尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:岐阜県

岐阜市八幡町「八幡神社」

岐阜の玄関口岐阜駅から徒歩10分程の場所にある金公園。
そこから東に1分程の住宅に囲まれた一角の八幡町15に「八幡神社」は鎮座します。
八幡と付く町名は結構聞きますが、県外に住む者から岐阜の八幡町というと、郡上市の八幡町を思い浮かべてしまいます。
そうした八幡の町の由来の多くは地内に八幡神社が鎮座することに由来する例が多いものです。
ここの八幡町はあまり馴染みもなく、八幡神社がある事すら知りませんでした。
たまたま金公園で開かれていたイベントで訪れ、八幡神社に立ち寄ってみたらそこが八幡町だった。
1
八幡神社社頭。
街中に大きな樹々が聳え杜を形作り、南北に長い社地に南を向いて鎮座します。
社頭左に赤い鉄柵に囲われた小さな不明社、正面に石造の明神鳥居を構え、鳥居左側に大正4年(1915)に寄進された「八幡神社」の社標が建てられています。
2
鳥居扁額。
当日は参拝に訪れる方の姿もなく、閑散とした境内ですが、奇数月の第一土曜日に市が開かれるようで、その日ばかりは境内は人で賑わうようです。
3
社殿全景。
大きな楠木の下に切妻瓦葺の拝殿とその先の本殿と両脇に摂社が祀られています。
当神社の由来について岐阜県神社庁では以下のように解説されていました。
「当社延喜年間(901~923)に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。
其の後宝徳三年(1451)岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。
然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと言えども、事実不詳。
さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。
その昔、織田信長(1534~1582)が此の社を休憩所とし、枇杷を食し「枇杷を家紋とせよ」と賜う。
その後も織田信長の庇護を受ける。
主祭神は応神天皇、摂末社に安閑天皇、祖神」とある。

地史は調べてはいませんが、これからすると見た目から想像できない長い歴史を持つ神社のようです。
4
参道脇の狛犬(寄進年未確認)
5
拝殿から本殿域。
左に太い幹の楠木が聳え、社の姿を遮っていますが三社が並んでいます。
6
流造の三社が祀られていますが、本殿は中央としても左右の摂末社には社名札はなく、摂末社の安閑天皇、祖神がどちらなのか、創建時期等は定かではない。
7
本殿域で見かけた二つの石。
原形がイメージできませんが、人の手で刻まれた跡が残り往古の狛犬だろうか。

目を見張る派手さのない、小さな神社かも知れませんが、武勇に秀でた信長も訪れたいう長い歴史を誇るのが八幡神社です。

八幡神社
創建 / 延喜年間(901~923)
祭神 / 応神天皇
例祭 / 4月4・5日
所在地 / 岐阜県岐阜市八幡町15
名鉄岐阜駅から徒歩 / 名鉄岐阜駅前から​国道157号線を北へ10分程
関連記事 /
・​金神社
・​岐阜市県町『縣(あがた)神社』

金神社。
名鉄岐阜駅から徒歩10分程の市中心部にある神社で、成務天皇5年(135)創建と伝えられ、美濃国神明帳の厚見郡座18社に正三位金大神と記される古社。
社名が示すとおり、金運や財運に御利益があるとされ、社頭にはそれを象徴するように金色に輝く鳥居で知られる神社。
1
この日は名古屋から小一時間ほど電車に揺られ、岐阜市金(こがね)公園で催されていた岐阜・秋酒祭を訪れた。
2
その会場の北側に隣接して鎮座するのが今回の金(こがね)神社。
金色の鳥居は秋葉山本宮秋葉神社の上社依頼久し振りにお目にかかる。

金神社は古来より産業繁栄、開運招福、金運アップ・商売繫盛の御神徳が得られるとして人々から崇敬されてきた。
この鳥居が金色に塗られたのは平成27年(2015)と比較的最近の事、こちらの御朱印も金色のド派手なもので絵馬もお守りも金色、金色に拘りをもっているようだ。
3
社殿は南向きに鎮座し、右側に手水舎と脇参道を構えている。
4
やはりこうくるかぁ。
5
社殿全景、左手に社務所、中央が金神社社殿、右が金祥稲荷神社で、その右脇に社殿後方の境内社に繋がる参道があります。
社殿は元和3年建替えを受けるなど幾度となく再建を繰り返し、明治24年(1891)の濃尾地震で被災焼失し4年後に再建されました。
昭和20年(1945)の岐阜空襲で被災・焼失、昭和33年に再建されます。
現在の社殿は昭和63年(1988)に再建されたもの。
6
拝殿前を守護する銅製狛犬、ここも金色でいってほしい。
寄進年は見なかったが頭部が小さく凛々しい姿の狛犬。
7
拝殿唐破風向拝。
朱塗りに金色の飾り金具が金神社らしいか。
岐阜県神社庁の金神社の紹介は以下のようなもの。
「当神社は古来殖産興業、財宝主宰、金運招福の御神徳あらたかな神として、篤い信仰を集めている美濃国屈指の名社である。
御鎮座の年代は遠く上代に在って、成務天皇の御代(西暦135)、物部臣賀夫良命が国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められ、篤く金大神を尊崇されたと伝えられている。
境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城₍かぶらぎ₎」があり、近くに「蕪城町」という町名が存するのも之に由来するものと思われる。
当神社の主祭神 渟熨斗姫命は、景行天皇の第六皇女、伊奈波神社の祭神 五十瓊敷入彦命の妃である。
後の世の人々の心の支えとなり、慕い仰がれ、やがてはそれが、人々に財をもたらす御神徳を有する神として尊崇されるようになった。
元和3年(1617)加納城主は本殿、拝殿、瑞垣、鳥居等を建立寄進している。
明治36年より数年の歳月をもって本殿、祭文殿を始め諸建物を造営したが、昭和20年7月9日岐阜市空襲により烏有に帰した。
昭和33年に至りて漸く一応の復興は出来たものの、時局財政困難な状況下での造営であったため、建築資材等も思うにまかせず、又その規模も小さく、年を逐って老朽化が進んで来た。
昭和58年に造営奉賛会を結成し、会員、氏子崇敬者の協賛により、昭和63年3月金神社有史以来の大造営をみたのである。」
尚、それ以降も平成に入り修復の手が入れられています。
往時の社殿の様子を見たかったが、金神社の絵図は見つからなかった。

夫、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)をお祀りする伊奈波神社は、ここから金華山方向に歩いて30分程の所に鎮座します。
8
拝殿額、神紋は五七の桐。
9
主祭神は渟熨斗姫命。
伊奈波神社の縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を受け奥州を平定しましたが、その成功を妬んだ陸奥守豊益により謀反の心ありと朝廷に報告され、朝敵とみなされこの地で討滅されました。
夫の死を聞いた渟熨斗姫命は都から夫を慕いこの地に訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。
その間の命は地域住民を母の如く労り、私財を投じて町を開拓し農業、産業の発展に寄与し岐阜の街の基盤となった。その功績を慕う人々により、財をもたらす金大神としてここに祀り崇めた。
10
金祥稲荷神社拝殿。
金神社の拝殿と金祥稲荷神社拝殿は翼廊で繋がり、後方で透塀と繋がり本殿域を囲っている。
11
金神社と比較すると金の飾り金具は控え目な印象。
12
拝殿から本殿方向の眺め。
金祥稲荷神社の創建等詳細は不明。
金祥稲荷神社は古来金運と商売繁盛の霊験あらたかな神様で講員のみならず広く崇敬されており、金祥とは財宝(お金)を生み給うて、その御恵を与え下さることを祥ぶ(よろこぶ)という意味だという。
財をもたらす金大神と金運と商売繁盛をもたらす金祥稲荷、双方を参拝すれば金運に恵まれない事はなさそうだ。
13
金祥稲荷神社右の鳥居から境内社へ。
14
参道正面に祀られているのは賀夫良城社。
右に「史蹟 賀夫良城」の石標がある。
「史跡 賀夫良城(かぶらぎ)
物部賀臣夫良(もののべのおみかぶら)命の奥都城(墓)と伝えられている。
命は物部頭十千根命(もののべとちね)の嫡孫で、今を去る凡そ1800年前成務天皇の御代はるばるこの三野後の地に国造としてこの地に赴任され、国府をこの高台に定められた。
昭和32年岐阜市史蹟に指定」

神社庁の記載にある「境内の東北の隅に命を祀る古墳「賀夫良城」があり」とあるのはここを指す様です、古墳らしさはあまり感じない。
15
賀夫良城神社から左の境内社。
鳥居を構えた一社と覆屋の下に五社が祀られています。
16
金高椅(こがねたかはし)神社
古来より調理・料理の技術向上と商売繁盛に霊験あらたかな神として深い信仰と崇敬を寄せられている。
日々の生活に必要な3つの条件「衣・食・住」の中の「食」を司る神で料理を生業とする人のみならず、家庭の食事を受け持つ主婦の方々からも崇敬されている。
詳細は不明。
17
覆屋の五社。
右から
秋葉神社。
猿田彦神社(淳熨斗媛命がこの街を形作る際に最初に猿田彦大神を招いたとされる)
神明神社。
物部神社(物部氏祖神)。
玉姫神社(子孫繁栄・産業発展を願い招いたとされる)
18
本殿後方。
手前の神門の先に金祥稲荷本殿、右に5本の鰹木に外削ぎの載せ千木が付いた金神社本殿、何れも流造。
正面の拝殿は横繋がりで一体になっていますが、拝殿から先はそれぞれ拝殿、幣殿、本殿と一体になっており、上から見ると凹型になっている様に思えます。
社殿は修復を終え間もないため、塗りも建物も綺麗なものです。
19
境内東側の参道、鳥居は石造の明神鳥居で個人的にはこちらの方が趣があっていいように思う。
ここから境内に進むと金色の龍がいる手水舎に続きます。

金神社
創建 / 成務天皇5年(135)
祭神 / 金大神
境内社 / 金祥稲荷神社、賀夫良城社、金高椅神社、秋葉神社、猿田彦神社、神明神社、物部神社、玉姫神社
所在地 / 岐阜県岐阜市金町5-3
公共交通機関 / 名鉄名古屋駅➡名鉄岐阜駅➡北へ​徒歩10分
参拝日 / 2023/10/28

関連記事 / 
・​「秋葉山本宮秋葉神社 上社」 静岡県浜松市

吉田川に架かる八幡大橋。
そこは国道472号線、通称せせらぎ街道です。
no title
 橋を越えすぐ左に曲がり吉田川右岸沿いに進むと八幡神社・天満宮が鎮座します。
清流吉田川では終盤を迎え鮎釣りに興じる釣り人も見られる。
1
 清流の町を象徴するマンホールの蓋、これはアマゴをデザインしているのだろう。
アマゴやアユにとどまらず、イワナやオオサンショウウオなど、多くの生き物を育む豊かな渓流です。
2
 郡上八幡の町名の由来となった神社がこの八幡神社。
訪れたのは9月も終わりの時期、買い物帰りの昼頃ですが参拝者は見受けられませんでした。

吉田川を望む道路際に境内があります。
この後方は小高い山となり、その頂には郡上八幡城が聳えています。
3
 八幡社鳥居から境内全景。
左に手水舎と小野天満宮の社標、右に八幡神社社号標があります。
4
 小野天満宮縁起

神体は約1mの白石に黒い油石があり、その油石は菅原道真の姿をしているという。
郡上藩領であった越前国小山荘の真名川(九頭竜川水系)で今から250年ほど前に発見され、時の八幡城主の金森頼錦により祀られたという。
当然ながら学問の神、当地のみならず、近県からも祈願に訪れるという。
5
 鳥居から拝殿の眺め。
切妻平入の拝殿は左が菅原道真公を祭神とする小野天満宮、右が誉田別命を祭神とする八幡神社。
6
 左の小野天満宮には臥せ牛と左が古筆塚。
右の八幡神社には狛犬が守護しています。
7
 手水舎と左の小野天満宮の社標には梅の紋が彫られ由緒が刻まれています。
右手には古い手水鉢が置かれています。
8
 八幡神社・天満宮由緒
八幡神社は現在の「八幡」という地名の起源となった神社。
鎌倉時代初期、順徳天皇の第二皇子御誕生の正月3日初夢に「これより東北に鷲の籠りあり、人畜に危害を及ぼす霊夢である」というので鷲を退治するようにとの勅命が武蔵権守藤原頼保へ発せられた。
一行が美濃国厚見群の長柄川(現在の長良川)にさしかかったとき、上流から流れ着いたとと思われる鷲の石打羽を川岸で発見した。
拾い上げて見ると羽の模様が「八幡」という文字に見えた。
権守はこれを携え更に東北へ進み、当小野村の民家に止宿した。
去る時にその羽を付近の岩間にさし、村人たちに神霊として祀るよう伝えたのが始まりという。
以後八幡宮として一祠を建てその羽を御神体とした。
しかし当時の八幡宮は現在の八幡城天守付近にあり、今でも跡地は「八幡屋敷」と呼ばれ大切にされ、標識も建てられている。
永禄二年(1559)ときの城主遠藤盛数公が築城に際し社殿を現在の山麗に移したとされている。
当神社は歴代城主の祈願所として崇敬され、明治初期まで社殿の建築や修繕、祭祀の費用は城主が負担していた。
更に学問の神様として崇められる天満宮が合祀されている。』

長良川の上流にスキーで知られる鷲ヶ岳があります、「危害を及ぼす鷲」はここが住処でその羽が流されてきたということでしょう。
八幡神社1220年(承久2)に八幡大神を勧請し創建されたとも伝えられます。
耳馴染みのある「郡上のなー 八幡出ていくときは 雨も降らぬに袖絞る」の川崎の歌詞は違っていた訳です。
9
 苔むした古い手水鉢には享保(1716~1736)の元号が見られる。
10
 天満宮といえば撫で牛。
自分の体の患っている部分と同じ個所を撫でると徳を授かる、子供が撫でれば知恵を授かるとされる。
なのでどこに行っても彼らは全身ピカピカ。
11
 八幡神社狛犬。
艶々、ピカピカの牛と比較し、狛犬は黒ずんでザラザラ、狛犬はこれで良いんです(偏見ダナ)。
12
 八幡大神扁額
13
 本殿域は足場が組まれ補修の手が入り、本殿域の全容は捉えきれませんでした。
流造?の本殿が覆屋の下に祀られています。
14
 吉田川が望めるこの境内、8月25日には境内の右手の広いスペースが郡上おどりの場ともなるようです。
このスペースは参拝者駐車場ではありません、車で訪れると最寄りの駐車場を利用する事になります。
15

社頭から見る吉田川下流方向の眺め。
冒頭の青く広い川面はこの辺りから細くまとまり白く波立ち長良川へと続きます。
独身時代、愛犬と足しげく山に籠っていた頃の静かな町の印象とは少し変わって来たけれど、いい山といい川がある落ち着いた町だ。
2020/09/28

八幡神社・天満宮
創建 / 不明
祭神 / 八幡神社・誉田別命、小野天満宮・菅原道真
住所 / ​岐阜県郡上市八幡町小野1
公共交通機関アクセス / 長良川鉄道郡上八幡駅より約2km
関連記事 / ​下呂温泉一泊二日と飛騨の國一之宮巡り




Go Toトラベルを利用して飛騨国の一宮水無神社と下呂温泉へ行ってきました
久しく何処にも行っていなかっただけにせっかくの「Go To」、チャンスを利用しない手はない。
近場で目的地を絞りのんびり温泉に浸かる。
かみさんが選んだのは下呂温泉、唯一立ち寄る予定の神社は「飛騨の國一之宮水無神社」。
名古屋ICを8:00頃、東名高速、東海北陸自動車道、中部縦貫道を経由し軽でのんびり制限速度+10km/hの定速走行。
一路高山西ICを目指す、以前は見かけなかったツアーバスも随分と動き出したようです。
0000
国道158号線を左折し5分ほど走り最初の休憩場所スポット「キュルノンチュエ」には11時前に到着。
ここは杉本の系列で鹿児島黒豚を素材にして、生ハムや燻製、ソーセージ等を製造販売するお店。
山中の田園地帯、周囲はすっかり秋の装い、そんな環境の中にポツンと建つ小さなお店。
0001
店内に入ると天井から生ハムや白カビ熟成のソーセージが吊るされているのに目が行く。
もれなく写真の様にソーセージやハム等の試食が出来、その中から気に入ったものを買うことができるのがありがたい。種類も豊富です。
始まったばかりの小旅行ですが早速お土産〃。
「キュルノンチュエ」
住所 / ​岐阜県高山市清見町牧ケ洞3154

そろそろ昼、昼食はここから高山方向に向かい、高山から国道41号線を下呂方向に向け20分程走ったところにある「飛騨中華そば高砂」へ
0002
国道41号線沿いの間口の狭いお店、店舗前に駐車場はあるけれど、4~5台が限界、タイミングによっては満杯となるようです。
隣にオートバックス店舗駐車場があり、一部情報では「駐車可」とあるが定かではない、ここは軽で来て正解だった、中途半端に開いたスペースに駐車し店内へ入る事が出来た。
0003
メニューは至ってシンプル、中華そばのみ、写真はその大盛(750円)。
高山ラーメン、個人的なイメージで「スープに風味のない、醤油辛いラーメン」の印象が強かったが、ここに来てそのイメージをあらためることになる。
上品な出汁の風味が漂い、チャーシューも柔らかく香辛料もありますが何も足さなくても美味しい。
高山ラーメンの中では5点評価で4点。

「飛騨中華そば高砂」
住所 / ​高山山市石浦町2-383

さて下呂に向かう前に唯一の目的地「飛騨の國一之宮水無神社」へ。
00
下呂方向へ30分程走ると「水無神社」に到着。
社頭の前を流れる常泉寺川、清らかな流れは梅花藻も育む清流、地域を挙げて移植など保全に力を入れているそうです。
1
堤には彼岸花が秋の彩りを添えている、今シーズン初めて見るかもしれない。
7
「飛騨の國一之宮水無神社」
社名の水無は諸説ありますが、川の水源を司る神「水主」の意味だとも云われる。
創建は定かではないようですが、867年(貞観9)に従五位上の神位を授けられた記事が残る、飛騨国の鎮守で主祭神は御歳大神を祀り、十四柱の相殿神を「水無大神(みなしのおおかみ)」として奉祀。
御神体は宮川源流の位山とされ、奥宮が鎮座する。
住所 / ​岐阜県高山市一之宮町5323

参拝も済ませ、かみさんは御朱印も頂いたようだ、下呂に向かおう。
2
チェックインにも少し早い、途中で最寄りの神社に参拝し16:00頃に今夜の「宿湯ノ島館」に​チェックイン​。温泉に浸かって温泉街に下りて見た。
目的は角打ちと飛騨牛の串。
2.4
温泉街の北外れに位置する「おがわや酒店」
2.5
店内では角打ちだけではなく、500円で4種類の地元の試飲ができる。
天領推しのお店でしょうか、天領が多いけれど「これ試飲できる?」と聞いて見ると意外なものを開けてくれたりする。今年は酒蔵開きや酒のイベントは悉く中止、ここで憂さ晴らし。
住所 / ​下呂市 湯之島230-1

さて次は牛串。
2.7
「かなれ」温泉街のほぼ中央にあり、小川屋の経営するお店。
過去に何度か来ても息子達は付き合ってくれなくてなかなか寄れなかったようで、今回ようやく食べる事ができるようだ。おやじが付き合えばいいのだろうが、宿に入ったら最後、外に出ない。
風呂に入って酒を飲むに徹する。
2.6
晩御飯前にほろ酔いで、ここで飛騨牛の串におまけにビールも飲んで、幸せそのもの。
味付けはシンプルに塩のみ、炭の香りが漂い柔らかい飛騨牛は絶品だ、かみさんも満足〃。
3
日が暮れるのも早くなり、一日が損した気分になってきます。
さて千鳥足で宿に戻ろう。
4.2
今回GoToで利用した湯之島館、以前は下呂と云えば名が出てくる老舗。
今も趣はそのままです。COVID19の影響もあり間引き営業を余儀なくされているようです。
感染防止対策も万全で検温、館内はマスク着用、滅菌剤、仲居さんとの接触も最低限に抑え、エレベーターも相乗り回避と貼り紙もあり十分に配慮されています。
マスクもせず、相乗りしようとしてくる方もあり、宿側の配慮に対し利用する側がどれだけ守るかがポイントなのかもしれない。旅や旅館の印象が楽しいものになるか、台無しになるかは自分次第かもしれません。
4.1
今年は本当に最悪だ、かみさんの欲求不満も限界だったのだろう。
普段作ってばかりのかみさん、たまにはのんびり味わってください…?相変わらず早いな。
「習慣よ」だそうだ。今夜は羽を伸ばそう。
エアコンを止め窓を全開にする、夜風は肌寒い、もうしっかり秋が深まっています。

因みに川原にある無料露天風呂、水害の影響からクローズのままだそうです。
水着着用になってから縁はなくなったが、あの解放感は捨てがたいものがある、復旧後は一度行きたいものだ。

今回のGotoこんなチャンスは二度とないだろう、COVID19の抜本的解決が見いだせないなかで、上がったり下がったりのグラフと付き合ってくことになりそうだ。
その都度GoToはありえないだろうし、二度とお給金も出ないだろう。
つけは税金や年金減らされ、倍返しする事になるのだから利用しない手はない。
5
翌日はゆっくりとチェックアウトぎりぎりまで滞在、下呂から飛騨川沿いに南下、保井戸から峠を越えて
長良川の流れる郡上八幡へ。


鶏ちゃん合衆国 加盟店 高山市飛騨荘川
いちまの けーちゃん 260g 2〜3人前 冷凍便


郡上市内の吉田川沿いにあるスーパーVaroで荘川村の名物「いちまのけーちゃん」を買い求める、高速が整備され縁遠くなった荘川ですが、知っている限りで手に入れられる南限はこの辺りではないだろうか。

釣りや山からも縁遠くなり、無性にけーちゃんが食べたくなるとお取り寄せするけれど、身近に買えるといいがそうはいかないようだ。
4.6
午後を過ぎ中途半端な時間。
ここで食べておかないと晩御飯のリズムまで狂うので、蕎麦を頂き家路に着く。
4.5
清流吉田川、流れは相変わらず綺麗だ。
終盤を迎え、友釣りを楽しむ釣り人の姿がある。
郡上ものんびりと巡りたいところですがそれは次回のお楽しみに取っておこう。

守山スマートICから高速で中津川ICまでほぼ1時間
料金所からは国道257号線を経由、県道410号線でゆっくり走って20分で苗木城第一駐車場に到着 
時間は9:20分
「苗木城址」に向かうにはここが一番近い駐車場です、頂に向かい登る人はいても、下る物好きは少ない様です
かみさんには先に城址に向かってもらい、駐車場から車道を下って目的地「高森神社」へ
1
日の出が遅いこの時期、高森山の深い森にも漸く朝陽が届き始めました
あまりにも静まり返った森、何か出そうな雰囲気が漂います
2
駐車場に続く道沿いに小さな鳥居が建っています、なので入口を間違える事はないでしょう
3
木造の明神鳥居と「高森神社」の扁額
参道は杉が林立する森の奥へと続いています
4
入口には、ちゃんと解説板と目的地への⇒が書かれているので心強い
途中には風穴がある様で、冷気を利用し氷餅(水に曝した餅を冷気で長期間乾燥させたもの)を作っていた様で、ここで出来た氷餅は幕府献上品でもあった様です
残念ながら高森神社までの所要時間は案内されていません
5
鳥居からしばらくは斜度も緩く散策気分でしたが、すぐに斜度は増し一気に高度を上げていきます
周囲は杉に混じり竹が生い茂っています
静かな森に朝陽が差し込み清々しいものがあります

あまりの静けさはいやが上にも熊、猪の存在を予感させます
時折吹き込む風が竹の葉を揺らしガサガサ音を立てます、これは多少ビックリします
歩きながら柏手を打つ事に、これが森に良く響く事、効果があるかは?ですが気休めにはなる

道はしっかり出来ていて、危険な道ではありませんが最低でもスニーカーは必要です
北側にあたる斜面は多少肌寒く、尾根の向こうに降り注ぐ陽光が羨ましい「パン!〃」
6
 登り始めて5分程
斜面に右手に伸びる小道が現れます、ここが下にあった風穴入口の様です
ここからでは全くそれらしきものは見当たりません、行くしかない
せめて「ここから何分」とか書いてあれば心強いのだが
こうした道標にどれだけ惑わされた事か・・・・・
8
不安は直ぐに解消されます、分岐から1分程で視界の先に看板が見えます
9
山の頂の下に巨岩が寄り添うように組み合い、一部に写真の様に穴が開いています
外から暗い内部を覗いて見ましたが、氷餅を吊るす作業が出来る広さはないようです
富士の風穴(火山活動)のイメージとは違う様です
※天然記念物の光苔が群生しているようです、立ち入りは厳禁ですね
10
参道に戻り再び上に登ります
まもなくすると参道脇に注連縄が掛けられた祠らしきものが
これが案内板に書かれていた烏枢様
聖なる炎で不浄なものを焼き尽くし、汚い物が大嫌いな烏枢沙摩明王を祀ります
神社仏閣のトイレに祀られているのを見かけた事はありませんか?
11
鳥居から10分程で陽光の降りそそぐ尾根に出ます
陽の温もりが暖かい
12
尾根道は突き当り、道標が建つ分岐に出ます
左に進むと人気の多い苗木城址方向の龍王院跡へ、高森神社は右手方向に進みます、「パン!〃」
6
 龍王院跡方向から来た人向けの道標も用意されてます
13
分岐からはこうした緩やかに上る尾根道を進みます
先の見えない道は「パン!〃〃〃」
14
やがて視界が開け、陽が差し込む広場に至ります
道は二手に分かれていますが、ここは右手方向の上に向かいます
右手の巨岩の向こうに建物が見えています
15
巨岩の裏手に覆屋と木造の二の鳥居、高森神社到着です、「パン!〃」
ここまで寄り道しながら15分少々、散歩ではないですね、軽いハイキング的なイメージ
16
右手の巨岩、先ほどの風穴の真上にあたる位置関係です
こうした岩がこの山を形作っているようです
17
木造の明神鳥居とその先に石垣の上に神域が作られ、全体を覆屋が立てられています
18
高森神社本殿全景
19
 「パン!パン!」参拝です
三社祀られていますが、いろいろ調べて見るも詳細までは分かりませんでした

かつては苗木城の守護神であった「竜王権現」、高森山の眼下を流れる木曽川から南方を守護していたものです
この地を治めた苗木藩は、明治政府の廃仏毀釈という強行手段の断行前に徹底した廃仏毀釈を行ったと云われ、藩内の17寺院すべてを廃寺としたそうです
苗木城の守護神「竜王権現」も1868年(明治元年)には、現在の「高森神社」へ改称するように布達されたようです

「高森神社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
20
 本殿から鳥居方向の眺め
南垂れの斜面の下は木曽川が流れ、その前方には恵那山が望めます
龍神が睨みを利かすには絶好の場所です
2019/11/01

住所  / 岐阜県中津川市苗木
アクセス / ​中央自動車道「中津川」ICから国道257号線経由15分程

※冗談ではなく周辺では熊の目撃情報があります
 苗木資料館に立ち寄られるか右から​クマ目撃情報​を取った方が良いかもしれません「パン!〃」

↑このページのトップヘ