尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

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守山区瀬古東の『小社』
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 矢田川堤の右岸を下流に向かい進む。
矢田川に架かる下街道の三階橋を超え徒歩5分程歩きます。
堤から見る矢田川河川敷は若い緑が鮮やかで、流れもとても穏やかな表情をしている。
風も心地よく絶好の散歩日和。
堤の右手の法面の下にこんもりと茂った森は高牟神社の杜、石山寺も目と鼻の先です。
今回の目的地は高牟神社の手前の矢田川右岸堤防の法面に鎮座する小さな社。
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 矢田川堤から上流の眺め、右手の橋が三階橋。
堤は結構車の往来があり、遊歩道の感覚で歩いているとまずい。

目的地の社は上の写真の左、法面の途中に桜?が植えられ、社はその樹の下に鎮座しています。
堤から小さな階段があり法面に北側に降りれるようになっています。
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 法面の中ほどから社の眺め。
板宮造りの小さな社、台座は手作りかもしれない。
しっかりと高く積み上げその上に社が祀られている。
こういう手のかかったものはいいもんです、そこに住む人と社の結び付きの強さの様なものを感じます。
何でも金で片付けなくたって、やれることはあるはずです。
守山の天王社の赤もどう見てもDIYです、プロの仕事なら台座に塗装は付かないはず。
どこの社も周辺に塗装が付着しています。見た目がどうこう言う方もあるでしょうが、個人的にこうした護られ方の社にとても魅かれる。
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お供えの榊も新しく、まめに社の面倒を見てくれる方、或いは神社当番なんてのが残っているのかもしれない。
恐らくはこの北側の瀬古東の方々でしょう。
この社について詳細は不明、神札も見ることができないので社名すらわかりません。
いつからここに祀られているのか、現在は瀬古東ですが、現在の町割り以前の話かもしれません。
石山寺あたりで伺うと社名くらいは分かるのかもしれません。
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 矢田川の堤の下から堤の先の矢田川に睨みを利かせるように佇む社。
その姿は、水の災い除けに祀られのではないかと勝手に想像したくなる。
断固としてこの町に災いを及ぼすことはまかりならぬ、そんな雰囲気で見えぬ川面を見据えている。

守山区瀬古東の小社
創建 / 創建不明
祭神 /   不明
住所 / ​名古屋市守山区瀬古東1-1202

名古屋市守山区幸心「天王社」
JR中央線「新守山」駅から北に徒歩15分の位置にあたり、JRのアンダーパスを超え西へ。
小さな用水路沿いを右へ進みます。宝勝寺西天王社から徒歩だと北に30分程の場所になります。

因みにこのまま西に進んで国道19号線を越えた右手に酒蔵(東春酒造)があり、酒蔵と水屋造も見ることができます。
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用水路沿いに歩き出すとすぐに道は写真の様な三叉路になります。
守山区幸心「天王社」の天王社は別れ道の中央の角地に鎮座しています。
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船の舳先の様な敷地に南を向いて祀られる天王社。
覆屋こそないものの、シンボルカラーで塗装された社は、守山で良く見かける天王社の路線です。
この先の庄内川も間近です。
いつ頃からこの立地なのか遡ってみました。
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上段左が大正時代、右が昭和初期、下はほぼ現在でマーカーが天王社。
大正時代は用水路の西は一面の水田、そこに地道が現れるのが昭和初期の事、現在の区割りの原型はこの頃できたようです。
一面の水田だった当時から下の地図を見ると水田は姿を消し宅地に変貌しています。
この東に流れる用水路は八ヶ村用水と呼ばれ、御用水路と郷合川の水源の目的も兼ねた灌漑用の水路。
現在は灌漑としてのニーズがどれほどなのか定かではないけれど、街中にポツンと残る水田を今も潤しているのだろう。
八ヶ村は幸心、瀬古、川、牛牧、大森垣外、大永寺、金屋坊、守山を指すようです。
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交差点東から見た天王社。
赤く塗られた社は色褪せ、遠目に見ると周囲に景観に溶け込み存在感は薄いかな。
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天王社全景。
この社がいつからここにあるのか、詳細は分かりません、現在の立地になったのが昭和初期のようなのでその頃ではないかと思われます。
外観から訪れる方は少ないような印象を受けます。
交差点の真ん中にあり、気軽にお参りできる環境ではないのかな。

後方の石碑は幸心土地改良記念碑。
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赤い板宮造、そろそろ化粧直しの時期を迎えているのかも。
朽ちる始めると早いものです、次訪れる時に鮮やかな赤で存在をアピールしてくれているのではないだろうか。 ささやかな気持ちを添え参拝させて頂きました。

守山区幸心「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​名古屋市守山区幸心3-1702
公共交通機関アクセス / ​JR中央線「新守山」駅下車 北に徒歩15分程
関連記事 /   ​宝勝寺西の天王社』

​守山区​鳥羽見「天王社」​から一筋東の通り、ここにも「天王社」が祀られています。
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たった今登ってきた、結構な斜度の石畳の坂を振り返ってみます。
下に見える交差点を左に進むと​鳥羽見「天王社」​に続きます。
宝勝寺の西傾斜地に位置し、西に鳥羽見の街並みが広がり眺望もいい静かな環境です。
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石畳の坂が途切れると道は左が下り坂、正面は市場方向の上り坂、右が宝勝寺西側の平坦な道の3方向分かれます。
この辺り境界なのか、左は市場5、右が市場4と番地が変わり、平坦な道を進むと道路を境に右側が鳥羽見で左側が市場になります。
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天王社へは平坦な右方向へ向かいます。
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距離にして50㍍ほど南に進んだ右に、解説らしき案内板と覆屋が視界に入ります。
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社全景、解説板かと喜んでいたけれど、残念ながら「急傾斜地崩壊危険区域」の警告板で社の由緒を語る物ではありませんでした。
余程のリスクがあるのか鳥羽見方向の西側の斜面はコンクリートで補強されています。
異常な雨が降ろうものなら、下に住む方にすれば社が祀られる裏山は脅威となり兼ねない。

この下辺りに鳥羽見『天王社』があるはずです。
現在の町割りで行くと鳥羽見1丁目に天王社は二社ある事になります。
厄介だ、ここでは以降「宝勝寺西の天王社」としておこう。
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「宝勝寺西の天王社」
覆屋は全体が赤く塗られ、守山の天王社の外観をしています。
逆光で光り輝いていた覆屋の側面は、良く見ればアクリル板。
こうして見ると向こうは透けて見えます。
こちらの覆屋は三面が囲われ風雨から社を守っています。
それだけこの社が大切にされている事が伝わってきます。
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社正面全景、覆屋は内部もちゃんと赤く塗られていますが、それに対し社はご覧の様に赤くはありません。
佇まいは守山の天王社の流れそのものなのですが、鰹木が5本、内研ぎの千木が施され、少し様相は違うような気もしてきます。ひょっとすると天王社ではないのか?
地元で大切に手入れしている社、ふらりと訪れた参拝者が知る必要はないのかも知れない。
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いつからここに祀られているのか、推測でしかないですが上の昭和61年とほぼ現在の地図で見ると、
いま社の前にあるこの道は昭和61年頃には確認できない。
意外に最近祀られたものなのかもしれません。
現在の町割りで、道路を境に鳥羽見と市場に分けられているけれど、意外に市場の天王社なのかも知れません。社の向きは市場の方角を向いているのはそのためか?
2020/05/12

『宝勝寺西の天王社』
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市守山区鳥羽見1丁目16
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線​「矢田」駅下車 徒歩12分

前回記載した町北の『天王社』から、矢田橋方向の瀬戸街道に向かう。
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 上の写真で見てもらうと、右上に町北の天王社、手前の角地に小さな杜が視界に入ります。
守山区町北1の『天王社』になります。

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 現在の瀬戸街道は手前に真っすぐ続きますが、嘗ての瀬戸街道はここから左の方向に回り込んで入たようで、町北1の『天王社』は旧瀬戸街道の曲がり角に鎮座しています。
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 古図を見付けられなかったので明治の当地の地図と現在のもので比較すると道筋の違いが見えてきます。
矢田川橋下流の長母寺近隣には「矢田の渡し」の石碑もある事から、矢田川を越えて守山城址のある宝勝寺方向に延び、そこから右方向の白山神社、誓願寺あたりの城下町の道筋を経て東進していたのかも知れません。
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 現在のこの辺りは町北1、過去より編入を繰り返し、地名も変っていったようです。
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 天王社全景。
右が現在の瀬戸街道、左が旧街道に続く道筋。
手前に常夜灯があり、ブロック塀で囲まれた境内右に随分大きな石灯籠が一際視線を集める。
社は大きな岩の上に載せられ、なんとなく屋根神様の雰囲気が漂う。
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 「下町一同」と彫られた石灯籠と境内の眺め。
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 西側からの眺め。
板宮造りの社は岩の上に祀られていますが、一帯で見かける赤い覆屋に納められた赤い社とは少し違う。
灯篭には「昭和11年」と彫られています。
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 社全景。
鍵が掛けられ参拝はここからになります。
町北の『天王社』の鳥居が昭和2年建之だったので、こちらの灯篭の建之が創建だとすると、随分短い期間にこれ程近い場所に祀られたものだと思う、町内が違ったのか?
それでも粗々100年の時を刻もうとしている。
境内で大きく伸びた杜に隠れ、社は目立たないけれど、大きな石灯籠はとても目立つ存在です。
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町北1の天王社を後にここから南に進み矢田川堤に向かいます。

守山区町北1 「天王社」
創建 / 年代不明
祭神 / 不明
境内社 / 
住所 / 名古屋市守山区町北1
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「守山自衛隊前」下車、​瀬戸街道を西に6~7分程​
関連記事 / ​名古屋市守山区町北『天王社』​  長母寺 やだの渡し


名古屋市守山区大字下志段味字長戸  「天王社」

60年代には田畑が一面に広がっていたこの辺り。片側1車線の流れの悪い一本道の印象が強かった。
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それも高速の建設や県道15号線の拡幅、近年では守山スマートICの整備などが進み、大型スーパーの建設計画もあり今も変わりつつある。
かつては田畑が広がっていた光景から、宅地化に伴い緑が残るお洒落な家並みが広がっています。

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守山スマートICの東に庄内川左岸に注ぐ長戸川が流れています。
長戸川に架かる天王橋の手前、「下志段味」交差点の角に天王社は鎮座しています。
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周辺には何もなく、信号待ちで止まると赤い社は嫌でも視界に入る程。
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真新しい社標や社など、この地の急速な変貌を物語るようでもあります。
とはいえこうして社標を掲げているだけでもありがたいもの。
外観は守山周辺で見かける天王社の流れを踏襲したもので、瓦葺の覆屋の下に板宮造の小さな本殿が祀られています。
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現在の祭神ははっきりしないけれど、神仏分離以前、神仏習合時の牛頭天王を祭神とするのでは?ないかと思われます。
この天王社がいつ頃からここにあるのか、或いは移ってきたのか定かではありません。

1891年(明治24)頃の地図には、現在と橋の名が同じだったのか分からないけれど、ここに橋は架けられています。
立派な橋に変わると古い名は消えていく、橋の名は地域の移り変わりや地形を伝える場合もあり、古い地名の由来と似ている。
とはいえ新しく綺麗な橋に「土橋(どばし)」とか受け継いでもお洒落じゃないですからね、変わるのは仕方ないか。
この地域の急速な開発によって影響を受けた石仏や寺社、古墳も多いのかも知れない。
これだけ便利で快適な住環境なのだから、それもやむ無しなのだろう。

天王社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​名古屋市守山区大字下志段味字長戸

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