尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:名古屋市熱田区

名古屋市熱田区伝馬3丁目「神明社」
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 姥堂から伸びる旧東海道は、緩やかなカーブを描いて手前の新堀川方向へと続きます
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新堀川に架かる熱田橋が見えてきたら、手前の交差点を左に進みます
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先には交通量の多い国道1号線が東西に走り
左前方に小さな杜と玉垣が見えるのが「伝馬3丁目神明社」です
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国道1号線の高架下は新堀川
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 国道1号線脇にそそり立つ大きな木、街中ではとても目立つ存在です
車で前を通るたびに気になっていた神社ですが、なかなか縁が無かった
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神明社鳥居前から境内全景
石鳥居を構え、右に社号標があります
境内は東入で正面に社が2つ祀られています
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境内に入ると右手の道標に目が行きます
そこには「左江戸道」、「右 知多郡新道」と彫られています
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常夜燈の先の神域には鰹木と千木が付く大小二つの社、右の小さい社が秋葉社、、神域の左側に社務所があります
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境内右、清水は注がれていないけれど手水石がある
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左が神明社、右が秋葉社
どちらも自然石を積んだ台座の上から、ほぼ東を向いて祀られています9
社から鳥居方向の眺め
写真の鳥居右横に「創建400年祭」と刻まれたの石標がある
この神明社について「熱田自転車散歩道」で由緒が書かれていた
「かつては天道社といい、「おてんとうさん(太陽)」を祀る庶民の神様だった。
文禄5年(1596年)の銘のある「お日待碑」が御神体で現在は社殿の下に埋められている」

石碑の創建400年は上記からすれば頷けるものです
右の秋葉社は大正に入り合祀したものらしい
元は伝馬5丁目に鎮座していた、庶民の神「おてんとうさん」は昭和に入り、道路整備に伴いこの地に遷座したようです
気になるのが、いつ頃天道社から神明社に変わったのかさっぱり分からない

私の祖母もおてんとうさんに手を合わせていたものです
おてんとうさんを中心にした一種の講があり、庶民の集うコミュニティーがあったのだと思います
いつからか分からないけれど、それが神明社に変わり、庶民の身近な存在からほんの少し距離を置く存在になっていったのかな
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歩道から境内の二つ並んだ社が良く見えます、この下に「お日待碑」は埋まっています
奥の建物が社務所
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 境内に植えられたザクロが色付き始め、境内にほんの少し彩を与えています

「神明社」伝馬3丁目 
創建 /   不明
祭神 /    天照大御神、軻遇突智神
住所 /    名古屋市熱田区伝馬3-3-7
アクセス /  ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社⇒秋葉神社⇒新明社5分
                  市営地下鉄名城線「伝馬町」下車国道1号線を東に5~6分

熱田区伝馬2丁目
名鉄常滑線の高架が南北に延々と続く
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 この近くには姥堂や裁断橋、熱田神宮境外末社「鈴之御前社​」、德川家康幼時幽居地など少し歩くと見所の多いところです
「秋葉神社」は旧東海道から少し南側の筋になります
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高架沿いの交差点の角に「秋葉神社」は鎮座します
東を向いた船の舳先の様な小さな境内です
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北側道路に社号標と境内入口
境内に入ると東を向いて一対の常夜燈と直ぐ先に小さな社が祀られています
鳥居や狛犬はありません、社の後方には大きな銀杏の木が聳え小さな杜を作っています
この町の火伏の神として祀られたものでしょう、この小ささが逆に身近な存在に感じられます
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社号標には大正11年と刻まれています
西暦では1922年、なのでほぼ一世紀に渡りこの町を見続けている事になります

境内に入ると「浮島神社」と彫られた碑が目に止まる
新堀川を東に渡って少し行くと浮島神社がありますが、ここ秋葉神社になぜこの碑があるのか理由は分かりません
一昔前のこの地は海岸線が迫り、潮の干満により丘陵地が島のように見えた事から「浮島」と呼ばれ、浮島神社周辺は瑞穂区浮島町として名も残ります
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社全景
石垣を4段に積み、さらにその上に2段の台座が作られ、玉垣で囲い社が祀られています
境内には南天、皐月が植えら、時期になると小さな境内に彩りを添えてくれそうです
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東を向いた小さな社に表札はありません
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北側道路からも社の側面を良く見通せます
秋葉神社がいつからここに鎮座するのか?
明治、大正の創建だと思われますが詳細は分かりません
ですが、ここ「秋葉神社」が伝馬2丁目の火伏の神である事は確かなようです

「秋葉神社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市熱田区伝馬2丁目11
アクセス / ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社⇒秋葉神社​​

名古屋市熱田区伝馬2丁目『熱田社』
村社「笹宮」から東に歩いて10分もかかりません
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熱田社は「図書公園」の敷地内の一画に鎮座します
参道は公園の北側道路に新明鳥居と社号標が建っています、北から入り境内で左、そして左へと折れる
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鳥居から続く参道の左に石垣の積まれた神域に三社が祀られています
Uターンする様な形で北側道路に背を向けた社が隣に見えています
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北側道路から見た熱田社、社の前にも鳥居が見えます
見えそうで見えないけれど神域には3社の社が確認できます
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参道に入り左へ
正面が社務所の様ですが無人です
社務所左脇に手水鉢が見えています
参道はここで左へ折れ、二之鳥居をくぐります
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社務所左の手水鉢、・・・・・空です
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明神鳥居の二之鳥居から社を望む
しかし、鳥居の先の玉垣に鎖が掛けられ、これ以上は近づいて欲しくないようです
鳥居の先に高く積まれた神域、そこには3社が祀られ、狛犬が一対いるようです
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熱田社二之鳥居に掲げられた石造りの扁額
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鎖の所から精一杯アップで捉えた狛犬は凛とした立ち姿で神域を守護しています
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一対の燈籠と神域全景
神域を囲う玉垣などから年号を識別する事はできません
三社は全ては北を背にして南を向いて祀られています
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六本の鰹木と内研ぎの千木で飾られた社とその両脇に小社、社名は分かりません
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図書公園から眺める熱田社全景
図書と聞くと図書館でもあるから?・・・・・
ではなく
「​姥堂​」の記録の所で徳川家康幼時幽居地が出てきます、ここからとても近いのですが
竹千代(家康)は6歳から8歳の間、人質としてこの地に幽閉されます
その彼を世話したのが、当時熱田の豪族だった加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)で
公園の名の由来はここから来ているようです
人質として過ごした二年間、後に家康は厚遇を受けた加藤家に140余石の土地を与えられます

由緒があるといいのですが、熱田社はその地の守護のため創建されたものかも知れません


熱田社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​名古屋市熱田区伝馬2丁目25-2
アクセス / ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社​ 徒歩15分程

なかなか節目がつかない熱田区宮の渡し周辺です

焙烙地蔵​から旧東海道を東に歩き、ひと筋目を右に曲がり少し歩くと交差点の左に杜が見えます
そこに熱田神宮境外末社『南楠社』と『村社笹宮』が鎮座します
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歩道に設けられたこの案内が目に入ると、ついつい先を目指す事になります
どこかで見切りをつける意思が無いと一日あっても足りない

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『南楠社』と『笹宮』を南から見た全景
古い区割りの住宅街に残る杜はそこを目指す者にとってはありがたい目標にもなります
グーグル先生も無かった時代、昔の人はこうした目標物で進むべき方向を定めていたのでしょう
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玉垣はないので、小振りの神明鳥居と杜がある事で神社と知る事になるのかも
鳥居は南に向いて建てられ、北向きに広がる境内は東西に長いものです
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鳥居右の笹宮社号標、1916年(大正5)と刻まれてます
境内は4社あり、東西に並び全てが南を向いて祀られています
鳥居の先には小さいけれど随分と貫禄のある狛犬が一対
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阿形はとても大きく口を広げているように見えます
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小さいながら精一杯口を開けているワイと思ったけれど、近くによって良く見れば、鼻から上あごにかけて欠損しているようです
恐らくは戦災によるものかもしれませんがその姿は痛々しいものです
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参道右の手水鉢、元号は読み取れません
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参道は右に折れ三つの社に続きます
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左の小さな社、表札もないので笹社境内祭神の案内書きのまま記載します
それよれば、この社は熱田神宮南新宮社末社で素戔嗚尊を祀る「天王社」
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 中央が遠州秋葉社末社の「秋葉社」軻具突智神を祀ります
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三つ並ぶ社の右端が天宇受賣命を祀る「笹社」
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冒頭境内の4社と書いたけれど、3社から少し離れた右端に熱田神宮境外末社「南楠社」が祀られています
こちらは南側の道路から直接参道に入る事ができます
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道路から参道に入った左に手水鉢
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 南楠社正面全景
「熱田神宮に奉納される神剣(草薙剣)を奉納された宮簀媛命が楠の木の下で御休憩された事より神木としてここに祀る」とある
休憩したと言われる御神木の楠木は現在は残っていない様です13
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神社西角に掲げられた祭神の解説板(上)
中村宗十郎出生地の案内板(下)
本名は藤井重兵衛、1835年(天保6)尾張国熱田富江町(現在の伝馬1)で生まれ
17歳の時、田舎回りの旅役者嵐亀太郎に入門、実力が認められて、やがて明治期の京阪劇壇の重鎮にまで出世した立志伝中の名優、写実的な芸風と和実を得意とし、立役の他、敵役、女形、老役を演じた
劇界の慣習の近代化に尽力、明治1889年(明治22)に没

歌舞伎は全く見たことないけれど、この地から市川団十郎と同等の待遇を受ける歌舞伎役者がいた事を笹宮を訪れ教えてもらう事になりました

『南楠社』と『村社笹宮』
創建 / 不明
住所 / 名古屋市熱田区伝馬1丁目8-2
アクセス ​市営地下鉄名城線「伝馬町」下車、焙烙地蔵経由徒歩10分程


熱田区伝馬1丁目『焙烙地蔵』
ここから北の国道1号線の先は熱田さんの杜、左に熱田神宮南の交差点があります
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焙烙(ほうろく)地蔵のある伝馬町の西端周辺は、その昔東海道と佐屋街道の分岐する交通の要所でもあり、街道を行き交う旅人や物資が集まる場所でもあった
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 この焙烙地蔵はその昔、三河國重原村(現在の知立市)の草むらの中で倒れていたそうで
三河から焙烙を売りに通りかかった商人が見つけ、両側に積んでいた炮烙も既に片側が売れてしまい、空いた側に重石替わりに地蔵を乗せて、熱田まで運んで来たそうです

焙烙も売り尽くし、荷がなくなった事で、重石替わりの地蔵も不要になり、海辺の葦原に捨てられていったそうです
やがて住民が見つけ、不憫に思い地蔵を拾い上げようとしたが動かなかったそうです
不思議に思いその下を掘ってみると台座が現れそれを掘り出し地蔵をお堂を建て安置したのが「焙烙地蔵」の始まりという
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焙烙地蔵堂内全景
堂の左には座布団の上に石地蔵が安置されていて、ガラス扉の先に焙烙地蔵は安置されています
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焙烙地蔵の解説板
ところで焙烙とは? 素焼きの平皿だったり、急須状の煎器
子供の頃には豆やゴマを炒ったり、正体不明の野草(主にドクダミ等)を炒る時に用いた日用品
婆さんの作る野草のお茶の苦さは今も記憶に残るけれど、その焙烙も見かけなくなった
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 お堂の左に安置されている石地蔵
赤い帽子に白い前掛けが付けられ、視線はやや下を向いて安置されています
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 ガラス扉の先の地蔵、ふくよかな顔つきで優しい笑みを浮かべているようにも見えます

謂れとなった当時のお堂は現在地から少し東にあった様ですが戦争で被災します
1949年(昭和24)戦後の復興事業で、江戸時代からこの場所に鎮座していた​上地我麻神社​が熱田神宮境内に遷座する事になり、その跡地に「焙烙地蔵」のお堂が新たに建てられたそうです
野に捨てられ、焙烙売りに拾われ、また捨てられる
最後に熱田の人に拾われ、安住の地を与えられ手厚く祀られたのがこの場所と言う事です

『焙烙地蔵』
住所 / 名古屋市熱田区伝馬1丁目1-9
アクセス ​市営地下鉄名城線 「伝馬町」下車西へ5分程

『道標』
焙烙地蔵の前の三差路の北角に綺麗に整備された道標が建っています
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道標の東から伸びてきた旧東海道の道筋も、この場所で熱田さんと宮の渡し方向へ分岐する三差路となります
1790年(寛政2)に建立された道標は当初は三差路の東南角にあったようです
2015年(平成27)三差路の北角にあたる現在地に移設されたもの
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移設され間もない事から解説板も新しく整備されています
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道標の四面には以下のように記されています
東 北 さやつしま(佐屋津島) 同みのち(美濃路)
南  寛政二庚戌年(かのえいぬ)
西 東 江戸かいとう   北 なこやきそ道
北 南 京いせ七里の渡   是より北あつた御本社貳丁

場所こそ少し移動したものの、200年を超え多くの災いから免れ今も当時の姿を留めています

『旧東海道道標』
住所 / 名古屋市熱田区伝馬1丁目5-29  焙烙地蔵の東向かい

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