尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

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名古屋市守山区白沢町「長命寺」
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市内から車の場合、県道30号線を龍泉寺方向に走り「松川橋南」交差点で右折、「川村」交差点を左折、直進した左側で参拝者駐車場も確保されています。
前回掲載した守山区白沢町「天王社」の東に隣接する臨済宗のお寺です。
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長命寺、山号は医王山。
道路南に面し白壁が続き、中ほどに重厚な山門を構えています。
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山門左の石碑には「長命を 祈りてまいる この寺は 清く流るる 川村の里」と記されている。
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山門から境内の眺め。
正面に入母屋瓦葺の本堂と右方向に庫裏、寺務所と繋がっている。
本堂左方向に濃尾震災慰霊碑などがある。
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山門右の手水舎。
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山門から左方向。
右から蓬莱七福神の寿老尊を祀る壽老殿と鐘楼、その左に観音堂の伽藍。
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境内から山門の眺め。
四脚の瓦葺の山門、木鼻や蟇股など手が掛けられ、趣のある佇まいをしています。
境内西側に戦没者慰霊碑が建っている。
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長命寺はもともとは川嶋神社付近に長母寺を開山した無住国師が旧号で光常寺として開山したとされ、小牧・長久手の合戦(1584年)で本尊の薬師如来像を除き伽藍を焼失。
後の1700年(元禄13)に長母寺末寺、「医王山 長命寺」と改号し再興され現在に至るようです。
(上の地図の左のマーカーが川嶋神社で右が長命寺)

また周辺にはかつて南北に城があり、ゆとりーとラインの「白沢渓谷」付近の小高い場所に川村北城が、長命寺の南東付近に川村南城があったとされ、どちらも今は痕跡は残っていません。

長命寺と川村南城は所縁があり、織田信長の家臣とされる水野右京進が築城し、城主5代に続く水野氏の菩提寺が長命寺だという。本堂裏手には1720年(享保5)に建てられた石碑も存在する。
現在の本堂は1956年(昭和31)に再建されたもので、伽藍は新しいけれど長い歴史を持つ寺。
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本堂全景
向拝木鼻などには意匠が施され、コンクリートにはない暖かく落ち着いた佇まい。
本尊は薬師如来。
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瓦葺、入母屋造りの妻入りの壽老殿全景。
蓬莱七福神の寿老尊を祀る。
蓬莱七福神とは守山区、尾張旭など名鉄瀬戸線沿線の霊場巡り。
守山区小幡の長慶寺(大黒天)、同区大森の法輪寺(福禄寿)、同区小幡の弘法寺(布袋尊)、同区市場の宝勝寺(毘沙門天)、春日井市松河戸の観音寺(弁財天)、尾張旭市印場元町の良福寺(恵比寿)、別格として守山区竜泉寺の龍泉寺(宝船)、そしてここ白沢町長命寺の寿老人の霊場を巡るもの。
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木造瓦葺の鐘楼
緑青に覆われつつある梵鐘、銘文は見当たらず、いつ頃鋳造されたものかは分からなかった。
梵鐘の下帯には蓮?が描かれているけれど、全体の姿はシンプル。
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観音堂
鐘楼の左にある切妻の建物でこの背後が白沢町の天王社。
堂中には複数の観音像と右に地蔵が安置されています。
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観音像
前列の像は主に昭和の頃の像が多いが、奥の方には寛政や文政の頃に奉納されたものが見られます。
一番奥に安置された丸みのある素朴な表情の像などは更に古く見える。
そうした像はきっちりと刻まれたものにはない、人の思いが感じられいいものです。
2021/07/27


長命寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 薬師如来
開基 / 無住国師
創建 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町319-1
関連記事 / ​名古屋市守山区白沢町「天王社」​ 名古屋市東区の古刹「長母寺」

名古屋市守山区白沢町
白沢渓谷の西の麓に当たり平坦な扇状地にできた地域、ここから東は緩やかに丘陵地が続きます。
町名の由来となる白沢川は1768年(明和5)に従来の流れに堤を築いて堰き止め、北側の山を開削し庄内川へ流路が変えられたもので、ここから東に行くと城土公園があり、園内を白沢川が流れ庄内川に注いでいます。
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古くから農耕を生業とする集落があり、龍泉寺に続く四観音道に続く里道でもあり、川村南城もあったようだ。
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今回の目的地は白沢町の「天王社」。
目印は臨済宗のお寺「長命寺」で天王社は長命寺の敷地の西角に一部に社地が与えられた、そんな感じが漂う。
天王社はこの白壁の切れた所に鎮座します。
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南の車道から見る天王社と後方は長命寺。
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切妻の妻入り四方吹き抜けの拝殿から本殿の眺め。
拝殿左上に何か記された木札があり、恐らく由緒に繋がる事が書かれているような気がするが読めなかった。
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拝殿左に祭礼の案内。
近隣の川嶋神社の管轄のようです。
この天王社の創建など詳細は分からないが、川嶋神社で伺えば何か得られるかもしれない。
こうして年間の祭事計画が貼りだされているだけに、近隣に住民からは今も崇敬されているようです。
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本殿は守山では定番ともいえる赤い覆屋の中に赤い本殿が祀られ、本殿前には赤い鳥居も置かれている。
扉が閉じられているので分からないが、恐らく津島神社の御札が収められていると思います。
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赤く塗られた社殿、いかにも氏子の手で維持されているのがわかる。
ペンキまみれのこの光景も良く見かけるものだ。
荒れるに任せた社に比べれば、この方が血が通っていて鎮まる方も喜んでいるのではないだろうか。
今は平穏なこの地も、過去には自然からの試練を受けてきた、そうした過去の経験から災い除けのために祀られたものだと推測します。
目的があってここに祀られ、今もその思いは次の世代に受け継がれている。
こうした思いが受け継がれていく事は、この地で生活するうえで重要な伝承だと思います。

「天王社」白沢町
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「川村」駅下車 南へ徒歩10分程

​「天王社と道標地蔵」 から庄内川左岸を下流(西)方向に歩いていく。
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30分ほど歩くと写真の用水路が進路を遮るように現れる。
「庄内用水元杁」
1910年(明治43)に作られたもので「現存する重要な土木遺産2800選」に選定されている。
庄内川の水を取り入れ、矢田川の地下を横切り、黒川樋門から再び地上に、ここで堀川(黒川)、庄内用水、御用水(ごようすい)、上飯田用水、志賀用水などに分けられました。
治水目的だけにとどまらす水上輸送路としても使われていたそうだ。
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「庄内用水元杁」から下流方向へ10分程歩いていきます。
歩道が整備され、ゆったりとした流れの中に魚が泳ぎ、水草が躍る、暑気払いにはいい場所。
水質は庄内川次第で変わりますが、ちょっとした柿田川の雰囲気が楽しめるお気に入りの場所です。

「庄内用水元杁」
所在地 /   名古屋市守山区瀬古味鋺前
「天王社と道標地蔵」 から西へ徒歩で20分程
関連記事 /     ​2019桜2
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ここまで来ると南側には矢田川の堤はもう目の前。
僅かな距離で大きな二つの川に挟まれていて、水害が起こりやすいのは容易に想像がつきます。
写真のこの堰堤? これ堰堤ではなく嘗ての名鉄勝川線の名残。
1931年(昭和6)名岐鉄道の城北線の一部として、味鋺 ⇔ 新勝川間で開業し、名古屋駅から岐阜県可児郡豊岡町(現在の多治見駅付近)を間を結ぶ構想の下に出来たが1937年(昭和12)に廃止となったもの。
この辺りにはこうした軌道跡が今も残っています。
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道路(県道202号線)を挟んで庄内用水の治水目的の堤のようにみえるけれど、この上に線路が敷かれ車両が走っていたという。
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その右の大きな施設は守西ポンプ所
二つの天井川に挟まれ、地盤の低い周辺一帯の治水対策の要と云っても過言でないだろう。
一帯に降った雨水や地下水はここで汲み上げ矢田川に放流されるそうだ。
水屋が必要なくなったのもこうした揚水施設の整備によるもの。

守西ポンプ所
所在地 /  ​名古屋市守山区瀬古1丁目​ 
「庄内用水元杁」から南へ徒歩5~6分
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守西ポンプ所の南が矢田川堤。
その上を走る道路際に赤い覆屋の中に祀られた赤い社があります。
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南を流れる矢田川を向いて祀られる社は天王社。
車で通りがかっても赤い存在はすぐに目につく、守山で見かける天王社の外観のイメージをくむものです。
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正面から庄内川方向の眺め、後方の建物が守西ポンプ所。
これまで一度も扉が開けられているのを見たことがなく、御札は見た事はありませんが、巷の情報から天王社で間違いないと思います。
こうして堤の上から北の建物の屋根を見ると土地の低さが良く分かります。
この社とポンプ所が一帯を災いから防いでいる、そんな光景です。
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この天王社の創建は不明ですが、以前は矢田川に架かる三界橋の南側に祀られていたと云われ、水害の被害を避ける目的から堤の上に移されたと云われています。

三階橋の天王社
創建 /   不明
祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古1丁目

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南側の矢田川の眺め。
普段は穏やかな流れも梅雨時や台風の時にはガラッと表情を変えます。
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矢田川堤上流から眺める天王社は目立つ存在です。
因みに三階橋の由来は地下に庄内用水、地上に矢田川、その上に掛かる橋なので三階橋と付けられたとか。

この辺りから北のポンプ所を見ると、東側に堤防らしき痕跡が見られます。
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これが先程道路から見た名鉄勝川線の軌道跡。
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枕木や線路こそ見られませんが、その下に敷かれたバラストがここに線路があった事を語っています。
まだこうして残っているんですね。
所在地 /   ​名古屋市守山区瀬古1丁目1243

2021/5/31
「天王社と道標地蔵」 から三階橋の天王社までの徒歩ルート /    ​約30分の工程
関連記事 /  ​「天王社と道標地蔵」
大曽根駅から徒歩で天王社を巡った​ルート

瀬古東2の「天王社」を後に、一部下街道を歩き庄内川方向の瀬古東3「天王社」に向かいます。
小学校の西側の路地を北に進み右に進みます。
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幸心の交差点の西側にある東春酒造、この西側の細い路地に入ります。
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ここの路地は水屋が残り、その石垣はまるで城壁の様。
周辺の光景とは一味違った、落ち着いた雰囲気が漂います。
矢田川を越え間もなく庄内川も近づいてきました。
二つの一級河川に挟まれたこの一帯、古くから川の氾濫に見舞われ瀬古村輪中とも呼ばれるそうです。
そうした環境から、そこに住むための知恵が生まれます、水屋もそうです。
この高さの石垣が必要な土地柄だった、そう考えると少し怖いものがある。
今は堤防や導水路、揚水施設が整備され、それらが水屋の役割を担っている。
水屋の石垣沿いに進と左右に延びる細い道が現れます、左に進みます。
その道は下街道、ここを進むと瀬古東3の「天王社」は近い。
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瀬古東2の「天王社」から徒歩15分もあれば瀬古東3「天王社」に到着。
写真は今歩いて来た下街道方向の眺め。
手前の交差点を左に進むと目の前は国道19号線の「勝川橋南」交差点です。
駐車場はないので歩きが一番。
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交差点の角に社地が与えられ、瓦葺の覆屋の中に板宮造りの赤い社殿が下街道を見守る様に佇んでいます。
左にはトタン屋根のお堂があります。
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低い玉垣で囲まれていて瀬古東2のやたら広い境内の「天王社」を見た後だと狭いけれど、樹々はなく鳥居や狛犬がいる訳でもないのでスッキリした印象があります。
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境内に入ると右に篝火台と手水鉢(石臼か?)
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覆屋の中は遠目に見た時は一社だけのように見えましたがよく見れば手前に2社と鳥居もある。
手前の二社は扉が開けられ、中が見通せ神札は入っていません。
中央の社には中に神札が収められているのがわかります。
頑丈に施錠された賽銭箱に賽銭を入れ参拝。
こちらがいつ頃祀られたものか調べて見ましたが辿り着けませんでしたが、町内の神社当番により神札は入れ替えられているようです。
神社のある町に住むと神社当番がついて回ってくるもので、それは時に面倒臭いと感じかもしれない。
ご近所さんを知るいい機会だと思うのだが。
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左のお堂。
内部に一体の地蔵が安置されています。
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良く見ると像の左右に何か刻まれているように思える。
嘗ては街道の分岐点に祀られた道標だったのかもしれない。
この辺りは下街道、そこから分岐するとなると庄内川沿い上流の龍泉寺方向か。
いずれにしてもこの地蔵さんは長年の不風雨で風化し、顔の表情すら分からない。
右の天王社より古くからこの辺りで行き交う人々を導いてきたものだろう。
赤い前掛けがかけられ、堂前に生花も手向けられ今も地元から崇敬されているのがよく分かる。
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天王社から先の下街道、右手のコンクリートの壁は国道19号線、その先の勝川橋を越えれば春日井です。

守山区瀬古東3「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 /  名古屋市守山区瀬古東3
関連記事 /   ​名古屋市守山区瀬古東2 『天王社』​ 
瀬古東2天王社から徒歩ルート /   ​東春酒造経由徒歩15分程

八尾稲荷の鎮座する下街道、そこから1本西筋、北側に集合住宅、前と左右を戸建住宅に囲まれるように一区画がぽっかりと空いた空間。
整地されただけで雑草が生え、区画は玉垣で囲われている。
ここが瀬古東2の天王社。
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下街道の一方西筋を北方向に向いて撮った一枚。
住宅が林立した光景はそのまま掲載するには難があり、相当消してしまったので全体のイメージが伝わりにくくなってしまった事をお許し願いたい。
天王社がある区画は上の写真の右上。
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道路から見る天王社。
区画全周を少し古めの玉垣が囲っており、広くて南北に長い社地の奥に本殿が見える。
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本殿に対し不必要と思えるような広い社地にポツンと本殿だけが祀られている。
鳥居や狛犬、手水鉢も見当たらない、社地には杜はなく、こうして見ると一本の樹があるように見えますが、それは集合住宅の庭木。
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不思議な比率だ。
過去ここには少し規模の大きな神社があったのかも知れない。
その名残なのか社地の中ほどに大きな切株が残っています。
本殿はこの辺りで見かける天王社の流れを踏襲し、この広い境内に小さな板宮造りの赤い社の存在と、そこに訪れるは参拝客は逆に周囲から目立つかもしれない。
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社名札はなく扉は閉じられ、お札まで確認できないけれど天王社で間違いないと思います。
社は大きな岩を組み、一段高く積まれその上に祀られています。
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社を斜めから眺める。
境内の様子に対し、社の状態は綺麗に手入れされ、近隣の天王社より状態はいいかもしれない。
この辺りの少し前の地図など当たってみる、そもそも鳥居の印がなく、いつ頃祀られたものなのか推測すらできない。
一帯は各町内ごとに天王社が祀られているといってもいいくらい、少し歩けば目にすることができる。
瀬古東2の天王社と云って間違いないかもしれない。
大正か昭和初期に祀られたような気はするが創建に繋がるものは見つけられなかった。
ひと回りして古びた賽銭箱に志を入れ参拝させてもらうも、何も分からない事に対し若干消化不良気味。
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由緒は分からない、この広い境内の意味も良く分からない。
分からない事ばかりだけれど、住宅が建つ中で天王社の社地がこうして与えられている。

話は脱線するかもしれないけれど、息子たち二人は学童で育った、そこには年間のイベントがあり職種の違う父母が得意の分野で参画し目的達成に向け活動していた、そうした親の姿を見て子は育っていき助け合いを学んでくれたものと思っている。
ややもすると面倒は避けたい傾向に陥り、昔から続いていたイベントや地域行事は姿を消していく。

家は一杯建っていても隣の顔も分からない住宅街、それが時流なんでしょう。
集まっている事で安心を得ている錯覚に陥るけれど、実はとんでもなく山奥の集落より繋がりは希薄なのかもしれない。
この小さな社は地域の住民同士を繋ぐ重要な役割を担っているのかもしれない。

守山の天王社を見て廻るとペンキでコテコテだったりするけれど、そこが住民同士の結束の強さのバロメーターとして映ってくる。
業者が綺麗に塗装したものより味があっていいものです。
2021/05/02

守山区瀬古東2「天王社」
創建・祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古東2丁目
八尾稲荷から徒歩ルート /  ​八尾稲荷から一筋西、徒歩5分
関連記事 / 瀬古東2 『八尾稲荷』

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