岩倉市大市場町順喜1「縣明神社」
訪れたのは昨年の大晦日。
コロナが広まりを見せる名古屋に電車で帰省する息子、密な中心街を経由させたくない事もあり、車で県境まで迎えに行く途中に立ち寄ってみました。
岩倉市は南北に長く、東西に短い県内の市では面積は一番小さい。
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上は1920年頃の当地、市内には岩倉(美濃路)街道が南北に続き、街道を中心に集落が点在し城址や寺社が集まる、五条川堤の桜やのんぼり洗いで知られところでもあります。
岩倉は「磐座」から由来したとされ、田畑は宅地化され区画整備も進み、田園風景は薄れてきたものの、古い道筋が一部残り昔の面影を留めるいい街だ。
各町内には氏神様が祀られ、それらは神社当番によりお世話をされている。
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大市場町を東西に走る県道166号線、その北側に鎮座する「縣明神社」
南北に長い境内を持ち、参道は県道の交差点を越え更に南に続く、この町の氏神様だ。
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鳥居から境内の眺め。
門松が飾られ、小さな蕃塀と鳥居の先に瓦葺の切妻拝殿が見える。
右手に縣(あがた)明神社の社号標があります。
幟や神社幕、提灯が吊るされ新年を迎えるばかりだ。
平年ならば当番の方はこれから忙しい時を迎える。
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鳥居から先の境内。
左に脇参道があり、街路樹の様な杜が社殿を囲んでいる。
地元のかみさん曰く、この辺りは神社の名前で呼ばず、〇〇町の神社で呼ぶようだ。
この神社の詳細はさっぱり分からない。
この神社誰を祀っているか尋ねてみたが、「参拝はしてもそれが誰かは考えた事がない」という回答。
確かにそうかもしれないな・・・・・残念。
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境内左の手水鉢、龍はいない。前面に文字が刻まれているが悲しいかな読めず。
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切妻で四方吹き抜けの拝殿。
屋根は軒に向かい緩やかに曲線を描き、木造のシンプルな外観はいかにも馴染みやすい町の神社の佇まい。
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五三の桐が神紋のようです、拝殿から幣殿は間近に見通せます。
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拝殿左から幣殿、本殿の眺め、玉垣の先に灯籠と狛犬、どちらもいい感じで古びている。
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幣殿前の肉付きの良い狛犬、奉納年は不明。
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切妻で平入の幣殿、両脇に棟を下げた小さな建屋が一体となり、内部は一つの空間になっているようです。こうした構造の造りの呼称は知らないけれど、単純な平入の切妻より重厚な印象を受ける。
幣殿右に境内末社が祀られています。
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幣殿から本殿は渡廊で繋がっているようで、本殿の全容は見えませんが屋根の形は流造の様です。
神社は旧村落の大円寺地区の氏神で、安産・縁結にご利益があるとして信仰されたきた神社だという。
ここから徒歩で20分程北西の所に、1505年(永正2)からの続く建雲山龍潭(りゅうたん)寺があります。
そちらで1659年(万治2)から伝わる古文書に、この地に長谷大明神と記されているという。
一枚目の地図では、ここに鳥居の印が描かれるのは大正から、社号標にも大正9年と刻まれています。
規模や形態からそれ以前は記されていないとして、古文書のそれが縣明神社の始まりだとすると、古くからこの地の移り変わりを見続けてきた神社。祭神は大縣大神(大荒田命)を祀るようです。
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幣殿右の二社。
何れも社名札がなく詳細は不明、境内はここから右に少し広がります。
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手前に霊神碑があり、参道は赤い稲荷鳥居に続いています。
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霊神碑の右隣に社があります、御嶽社か? こちらも分からない。
社殿を取り囲む様に堀になっていて、恰も島の様に見える。
雰囲気は・・・・・、社名札が欲しいところです、かみさんじゃないけれど取り敢えず参拝するのだ。
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この稲荷も詳細は分からない。
さしずめ縣稲荷と勝手に言う事にしておこう・・・・・社名札が欲しい。
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稲荷鳥の先の本殿。
見逃したか、狐の姿は見かけられなかった。
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いつも横目に眺めていた小さな町の神社、訪れて見れば見た目以上に大きいものだった。
県道の先も参道のようで随分と先にも神社幟が見える。
どなたに参拝したのか、もやもやは残るけれど、お陰様で一年無事に過ごせそうなことに感謝。

予報通りに雪も降り始め、その勢いは増してきた、県境の駅に向かおう。
体調に問題はないらしいが、それにしてもこのタイミングで名古屋に帰省するかな?
素直にその気持ちは嬉しい、土産のへしこも楽しみだ、それをつまみに一緒に酒を飲もう。

縣明神社
創建 / 不明
祭神不明 / 不明
住所 / ​岩倉市大市場町順喜1