尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:名古屋

2019/3/30
足踏みしていた桜も随分と咲き始め
 今にも雨が降りそうな鉛色の空の下
桜を目当てに出かけてみました 
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名古屋市瑞穂区の​眞好天神社​境内の桜
境内も淡いピンクに染まり始めました
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まだ〃見頃には早いかな
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名古屋市南区大同町にある​大同神明社
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緑の杜と淡いピンクの桜、華やかになってきた
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名古屋市南区呼続の​冨部神社
4月7日には観桜祭が催され
pm3時から神事・雅楽奉納演奏、am11時からpm3時マルシェや茶会のイベントがあるようです

瑞穂区大喜町
太古のこの地は西に海辺が迫り、東の瑞穂台地の麓に当たる場所

田光八幡社から西方向へ歩き、2本目の細い路地を左折します
細い路地を5分程歩いた左側に秋月院は鎮座します
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秋月院山門から本堂全景
本堂はコンクリートの高床の上に建てられています
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弓頭山秋月院
宗派 / 曹洞宗

近代的な本堂の造りに比べ、木造瓦葺きの山門は浮いた印象を与えます
歴史は古く「尾張名所図解」に記述も残り、創建は1598年(慶長3)と伝わります
織田信秀の家来で小豆坂七本槍の一人と数えられた「中野又兵衛尉重吉」の妻で、「今川氏豊」の娘により開基されたと云われます
寺号は妻の法名「秋月院殿花顔桂秀大姉」を寺号とし、山号は又兵衛が弓衆を統率する立場だったことから付けられたといわれます
元は熱田神宮の東の田島に創建され1938年(昭和13)この地に移転したもの
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山門左に碑が並びます

左の碑は「秋月院」の「へその緒」を祀ったもので、1596~1615年(慶長年間)に建立されたと伝わり、秋月院では最古の碑とされるものです
右が「子安地蔵」地蔵自体は結構な年月を重ねているように見えます
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山門扉に金色に輝く五七の桐紋
この寺紋の由緒、調べて見たが分からなかった、今川家の家紋でもありますが
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山門扁額の崩し字、達筆すぎて読めない
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シンプルな彫飾りの虹梁と軒下の母垂木の木組みも美しい
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山門の石段の先が寺務所になるようです
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寺務所扁額・・・・・崩し字検索サイトもヒットしない、お寺に教えを乞う事にしよう
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本堂右の水かけ龍上観音菩薩
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龍をあしらった鉢の上に水が満たされ、観音様が祀られています

三十三の姿に変え、慈悲と知恵により人々を災いや煩悩から救う観音菩薩、悪運を断ち幸運を招くと云われる龍神、両者が一体となった「龍上観音菩薩」です
石の色が示すように建立は新しく、2017年に寄付されたもの
山門横の「秋月院」の「へその緒」の碑と子安地蔵、以前はこの場所に祀られていたようです
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入母屋の本堂全景
近年改修された新しいもの、この位置から屋根を眺めると入口に向け流れる様は綺麗なものです
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本堂に掲げられる山号扁額
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本尊 / 愛敬薬師瑠璃光如来、 脇仏 文殊菩薩、普賢菩薩、十二神衆等 (本尊は弘法大師作と伝えられる秘仏)
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イベントや体験教室等、新しい取組を行っているお寺です、一度参加してみる事にします

秋月院
住所 / 名古屋市瑞穂区大喜町1-28
℡ / 052-881-9541
アクセス / ​市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場西」から田光八幡社経由で徒歩20分程​    

今日もまた、とても暖かい一日

 今年初めて車のエアコンを使う事に

じっくり見たい桜もこのままでは行けなさそうだナ

 それにしても咲きだすと早い事

通りがかりの桜を手当たり次第に写真に収めてきました
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昭和区​川原神社
 鳥居右、唯一の桜は六分咲き
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あれ?境内に桜があった記憶だが・・・・・
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南区笠寺小学校内の星崎城址
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学校沿いの桜も見頃を迎えています
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笠覆寺(笠寺観音)​仁王門
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桜のトンネルの先に本堂が見えます
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仁王門前の水面は桜も終盤になると一面ピンクに染まります
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昭和区​香積院
個性的な丸門の先には樹齢100年を超える枝垂れ桜が咲き誇っています
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丸い額に収められた桜の絵とでも言いますか
 今年も綺麗に咲いてくれました
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夕陽に赤く染まる枝垂れ桜と丸門
 一本枝垂れ桜が香積院に彩を与えています

個人的な主観ですが
 神社仏閣と桜の組み合わせ、日本を象徴する美だと思います



地下鉄大須観音駅で下車
 若者の街と化した大須を過ぎて若宮大通に出る
そこから西に向かって堀川方向に歩いていきます
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人通りは少なくなり、やがて堀川手前の「新洲崎橋東」交差点が遠目に見えてきます
 洲崎神社は交差点の北側に鎮座します
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西隣はビル、後方はマンション
 現在はさほど広いとは言えない境内
名古屋城築城以前は現在の栄1丁目全域を社地とし、落葉樹の生い茂る広大な境内だったようです
 しかし名古屋城築城と堀川掘削を期に縮小の一途を辿ったのでしょう
往時の名残を残す樹齢を重ねた大きな木の先には鳥居と拝殿が見えています
 洲崎神社の西隣に隣接する赤い鳥居は石神神社
栄とは思えない静かな境内は、都会のオアシスとも思えるような空間を提供しています
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境内入口の社号標、奥に手水舎が写り込んでいます
 さほど大きくない境内ですが、見所が詰め込まれています
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洲崎神社の西に隣接する石神神社、赤い鳥居に道祖神の扁額が掲げられています
1912年(明治45)に洲崎神社に合併、石神神社の社号標は境内に建てられています

 入口付近の史跡案内板
今では想像できないかもしれませんが、昔は神社の前に天王崎港があり船着き場でした
 江戸時代、7代尾張藩主の德川宗春の意により領地の繁栄を願い行われた船祭(洲崎天王祭)は、当時の東照宮時代祭と並ぶ二大祭の一つに数えられたと云われましたが、宗春の隠居とともに船行列は廃止
 1888年(明治21)頃には船祭も行なわれなくななりました
この地は城址でもあり、神社の遺跡、屋敷の跡地でもある歴史のある場所の様です
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この地を語る古文書、慶長から現在まで多くの古文書が洲崎文庫と呼ばれ残されていると云われ、その一部が
 ここに掲示されています
石上神社鳥居付近の石標、七福七貧・・・・・そだね
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洲崎神社鳥居前に掲げられた案内板と由緒書き
 洲崎神社の社名は、その昔は広井天王、牛頭天王社と呼ばれ、その昔この地が入り江で洲崎になっていた事から由来すると云われています
この近くの堀川には​御船手役所跡​の史跡も残ります
 埋め立てで海岸線も後退、今では高速が目の前を通りイメージ出来ませんね
犬
鳥居手前で高速を見上げる様に佇む狛犬
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境内右の手水舎、絶える事無く注がれる静水は苔生した手水鉢へ注がれる
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手水舎の奥、左が稲荷社、右が秋葉社燈籠
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手水舎の向かいに石神社の社号標と伊勢神宮遥拝所石標
道祖神
石神神社境内で見かけた道祖神、永年の風化によって丸みを帯び表情は分かりません
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石標の先には三霊神社遺跡の碑(上段左)と住吉社・船玉社(上段右)
 秋葉社・稲荷社、泰産社・弥五郎社、俤(おもかげ)社・大物主大神 (下段)
干支の置物が祀られていますが、洲崎神社では全ての干支にお目に架かれます
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二の鳥居前から拝殿へ
 鳥居右に縁結びの神「絆」と書かれ眼をひきます
猿田彦大神と天鈿女命を祭神とし、縁結びに御利益があるパワースポット
 良きパートナーを求める方、願をかけてみては如何でしょうか
願い事を書いた輪を道祖串に通し、短い縄で結ぶもの、沢山あるが願いは叶ったかな
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境内右にある社務所と拝殿右の白龍龍寿大神へ続く参道
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参道脇の干支の置物
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参道脇の干支・・・・・・干支
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拝殿の両脇にも干支、干支
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拝殿右にある石神様
 手前の小さな鳥居、その下にある神橋?を潜って洲崎道祖神参拝するそうな
交通安全に御利益があるそうですが、腹這いになっても無理!
 鳥居には道祖神の小さな扁額も付いています
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拝殿左の英霊社と・・・・・干支
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干支に見守られ参拝を済ませ内部を一枚、鏡が見えます
 こちらの平安末期、鎌倉末期に作られた和鏡は名古屋市指定文化財に指定されていますが
その他に古鏡40面、絵画、工芸、武器、武具、洲崎文庫含めた古書等多くの文化財を保存されるそうです
 宝物殿がある訳でもなく、どこかで公開していると嬉しいのだが
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拝殿右に続く参道から白龍龍寿神社へ、鳥居の先は薄暗い事になってる
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白龍龍寿神社は商売繁昌、家内隆昌に御利益があるそうです
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内部は龍ではなく至る所、蛇、蛇だらけ、苦手な奴が一杯
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薄暗い拝殿、とぐろを巻いてこちらを見ている 

御朱印
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洲崎神社
創建 / 859-877年(貞観年間)
主祭神 / 素戔嗚尊、石神
境内 / 末社
     白龍社、英霊社、泰産社・弥五郎社相殿、泰産社・弥五郎社相殿、
     秋葉社・稲荷社相殿、住吉社・船玉社相殿
住所 / 名古屋市中区栄一丁目31番25番地
アクセス / ​地下鉄鶴舞線「大須観音駅」下車。徒歩約10分

源兵衛町源兵衛公園、何やらすごいネーミング
 それにつられて名古屋市南区を訪れました

目的地は須佐之男社
 名鉄常滑線「柴田」で下車、20分程歩いただろうか
源兵衛公園に到着、公園の南側に隣接する様に玉垣で囲われた杜が現れます
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神社の西側には紅白の梅の花が咲き誇り彩を与えていました
 写真奥が源兵衛公園ですが、公園内、神社内は子供達の遊び場になっています
自分も子供の頃に身近に神社があり、陽が傾くまで遊んだなァ
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西側にある鳥居、二の鳥居まで見えます
 早速境内へ
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一の鳥居を過ぎた右に手水舎と手水鉢、水は僅かに注がれていました
 左には社務所兼集会所?でしょうか
本殿の側面も正面に見えています、拝殿はこの先の左に回されるのかナ?
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二の鳥居から一の鳥居を眺める力石と石標が祀られている
 境内が広がると共に南側に・・・あれ?別の鳥居が見えてくる
南側に回り込み仕切り直し
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南側からの眺め、鳥居とその先に拝殿、やっと見慣れた風景になりました
 背後には天白川の堤防が迫っています、海抜はゼロ
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鳥居左の石標には由緒が刻まれています 
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右の社号標は村社「須佐之男社」とありますが、古い社号標には「村社式外須佐之男神社」と彫られ残っています
 社号標の右奥が手水舎になります 
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色白のかえるくんがお出迎えです
 水は絶え間なく注がれ、澄んでいて気持ちがいいよね
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境内左の銀杏の古木
 社創建の際の記念樹として植樹され、現在もその姿を留めています
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鳥居から拝殿を臨む
 拝殿前で優しい表情で見守る狛犬です
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参拝前に拝殿右から鳥居方向を眺めてみました
 どっしりとした鬼瓦と破風飾りも誂われた拝殿の先には堤防が見えています
外見に対し拝殿内は飾りっ気のない質素な印象を与えます

須佐之男社
由緒
九州大友家の家来で知多郡大高町の山口源兵衛は1706年(宝永3)、堀川の材木庄大山屋二代目の神戸文左衛門より資金融資を受け干潟に築堤、新田を作りそこに天王社を祀ったのが始まりとされます
約300年の歴史を綴ります

源兵衛町の由来はここから来ていると思われます
源兵衛の新田は今では住宅地に変貌しコンクリート堤防で守られ面影は感じられません 
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幣殿と本殿、夕陽を浴び、装飾飾りが黄金色に輝いています
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拝殿左には二つに分かれる参道
 左は西側の鳥居へ、右参道は境内末社へとつながります
末社は左が伊勢皇大神宮、右は秋葉神社
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拝殿右側参道先の境内末社「水天宮」
 
 小さいながら神社伽藍も形になっています
源兵衛が作った新田、その氏神に見守られ、源兵衛公園では子供達の戯れる声が聞こえてきます
 いい情景だと思います
 

須佐之男社
 
御祭神 / 須佐之男命
創建 / 1706年
境内末社
 伊勢皇大神宮・御祭神・天照大神 / 秋葉神社・御祭神・迦具土の神
 水天宮・御祭神・天御中主之神
住所 / 名古屋市南区源兵衛町5丁目-1385
アクセス / 名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約20分

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