長久手市役所から5分程東へ向かいます
 やがて1級河川香流川が見えて来ます、川沿いを下流に歩くと香流川に架かる高根橋が見えてきます1
両脇の常夜灯と御嶽山大権現、御嶽山参道の石標が建っています、その先に見える小高い山を目指します
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橋から下流の眺め、香流川もここまで来ると流れは小さくなります
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橋を渡り、車乗り入れ禁止の道を10分ほど歩いていきます
 周囲は鬱蒼とした木々に覆われ、道は緩やかに登っていきます
木々を抜けてくる風が心地いい・・・・・長いものに出逢いそうな予感
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やがて視界は開け左側に石段が現れます御嶽山の入口到着です
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入口にはNAGAKUTE GUIDEの案内板か設けられています
 携帯でQRコードを読み込むと案内が表示されるようで、長久手の史跡や寺社にはこうした案内を良く
見かけます、タイムリーに情報を取りに行けるのでありがたい
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御嶽山までこの石段から「登頂」開始です
 随分先に石段の終わりが見えています
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石段を上り始めると左側に御嶽信仰の山丸三の紋があちらこちらに見て取れます
 数えきれないほどの霊神碑が祀られています
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御嶽山信仰は数ある山岳信仰の一つ
起源は約1,200年前、信濃国(現在の長野)で疫病が流行して困窮した際に石川望足が霊峰御嶽山の中腹に、国常立尊、大己貴尊、少彦名尊の御三神を祀って平穏を祈願したことから始まると云われています

平安・鎌倉・室町時代におこった民間信仰と山岳信仰が結びつき、当初は修験道の場として、厳しい修行を重ねる道者といわれる限られた者のみ登拝が許されていた
1784年(天明4)行者覚明と1794年(寛政6)普寛により広く民衆に開山されたと云われます

最近身近で耳にする事が少なくなった講社と呼ばれる御嶽山を崇拝する信者により支えられ、霊神碑は過去の行者を神格化し祀ったもの
御嶽登山口に行くと霊神碑が立ち並び、その数は2万基以上ともいわれます、登山口で見かける風景がここにもあります

岩作「御嶽山」は1855年(安政2)に明寛霊神と明心霊神が開山したと云われ、日進市の岩崎「御嶽山」と共にこの地方の心願講と呼ばれる講社の中心となっているようです
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石段を登りきると鳥居が見えてきました、後はこの石段を登れば終わりのようです
 石段の数を数えていたものの途中で忘れてしまいました
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本堂を見下ろす高台、右手に本堂の屋根を見下ろします
  山丸三の紋の入る手水鉢が置かれ馬頭観音?が祀られています

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鳥居周辺至る所に霊神碑が祀られています12
上は鳥居左の祠
祠の手前に高倉神社の碑があります、それがこの祠なのか良くわかませんが、そうであれば天照大神という事でしょうか
下は十二大御権の祠
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祠後方の十一面観世音菩薩と不動明王
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拝殿正面からの全景
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拝殿前の狛犬
 輪郭のはっきりした凛々しい容姿
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拝殿から本殿は渡り廊下で結ばれています
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本殿前の狛犬はしっかり年季のはいったもの・・・・・犬だと思います
 古びて一部は欠け落ちたのでしょうか、左の狛犬はこちらを向いて何かを訴えたい、そんな表情に見えます
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拝殿から本殿
 意外に山丸三の紋は見受けられなかった
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岩作「御嶽山」

天照大神、高皇産霊大御神、神皇産大御神の三柱の神と、国常立尊、大己貴命、少彦名命を 
 加えた六神を御嶽大神として祀り、岩作御嶽草創の明覚・明心二神を含めた八神が合祀されている
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拝殿右側の摩利支天と霊神碑
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白川講霊神場

 鳥居から南の眺望、歩いて来た長久手古戦場方向が一望できます
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鳥居から南を振り返ると結構な高低差で本堂の屋根を見て取れます

 鳥居から左に下って本堂へ
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「御嶽山」の味のある扁額
下 
岩作「御嶽山」堂内全景
山三丸紋幕
 山は御嶽、〇は宇宙を現し中の三本の線は上から不動明王、中央が大日如来、下が摩利支天を現す様です、講を引き継ぐ方も減少していると聞きます
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本堂の向いにある手水鉢と祠、祭神は分かりませんでした、後々追記する事にします

岩作「御嶽山」
創建 / 1830年(天保元年)
住所 / 長久手市岩作壁の本33番地
アクセス / ​​リニモ「長久手古戦場」駅下車 徒歩で西へ40分程
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御嶽山境内のシャガと山道入口付近の畦道に咲くツツジ

以前の様に登れる日は訪れるのだろうか
2018/04/16