさんが滝に行きたかった最大の動機は、ここのグリーンカレーが食べたかったから
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阿弥陀ヶ滝の袂で夏季限定で営業しているタイカフェで、本格的なタイごはんと地元の野菜が食べられるお店、今年の営業も今月いっぱいで終わりのようです
かみさんが楽しみにしていた「グリーンカレー」はなく、「ガパオライスプレート」のみでしたが、スパイシーで美味しい、何より野菜がフレッシュで良かった
ボリュームのあるプレートは、にんにくの入ったナンプラーで味変を楽しみながら完食

ほぼ〃元祖流しそうめんに人が流れていきますが、こちらもなかなかのものです
個人的に流しそうめんもそそられますが、ぐるぐる周回するのは若干抵抗ありかな

さてとお腹も満足したので、来た道を戻りバロー白鳥店によって「いちまのけーちゃん」を纏め買いです
以前は釣りやキャンプのついでに荘川まで買い求めていましたが、ここバロー白鳥店でも手に入る事をかみさんが見つけ峠を超えずに買う事が出来ました
いちまのけーちゃん​は荘川の名産で、荘川の民宿に泊まると必ず出てくる我家のお気に入りです
けーちゃんの買い物も済ませ、高速に乗って最終目的地の岐阜羽島のコストコに向かいます

名神の名古屋方向の合流は相変わらず、無秩序に流れが滞っています
それに反し大阪方向はガラガラです
諦めの悪い人はいるもので、分岐直前から東方向に割り込む者もいて大阪方向のスムーズな合流の妨げになっています、皆さん並んでいるのに

岐阜羽島方向へは至って順調に到着、かみさん「予定より早いのでコストコへ行く前に近くの寺に寄っていこう」との事、やってきたのは曹洞宗真如山大雲院本覚寺
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 名鉄竹鼻線沿いの小さなお寺、本堂の天井に描かれた「雲龍の絵天井」は岐阜県の重要文化財に指定されています
天井板一杯に鏡が描かれ、そこを埋め尽くすように極彩色の雲龍が描かれています
1850年(嘉永3)に描かれた天井絵は濃尾地震で本堂が倒壊したものの、1914年(大正4)に原画をもとに修復され今に至ります
薄暗い本堂の天井から訪れる者を睨んでいます
おやじが「天井絵が見たい」とずっと言っていたので探してくれた様です
ありがたや〃

それではコストコに行きましょう
という事で5分程で岐阜羽島のコストコ到着、店内は常滑と比較して若干小さい感じです
レイアウトは常滑に慣れていると多少勝手の違いを感じます
ひと回りして、サーモン、マンゴー、ピザ、4本でお買得のワイン、チーズを買い求める
いつ来ても果たしてお得なのだろうか?と思う、単価にしても安いのだろうがパッケージの大きさは・・・・・
マンゴーがごろごろ入って1,000円やワイン4本などはおやじの感覚でも安いと思います
かみさん曰く「コストコはレジャー」だそうな

羽島のコストコを見て回り、目的のものを買い求めて帰路に付く
・・・・・とその前にコストコでガソリン満タンにしておこう
軽じゃありがたみは無いけれどガソリンが安いのはおやじでも分かるぞ
目一杯注ぎ込んで帰路に着く、高速の渋滞は気持ちも穏やかではいられない
下道で名古屋に向かう事にしました、到着予定時間は19:10、高速利用と10分しか変わらないようです
2019/09/20

「白山中宮長龍寺」「長瀧白山神社」
住所 / ​岐阜県郡上市白鳥町長滝

阿弥陀ヶ滝、Thaicafe Tharat
住所 / ​岐阜県郡上市白鳥町前谷

本覚寺
住所 / ​岐阜県羽島市竹鼻町2434-1

かみさんの一之宮巡りの機会に恵まれ、軽自動車で名古屋から少し離れた静岡県を訪れました
長閑な田舎風景、緑豊かな山々を眺めながら「韮山反射炉」へとやってきました

2015年(平成27)「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されましたが、韮山反射炉はそこに含まれる一つ
一度は訪れたい場所でしたが、世界遺産に登録された事で訪れる方は多いだろうと思っていました
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韮山ガイダンスセンターから見た韮山反射炉、以外な事に大きな駐車場は空き見学者もまばら
芝生の緑と背後の山々の緑の中にシンボリックなレンガ造りの煙突が建つ
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実物を見るのは夫婦共に初めて
思い描いていた煙突の大きさと実物では多少ギャップはあるものの
背景の中に聳える煙突は存在感がある
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反射炉へはこのガイダンスセンターで入場券を買い求め、センター内で反射炉の建造を必要とした時代背景や構造、ここから製造されたもの等を展示品やCGで軽く説明を受けます
CG終了後ボランティアガイドに導かれ反射炉へ
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韮山反射炉全景
炉の数は4基、其々に煙突がありますが、見る角度によりお化け煙突の様に数が減っていきます
入口からだと2本
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炉体から煙突部分先端までの高さは15.7m
反射炉の炉体は伊豆石と呼ばれる凝灰岩を積み上げ、内部は耐火煉瓦で覆われていて
煙突部は耐火煉瓦を積み上げたものだそうな
重厚でシックな外観は想像していたものより意外に小さく感じましたが、間近から見上げると迫力があります
個人的に煙突の外部の鉄の格子(トラス)に強い印象を持っていましたが、これは幾度かの補修工事に伴い
追加された構造体
1908年(明治41)の初回補修時にこの特徴的な格子はなかったそうで、1957年(昭和32)の補修時に崩落防止の目的で追加されたもの
外観はオリジナルから少し変わってかもしれないですが、地震を想定するとやむを得ない事でしょう
個人的に、遠景からみる反射炉にこの格子は見た目でも重要なアクセントになっている気がします
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炉体
反射炉は金属(銑鉄)を溶かす炉
石炭などを燃やした熱源を効率良く金属に集中(反射)させるために内部はドーム状なっています
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炉体下部の「焚所風入口、灰穴」
燃焼させるためには十分な酸素が必要、ここは上部にある「焚所(燃焼室)」へ自然送風するための空気取り入れ口
物を燃やせば灰が出ます、ここは上部で燃やした石炭の灰を下に落す場所でもあります
ここで出る煙が煙突から吐き出されます、4本の煙突からもくもくと煙りが吐き出されていたのでしょう

余談
近所に昔ながらの薪炊きの風呂を持つ家があり、煙突からは「風呂焚いてるぞ」と狼煙があがっていたものです、そこから出た灰は近隣の畑の土壌を潤してくれていました
住環境が変わりマンションが林立し、新たな住民の通報から何度か消防車もやってきました
やがては狼煙もあがらなくなり昔の情景も消えてしまった
今どきは庭でスモークや庭木を燃やすだけで消防車が飛んでくる
キャンプ場でも焚火が制限される時代・・・・・焚きたい
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出湯口
解けた鉄はここから流れ出ます
手前の赤い砂利の部分は鋳台と呼ばれる窪んだ空間がありました、現在は埋められていますが
ここで鋳型に流し込まれ成形され、解けた鉄は形を現します
海から訪れる黒船、幕末の激変する時代に必要とされた「物」に形を変えていきます
それは大砲であったり、弾丸であったりしました
御存知の「お台場」はここから作られた大砲を置く砲台が設けられた事から付いたとものです
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反射炉
溶解炉を2基備えたものが2基、4基の溶解炉は同時に稼働させることができ
一つの炉の溶解量は最大2.6トンの能力を誇った様です

4本煙突(3本の絵を撮ったはずだったが)
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施設内ではボランティアガイドの方が案内してくれます

鋳型から取り出された「大砲」はそのままでは使えません、なぜなら弾が飛び出す砲身の部分は穴が開いていません
砲身を削り穴を開ける必要があります、それに不可欠なのが動力源
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反射炉の近くに流れる韮山古川、ここの水が動力源となります
水は水車を回し水車は回転するエネルギーに置き換え、先端に付けられた刃でくり抜いていく「鑽開」という工程を経ます
現在の旋盤からは考えられない時間を要する工程だったでしょう、そうして砲身がくり抜かれた大砲は
鍛冶屋や仕上げ小屋で最終加工され大砲となっていきます
韮山反射炉は武器製造施設
施設の傍らの小池は「鑽開」の形跡を留めています

そもそも反射炉建造発端は、1853年(嘉永6)のペリー来航に始まります
幕府が外国の脅威を実感する出来事に対し、当時の江戸湾海防の責任者江川英龍に江戸湾台場(砲台)
築造と大砲製造拠点となる反射炉建造を命じます、1853年の事です
当初、下田を建造予定地としていたそうですが、ペリー艦隊の水兵が建造地に侵入した事例から
機密性の観点から建造地を韮山に変更されたようです

1855年(安政2)江川英龍は他界、その任は息子の江川英敏に継がれます
当時の佐賀藩の支援を得るなどして、着工から3年半を要した建造は1857年(安政4)に完成します
建造に携わった英龍とその家族が住んだ「江川邸」は今も保存され、韮山古川の対岸に現存し見学する事も出来ます(ドラマのロケ地として使われる趣のある建物です)
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こうした反射炉は山口県萩市にも残っていますが、当時のままの炉体と煙突が残り、実際に稼働したものは「韮山反射炉」だけで、幕府直営反射炉として役割を終えるまでに大砲が鋳造されました
上、青銅製29ドイムモルチール
下、鋳鉄製24ポンドカノン砲
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韮山古川の対岸にある江川英龍の像、完成した炉の姿を自ら見る事は出来ませんでしたが
自身の手がけた炉を背景に建っています
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像から南の茶畑の高台にある反射炉富士山展望台へ向かい富士を眺めます
当然上り坂です
坂の途中の崖に石段があり、その先に祠を見つけ伺いました
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急な石段の先に祠にはニコッと笑って打ち出の小槌持つ大黒天が祀られていました
これは参拝しないわけにはいかない
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大黒様に御挨拶している間にもかみさんは展望台を目指す
坂を上る事数分で目の前に茶畑が広がります
そこから振り返ると・・・・・
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目の前には世界遺産「富士山」をバックに世界遺産「韮山反射炉」の競演
・・・・・のはずなんだが、二人とも富士には昔から縁がないようで今日も富士はお休み
持っている方には下の様な光景を見る事が出来るはずです

『韮山反射炉』
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産23カ所のうちの1つとして
世界文化遺産に登録されました
韮山反射炉ガイダンスセンター(韮山反射炉)
住所 / 静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268
アクセス / ​新東名長泉沼津IC⇒道の駅伊豆の村経由⇒韮山反射炉までは車で約40分

2019/06/21

以下パンフレットと四季折々の反射炉の絵が印刷されたチケット(おやじは桜の時期の反射炉)
無題1

無題2

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