尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

カテゴリ: 街並

岐阜県下呂市金山町
 国道41号線沿いの往古の宿場町、車では通り過ぎる機会は多いが立ち寄った事のない町だった。
6月29日、普通電車で下呂を訪れる際、金山町で途中下車して「筋骨巡り」をしてきました。
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多治見から乗り継いで飛騨金山駅へ。
 この町を境に美濃路と飛騨路の分岐になる様で大きな看板が掲げられています。
写真は白川方向のホームの眺め。
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駅舎軒下にツバメの巣がかけられ、長閑な田舎の駅の趣がある。
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駅前の観光案内図。
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金山町で見かけたマンホール。
 シンボルは岩屋ダムとそれにより出来たダム湖「東仙峡金山湖」、下は町花「ささゆり」が描かれていた。
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駅から県道438号線を西に5分程、飛騨川に架かる金山橋に出る。
 ここから上流を眺めると右が飛騨川、左に馬瀬川が流れを一つにする。
どちらもアユの友釣りで知られる川ですが、平日のせいか、水量が少ない事もあるのか釣師の姿は見られなかった。
 マンホールに描かれている岩屋ダムは左の馬瀬川の上流になります。
目指す筋骨巡りは橋を越えた先の交差点を左に曲がります。
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交差点の左右の通りは飛騨街道、江戸時代は宿場町として賑わったところ。
 写真は交差点を左に曲がり、水路に架かる石橋を越えた先の街道光景。
両脇は軒を連ねた建物が続き、今も当時の面影が残る。

筋骨(きんこつ)とはなんぞや?
 飛騨地方の呼び名で、写真の様に軒を連ねる街並みの所々に狭い路地があり、それを進むと迷路のように水路沿いや住居の下、民家の勝手口の前を横切るなどして町内を結ぶ公道のこと。
 
 この日乗り換えで立ち寄った多治見駅では気温は35℃を越えていたが、水路沿いに続く筋骨を歩いていると、そんな陽気とはかけ離れ、風がとても心地良かったのを覚えている。
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写真は地元の方が教えてくれた一押しポイント「東清水」
 場所は交差点を左に折れ石橋を渡り、左側の民家とうなぎ屋さんの間にある路地を下りたところ。
狭い路地は石段が整備され下に続き、その先に水場が作られている。

 上に見える通りは飛騨街道。
水は町内を流れる水路の水や湧水が導かれ、澄んだ水は常に流れている。
 とても冷たく友釣りで使う親アユ入れられた友船が沈められていた。
仕事を終え、ここから親アユを持ち出し夕涼みがてら飛騨川で友釣りを楽しむのだろう。
 町中を流れる水路は流石に三面をコンクリートで作られているが、都会とは違い上は蓋で塞がれてはおらず、綺麗な流れが目にも涼やかで水が動いているので蚊もいない。
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水場は二層に区切られ、それぞれ用途が決められている。
 壁面には用途を示すルールが記されている。
郡上や琵琶湖など水が豊かな地方で見られる水舟同様、自然の恵みを利用した共同施設。
 必然的に社も祀られ、水場の清掃も共同作業だろう、町から移り住むとパスは出来ないコミュニケーションの一つだろう。
これが都会にあったとしたら、どんな使われ方をするのやら……
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こうした水路沿いに細い路地が続く。
 場所によっては写真の様に水路や路地の上を配管やガス配管が宙を伸び、川床の様に建物が建てられている。
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水路の上に建物が建ち、床下は水が流れる、これだけでも随分涼しいだろう。
 増水時や冬季はどうなんだろう。
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ここは完全に建物の下をくぐり通り抜ける、気が引けるようような路地が続く。
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ここにも水場が。
 ちょっとした物を洗うには水に不自由はないよね。
……これが温泉だったらどんなに幸せだろうか。
 下呂の川湯も水着着用とかの時期を経て、今では足湯になってしまった。
後立山の某温泉はどうなっただろう、行きたいところだ。
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柯柄八幡神社。
 金山町内を抜け国道41号線の「十王坂」交差点を直進した右側に、朱色の両部鳥居が印象に残るこの地区の氏神様「柯柄八幡神社」が鎮座する。
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社頭の由緒書き
 祭神は八幡大神 : 応神天皇
相殿 白山大神 : 菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、
 相殿 柯柄天神 : 菅原道真
由緒
 「901年(縁起年間)、この地の氏神として八幡大菩薩、白山大権現が祀られていた。
1411年(応永18)飛騨の乱がおき、飛騨の國氏姉小路伊綱を誅伐するため訪れた源高員がこの地で一泊、源氏の守護神八幡大神と自らの氏神柯柄天神を勧請し戦勝祈願をしたのが始まりのようだ。
 平定後の帰途、高員は八幡大神と柯柄天神、白山大神の三神を守護神として祀る様に言い残し鎌倉に戻っていったという。
後に荏柄天神を合祀し「柯柄八幡神社」に改められ、1961年銀幣社となる。
祭杞 例祭4月」
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境内社には柯柄稲荷神社、古峯神社、津島神社、庚申塔がある。
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入母屋瓦葺の拝殿の内側の壁面4面に百人一首の奉納額が掲げられ、一部の額には安政(1854~1860年)の
頃奉納された額も見られ、古くからこの地の住民から崇敬されているのがよく分かる。
 拝殿後方の深い杜からウグイスの鳴き声が静かな境内にも聞こえてくる。
強烈な陽射しながら湿度は低くく木陰に入れば居心地のいいこと。

柯柄八幡神社
創建 / 901年(縁起年間)
祭神 / 応神天皇、菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、菅原道真
境内社 / 柯柄稲荷神社、古峯神社、津島神社、庚申様
所在地 / 下呂市金山町金山字神戸平2490
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柯柄八幡神社を参拝し再び国道41号線「十王坂」交差点を直進、その先の二股を左に進む。
 やがて右手に黒豆大福の幟が見えてきます。
餅倖(もちこう)。
 どうもかみさんは最初からここの黒豆大福に魅かれていた様で、躊躇うことなく飛び込んで行った。
小さな店舗なので日陰で待っていると、現れたかみさんの表情が冴えない。
 手ぶらで出てくるかと思えば手にしていたのは「パイナップル大福」だった。
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聞くとお目当ての黒豆大福は売り切れ、2番候補の生クリームどら焼きは当日おはぎを作っていたので作っていない。
 落胆ぶりを見て「パイナパイナなら冷凍の在庫があるので破格で販売するよ」との事でそれを二つ買ってきた。
これがこの日の陽気には絶好で、少し冷凍が緩んだところで食べて見ると、甘みと酸味、そしてなにより冷たい食感がなによりうれしかった。

餅倖
☎ / 0576-32-2228
所在地 / 岐阜県下呂市金山町金山1935

そろそろ金山駅に向かい下呂を目指す。
 金山橋に向かう途中で藤倉元禄地蔵尊(グーグルマップ上の呼称)の横を通りかかる。
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飛騨川右岸沿いの山肌に二つの祠と複数の石仏が祀られていた。
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祠には「魚観音」とあり、祠の中には魚に縁にある店の名が連なっていた。
 中には石の観音像が安置されていたが詳細を調べて見たがよく分からなかった。
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斜面にもこうした観音像が複数祀られている。
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左側の祠には二体の石仏が安置されていた。
 右手の立像は地蔵菩薩?、左の座像は観音像だろうか。
こちらの祠にも銘板はあり、魚の文字以外読み取れない。
 少なくとも「藤倉元禄地蔵尊」?とは読めない、周辺の石仏がそれを指すものか分からない。
云えるのは一部の石仏に年月の経過を感じさせるものもあったくらいか。
 ここではグーグル先生を尊重し「藤倉元禄地蔵尊」としておこう。

今回歩いたルートを落として見ましたが筋骨巡りのルートはマップでは表せていません。
こちら

今回散策した筋骨巡りは飛騨金山駅に散策マップが置かれているので、そちらを持参する事をお勧めします。
 電車の都合であまり見て廻れなかったが、酒蔵や史跡、蛍石の旧採掘場などもあり、町の方や日陰で涼む猫たちもフレンドリーでマップ片手に歩いていると色々声をかけてくれます。
金山町、面白そうなところです。

知多市岡田中谷「街並み保存通り」
この日は佐布里池の梅を見に、名鉄河和線八幡新田から名鉄常滑線長浦駅間を歩いて訪れていた。
「街並み保存通り」は名鉄常滑線長浦駅からだと30分程東に位置し、県道252号線の一本南にあたる。
県道252号線「登り」交差点から「太郎坊」の間の僅か500㍍に満たない距離ですが、車の往来も少なく落ち着いた古い街並みが続く通りだ。

過去は岡田村で、田畑の多い地域で農家の副収入として木綿の機織りが発達した地域。
特に江戸時代から昭和中頃にかけては、全国有数の木綿生産量を誇り「知多木綿」として知られ、生産に携わる女工達も多く集まったという。
その中心地として繁栄したのが岡田の街。
往時は木綿工場や商店、劇場なども軒を連ねたと云う。
やがて時代の流れと共に衰退するも、古い町並みにはなまこ壁の蔵や懐かしい様式の建物が保存され往時の名残を感じられる。
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 範丈亭
岡田の街並みの東外れに位置する、古民家をリノベし街並みにマッチするよう配慮された食事処。
OKDクラフトビールが味わえる。
ベルギービールに似て果実を加え醸造されたもの、歩いた人へのご褒美の一杯。
所在地 / ​知多市岡田中谷4
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「登り」交差点の西側に細い道筋が続く「街並み保存通り」の入口と云ってもいいか。
木綿で栄えた往時を伝えるなまこ壁の蔵。
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女工達が織った木綿はこうした蔵に保存され出荷を待ったのだろう。
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なまこ壁
この蔵は1920年頃に造られたもの。
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蔵の向かいに佇む石仏。
左の弥勒菩薩像は風化も進み表情が消えてしまった、年代は古そうだ。
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手織りの里「木綿蔵 ちた」
明治後期に建てられたもので、登録有形文化財に指定される建造物。
現在は製品の販売や機織の体験の場となっている。
所在地 / ​知多市岡田字中谷9
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街並みを意識した街路灯。
普段は見上げる事もない街路灯、チョットした意匠で存在感のあるものに変わる。
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知多岡田簡易郵便局
子供の頃、我が町にもこんな感じの郵便局があった、それも後に取り壊されて味気ない四角いコンクリートの箱に変わった。
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登録有形文化財で解説は以下
「1899年(明治32)横須賀郵便会所の集配区の郵便受取所として民家から始まった。
1901年(明治34)岡田郵便局に改称。
1902年(明治35)郵便局現在地に新築。
町は木綿工場で栄え、局は女工さんたちが給与の送金・手紙のやりとりで故郷とつなぐ役割を持っていた。
1964年(昭和30)知多郵便局に改称。
1975年(昭和41)他所へ移転、閉鎖。
1993年(平成5)知多岡田簡易郵便局として復活」

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日本「最古級」の郵便局舎としてPRし現在も現役。
最古級かぁ、そこに拘らなくても岡田の街並みと局舎があって価値がある。
所在地 / ​知多市岡田中谷8
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竹之内資郎邸の木綿蔵と長屋門(左)。

「竹之内家は江戸時代から知多木綿の買継問屋の鑑札を受け江戸を中心に問屋業をしていた。
一番古い蔵は天明年間(1781~1789)に建てられたもの。
長屋門は江戸末期から、二層屋根で門番の覗き窓や従業員の住まいになっていた」
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中谷屋敷秋葉社。
「村の言い伝えによれば江戸時代中期に大火があり、岡田の中心部が被災しました。これに懲りた村人が火の神として崇められた秋葉山信仰を盛んにし、享保14年(1729)の笹根屋敷に始まり、17屋敷にこのような祠堂を建て、今も守り継がれている」

現在も当時のまま残っているという。
秋葉社巡りだけでも面白そうだが、岡田の町には他にも古くからの寺社や堂などが残っている。
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岡田街並保存会による解説。
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中谷屋敷秋葉社全景。
他の秋葉社は見ていないが、身近な道沿いに火の神が祀られている姿は、集落に住むうえで禍から護ってもらう大切な存在なのだ。
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竹之内資郎邸の木綿蔵と中谷屋敷秋葉社
所在地 / ​知多市岡田中谷54
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竹之内資郎邸西側から秋葉神社方向の道筋。

通りは白壁に黒の板塀の建物が残り、少しだけ過去にタイムスリップした落ち着いた光景が見られる。
岡田に住むOB曰く「道は細くて田舎〃」とよく言っていたが、都会の雑踏に包まれ生活する者から見ると羨ましい環境だと感じる。
見知らぬおじさんとおばさんに「こんにちは」と声をかけてくれる子供たち、そんな町だ。
町は人をも育むものかもしれない。

岡田「街並み保存通り」
名鉄常滑線長浦駅から徒歩ルート / ​東へ30分程
岡田景観ガイドマップ
関連記事 / ​知多市「愛知用水神社、愛知用水水利観音」

以前掲載した半田市亀崎町「秋葉社」からの続きです。
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秋葉社を後に仲間通り方向に向かいます。
写真は鳥居前を横切る細い生活道路、亀崎の奥まったところは「せこ道」と呼ばれるこうした細い道が細血管の様に伸びている。
車?、車体を擦る覚悟と人の飛び出しに恐れながら突っ込む事は出来るかもしれない、一方通行も進入禁止などの規制看板も無いようですが、それは必要ないからだと思います。
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亀崎の町のメインストリート仲間通りから秋葉社が鎮座する小高い丘を眺める。
ここまで下りると、ここから海のある左には高い所はなく平坦な土地が続きます。
亀崎町には古くから亀崎潮干祭が受け継がれ、ユネスコ無形文化財に指定されています。
毎年5月、町内の各組が受け継いできた5両の山車が、干潮の海辺まで曳き回されそうだ。
仲間通りにはその日の出番を待つ山車を保管する保管庫が点在しています。

写真は神楽車の保管庫、現在の神楽車は1837年(天保8)のもので、古い山車は元禄~享保年間(1688~1736)に造られたという。普段は扉が閉ざされ実車が見れないのは残念だ。
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こちらは力神車の保管庫、中に保管されている力神車は1826年(文政9)に造られたものだそうだ。
このほかに青龍、宮本、花王などの山車の保管庫がある。
せこ道にこの保管庫を作れないわねぇ、せこ道に車で立ち入る冒険はやめた方がいい。
そのおかげで民家が立ち並ぶ「せこ道」を歩いていてもとても静か、車の騒音からも解放され、玄関先で子供達が遊んでいても安心して見ていられる。
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仲間通りを東へ道なり進み、亀崎町のほぼ中央に位置する場所に地域のお地蔵さん「半七地蔵」が安置されてています。
各家庭の外壁に祀り管理する鬼門地蔵に対し、こうした地域で世話をする地蔵地蔵もある、そうしたお堂は、せこ道や仲間通り沿いなどの公共の道に建てられているようです。
それも片隅に追いやられ建てられているとかでなく、井戸の傍であったり、道路を塞ぐように建てられていたりする。
地蔵信仰が厚いのだろうか、一帯で見かける石像の大半はお地蔵さんが多く安置されている。
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仲町地蔵。
先の半七地蔵同様に仲町地蔵も地域の地蔵。
里地蔵、半七地蔵、中町地蔵など地区管理の地蔵もあれば、個人宅の鬼門封じとして祀られた鬼門地蔵など、普段の生活とお地蔵様は身近に関わりあっている。
それだけに鬼門地蔵を訪れる際はモラルを守らないといけない。
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旧師崎街道に沿って北東方向に伸びる通りの光景。
黒壁の家屋が残る光景には街道の名残が漂い、一歩中に踏み入ると漁師町の風情が漂っている。
老舗の料亭や古民家を改装したカフェなどがある。
そうした町並みも、建て替え時期を迎えた家もあり、町の表情は少しずつ変わりつつある。

それと共に鬼門地蔵の数も減少しているようで、やがては姿を消してしまうのかな。
歴史ある山車や祭りを受け継いできた亀崎の町、そんなことはないだろう。

写真は仲間通りから神前神社方向の眺め。

関連記事 / ​東光寺​、​秋葉社
秋葉社から力神車保管庫までは​5分程

稲置街道 「旧堀部邸と不明社」からの続きになります。
おやじの燃料計は警告灯が点滅している、いよいよおやじ待望の本町通。
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ここまで歩いて来た稲置街道は本町通り中ほどから一本東を平行し北上、新合瀬川を渡り木曽川方向へ続いていきますが、ここは街道は置いといて燃料補給のため直進。
それまでの通りとはうって変わって人通りが多くなります。
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本町通り
1㌖に満たない通りですが、地域の活性化を目的として情緒ある犬山城下を再現したもの。
沿道には食欲をそそる店や土産店、古くから続く酒蔵など軒を連ね、人が集中するところでもある。
時期が卒業シーズンだったこともあり、若い衆が多い。
普通なら卒業旅行に海外や遠方へ・・・・・と行きたいところだろうがこんな世の中ではそうもいかん。
記録に残る時代に節目を迎えたことを前向きに捉えるしかない。
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老い呆け来ず地蔵(元気地蔵)
縁起には
「おぼこ地蔵といけず地蔵、ふたつあわせて「老い呆け来ず」
二体の像は人の内面の善と不善を表し、頭にはちまきを結び「元気長生き、縁結び、安産、この成長」を祈願しています」
とあり、左がおぼこ地蔵で右がいけず地蔵で、詩画書作家の城たいが氏の作で京都市役所前のゼスト広場に設置されているという地蔵の原像だそうな。
所在地 / 犬山市西古券62
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どんでん館
犬山祭りで使用される車山の実物や衣装が展示され、名称の「どんでん」とは犬山祭の車山が城下町の辻で180度方向転換する様から「どんでん」と事から名付けられているらしい。
犬山祭(毎年4月、第一土日開催)では13輌の車山(やま)が曳かれ、ユネスコ無形文化遺産に登録されていて、どんでん館にはそのうちの4輌が展示されているという。(入館は有料)
所在地 / 犬山市犬山東古券62
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犬山牛太郎
飛騨牛にぎりのお店、どこに行っても「牛の握り」と聞くと引き付けられる。
列に並んで手にするだけに尚更おいしく感じるか。
所在地 / 犬山市犬山東古券70
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森のマルシェ
多様な店舗が入っていて何を食べるか迷うスポット。
間口は狭く、うなぎの寝床の様で奥にテーブル席のある広場がある。
ここの二階はウッドデッキのオープンテラスになっていて、十分な間隔を保ってテーブル席があり、解放感満載の中で美味しいお酒が味わえる。
所在地 / 犬山市犬山西古券21-2
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さあ、ここまで歩いてきたご褒美だ、燃料補給といこう。
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壽俵屋 犬山庵 
醤油おこげ串にかみさんが捕まる、串にやきおりぎりと守口漬けがサンド、チビ太のおでんのように見える。上の焼おにぎりは必ずハート形ではないらしい、ハート型は当たりらしい。
おこげと守口漬が相性がいいのを初めて知った、おいしい。
所在地 / 犬山市犬山西古券15
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犬山ローレライ麦酒 
食べ歩きしながら再びこちらで燃料補給。
左はローレライ麦酒「スタウト」、右が地元の酒小弓鶴の上撰。
みりんのような不思議な味わいだった、もれなく黒豆付きなのがうれしい。
犬山市大字羽黒字成海郷70番地にある小弓鶴酒造の犬山ローレライ麦酒館ではビアホールもあり、予めRVパークを予約しておけば帰りの心配は不要、腰を据えてじっくり味わえる。
丸の内店所在地 / 犬山市犬山北古券7-5 
犬山ローレライ麦酒館 /  犬山市大字羽黒字成海郷70番地
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「本町通り」の街並みも間もなく終わり、正面に犬山城も近づいてきました。

2021/03/09
関連記事 / ​犬山市南古券『旧堀部住宅と不明社』  ​名鉄小牧線沿線 春を探しに25,000歩

東海道笠寺一里塚
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名鉄名古屋本線本笠寺駅から​笠寺観音​の山門を左に見ながら、旧東海道を東へ15分程歩いて行きます
道は緩やかに下りとなります 
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 街道の面影が残る道の先に、見事な枝振りの1本の大木が見えて来ます

左が今歩いて来た笠寺観音方向、右手は笠寺公園方向へ続く交差点の角に先ほどの大木が聳えています
街並みの中に聳える1本の大木はとても存在感があります
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旧東海道の目印となっていた笠寺一里塚です
小高く盛られた塚の上を覆う様に根が張っています
この大木の正体はエノキ、随分遠くからでも見えるはずです
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一里塚の前の解説板、このエノキの役割が記されています
江戸日本橋を起点に京まで続く東海道の約4㌔(1里)毎にこうした塚が作られ、旅人の目印となる木が植えられたそうです、その数124、ここは88里の一里塚になります
当初は路を隔てた南側にも塚があり、そこにはムクの木が植えられ、その二つの塚が一つの一里塚として対をなし、大正の頃までは残っていたようです
南側が無くなったきっかけは分かりませんが、市内に残るものとして笠寺一里塚だけの様です

県内では残存する一里塚は、愛知県豊橋市東細谷(71里)、愛知県岡崎市大平町大平(80里)、愛知県知立市来迎寺町(84里)、愛知県豊明市阿野町(86里)と笠寺一里塚の5ヶ所
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 空を覆い尽くす様に伸びる枝は、支柱で支えなければ樹形を保てない程の枝振りです
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 この榎は都市景観保存樹に指定され、根は塚を鷲摑みするかの如く大きく張っています
自然の力強さが伝わってきます
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一里塚から笠寺観音のある西側の眺め
多宝塔の屋根と宝珠が辛うじて確認できます、一里塚の榎や特徴のある建物は、旅人の重要な道標
マンションや住宅が建ち、景観は変わっていきますが、今でもこの一里塚は目立つ存在です
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一里塚から北の見晴台考古資料館のある笠寺公園方向の眺め、この高低差が笠寺の台地を示しています

ここまで下って来たので帰り路は登らずに・・・・・携帯に聞いてみよう
便利になったものです
2019/07/25

旧東海道笠寺一里塚
住所 / 名古屋市南区白雲町
アクセス / ​名鉄名古屋本線「本笠寺」駅から東へ徒歩15分

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