尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

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名古屋市守山区大永寺町「熊野社」
町名の由来はここから少し西に鎮座する曹洞宗の寺院「寿昌山大永寺」から来ている。
山門脇の枝垂れ桜が綺麗な寺でこれからの時期楽しみな場所。

熊野社は大永寺から徒歩で2分程東に鎮座し、直ぐ東にゆとりーとラインの高架が聳え立つ。
過去に何度か訪れていますが、「熊野社」単独で取り上げていなかったようなので今回の再訪となりました。
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上は明治初めの当地とほぼ現在の地図の比較。
ゆとりーとライン川宮駅から南西5分程に鎮座し、南北に長い社地に二城消防団詰所、大永寺公民館、天王社が区画を共にし、この町のコミュニティーの中心。
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熊野社社頭全景。
消防団詰所の存在感が大きいけれど、その奥に杜と鳥居が見える。
周囲は一部玉垣で囲まれていますが、社頭に鳥居や社号標はない。
鳥居は境内の中ほどに建ち、その脇に社号標が建っています。
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境内中程から鳥居と社殿の眺め。
明神鳥居と拝殿後方に見事な巨樹が聳えている。
過去訪れた時と印象に違いはないようだ。
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常夜灯の後方に社号標と鳥居を構え、その先に切妻瓦葺の妻入り拝殿。
鳥居は1971年(昭和46)建之のもの。
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社殿全景。
本殿周囲は巨樹の木陰に包まれています。
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熊野社拝殿。
最後の参拝が2017年、社殿全体は当時と比べても大きな傷みはなく、綺麗に手入れされた境内も当時の印象と変わっていない。
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拝殿額「熊野社」
シンプルな外観の拝殿ですが、一部の金色の飾り金具や懸魚の鰭に施された彫など、さり気無い拘りが感じられます。
熊野社の創建は古く1617年(元和3)、名古屋城築城普請奉行の岡田善同が名古屋城築城時の余材でこの地に大永寺を移転、その際に熊野三山から勧請を受け熊野社が創建されたという。

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大永寺は尾張名所図会に挿絵も残るが、東隣りの熊野社までは描かれていなかった。

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拝殿から本殿方向の眺め。
本殿域は石垣が高く積まれ、その上に台座が作られ社が祀られている。
神域全体を杜が包み込み、昼とはいえ薄暗い空間。
本殿域の右に複数の境内社と石像が安置され、本殿左にも一社祀られています。
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本殿前の狛犬は1929年(昭和4)
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覆屋下の本殿と左右に境内社の姿がある。
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薄暗い覆屋の下、強烈な外光の中に神々しく浮かび上がる一間社流造の本殿。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速須佐之男命。
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本殿右の境内社と御嶽講の石像群
覚明霊神の石柱や役行者、赤い火炎の不動像。
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石像群後方に板宮造りの三社、左から神明社 津島社、八幡社。
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本殿域左の境内社へ参拝に向かう。
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本殿を斜めから見る。
逆光でよく分からなかった脇障子の存在や木鼻の彫、虹梁の滑らかな曲線が見えてくる。
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左の境内社、御鍬社、御塚社の相殿。

後方左に見える赤い社は大永寺町の天王社。
拝殿左の参道から天王社へ繋がっています。
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右の本殿域の高さの高い事、本殿は更に一段積まれた上にある。
社頭から境内は平坦だったので、こうして見ると庄内川に向けて僅かに傾斜しているようです。
川の氾濫を考慮した水屋造りと云ってもいいのかな。
水屋造りの面影が残る住宅は今も近隣で見ることが出来る。
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見上げるほどの高さにある本殿域。
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大永寺町の天王社。
熊野社の境内社として一緒に挙げていいものか悩むところですが併せて掲載します。
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外観は周辺で見かける天王社の姿を踏襲するもの。
赤く塗られた覆屋、その中に祀られる赤い社と鳥居。
大永寺町の厄難災除として祀られたものですが、その時期は定かにはならない。
創建 / 不明
祭神 / 速須佐之男命(牛頭天王)

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天王社へは道路沿いからも容易に参拝できます。
ここが入口とすると少し足元が悪い、やはり熊野社から訪れるのが正しいのか。
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熊野社西側から本殿域側面の眺め。
一抱えも二抱えもあるような楠の巨木、町のシンボルツリーと云ってもいいほど。

大永寺町 熊野社
創建 / 1617年(元和3)頃
祭神 / 伊邪那岐命、伊邪那美命、速須佐之男命
境内社 / 神明社 津島社、八幡社、御鍬社、御塚社
所在地 / ​名古屋市守山区大永寺町256
関連記事 / ​大永寺​ ​

大永寺町 天王社
創建 / 不明
祭神 / 速須佐之男命(牛頭天王)

守山区は天王社が多く、随分巡っていますが全てを参拝するには程遠い。
このあたりになぜ多くの津島信仰の天王社が多いのか理由はよく分からない。
天王信仰の総本山津島神社が比較的近く、牛頭天王の御利益が疫病や災い除けと日常に密接する事もあるのだろう。ここから勧請され各地に広まり、街角の小さな社や祠として建てられて行ったのが天王社。

津島神社は嘗て神仏習合の影響を受け「津島牛頭天王社」と称し、牛頭天王を祭神として長く崇敬されていますが。
そのあり様を変えるきっかけは近代になってからの事。
明治政府の神仏分離令、疫病を防ぐ神として牛頭天王を祭神とし、薬師如来を本地仏とする神社に対して祭神は素戔嗚に変えるか、牛頭天王を社名、祭神から外すように発布した。
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それは廃仏毀釈につながり、頭を失った石仏など多くの歴史的遺産を失うきっかけのひとつとなりました。(上は平泉寺白山神社)
総本社の津島牛頭天王社も例外なく津島神社に改称し、牛頭天王の本地仏薬師如来は討ち捨てられることなく、神宮寺だった宝寿院の本尊として移されます。
津島牛頭天王社から勧請され、集落に祀られた社も同様の流れになりますが、必ずしもそうでない場合も見られます。
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守山区川村町や周辺も天王社が集まり、認識している物だけでも七社は祀られているようです。
半日あれば一気に廻れる距離ですが、どこぞへ行きがてら訪れるのでなかなか全て囲えない。
今回そのなかで川村町の天王社(赤塗部分)を訪れてきました。
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ゆとりーとライン川宮駅から東に歩き川村公園の東にある交差点、訪れた時は更地となった角地の一画に取り残された様に瓦葺の覆い屋が川村町の天王社。
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四方吹き抜けのこの建物、覆屋と云うより祭殿だろうか。
ここから北に川嶋神社が鎮座します、祭礼はこちらで行っているのかも知れません。
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南側から眺めた天王社。
綺麗に手入れされた境内、その先に定番ともいえる朱に彩られた覆屋がある。
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瓦で葺かれ、木鼻も施された切妻の覆屋。
その中に朱の鳥居と板宮造りの社が祀られ、これも全体は朱に塗られ守山の天王社の趣そのもの。
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こちらの天王社がいつ祀られたか。
現地や地史など目を通しても分からなかった。

航空写真で遡ってみると1945年(昭和20)頃の集落西外れに現在の建屋らしき姿が見て取れ、集落ごとに災い除けの天王社が祀られているのが分かる。
人が集まれば神社も自然に生まれ、やれ祭礼だなんだと地域のコミュニティーの場となって行く。
嫁入りがあれば菓子も撒かれ、話を聞きつけ集まった子の名も顔も知れ渡る。
地域が一体となるいいイベントはあったものだ。
当時、水田や田畑が広がっていた一帯も、僅かな年月で水田や田畑から住宅に変わっていき、町の変貌と共にこうしたイベントも見なくなった。
推測でしかないけれどこの天王社、遡っても明治あるいは大正くらいまでだろうか。
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北側から見た天王社、後方が川村公園、少し進めばゆとりーとラインの高架が続く。
今はとても見通しがいい、この光景もそんなに長くはないのだろう。
2022/2/20

川村町 天王社
創建 / 不明
祭神 / 牛頭天王
所在地 / 名古屋市​守山区川村町182  
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン川宮駅から​東へ徒歩10分程   
関連記事 /  ​「津島神社」津島市神明町​ 、 ​福井県勝山市「平泉寺 白山神社」

守山区川北町
市内から庄内川を越え春日井にアクセスする松川橋。
夕陽の庄内川を撮りに堤防に出る一心でゆとりーとライン「川村」駅から堤防に向かって歩いていました。
道は堤防で行き止まり、何気に右手に瓦葺の建物が視界に入ってきました。
以前からこの辺りに神社はない認識でいましたが、意外にもそこで神社を見付けました。
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いつから鎮座するのか過去(明治)の地図を見るも記されていなかった。
当時は川村の中で庄内川に最も近い集落、1978年守山区大字北・大字大森垣外の一部から川北町として成立したようです。
地図で云えばゆとりーとライン「川村」駅から県道30号線を越え、堤防に向かう住宅街の交差点角になります。
色々と調べて見るも手掛かりはなく、こうして天王社と書いてはいますが、正直自信はありません。
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これがその全景で、三方吹き抜けで奥が壁、最初は正直分かりませんでした。
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それも正面に来てそれが覆屋だと分かります。
壁だと思っていたいたのは実は社の台座、その上に真赤な社と素木の社の二社が祀られていました。
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覆屋東側から見た全景。
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覆屋の中の台座の上には真赤な社と小さな鳥居。
守山で赤い社となれば「天王社」だろうと根拠もなく決めていますが、近くの村合町に鎮座する神明社には同様の外観で津島社があったりします。
社名札はなく、扉も閉じられ御札から判断もできません。
左にも社があり、こちらも社名札はなく詳細は分かりません。
堤防も近く災いも多かった地域柄、集落の守り神として祀られたものでしょう。6
ここまで上げるかと思うくらいの高さに板宮造りの社が祀られています。
境内も覆屋も綺麗に手入れされ、川北町の守り神として崇められているようです。
詳細は分からずじまいですが、ひょっとして近くの川嶋神社に伺えばすっきりするのかもしれない。

何れにしても自分では無いと思っていた地域で神社を見付けたのは新たな発見だった。(グーグルマップには既に記されていました)
分からない事ばかりですが、この場では「川北町の天王社」とさせてもらいます。
……ひょっとするとこの東の川上町にも神社が祀られているのかもしれない。
「住宅街の森には神社か古墳あり」も通じなくなってきた。

そういえば夕陽〃、美味しい時間は過ぎてしまったか。
2021/12/1

川北町の天王社と不明社
祭神 / 不明
創建 / 不明
所在地 / 名古屋市守山区川北町328
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン​「川村」駅降車徒歩2分

名古屋市守山区白沢町「長命寺」
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市内から車の場合、県道30号線を龍泉寺方向に走り「松川橋南」交差点で右折、「川村」交差点を左折、直進した左側で参拝者駐車場も確保されています。
前回掲載した守山区白沢町「天王社」の東に隣接する臨済宗のお寺です。
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長命寺、山号は医王山。
道路南に面し白壁が続き、中ほどに重厚な山門を構えています。
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山門左の石碑には「長命を 祈りてまいる この寺は 清く流るる 川村の里」と記されている。
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山門から境内の眺め。
正面に入母屋瓦葺の本堂と右方向に庫裏、寺務所と繋がっている。
本堂左方向に濃尾震災慰霊碑などがある。
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山門右の手水舎。
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山門から左方向。
右から蓬莱七福神の寿老尊を祀る壽老殿と鐘楼、その左に観音堂の伽藍。
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境内から山門の眺め。
四脚の瓦葺の山門、木鼻や蟇股など手が掛けられ、趣のある佇まいをしています。
境内西側に戦没者慰霊碑が建っている。
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長命寺はもともとは川嶋神社付近に長母寺を開山した無住国師が旧号で光常寺として開山したとされ、小牧・長久手の合戦(1584年)で本尊の薬師如来像を除き伽藍を焼失。
後の1700年(元禄13)に長母寺末寺、「医王山 長命寺」と改号し再興され現在に至るようです。
(上の地図の左のマーカーが川嶋神社で右が長命寺)

また周辺にはかつて南北に城があり、ゆとりーとラインの「白沢渓谷」付近の小高い場所に川村北城が、長命寺の南東付近に川村南城があったとされ、どちらも今は痕跡は残っていません。

長命寺と川村南城は所縁があり、織田信長の家臣とされる水野右京進が築城し、城主5代に続く水野氏の菩提寺が長命寺だという。本堂裏手には1720年(享保5)に建てられた石碑も存在する。
現在の本堂は1956年(昭和31)に再建されたもので、伽藍は新しいけれど長い歴史を持つ寺。
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本堂全景
向拝木鼻などには意匠が施され、コンクリートにはない暖かく落ち着いた佇まい。
本尊は薬師如来。
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瓦葺、入母屋造りの妻入りの壽老殿全景。
蓬莱七福神の寿老尊を祀る。
蓬莱七福神とは守山区、尾張旭など名鉄瀬戸線沿線の霊場巡り。
守山区小幡の長慶寺(大黒天)、同区大森の法輪寺(福禄寿)、同区小幡の弘法寺(布袋尊)、同区市場の宝勝寺(毘沙門天)、春日井市松河戸の観音寺(弁財天)、尾張旭市印場元町の良福寺(恵比寿)、別格として守山区竜泉寺の龍泉寺(宝船)、そしてここ白沢町長命寺の寿老人の霊場を巡るもの。
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木造瓦葺の鐘楼
緑青に覆われつつある梵鐘、銘文は見当たらず、いつ頃鋳造されたものかは分からなかった。
梵鐘の下帯には蓮?が描かれているけれど、全体の姿はシンプル。
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観音堂
鐘楼の左にある切妻の建物でこの背後が白沢町の天王社。
堂中には複数の観音像と右に地蔵が安置されています。
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観音像
前列の像は主に昭和の頃の像が多いが、奥の方には寛政や文政の頃に奉納されたものが見られます。
一番奥に安置された丸みのある素朴な表情の像などは更に古く見える。
そうした像はきっちりと刻まれたものにはない、人の思いが感じられいいものです。
2021/07/27


長命寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 薬師如来
開基 / 無住国師
創建 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町319-1
関連記事 / ​名古屋市守山区白沢町「天王社」​ 名古屋市東区の古刹「長母寺」

名古屋市守山区白沢町
白沢渓谷の西の麓に当たり平坦な扇状地にできた地域、ここから東は緩やかに丘陵地が続きます。
町名の由来となる白沢川は1768年(明和5)に従来の流れに堤を築いて堰き止め、北側の山を開削し庄内川へ流路が変えられたもので、ここから東に行くと城土公園があり、園内を白沢川が流れ庄内川に注いでいます。
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古くから農耕を生業とする集落があり、龍泉寺に続く四観音道に続く里道でもあり、川村南城もあったようだ。
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今回の目的地は白沢町の「天王社」。
目印は臨済宗のお寺「長命寺」で天王社は長命寺の敷地の西角に一部に社地が与えられた、そんな感じが漂う。
天王社はこの白壁の切れた所に鎮座します。
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南の車道から見る天王社と後方は長命寺。
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切妻の妻入り四方吹き抜けの拝殿から本殿の眺め。
拝殿左上に何か記された木札があり、恐らく由緒に繋がる事が書かれているような気がするが読めなかった。
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拝殿左に祭礼の案内。
近隣の川嶋神社の管轄のようです。
この天王社の創建など詳細は分からないが、川嶋神社で伺えば何か得られるかもしれない。
こうして年間の祭事計画が貼りだされているだけに、近隣に住民からは今も崇敬されているようです。
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本殿は守山では定番ともいえる赤い覆屋の中に赤い本殿が祀られ、本殿前には赤い鳥居も置かれている。
扉が閉じられているので分からないが、恐らく津島神社の御札が収められていると思います。
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赤く塗られた社殿、いかにも氏子の手で維持されているのがわかる。
ペンキまみれのこの光景も良く見かけるものだ。
荒れるに任せた社に比べれば、この方が血が通っていて鎮まる方も喜んでいるのではないだろうか。
今は平穏なこの地も、過去には自然からの試練を受けてきた、そうした過去の経験から災い除けのために祀られたものだと推測します。
目的があってここに祀られ、今もその思いは次の世代に受け継がれている。
こうした思いが受け継がれていく事は、この地で生活するうえで重要な伝承だと思います。

「天王社」白沢町
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「川村」駅下車 南へ徒歩10分程

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