尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

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小牧市春日寺
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西に県営名古屋空港があり、周辺は住宅が広がる、そこに県道102号線(犬山街道(稲置街道))が南北に伸びています。
この街並みの中からどこにいても視界に入る小高い山が小牧山、その頂に建つ小牧城は山と共に市のシンボル。
こうした風景を見ていると想像できないけれど、太古にはこの辺りまで海が迫っていたという。
その当時はこの辺りまで船の往来があったという、船乗り達にとって目の前に見える山は帆を巻き上げる絶好の目印となっていたそうだ。
それが故にこの山は帆巻山と呼ばれるようになり、ここから小牧となったとも云われる。
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春日寺は「かすがんじ」と呼ぶそうだ、空港建設に伴いそこから移転した民家も多いと聞く。
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空港を背にして県道沿いに鎮座する春日寺の「神明社」。
県道を走っていると、右に社号標と正面に神明鳥居、その先に拝殿が望めるこの社頭は良く目にしていたが、なかなか車では入りにくかった。
拝殿右に春日寺会館があり、そちらに車を停めさせていただき参拝。
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創建は1667年(寛文7)とされるようですがそれ以外よく分からなかった。

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切妻瓦葺の素朴で落ち着いた佇まいの拝殿。
神明社境内に左の春日寺会館や公園があり、神社を中心に住民が集える場に整備されたようです。
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神明社本殿域。
本殿右手の小山に御嶽神社、左手には小さな社が祀られています。
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御嶽社と覚明霊神碑。
覚明行者は春日井市出身ということから周辺では良く祀られている。
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本殿左の社、周囲の堀は水は張られていないけれど、手前の反り橋から察するに弁天社だと思います。
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本殿を守護する狛犬。
表情はよく分からないけれど、丸々した大正9年に奉納された狛犬です。
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本殿全景。
高い石垣の上に祀られた神明造の本殿は6本の鰹木と内削ぎの千木が付く。
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祭神は天照皇大神。
本殿後方の壁の向こうは県営名古屋空港になります。
本殿や末社は全てが東の稲置街道を向いて鎮座。
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年を越す時期に春日寺を通りがかると、街道に神社幟が立ち、氏子総出で迎春準備をする姿をよく見かける。この時ばかりは車で前を通り過ぎても一目でそれと分かる。
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拝殿から社頭の眺め。
訪れたのが年を越した2021/1/19、しばらく経つと静かな神明社に戻る。
毎年正月にかみさんの実家を訪れる際、必ず前を通りはするけれど、なかなか縁がなかった神明社も漸く参拝、気になっていたものが一つクリアできた。


春日寺「神明社」
創建 / 1667年(寛文7)
祭神 / 天照大御神
境内社  弁財天、御嶽社
住所 / ​小牧市春日寺1-138
公共交通機関アクセス / ​名鉄小牧線春日井駅徒歩10分

以前掲載した「外山神社」。
そこから10分程北に「城嶋稲荷」が鎮座する。
以前は田畑が広がっていた一帯も宅地化・区画整理が進み、今やそんな面影はなくなってきた。
城嶋稲荷に辿り着くための大きな目標は「小牧市南部コミュニケーションセンター」を目標にするといいかもしれない。センター北側の通りから一本北筋の住宅街の一角に「城嶋稲荷」は鎮座します。
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この筋沿いを西に進むと右側に稲荷がありますが、社地は少し中にあるので赤い稲荷の鳥居を目標にしても見通しは利きません。
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道路沿いに防火水槽があり、その奥に赤い鳥居と幟の建つ小さな「城嶋稲荷」があります。
右手のごみ収集ステーションの横から境内に向かいます。

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社地の前に「北外山城(砦)址」の解説板。
そこには
「北外山砦天正十二年(1584)の「小牧・長久手の合戦」で廃城となっていた織田興四郎の居城を利用して築かれた砦で本多忠勝、松平家忠らが守った。
東西49㍍、南北36㍍の広さで、四方に高さ1.8㍍の土塁があったと伝わる。
現在では「城島」「城前」というこの辺りの小字名が城跡の名残を留めている。
ここにある「北外山城址」の碑は、ここから50㍍北側の民家敷地内から移設したものである。
平成二十五年三月 小牧市教育委員会」 とある。

境内に城址碑があるようです。
織田興四郎
岩倉城を本拠とした織田伊勢守家の一族とされ、清州城を拠点とした織田大和守家に威勢を示し、後に信長により伊勢守家は滅ぼされることになるようですが、織田興四郎の人物像はよく分からない。
北外山城もそれに伴い廃城の道を辿っていったのでしょう、それも小牧・長久手の合戦で織田・徳川勢の本陣小牧城を中心とした戦略拠点として整備され、秀吉と対峙したようですが合戦以降再び荒廃していったようです。小牧城の南にあたるこの一帯には蟹清水砦や宇田津砦、城址など点在しますが多くは碑のみです。
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境内全景。
左手に板宮造りの社、手前に石の社だろうか、その他複数の石碑があるけれど、どれが城址碑なのかはここからでは分かりません。
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雲はあるものの青い空を背景に鳥居と額の朱が映える。
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正面に城嶋稲荷の社と左は社ではなく観音様が彫られているようだ。
鳥居前には「子孫繁栄祈願」「家内安全祈願」と書かれた奉納幟が立ち、地元のお稲荷さんの雰囲気が漂う。
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自然石の台座の上に祀られる社、その前には小さな狛狐も安置されている。
左の観音像の石仏は右に神社仏閣、左に谷汲山と刻まれています。
西国三十三所観音霊場の結願・満願の地、華厳寺に関連して祀られているのだろうか。
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左の石標が「北外山城址」
碑のみ移設されてきたものなので、この場所で遺構や面影を見る事は出来ません。

境内北側にも石碑があり、一つは小川芳次郎顕彰碑と稲荷移設記念碑があり、移設記念碑の裏には「平成24年12月」とある。城址碑同様こちらの城嶋稲荷も同じ時期に周辺から遷座されてきたようですが、残念ながら城嶋稲荷の由緒を伝えるものは見当たらず、元の鎮座地ははっきりしませんでした。
周囲の環境変化を考えれば移転や集約も自然の流れでしょうが、こうして纏められた一画が邪魔もの扱いされないといいのだが。
2021/1/19

「城嶋稲荷と北外山砦址」
城嶋稲荷
祭神・創建 / 不明、2012年近隣から移設

北外山城(砦)跡
状況 / 近隣から碑のみ移設
築城主 / 織田与四郎
築城年・廃城年 / 不明

住所 / 小牧市北外山1142
関連記事 / ​「外山神社」​ ​南外山「天神社」

緊急事態宣言は発出されたものの、大きな数値の変化はないようだ。
バレンタインデーも近づくと、かみさんの話題は「あそこ」の事ばかり、いかにも行きたそうだが、彼女なりに我慢しているのが見え見えだ。

感染予防や防止などの個人の意識は様々です、人の密集する街に自ら好んで足を向ける気は更々ない。

それでも家に籠ってばかりでは息も詰まるし体も訛る、密集しない場所をピックアップしてかみさんと外出してきました。血中酸素濃度は99%、体温良し、マスク良し、アルコールスプレー良し。

かみさんが選んだのは西尾市の抹茶パフェと一色町の鰻を食べに行こうというもの。
普段は大勢人が並ぶ店なんだけれど、この時期ならば人は少ないだろうという都合のいい読み、当然並んでいればパス。おやじは天井絵と流造の社が見たくて吉良町の神社参拝をリクエスト。
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上段左は西尾市上町上屋敷7の「茶房 AOI」
お茶屋さんの二階にある抹茶好きにはたまらない抹茶スイーツパラダイス。
かみさんはお目当てだった「大人ゼリー」とやらを堪能し満足したようです。
写真はおやじオーダーの「抹茶フレンチトースト」抹茶風味漂う、溶けるような口当たり。
入店システムは扉の前で呼び鈴をならし、扉を開けてもらい手の滅菌と検温。
店内に2組ほど先客が見えましたが席はしっかりと離してくれたし、対面席は使用禁止としていました。
また、使用したお手拭きは専用の袋に入れて退席し、スタッフが直接触れない対応をとっていた。
いい対応だと思います。

上段右は西尾市一色町坂田新田西江の「三水亭」
鰻重や鰻丼「美味しそう」なんですが、気力と現実のギャップは随分分かってきた、二人にとって御飯の量は多すぎる。おやじは長蒲焼と御飯セット、かみさんは白蒲焼のセット。
炭の香りがほんのり漂い、皮パリパリでふわっとした肉質の一色産の鰻、美味しい。
ゴムのような大陸産との違いは明らか(格付けの様に出され違いを問われると果たしてどうなんだか)。

入店システムは一般的、アルコール滅菌で入店、混んでいれば名前を書いて店の前にある広大な庭園で順番を待つ。
コロナ禍の影響は深刻だ、広大な駐車場はガラガラ、店内は閑散として以前の賑わいとは程遠い。

中段の龍の天井絵。
西尾市平坂町熊野45に鎮座する「平坂熊野神社」
2014年に150年ぶりに本殿遷座祭が執り行われ、新しい拝殿の天井中央に龍と熊野神社の使い八咫烏が隠し絵として描かれています。若い宮司さんはとても気さくな方で拝所から眺めていたのですが「中からしっかり見て下さい」と扉まで開けて頂けました。ありがとうございました。

下段左は西尾市一色町一色東前新田の「一色まなびの館」に展示してある、「三河一色大提灯」のレプリカ。
一色町諏訪神社で約450年の歴史を持つ祭礼の際に境内に吊るされる大提灯(5㍍×10㍍)。
この巨大な提灯が12張吊るされる姿は壮観なものがある。年々大きさを競い合った結果「こんなになった」てしまったようだ。

下段右は西尾市吉良町宮崎宮前の「幡頭神社」
702年(大宝2)に創建され建稲種命を祀る神社。三河湾を一望する高台に鎮座する。
三間流造の本殿や左右の熊野社、神明社を間近に見ることが出来る。

参拝後「吉良ワイキキビーチ」や吉良温泉街を歩いてみるが、季節が季節だけに広いビーチには人影はなく、釣り人が数人、ホテル街も閑散としている。
今は時代遅れとなった「慰安旅行」で訪れていたころの活気のある温泉街とはかけ離れた光景はここだけではないのかもしれない。
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久し振りに眺める海と潮の香り、たまには外にでて思いっきり深呼吸する事も必要だ。
2021/1/15


高御堂古墳
貴船神社境内から出土した神領銅鐸、その銅鐸を貴船神社に変わり保管するという瑞雲寺から北に徒歩2~3分のところに高御堂公園があります。
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公園北側にこんもり盛り上がって木々が生い茂る一画があります。
緑を残し自然と親しめるいい公園だね、と思っていた。
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公園北側の歩道沿いのフェンスの先に「高御堂古墳」の石標を見付けた。
このこんもりは古墳のようです。
銅鐸ついでにひと回りしてみました。
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公園西側まで来ると春日井市教育委員会の「高御堂古墳」の解説板があった。
それによれば春日井市唯一の前方後円墳だそうな。
その年代は古墳時代(300~700年)に作られ、詳細な年代までは特定できていないようです。
発掘調査から古墳の長さは63㍍で後方の幅が38㍍、高さが約7㍍、前方が幅29㍍高さ約5㍍だったようで、現在の姿は復元されたものらしい。
後方部は3段、前方部は2段の平坦部分があり、そこ壺型の埴輪が置かれていたとされます。
埋葬者や埋葬品は調査されていないので分からないようです。
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このこんもりは川砂と粘土で盛り上げられ、墳丘斜面に川原石(当然ながら庄内川だろう)を使い葺石として敷き詰めたようで、古墳周囲は溝に囲われていたようです。
解説板あたりから見渡すと奥に向け高くなり、前方後円墳の形状がイメージできます。
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石槨内部は発掘調査がされていないけれど、鏡や玉が埋葬されていると考察されるそうです。
過去を紐解く事業は景気に影響しない、大盤振る舞いの予算もこうした方向にはつかないのだろう。
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後方(東側)に回り込むと周溝の面影を強く留めています。
町名の堀ノ内由来もこうしたところから来ているかもしれません。

気になったのが周辺の「まむしにちゅうい」の看板です。
これを見てしまうと迂闊に近づく気にはなれなくなる、無口な🐍も同じ気持ちだろう。
公園内にこの看板、自然が残っているという事ですが、鉄砲玉の子供達から目を離せないかもしれない。

高御堂古墳
築造時期 / 古墳時代(300~700年)
古墳形式 / 前方後円墳
住所 / ​春日井市堀ノ内町5-11-1(高御堂公園内)
関連記事 / ​瑞雲寺​、​神明神社​、​貴船神社​、三明神社

宝生寺境内の一画に鎮座する「尾張ゑびす大黒社」
以前記載した「秋葉三尺坊大権現・御嶽神社・笠松と権道路」の参道の突き当りになります。
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 境内入口には数台駐車余地はありますが、車は宝生寺参拝駐車場をお勧めします。
社頭右に「尾張ゑびす大黒社」社標が立っています。
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 社頭右の手水鉢。
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 龍はお休みの様です。
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 南に延びる境内、社頭左から札所?かな、その先に個性的な造りの社殿が佇んでいます。
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こちらは1月5日、初えびす大祭が催されます。
地元の方のみならず、遠方から訪れた参拝客で、この寂れた境内は人で埋まるようです。
普段は訪れる方は少ないようで、こちらの御朱印は宝生寺で頂きます。
御朱印収集を楽しまれている方は寺と神社の御朱印帳をお忘れなく。
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 「尾張ゑびす大黒社」は瀬戸市内を見渡すことのできる高台、その端っこに北を背にして建っています。境内はこちらの大社造の本殿のみで鳥居も狛犬は見かけませんでした。
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 高く積まれた石垣の上に切妻、妻入りの本殿が建ち、本殿に続く石段の傾斜に合わせる様に本殿の妻に屋根が繋がります。
屋根の勾配は急ですが、緩やかな曲線を持っています。
縦にスパッと切り落とされた外研ぎの千木と3本の鰹木が飾られています。
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 斜めから眺める姿は美しいものがあります。
これで周囲の桜が満開を迎えていれば一層映えるのでしょうが、本殿周辺の桜はまだ早かった。
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 向拝柱の左に美保神社、奥の柱には事代主大神、 右に出雲大社、大国主大神と社名札がある。

御存知のように島根県の出雲大社は縁結びの神様として広く知られ、国造りの神、農業、商業、医療の神「大国主大神」をお祀りします。

美保神社は商売繁盛、漁業、海運、田の虫除けの神「事代主大神」をお祀りし崇敬されていますが、尾張ゑびす大黒社は正式な分社として1976年(昭和51)に造営されたもの、それから半世紀に満たないけれど地元では親しみを込め「えびすさん」と呼ばれているようです。

参拝作法は「二礼・四拍手・一礼」、なかなか馴染めない。

余談ですが、近頃「大黒様」と聞くと携帯電話のCMに登場する、あのキャラのイメージが真っ先に出てきてしまう、巣ごもりで相当すりこまれている。
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 本殿側面全景。
この右は崖っぷち。
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 北側の赤津川の堤から丘の頂にポツンと鎮座する「尾張ゑびす大黒社」の眺め。
丘の高みから氏子の住む麓の町を見守る様に佇んでいます、右の木々の生い茂る辺りが御嶽神社や秋葉社が鎮座し、右に少し下がった辺りに宝生寺があります。
ここなら川が氾濫しても二度と被害に遭う事はないでしょう。
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 本殿北側は麓の街並みと田畑の広がる光景が広がり、その先の瀬戸街並みも見通せます。
周囲の動きは手に取る様に見えます、家康がここに陣を置いた気持ちも分かるような気がします。
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 巣ごもり生活は気も滅入ってきます。
既に散ってしまっただろうけど、境内で咲き始めていた桜の写真を入れておこう。
2020/3/29

『尾張ゑびす大黒社』
建立 / 1976年(昭和51)
祭神 / 大国主大神、事代主大神
住所 / 愛知県瀬戸市駒前町
アクセス / ​八幡社⇒本地城⇒本地大塚古墳⇒宝生寺⇒『秋葉三尺坊大権現・御嶽神社・笠松と権道路』⇒大黒社は目の前​​

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