長野県上高井郡小布施町
20年振りに訪れた小布施の街、当時見かけなかったこ洒落た店も目につきます1
秋の観光客で賑わう小布施中心から徒歩で30分程東へ外れると、周辺はのどかな果樹園が一面に広がり、
この時期はリンゴ、栗、柿、葡萄が実りの時期を迎えています
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特に今は小布施名物の栗が収穫の時期を迎えています
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果樹園の東外れ、雁田山の麓に仁王門と赤い屋根の伽藍が見えてきます
悲運の名称福島正則の菩提寺でもある岩松院です
昔訪れた当時、右手の白い建物はなかったように思います
周辺もきれいに手入れされた公園に様変わり、田舎の古いお寺の印象から少し変わったような
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果樹園の中を古い燈籠と三界萬霊碑を横目に仁王門に続く参道を歩きます
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参道左側の六地蔵のお堂、以前(20年程前)はなかったような気がします
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大師堂と堂内
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ここ仁王門から望む石段の先には昔のままの赤い屋根の本堂が見えてきます
永年再訪する機会がなく、ようやく訪れる事が出来ました
北斎の天井画と久しぶりの再会です
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仁王門前の石標、左の供養塔?には大日如来が刻まれています
右のものは蛙の姿に見えませんか、岩松院の中庭には「蛙合戦の池」と呼ばれる小さな池があります
小林一茶の「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」という句が詠まれた場所
蛙を意識していてもおかしくないか
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入母屋、総檜作りの仁王門
この山門、いつ頃造られたものなのか調べて見ましたが定かではありません
手前に果樹園が広がり、雁田山を背景にして建つこの仁王門の姿
小布施の文化財にも加わっていませんが、個人的に好きな門です
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仁王門扁額
派手な所はないのですが、シックな茶色が周囲の緑に溶け込み、風情のある情景を醸し出しています
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シックな仁王門に対し、朱で塗られた優しい顔つきの仁王像
どこかでお目にかかっているような気もするが
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仁王門を過ぎ、右手に蛙合戦の池から流れ出た水が流れ落ちます
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石段の先に寄棟造りの本堂と左に観音像が間近に迫ってきます
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本堂正面の香炉と掲示板「・・・・・精を出せ!」
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岩松院本堂全景
岩松院は1472年(文明4)に開山された曹洞宗のお寺、戦国武将福島正則や葛飾北斎、小林一茶とゆかりのある古寺
訪れた当日は平日にもかかわらず参拝客が途絶えない
以前は本堂の畳の上で大の字になり、北斎の天井画に見入る事が出来、それを勧めた頃もありました
当時の印象のまま訪れましたが、昔の様に振舞えない様です
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境内全景、左の観音様は小布施観音と呼ばれるようです
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岩松院では一番古いとも云われている鐘楼
本堂に入った後から鐘の音が聞こえてきました、静かな小布施の街にその音は余韻を残し響き渡ります
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庫裏全景
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軒下の蛙達が売り子の無人販売所、今も昔も変わらないようです
シャインマスカットは「スーパーの半値位い」らしく、かみさんが買い求めていました
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本堂に掲げられる山号扁額と堂内に掲げられている寺号扁額
本尊は釈迦牟尼仏(江戸時代初期の作)
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券売機で拝観券を買い求め堂内へ
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本堂中央の大間天井に描かれている鳳凰図、八方睨み鳳凰図とも呼ばれます
間口6.5m奥行5.5mの大画面を12分割して描かれています、葛飾北斎(1760年~1849年)晩年の88歳から89歳にかけて描かれた作品といわれています
北斎が初めて小布施に訪れたのは83歳の時、延べ4回訪れ、4回目の滞在で約1年をかけ大間天井に描いたものです
製作は床に並べ、彩色し天井に取り付けた、鳳凰図は朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍など顔料を膠水で溶いた絵具で彩色され、周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています
画面には製作時の絵皿の痕跡や隠し富士が描かれています
一度も修復する事無く、昔のままの鮮やかな色彩を今も留め、鳳凰が睨み続けます

北斎は自らの最期を察したかのように、翌年小布施から江戸に戻り90歳で亡くなります
西洋絵画にも影響を与えた画狂人、この歳でこれを描けた事に驚き以外の言葉はない
小布施の街中にある北斎館を訪れると一層強く感じます

昔は畳の上で仰向けになってのんびり鑑賞できたものです、今は長椅子が置かれ仰ぎ見る鑑賞方法に変わっていました
本堂も撮影機材持ち込み、撮影禁止、本堂から眺める蛙合戦の池も今は撮影が出来なくなっていました
フラッシュや人の動きによる振動が絵に与える影響を抑える目的から現在の鑑賞方法になったそうです
掲載画像は昔訪れた際に撮影、唯一残る一枚でPCの背景にしていたもの
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本堂左、福島正則霊廟へ続く石段、本堂沿いに右に回り込むと蛙合戦の池につづきます
中庭からの写真撮影は可となっています
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福島正則霊廟
石段を上り詰めた先の寄棟の建屋が廟になります
福島正則(1561年~1624年)
元亀天正年間の戦国武将、秀吉の家臣で賤ヶ岳の戦いで七本槍の第一と称され、関ヶ原の合戦でも勇名をはせた、広島城の大大名になるも、1619年(元和5)信越地方へ国替えされ在籍5年、1624年(寛永元)没
廟の内部に建てられた五輪塔から岩松院を見下ろし、その先の小布施の街並みを見つめ静かに眠っています
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緑の雁田山を背に建つ石地蔵、彼岸花の赤が映えていました
間もなく雁田山の木々も紅葉に染まっていきます
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霧雨の降る雁田山を背に佇む岩松院、こうして眺める光景は昔のままです
次回は桜の花の時期に訪れる事にしよう、それまでは「今の仕事に精をだす」か

岩松院
住所 / ​長野県上高井郡小布施町雁田615
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御朱印
右上の蛙は受付のお姉さま方の手作りの付箋
こうした事もやっているのね
2018/9/21