尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

カテゴリ: 史跡

2023/5/11~12。
車中泊で群馬県、埼玉県の一之宮を訪れた際、この地に立ち寄った。
群馬県の県庁所在地で、利根川が作った扇状地の前橋台地に位置し、広大(18.50㌶)な前橋公園内には臨江閣があり、前橋東照宮も徒歩圏内。1
「楽歩堂前橋公園」は市内最初の公園として明治38年(1905)に日露戦役の記念を兼ねて建設された市内最初の公園。
すぐ西を利根川が流れ、遠く、榛名山・浅間山・妙義山の山並みが望め解放感がある。2
無料の楽歩堂前橋公園駐車場に車を停め、臨江閣に向かってみた。
この日は陽ざしが強く、広くて開放的なのはいいが、木陰が少ない公園かも知れない。
3
公園東に隣接する臨江閣、公園と接する形で門があり、日本庭園を経て臨江閣の見学が出来ます。
趣のある門は恰も正門の様に見えますが、建物の東側に正門を構えています。
車で訪れる事を考えると、無料駐車場のあるこちらを正門と呼んでもいいかもしれません。
4
手入れの行き届いた庭園内には二つの池があり、臨江閣本館、別館、茶室の国指定重要文化財三棟が建っています。
この時期は花が乏しく、瓢箪池の藤棚は既に咲き終えたあとだった。
5
門を入った左に庭園と池を見渡せる東屋。
6
この辺りから見る日本庭園。
7
臨江閣の建物は本館と別館、茶室の三棟で、写真は別館になります。
木造瓦葺の入母屋造の二階建てで、この地で開催された一府十四県連合共進会に合わせ、明治42年~43年にかけて作られ、貴賓館として使われたという。
近代日本の道を歩み始めた頃の和風建築で、構成する三棟の建物は重要文化財に指定されています。8
庭園左から正面に別館、左に本館を眺める。9
茶室。
本館の北側にあり、庭園の北外れに位置します。
…茶室と云われても、戸が占められた外観からその趣は感じられなかった。
寄棟瓦葺の茶室と左の入母屋瓦葺の茶室からなり、明治17年(1884)に本館建設にあたり、有志並びに県庁職員の募金を原資に建設され、市に寄付されたと言われています。10
臨江閣茶室(畊堂庵)
「群馬県令・楫取素彦が寄付を募り建設されたもの。
創建当初は席名はなく、平成20年(2008)の改修を機に楫取素彦の号名「畊堂」から畊堂庵と命名された。」
11
畊堂庵から右手に進み臨江閣の正面に回り込む。
本館
入母屋瓦葺きの二階建ての建物で明治17年(1884)に建てられた木造二階建、入母屋瓦葺の建物で別館とは渡廊下で繋がっています。
県令楫取素彦の提言から初代前橋市長の下村善太郎を始め、地元有志や銀行等の寄付で迎賓館として建設され、明治時代には明治天皇や大正皇太子などの皇族が滞在された。
昭和20年~29年までは戦災で焼失した市庁舎の仮庁舎として使われ、 その後の昭和56年まで市の公民館、結婚式などに利用、平成19年(2007)まで公民館別館として利用されたという。
12.1
車寄せの唐屋根の下には臨江閣の額が入る。
12
別館正面の眺め、棟には鯱が飾られている。
内部は無料で見学ができ、ボランティア?ガイドの方々がお出迎えしてくれる。
13
14
車寄せの透彫りは葉の形から菊だろうか。
15
内部の見学はしなかったが、1階に六十畳の西洋間1室、日本間が7室あるようで、2階には舞台を含めると180畳の大広間1室があり、金箔張りの襖や趣向を凝らした建具が見どころだという。
共進会閉会後は、前橋市に引き渡され、近県にまれな大公会堂として利用されてきました。
16
臨江閣正面入り口から別館の全景。
木造二階建てとあったが、二階の天井はかなりが高そうです。

明治末期に建てられた臨江閣外観の趣には、袴姿の女性が良く似合いそうだ。

臨江閣
拝観時間 / 午前9時から午後5時
拝観料 / 無料
休館日 / 毎週月曜日
※イベント等の開催時は拝観できない場合もあるようです。
所在地 / ​群馬県前橋市大手町3-15-3
訪問日 / 2023/05/11
関連記事 / 
・​車中泊で巡る「上野国一之宮と父父夫國総鎮守」#1
・​貫前神社末社「日枝神社、二十二末社、伊勢内宮・外宮」
・​群馬県富岡市鎮座「上野國一之宮 貫前神社 」

6/14~6/24
かみさん姉妹二人でスペイン旅行に出かけた。
留守番親爺にすればこの間にどこかに出かけるか、とも期待していたが、家庭菜園の水やりだの息子の食事やらなんやら、結局何処にも出かける事は出来なかった。
no title
22:30 成田空港発
1
6/15✈04:10 ドバイ国際空港着
day1 https://goo.gl/maps/qADcbQ1GAovkik887
00
6/15 08:15 ドバイ国際空港発 
6/15 13:25 バルセロナ エルプラット空港着
day2 https://goo.gl/maps/P9TVtvBqbybWbVDs8
4
バルセロナ市街のほほ中央にある公園。
市内を一望でき手前の建物は守衛小屋と呼ばれるガウディ―設計によるもの。
この町はガウディ―が作った町といってもいいのだろう。
3
El Dracと呼ばれるモザイクタイルで作られたドラゴン。
5
1.1
サン・パウ病院。
リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーの設計により1902年~1930年にかけて建築された病院で2009年まで使われて来た。
5.1
サグラタファミリア。
ガウディ(1852~1926)が手掛け、1882年の着工以来今もまだ建設工事が進んでいる。
5.2
受難のファザード。
予約して内部見学が出来るが、その予約は大変だったようで、塔の展望施設まで見学で見学が出来るが、行きはエレベーター、帰りは螺旋階段をひたすら下る事になる。
5.3
内部天井。
5.4
森をイメージした支柱が無数に立ち並び、森に咲く花のように細かな意匠が施され、宇宙をイメージさせるものがある。
day2~4 https://goo.gl/maps/gdc5BYpx7UcvWYqo6
6
カタルーニャ広場駅からR4号線に乗りサンサドルニ・ダ・ノイアで降車、日本でも気軽に手に入るCAVA、そのワイナリーがこちら。
https://goo.gl/maps/yoisgrQpJSWVb2QB9
6.15
ワイナリーツアーでは、東京から横浜までの距離に相当する地下の貯蔵庫をトロッコで巡るツアーがあり、インディージョーンズの一場面のような体験が出来る。
6.1
6.2
6.3
ツアーの後は製品の試飲ができる。
6.4
良く冷えて美味そう。
ツアーのプランは色々あるようで食事付きのツアーで事前予約したらしい。
この日一日はワイナリー見学に充てており、たらふく味わって来たようだ。
https://goo.gl/maps/y3FGbcndWyfwChba8
8
滞在三日目はバルセロナ観光。
カサ・ミラ、カサ・バトリョ、カタルーニャ音楽堂などを巡ったようです。
このカサ・ミラは、1906年~1910年にかけてガウディ―により設計された実業家の邸宅。
8.1
現在は博物館と3世代に家賃を値上げしないアパートになっている。
8.3
外部・内部ともに直線を用いたデザインは見当たらない。
8.2
ガウディ―はこの地から望む山々の姿をイメージして設計したされる。
屋上からはバルセロナのシンボルサグラタファミリアが望める、というか市内どこからでも視界に入ってくるらしい。
8.4
屋上のデザインも曲線が用いられ、タイルで装飾され独特の世界観がある。
窓に付けられた鉄の窓枠やテラスの手摺など、建築当時のものが使われ、メンテナンスする職人もいる世界遺産のアパート。
築年数が古くなれば「古い・汚い」として資産価値がなくなり、同じような建物ばかり建てられる日本の文化では、あり得ない。
9.1
カタルーニャ音楽堂。
1905年~1908年にかけてリュイス・ドメネク・イ・モンタネールにより作られた音楽堂。
7
写真は大ホール。
外壁、内壁共に彫刻やタイル、ステンドグラスで装飾され、19世紀~20世紀初頭のアール・ヌーヴォー様式建物。
11.3
バルセロネータビーチとホテル「W バルセロナ」…展望露天風呂はない。
11.2
コロンブスの塔。
1888年に建てられたもので写真からは分からないが、約60メートルの高さがある。
https://goo.gl/maps/e6kVFLM8wgqDGh8T6
10:45 バルセロナ エルプラット空港発
2
滞在五日目はエルプラット空港から飛行機でグラナダ空港へ。
12:20 グラナダ空港着
グラナダで一泊し、グラナダ大聖堂、アルハンブラ宮殿などグラナダ観光。
9
グラナダ大聖堂。
グラナダにある大聖堂で16世紀~17世紀にかけてモスク跡地に建造されもの。
ゴシック様式とルネサンス様式が混在する荘厳な建造物。
10
アルハンブラ宮殿。
イベリア半島南部にあたり、13世紀~15世紀末ごろ存在したイスラム王朝の要塞都市。
イスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世により建築に着手、1492年、スペイン帝国に征服された。
イスラム建築様式の中に様々な建築様式か混在する。
10.1
スペインの主要な観光施設の中で、アルハンブラ宮殿の見学チケット(QR)は特に予約が埋まるのが早く、
かみさんの話によれば数月前に予約しておかないと入手が難しいらしい。
10.2
手水鉢と狛犬…ではなくて、これはライオンらしい。
10.3
パティオ。
10.4
細かく入場時間が管理され、なかなかスッと見て廻れないらしい。
左、二姉妹の間
右、諸王の間
何れにしても首が疲れるところだが、現地の係員が上を見上げなくとも自撮りにすればいいと教えてくれたという。
かみさんは何を言われているか分からんかったらしいが、オーストラリアに永住する妹と一緒なので言葉には困らなかったらしい。
また、各観光地には世界各国の言語による音声案内が利用できるが、中国や韓国の言語選択はあっても日本語はない、これが今の日本の立ち位置。

18:35 グラナダ空港発
https://goo.gl/maps/k8LFGHaZ9ZBZXbuHA

20:05 バルセロナ エルプラット空港着
11.1
滞在七日目は再びバルセロナに戻り、ビズベ橋やバルセロナ大聖堂など市内観光。
写真はレイアール広場のガス灯。
1879年、若かりしガウディが初めて手掛けたもの。
11
サン・フェリペ・ネリ教会。
1721年〜1752年に建設されたバロック様式の教会で入口壁面の凹凸は装飾ではなく、1938年に起きたスペイン内戦時に教会に降り注がれた弾丸や爆弾によるもの。

スペイン滞在もこの日が最後、明日はゆっくり朝食をとり、空港に向かう。
6.5
6.6
6.7
6.8
6.9
7.1
7.2
姉妹が滞在中に食べたものの一部。
これら何れもカードか、電子マネーがあれば現金は全く不要。
小さな雑貨屋などでの一部にこれらに対応していない店もあるらしいが、ほゞ現金を持ち歩かなくても決済が可能。

https://goo.gl/maps/h2ZpJ94AUrXEasww6
滞在八日目 15:30 バルセロナ エルプラット空港発000
日付も変わり00:15 ドバイ国際空港着。
00000
02:40 ドバイ国際空港発
0000
17:35 成田空港着。


かみさん曰く、
1.ビールと水はたいして価格差がなく、カラッとした暑さなのでビールが美味しく、テラスでは朝からガンガン飲んでいて、おやじには天国かも知れないとのこと。
2.現地で犬を散歩しているが、リード無しで飼い主の足元から離れる事無く、立ち止まれば足元でお座りして待つなど、日本の御犬様とは違いトレーニングが行き届いている。
3.円の価値が低く、なんでも値段が高い。
4.日本人観光客は少なく、遠めに日本人と思える観光客は韓国、中国人ばかり。
5.ドバイとスペインの空路は1時間遅れが当たり前。
6.眠る事を知らぬドバイやスペインの空港と比較すると成田もセントレアも超寂れた空港。
7.とにかく遠い。

…サグラタファミリアが完成したらもう一度見に行ってもいいかも…とか。
現地で沢山撮ってきた写真も纏める気はないようですが、アルハンブラ宮殿とサグラタファミリアは余程印象に強く残ったようだ。

岐阜県瑞浪市陶(すえ)町、この町は猿爪、水上、大川と三つの地区に分かれており、陶町の字が示すように陶磁器産業が盛んな地域。
今回はここ大川地区にある大きな狛犬と茶壷を掲載します。
1
国道363号線と国道419号の交わる瑞浪市陶町大川付近の光景。
4月中旬のこの辺りは、山々に芽吹き始めた淡い緑と山桜が入り混じり、春を迎えた山里の光景を見せていました。
写真前方が瀬戸方向に続く国道363号線になります。
「世界一の美濃焼狛犬」は二つの国道が交わる三叉路に安置されています。
2
国道419号線沿いに鎮座する八王子神社の近くに「こま犬駐車場」があるのでそちらを利用します。
3
八王子神社の社頭を通り過ぎ、世界一の狛犬がいる三叉路向かいます。
この神社には瑞浪市有形文化財の「大川美濃焼狛犬郡」があり、社頭の狛犬も陶製狛犬で、まさに狛犬の群れが集まっています。
4
三叉路の角にある巨大な美濃焼の狛犬。
この巨大狛犬が焼かれたきっかけは、平成元年(1989)に瑞浪市と高浜市が姉妹都市として提携した事に始まるようです。
瑞浪市政35周年を記念し、国道419号線の起点と終点にあたる瑞浪市と高浜市の交流を深める目的から故郷創生資金を財源に平成2年(1990)に焼かれたもの。
写真に収めてしまうと大きさは伝わりませんが、名古屋方面から国道363号線を走ってくると、この姿が否応なく視界に飛び込んでくる。
5

6
「世界一のこま犬」の入口付近は八王寺神社の境内に続く脇参道で、その参道脇にも表情豊かな狛犬達が安置されています。
7
「世界一のこま犬」の入口に立つ狛犬。
ボリューム感のある毛並みが表現されたスタイリッシュな狛犬。
8
世界一のこま犬は瑞浪と大川、高浜の土をブレンドして作られ、制作延べ日数183日、延べ人員1000人が携わり、約12日間をかけて焼かれたもの。
この狛犬を焼いた窯は、三叉路から国道363号線を少し入った左側に県内最大の六連房式の登り窯と云われる陶与左衛門窯で焼かれました。
※六連房式の登り窯の規模の表記は一部に国内最大とありますがマップにある県内最大を引用しています。
9
狛犬の前後には焚口も残されています。
地元住民の協力によって作られたこま犬は、ギネスに『世界一大きいこま犬』として認定されています。
覆屋に安置されている狛犬は、阿形・吽形共に高さ約3.3㍍もある。
10
正面から見る狛犬。
この狛犬のデザインは室町時代文明7年(1475)に開窯された大川窯の4代目羽柴与左衛門景度の美濃焼狛犬をモデルとして作られたそうです。
大川の地には東窯と西窯の二つの窯があり、東窯だけでも40基はあったそうです。
11
背筋を伸ばし遠くを見据える二体の大きな狛犬は年末・年始にはライトアップが施されるそうで、街明かりの少ない山間にこの狛犬が浮かび上がるようです。
12
三叉路から国道363号線を恵那、瑞浪方向へ直進した右側にある「世界一の茶つぼ」
こちらも覆屋に覆われ、その下に高さ5.4㍍、直径が4㍍のギネスに認定された茶壷が安置されています。
13
狛犬から100㍍程東の斜面にあり、平成11年(1999)に製作日数365日、12,000人が作成に携わり、13日間をかけ焼かれた「豊穣の壷」。
14
瑞浪市の陶町に点在する古窯のひとつ大川窯の陶工の茶壷をモデルにして制作されており、地元総出で製作に関わり形となった茶壷は、関わった人たちにとって、自分やその子供にも誇れるモニュメントとして残っていく。
この下を走る国道363号線の向かいに6連房式登り窯があります。
15
国道脇には「中馬街道」の道標と後方に見えるのが「大川馬頭観音」
大正十年(1921)に彫られた馬頭観音は街道の安全を守護するとともに、瀬戸と明智を結ぶ中馬街道の道標も兼ねています。
16
豊穣の壺あたりから西方向の三叉路を眺める。

世界一の美濃焼狛犬、豊穣の壺
所在地 / ​岐阜県瑞浪市陶町大川
2023/04/11

26日~30日まで、旧国鉄中央線廃線の愛岐トンネル群の片道1.7㌔を散策に出かける。
新緑の時期を迎え、涼しいトンネル群とトンネル出口に広がる瑞々しい新緑がとても眩しく、清々しい気分を味わうことが出来ました。
no title
JR中央線定光寺駅。
その昔は土岐川沿いの観光旅館や定光寺の紅葉を愛でに訪れる乗降客で賑わったこの駅も、旅館の廃業や移動手段の様変わりもあり、今では土岐川沿いの崖っぷちに建つ秘境駅の趣に変ってしまったようです。
そんな秘境駅も春と秋の年二回は乗降客で賑わいを見せます。
普段は閉じられているトンネルの門が開放され、愛岐トンネル群(3~6号トンネル)を徒歩で通り抜けることが出来ます。
但し、料金100円が必要になりますが、涼を求めつつ、途中の野外演奏や展示物を見ながら、往復3.4㌔散策でき、トンネル群整備に充当されると思えば安いレジャーです。
1
新緑を迎えた土岐川、今日は陽気も良く、盛んにウグイスの鳴き声が聞こえてきます。
2
駅を降りて土岐川沿いを上流に向かう事数分、トンネル群の入口が見えてきます。
春日井市と岐阜県多治見市間にある旧国鉄中央線の廃線跡で国登録文化財「愛岐トンネル群」に指定されており、この入口のレンガ発見からトンネル群の記憶が呼び起こされた。
3
1900年の開通当時のまま残されたトンネル群は全14のトンネルがあり、その内の3~6号トンネル1.7キロが開放されています。
写真は最初の3号トンネル(玉野第三隧道)、こちらでボランティアの方に料金を手渡しいざ散策開始。
3つのトンネルには、其々間接照明や蒸気機関車の効果音が流されるなど演出が施され、小さい子供達が恐怖感を感じる事無く散策できるように配慮されていますが、足元は石がゴロ〃なので子供にはライトを与えた方がいいかも。
4
赤レンガ造りのトンネル内はこうして明りが灯され、規則正しく積まれたレンガが浮き立って見えます。
5
薄暗いトンネルから抜ける時が樹々の緑が外光に照らされ一番綺麗に見える瞬間。
6
廃線跡には多くのもみじが自生し、秋の紅葉は真赤に染まります。
写真は4号トンネル出口に聳える県下最大の大もみじ。
7.5
5号トンネル出口のSL(C57)の動輪。
後方に自転車がありペダルをこぐとこの動輪が回る仕掛けがあり、動輪一回転させると5.5㍍進んだことになります。
ここはお子様に受けるかもしれないな。
7
愛岐トンネル全体図。
明治33年(1900)国鉄中央(西線)として名古屋から多治見間が開通し、昭和41年(1966)に廃線となるまで日本の近代化から高度成長期を支えてきましたが。
その後はその存在自体忘れ去られ、平成17年(2005)に古老の記憶をもとにトンネルの探索が行われ藪の中に埋もれたトンネル群を発見、保全・解放されるまでになったもの。
トンネル以外にも遺構が多数残り、明治の香り漂う構造物を見られます。
また周囲の自然も廃線後手つかずのままにされていたので、豊かな自然が残されています。
8
6号トンネル出口、目印は正面に生える1本の椿。
9
ここから先は整備が進まず、現状はここから来た道を戻る事になります。
10
5号トンネルまで戻り、ここから左手の川沿いの道を進み暗渠を見学に向かいます。
道には案内板や解説もあり整備が行き届いています。
ただ、崖沿いに手摺や柵はないので子供や高齢者の方は要注意です。
11
川沿いから暗渠内の眺め。
入口から注ぐ外光が暗渠内を照らし、幻想的な雰囲気を見せています。
12.5
暗渠内は直ぐに行き止まり、そこから上を見上げると鮮やかな新緑が。
12
駅へ戻る土岐川(庄内川)沿いの道筋は、廃線散策路を上に見上げながらの帰り道になりますが、川も近くなることから爽快感も得られる。
廃線散策路には新緑の山々を背景に大きな鯉が泳いでいました。

高額の料金を支払う管理されたものと違い、安全は自己管理が問われます。
散策路には飲料等売店が開かれていますが、食事は弁当持参をお勧めします。
公開時間 午前9時半~午後3 時(入場は2時半まで)
雨天は中止となります。
所在地 / 春日井市玉野町
アクセス公共交通機関のみ / ​JR中央線定光寺駅から徒歩3分​。
2023/04/28
詳細は愛岐トンネル群保存再生委員会の​HP​を

前回掲載した桑名市住吉町の住吉神社。
風の吹きすさぶ揖斐川堤を2~3分程下流に進む、右側に大きな鳥居と櫓が見えてくればそこが七里の渡し跡。
00
昔は東海道41番目の宮宿から七里の渡しを利用し、海路で伊勢に向かうと最初に上陸するのが桑名の七里の渡し跡。
海が荒れ、渡れない時には陸路佐屋街道を歩いて42番目の桑名宿へ向かう手もあるが、自分なら安宿でちびちび飲んだくれ渡れる時を待つんだろう。
no title

広重が描いた絵にも伊勢国一之鳥居とも呼ばれた大きな神明鳥居が描かれ、正に伊勢路の玄関口としてのランドマーク的存在。
天明年間(1781〜1789)に建てられたこの鳥居、お伊勢さんの遷宮に合わせ、宇治橋の鳥居を移築し建替られていたという。

帆を大きく膨らませた舟は続々とこの地を目指し、桑名宿は人や物が集まる物流の拠点として賑わいを見せた。
1
七里の渡し跡全景。
後方に見えている櫓は蟠龍櫓と呼ばれ、七里の渡しに入る船の監視する建物。
現在の櫓は平成15年(2003)に水門の管理棟として往時の外観を再現した水門統合管理所として一般に公開されています。
3
渡し跡に建つ鳥居と常夜灯。
7
渡しの内側。
広い空間は伊勢の入国管理や渡航料の徴収など行われたのだろう。
6
渡し跡の解説板。
ここには伊勢参宮名所図会の挿絵と渡しの説明が書かれている。
渡し周辺には舟番所や高札場、脇本陣や問屋、宿など連なり賑わっていた様子が描かれています。
渡しで繋がれた東海道はここから再び陸路となり南に伸びていきます。
5
渡し跡に建つ一基の常夜灯。
竿には安政3年(1856)と刻まれています。
本来の常夜灯は天保4年(1833)寄進のものが建っていたそうです、しかし伊勢湾台風で倒壊し、代替として多度大社から上部のみ移されたものがこの常夜灯。
二基一対とは限らないが、ひょっとすれば多度大社に一基だけの常夜灯があるやもしれない。
4
渡し跡の西に東海道の道標。
ここから東海道が直角に曲がり、矢印の先は蟠龍櫓、西に進むと宿場へ続く。
8
蟠龍櫓(水門統合管理所)。
一帯は整備された桑名城三の丸公園、多くの桜が植えられ花の時期は賑わうだろう。
園内には嘗て網の目のように入り混じった木曽三川と治水の歴史を物語る解説が掲げられている。
この整備された歩道や蟠龍櫓も揖斐川改修に伴う堤防整備の際に合わせて作られたもの。
一階の管理所で一帯に設けられた三つの水門(住吉、川口、三之丸)の開閉を一括操作し高潮などに供えている。
二階は観光用として歴史資料や蟠龍櫓の謂れでもある蟠龍瓦の展示物を無料で開放しています。

桑名城には元禄時代の大火の後再建された段階で51の櫓があったと云う。
その中でもこの蟠龍櫓は、東海道を行き交う者が必ず目にするもので桑名のシンボルでもあったそうです。
蟠龍とは天に飛び立つ直前のうずくまった姿勢の龍を指し、航海の守護として据えられたとされます。
二階に上がり東の窓から覗くと、揖斐川を見据えた龍の瓦が見られます。
2
嘗ては旅人で賑わい、宿や食事処が軒を連ねた伊勢の入口も、今は姿を変え道筋だけがその名残を感じさせます。
0000
今日のように風が吹きすさぶ日に舟は出たのだろうか?
宿で蛤を肴に一杯やるのが一番かも。

七里の渡し跡と蟠龍櫓(水門統合管理所)

所在地 / ​桑名市船馬町
訪問日 / 2022/12/14
住吉神社から徒歩 / ​揖斐川堤防を下流へ徒歩2・3分程
関連記事 / 
・​北桑名総社 北桑名神社
・​桑名市住吉町「住吉神社」
・​子供の頃の記憶を訪ねて

↑このページのトップヘ